かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

3丁目のカラス

2007年07月05日 | 見 聞
 あんまりな話題だが、3丁目にはカラスがいっぱいいる。明治神宮が東京のカラスのねぐらになっているらしい。
 北海道の現場に通っていて気がついた事だけど、標茶町のカラスはガァガァと鳴いている。ガァガァと鳴くからなんだか怖い。何もない広い公園で弁当を広げたら、一瞬油断したスキに弁当をカラスにつままれた。自分が昔話の正直じいさんのようでおかしかった。まったく侮れない。
 東京のカラスはカァカァと鳴く。その事をお施主さんに聞いてみると「えっ、そうなの?」と興味もなさそうだった。なぜか気になり調べてみたらやっぱり田舎のカラスはガァガァと鳴き、都会のカラスはカァカァと鳴くらしい。カラスの種類が違って、前者はハシボソカラス、後者はハシブトカラスなんだって。
 ハシボソカラスはエサをその場で食べるが、ハシブトカラスはエサを安全な場所へ持っていってから食べると書いてあった。昔話のいじわるじいさんなら弁当の仕返しを考えるところだ。

[かめ設計室]HP

”Dog with Apple”

2007年05月26日 | 見 聞
友だちの兄、イラストレーター古賀重範さんの個展に行った。
会場のある六本木にはうわさ通り外国人がいっぱいいて、バイヤーも徘徊しているのだとか。
売れても売れなくても、描いて描いて描きまくるんだ、きっと。
描きためた絵がもっと見てほしいと言っていた。
ご本人にお会いできず、残念。かめうさぎを描いてもらいたい。
 
5月31日(木)まで六本木で開催。詳しくはHPへ→cafe513

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岡仁詩と同志社ラグビー

2007年05月12日 | 見 聞
 昨日、岡仁詩さんが亡くなられました。
 「大西鐵之佑と早稲田ラグビー」につづく記事がこういう内容になって悲しい。岡さんは大西監督の後を継いでラグビー日本代表監督を努められたが、何と言っても同志社大学の監督の印象が強い。関西人には何となくラグビーが身近にある気がします。自由な気風というのか相性がいいのだろう。その象徴が岡さんだったんだと思います。
 
 「これをしろ」とはまず言わない。言うときも物事を言い切らない。「このときはこう行けるでぇ」とか「こういう考え方もあるでぇ」とかいろんなやり方を紹介するんですよ。でも結論は出さない。あとはお前らで決めたらえぇやないか、といなくなっちゃうんです。(『イメージとマネージ』集英社より)
 平尾誠二は岡さんの指導方法をこのように話しています。こう言われて好きにしようと喜んでいる人には放任ですが、きついなぁと受け止める人は伸びるのでしょう。
 伏見工業のスタンドオフとして全国制覇を果たし、同志社に入学した平尾のプレーを見ていて、岡監督は本人にこう言ったそうです。「平尾はおもろない!」。思った通りのプレーをするのが気に入らなかったようです。指導者として評価すべきことにとらわれることがありません。

 日本代表や社会人チーム監督に岡さんの教え子は多い。岡さんの元から多くの指導者が生まれていることは何だかうれしい。そのことについて、彼本人はこう語っています。
 彼らは同志社ラグビーの卒業生ですが、共通するものは別段ないんじゃないでしょうか。ましてや岡イズムの門下生などというのはとんでもない。彼らに失礼です。大学で過ごすのは高々4年間です。中島はワールドで、宮地は三洋で、小藪は釜石で、平尾は神戸で、土田はサントリーで、それぞれ独自の考えと体験を積み重ねて、彼ら自身のラグビーを開花させていった。わたしの影響など関わりなく、そうであることがうれしいですね。(『ラグビー・ロマンー岡仁詩とリベラル水脈』岩波新書より)
 人柄が伝わってくるコメントです。

 成果主義、しかもその成果を急がれるこのスピード時代には、文化というものは育っていないのではないかと憂鬱になってしまいますが、ラグビーにはまだまだすばらしいアマチュア世界が残っているようで、心が引きつけられているのかもしれません。
 
 今日行われた秩父宮ラグビー場での日本代表 対クラッシック・オールブラックスと、明日花園ラグビー場で行われる同志社大学 対 慶應義塾大学との試合は岡さんの追悼試合となりました。黙祷。

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人間とスポーツ

2007年04月28日 | 見 聞
 傑出した理論で日本ラグビーを世界に知らしめたと言われる大西鐵之佑。展示会「大西鐵之佑と早稲田ラグビー」が早稲田大学会津八一記念館で行われていた。早稲田大学での最終講義の模様がビデオで流されていて、食いついてしまった。題目は「人間とスポーツ」(1987年)。(以下、記憶に頼る)
「ラグビーは知性的行動なんです」「練習や戦法は徹底的に理論的に考える、そして試合で勝った負けたとやる、負けたら悔しくて反省する、どこがダメだったのか理論的に考えて、そしてまた練習する、その繰り返しを37年間やってきました」
 そしてこう続く。「でもね、理論的にやっても勝てる訳じゃないんです。理論的に優れたコーチが強いチームを作れるとは限らない。世古(マラソン選手)なんか中村監督ですよ、じいちゃんがぼそぼそ言ってる間に、パーって走って勝っちゃう。つまり人間というのは理論で動いてる訳じゃないんです。」
 人間の凄みとスポーツの旨味がいっぱい入っている。相手の戦術・特徴を徹底して分析し,理論を磨きぬいた上で,最後は水盃で選手の感情を鷲掴みにする人、なんだそうだ。スポーツは読み物としても面白い。

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もったいない温泉

2007年03月31日 | 見 聞
 山梨県早川町も合併をしていない。人口1600人の小さな町の決断がここにもある。内実に詳しい訳ではないが、設計に関わった西山温泉・湯島の湯はこうした背景から誕生した小さな小さな公共施設である。
 とにかく維持費がかからない事がこの町の公共施設で一番大切だろうと考えた。小さな温泉ではボイラーをつけるだけで赤字運営は必須となる。当たり前となったシャワーもあれで案外金を食う。そういうものは極力やめた。手前味噌な話ですが、結局かかっているのは電気代と掃除のための水道代くらいかな。
 残念なのは、あまりに山奥の秘湯地すぎて、一般の人にほとんどお披露目されていない事。だからこうして宣伝でもしておこう。しかし登山客と地元に親しまれるならそれが一番である。

 そんな秘湯ですが、建築史家の倉方氏が訪ねてくれています。
 ブログ記事で掲載→建築浴のおすすめ ほんとうの温泉 湯島の湯

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もったいない図書館と本のあふれる町

2007年03月28日 | 見 聞
 今月14日、福島県の小さな町、矢祭町の根本良一町長が引退を表明した。根本町長は、2001年10月全国で最初に「合併しない宣言」を発表。その後、住民基本台帳ネットワーク不参加表明、365日窓口業務、職員の削減など次々と行政改革を実施していった。彼はこう話す。「当たり前のことをやっているだけ。みんな(他の自治体)の方が異常だ」(日経新聞2007.3.26)

 昨年の夏、福島からの帰路、矢祭町山村開発センター(U研究室設計)を見学した。その時、センターの体育館いっぱいに本が山のように積まれていたことを思い出す。町に図書館が無いのだと「家庭に眠る本を送って欲しい」と全国に呼びかけたところ、ものすごい反響があったようだった。 
 それが積もり積もって、32万冊を超えたらしい。今年1月14日、柔剣道場を改装してついにオープン。予定数の10倍以上だから既にスペースも足りない。6つの小中学校、28の公民館、特別養護老人ホーム、喫茶店、レストランなどにも広げる予定らしい。ここでも箱もの建築は作らない徹底ぶり。町のいたる所に寄贈の本が広がれば、ささやかな本の町が生まれる。人口6万9千人の小さな町の話である。

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本能は知的です

2007年01月14日 | 見 聞
 小さい頃、スポーツは何でも見た。時間はいくらでもあったから、何かをしながらなんてのでなく、とにかくじっと見た。相撲、野球、サッカー、バレー、スキー、競馬、ジャンルを問わず今よりもかなり詳しかったと思う。好きなチームがある訳でなく、スポーツそのものを見ているのが好きだというのは、その頃から今も変わっていない。
 ラグビーもそのひとつ。大学選手権では同志社が3連覇、それでも社会人7連覇の新日鉄釜石には一度も勝てなかった。しかし同志社を巣立った若者が、神戸製鋼7連覇の立役者となっていく。チームスポーツは選手とともに名監督の存在がある、というところも面白い。

 大学選手権の決勝を国立で観戦した。ノーサイドを迎える頃、西日が国立の芝を本当に美しく照らす。その風景にうっとりしていたら、早稲田大学3連覇の夢は関東学院によって打ち砕かれた。夢は何度でも見ればいい。ラグビーはゴールではなくトライなのだ。

 「ラグビーのゲームは、データよりも感覚で動くものなんです。感覚と言うと、あまりにも頼りない話というか、不確実性があるような気がするけど、そんなことはなくて、ぼくは一番確実だと思う。そこに自分の経験や考え方も全部含めて、ぱっと瞬間的に出てくることは、それを本能ではじき出しているところがあるんですよ。逆に時間がありすぎると、余計なことを考えてしまうからダメなんです。テンポの速いゲームのほうが考えさせてくれないからいいんです。」
 スポーツの見方そのものは、小さい頃に比べて変ってきただろうか。

アンダーグラウンドで 2

2006年12月30日 | 見 聞
 新宿での一年は浅川マキ5日連続公演で暮れてゆく。
 「昨日はこうだったから、と、頭をよぎれば
  瞬時に歌が遅れをとる
  同じ曲目が、今日は、またひとつ、新しい世界を生む」

 ライブの後、憧れのピアノの渋谷毅さんと話することが出来た。
 今年いちばんのお気に入りCDが渋谷毅『アフタヌーン』。
 よく聞いた。そして生演奏を聞いて一年を締めくくれたことは、この上ない幸せ。
 毎年、年末年始はアンダーグラウンドで

日曜の昼下がり

2006年12月05日 | 見 聞
 大学ラグビー伝統の早明戦、正月以来の国立競技場。
 自由席上段、新宿の街を普段とは違う視点で望みながら、30人の戦士が戦う様にうっとりしていた。都市のど真ん中にぽっかり空いた聖地。ノーサイドになれば、余韻をつまみに飲み明かす。やや西洋的ではあるが、騒がず気張らず、都市生活もこうしてみるとたいそう味がある。

 我が世代のヒーロー・神戸製鋼の平尾誠二氏は、ラグビーのすばらしさをこんなふうに話してくれる。
「この前、僕がイギリスに行っている時に面白い話を聞いたんです。ワスプスという、日本でいえば社会人のAリーグにあたるチームの試合を地方でやっていたんです。試合中に観客席の老人がパタッと倒れた。心臓発作だったらしくて、まわりの観客が大騒ぎしまして、ひとりの女性が「ドクター!」と叫んだんです。ちょうどラインアウトの場面だったんですが、メディカルトレーナーという、ケガをしたら水をやりに行く役割の者が各チームに一人いて、彼がダーッとスタンドまで上がってきたというんですね。それからさらにひとりの選手が上がってきて「俺はドクターだ」と言って、マッサージをはじめた。彼はスコットランドのキャプテンで軍医なんです。結局、試合はワスプスが大量リードしていたんですが、中止になったんです。再試合になっても文句ひとつ出なかったらしい。いい話だったんです。こういう話はものすごく大事なことなんです。」
 この冬、ラグビー三昧もいい。

透体脱落

2006年11月19日 | 見 聞
 ちょうど一週間前、田中泯さんの独舞「透体脱落」を観に行った。彼の踊りは、観てすぐに言葉にして解釈できるような類いではない。大抵は、すごかったね、なんて具合で会話にもならない。だから残像も消えて、何か手触りのような感覚だけが残ってから、あれやこれやと考える方が多い。実はその時間がとても好きだったりする。

 山を前にすると自分の身体は透体脱落していく。なのに山水が残っている。それが私である。これを山水一如の思想と言うそうですが、ここにある世界そのもののような踊り、生き様。彼の師土方巽は「私はまだ生まれていない」という言い方をする。こうしてなんだか狐につままれたまま雲をつかむような世界へ連れていってくれるんです。

 大きな劇場での踊りは「透体脱落」が最後となってしまった。

百年の詩

2006年11月16日 | 見 聞
 北海道河東郡音更町字万年西1線37番地 に、古い木造の旧鎮錬小学校がある。

 北海道・十勝平野の一部、音更町は帯広のとなりまち。
大雪の山々から流れくる水があつまり、十勝川となり大きくゆったりと十勝平野を流れていく。この十勝川をはさんで帯広市と音更町に分かれている。十勝川を渡り北へ、音更町に入り悠々と広がる畑の風景の中を、然別の山々を目前に進んでいくと、万年という地域がある。さらに万年の地域は、万年、高倉、鎮錬という3つの地区にわかれており、象設計集団と高野ランドスケープは17年前、東京からこの鎮錬の古い木造の小学校に移った。現在象は隣町の小学校に移り、高野ランドスケープが今もここを拠点として活動をしている。

 その鎮錬が今年で開拓100周年であった。
 音更町の音更『オトプケ』とは、女性の長い髪の様を表すアイヌ語で、うねうねと平野を流れる小さな川々の様子を写している。そして鎮錬『チンネル』は鹿の皮を干す丘の意。ゆるやかに隆起した丘が連なり、美しいところだ。(残念なことに数年前に送電線の鉄塔が建ってしまったが。。)
 十数年前、私達が象に入った頃は、自分の車もなく、この畑の一本道をてくてく歩いて鎮錬小学校の事務所に通った。まわりは農家である。日の明ける頃から外に出て働いている中、太陽も真上にさしかかった10時頃にてくてくと歩いている若者はどう見てもあやしい。あ、あいつまたこんな時間に会社行ってるぞ。とか、収穫の季節には、ちょっと乗ってかないかぇぃ~?とおばちゃんにナンパされ、ジャガイモ収穫のトラクターに乗せられ、気づいたらトラクターの上で懸命にジャガイモ選別していたこともあった。(仕事はどうした?)

 そんな懐かしい故郷の鎮錬から、百年の詩という記念誌が送られてきた。百万個のじゃがいもやにんじんと共に。
 地元の若者衆(といっても、もうそろそろ40だけど)が2年をかけて完成したものらしい。歴史を調べたり慣れない編集をした様子が目に浮かぶ。開拓当時からの資料や農業の変革から、懐かしい面々、鎮錬全世帯の家族写真も載っている。
 自分達のフィールドであった『鎮錬』をゆっくり読み解いてみるのが楽しみだ。

 今日は、感謝と共にかめ棚(神棚?)にお供えさせて頂きます。礼。

百万本のバラ

2006年09月24日 | 見 聞
 百万本のバラの花を
 あなたにあなたにあなたにあげる
 窓から窓から見える広場を
 真っ赤なバラで埋め尽くして

 とうとう本物の「百万本のバラ」を聞いた。青山テアトロ・スンガリー、「スンガリー」は、満州ハルビンに流れる河の名、ロシア料理と加藤登紀子のシャンソン、至福の時を過ごした。招待して下さったKさんに心から感謝です。
 ロシアからヨーロッパへ、歌の旅は続いた。ウォッカを飲み干して。思い出す限り書きとめておく。ロシア民謡が続いたあと、「暗い日曜日」(これはハンガリー)、「アムステルダム」、「忘却」、そして「枯葉」、「愛の讃歌」、「百万本のバラ」。「百万本のバラ」は、グルジアの孤高の画家ニコ・ピロスマニがモデルになったと言われるロシアの歌。(参照→百万個のみかん
 スンガリーはアムール川に流れ込み、その潮の流れがオホーツクに流氷を運ぶ。帯広駅近くにもロシア料理の店があったが、近年の駅再開発でどうなったか。心は北へ。季節は秋へ。

『戦後の詩』

2006年08月30日 | 見 聞
 『戦後の詩 ~現代はどう表現されたか』
  安西均著(昭和37年初版)
 140人の詩が掲載されているこの本を毎日少しずつ読んでいる。終戦記念日には読み終わろうかという予定でいたが、楽しみは長く、何度も読み返し、未だ終わらない。実はこの本、なかなか手に入らなかった。ネットで検索してもほとんど引っかからず、ましてネット販売に出回る事もなかった。

 去年の7月13日、時々通うようになった古本屋に、探してもらえないかと依頼した。その後、こんなメールが届いた。「念ずれば大抵の事は叶います。ひたすら思い続けるのも一法ですが、近似値から迫る手もあります。」そして類似図書を購入したとの連絡。呼び水作戦らしい。「古本屋は呪術的な職業なのでしょうか?」と記されていた。
 これはもう委ねるしかないと、気長に待った。きっと見つかる気がした。
 一年が経った先月、ついに入荷の知らせ。お店に本を売りにきたおじさんの蔵書の中に埋もれていたと言う。この知らせを受けたのが今年の7月13日。メールの記録をよくよく見るとなんと注文した日からぴったり1年じゃないか。
 古本屋は確かに、呪術的職業なのか。感激。

エースの証明

2006年08月20日 | 見 聞
 何やら
 きみの中で眠っていたものが
 それも多くのものが
 回を重ねるごとに
 一つずつ目覚めていって
 花開いたように思える
 責任感とか 
 自信とか
 壁にぶつかっていた技術とか
 これまでにモヤモヤしていたものが
 何もかも答えを出して
 きみをつき動かしていた気がする

 訳あって98年の夏は、高校野球をずっと見ていた。横浜高校が、PL、明徳を連破し、決勝では怪物松阪のノーヒットノーランで優勝した年である。そのとき朝日新聞に阿久悠がこんな詩をかいた。いや、本当にエース松阪は凄かった。
 あのときの興奮と詩を思い出すくらい、今日の駒大苫小牧対早稲田実業の高校野球決勝戦はナイスゲーム、ナイスエースだった。

憎みきれないろくでなし

2006年08月14日 | 見 聞
 昨日は昨日で どこかで浮かれて
 過ごしたはずだが 忘れてしまったよ
 気障な台詞だね
   (1977年 沢田研二)

 いやいや、そうでもなく、8月5日は楽しい茅ヶ崎の花火大会だった。
 到着と同時に、ジュリー三連発。花火ではない。ギターをかき鳴らし熱唱する男たち。RC、ブルーハーツ、エレカシ、ビートルズ、ジャニス、ボブマーレイ・・・途切れることのないギターと同世代ナンバー。あぁ、これこれ。何にもしないで、飲んで、歌って、日が暮れる。花火なんか上がっちゃう。Kくん、ありがとう。
 花火が終わった茅ヶ崎の砂浜に、ギターと歌と酒と。いつまでもこの瞬間が続けばいいのにと、久しぶりに子どもの頃のようなわがままな気持ちを引きずった。
 そうそう、昔、ロクデナシがいた。憎みきれないロクデナシが。友人の危機に職(食!?)を賭して一肌脱げるか。

 お前なんかどっちにしろ いてもいなくても同じ
 そんな事言う世界なら ボクはケリを入れてやるよ
   (1987年 ブルーハーツ)