かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

続あさやん

2007年12月17日 | あさやん
14日(金)「報道ステーション」での放映は、ご存知の通り、突然の事件により延期となっています。
再度、予告いたします!12月19日(水)10時30分頃より放映予定。
テレビ朝日・報道ステーションの特集『さよなら』にてあさやん紹介。
不死身のあさやん、乞うご期待。

[あさやん・ジャズに恋して]CD+BOOK  限定販売中
[かめ設計室]HP

あさやん

2007年12月13日 | あさやん
 帯広のトランペッター浅倉功一「あさやん」が9月に亡くなってから2ヶ月経つ。71才だった。有志でつくったあさやんのCD『ジャズに恋して』を発売してから、入院先から駆けつけた壮絶な発売ライブから、約一年半。彼はその後入退院を繰り返していたが、何度かライブにも顔を出し、亡くなる1ヶ月前8月末のアドバンドのライブでも力強くステージで歌っていた。これが最後になっただろうか。いや、まだ曲は続いている。
 
 今月14日(金)テレビ朝日・報道ステーションでの特集『さよなら』というコーナーであさやんが紹介されます。御覧あれ!

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与えられた時間

2007年10月04日 | あさやん
 1970年10月4日にジャニス・ジョップリンはホテルの一室で死んでいた。彼女の歌声はジョンレノンやボブマーレイのように、大人への通過儀礼みたいなもんだった。ジミヘンにジャニス、ジムモリソンが同じ頃、相次いで27歳で亡くなっている。確か、ロバートジョンソンも尾崎豊も27歳ではなかったか。人にはそれぞれ与えられた時間がある。

 渋谷毅さんがあさやんのことをtShibuya blog で書いてくれています。あさやんは「彼は僕の友人だ」と言っていた。上京してライブを見に行った後、渋谷さんにその事をたずねたら「昔はいいことから悪いことまで教わった」と話してくれた。僕にとって音楽人はこうしてカッコいいままだ。あさやんはカッコよかった。秋の夜にはジャニスとあさやんの音を。十勝の夕暮れのスケッチをそえます。

 サマータイム・・・
 坊や、生きていくのはわけないわ
 ほら、魚がはねてる
 そしてワタの木は高く高く育ってる
 とっても高く・・・

[かめ設計室]HP

Tennessee Waltz

2007年09月23日 | あさやん
I was waltzin' with my darlin' to the Tennessee Waltz
When an old friend I happened to see
I introduced her to my loved one
And while they were waltzin'
My friend stole my sweetheart from me.

I remember the night and the Tennessee Waltz
Now I know just how much I have lost
Yes, I lost my little darlin' the night they were playing
The beautiful Tennessee Waltz.
    (1952年 江利チエミ)

本歌 I was dancin' の歌いだしを I was waltzin' にして歌っている。
あさやんが江利チエミの『テネシーワルツ』がいい、
と言っていたから今夜はそれを聞いている。
聞こえますか?

あさやん 4

2006年05月14日 | あさやん
 この間、新宿PIT INNでの山下洋輔ゴールデン・ウィーク 3DAYS SESSION ライブに行き、緊張しながら山下氏にあさやんCD本を渡してきました。この日のライブは山下洋輔(P)金子飛鳥(Vn)柳原旭(el-B)八尋知洋(Per)はじめて聴いた金子飛鳥さんのヴァイオリン素晴らしかった!いろんな音が絡み合って生き生きとした、もっともっと聴いていたい楽しいライブでした。

 先日、あさやんCD本の注文をこのブログからいただきました。(うれしい。。)
私の知らない、若い頃のあさやんを知っている方が、当時のあさやんの様子を書いて下さったので、載せさせて頂きますね。

 ・・・もうかれこれ40年近く経ちますが、横浜で初めてプロとして活動を始めたバンドで浅倉さんとご一緒させていただきました。当時浅倉さんは鎌倉に住んでいて、昼は海で日に焼け、夜は横浜で演奏という日々でした。私が上手く吹けないフレーズがあると、こういう風に吹くといかしているんだと、休憩時間に自分で吹いて、とても親切に教えてくれました。
 当時、若手トランペッターでは、日野皓正さんと浅倉さんが注目を浴びていました。
派手で音数が多く、吹きまくる日野さんに較べ、浅倉さんは控えめで、数少ない音で、それに勝るとも劣らない効果を上げており、全てが対照的だったのが印象的でした。ぜひもう一度、あの暖かい音色を聴きたいのです。・・・

 本日発送させて頂きます。

ジャズに恋して - in Love with JAZZ
まだ在庫ありますので、みなさんも是非♪♪

あさやん 3 そして最後に紹介を。

2006年04月12日 | あさやん
「ジャズで生きていかなきゃ。食っていけるかどうかは別。
 仕事はね、ラッパ吹いててね、ジャズしてなくてもさぁ。
 だからその意味では、挫折してないね。負けてないと思う。
 東京を離れたからって、負けたんじゃないし別に。
 日の当たる場所に出てとか、出世物語でいうと負けたんであり、挫折なんだろうけど
 やっぱりジャズの人生じゃないと。うん。」

 はにかみながら彼は語る。二十数年前の事だ。
 浅倉功一69歳。19歳でトランペットで生きていくことを決意し、故郷の兵庫県生野を離れ、京都、横浜、東京と移り、米軍のベースキャンプから新宿ピットイン、銀巴里、等々60年代のジャズシーンを駆け抜けてきた人である。
 あさやんの後輩世代にあたる山下洋輔氏は「プレイも人柄も一目置かれているという雰囲気があって、自分の音楽を好きなように追求する人だった。」と、敬意を持って当時の彼を語る。
 彼は突然東京を去り、各地を転々とした後、帯広に移り住み、新しく出会った仲間と共にジャズを演奏し続ける。40歳になった頃、指に力が入らないことに気づき、筋ジストロフィーという病であることがわかる。

「病気の名前を知らされたときは、うーん、まいったね。これはまいった。
 ただ、その時はまだ、なんとか吹けると思っていたから。
 でも、うーん、まいったねそれは。
 音楽が好きだ、ジャズが好きだ、ラッパが好きだというのと、
 うまいものが好きだ、酒が好きだ、オンナが好きだというのはちょっと違って、
 音楽とかジャズとかラッパとかっていうのは
 大事なんだよね。
 ‥‥‥もうちょっと大事なの。だから、
 こらまいったなと思ったけども、
 やっぱり、こんなことは人に言ってもしょうがないから。」

 指が動きさえすれば演奏できる彼の生き方であるトランペット。しかし彼はその指から力を失っていった。弱い力でも押せるようにバルブのバネを調整し、げんこつで、手の甲で、ゆっくりと、音を選んで、そしてやさしく心に染みる魂の音を、彼は奏で続ける。

 ライブ後日、病院に見舞いに行くと、彼の気力は確実に回復にむかっている気がした。再び、彼の演奏を聴けるような気がしてならない。

ジャズに恋して-in Love with JAZZ- あさやんのCD本をかめで販売中!
500部限定。5000円+送料です。(本屋さんやCD屋さんには置いていません)
詳しくは、あさやんCDと書いてメールにてお問い合わせ下さい。kamedesign_yamada@ybb.ne.jp

あさやん 2 必見! ジャズに恋して - in Love with JAZZ -

2006年04月11日 | あさやん
 まだ帯広に馬そりが走っていた時代、1950~60年代の帯広を撮り続けた荘田喜与志氏、そしてあさやんを撮り続けた北田英治氏、荘田清二郎氏、彼らの写真と浅倉功一氏のジャズに人生を懸ける素朴な言葉。山下洋輔氏にとってのあさやん。時代とジャズが折り重なる64ページと、18年前から現在にわたる、彼らの録音されている数少ない演奏の中から選び抜かれた10曲の音。病気の進行と共に奏でる音数も減り、『明解な意志をもった音。今のあさやんだけが出せる音。動かないことの自由を、鮮明に表現する。』洗練された彼の音や歌が心に訴えかけてきます。

収録曲
 1. I'LL CLOSE MY EYES(1987年・6'50")
 2. ST.THOMAS(1987年 ・9'19")
 3. AUTUMN LEAVES(1993年・7'11")
 4. SOFTLY, AS IN A MORNING SUNRISE (1993年・10'12")
 5. HUSH-A-BYE(1993年・7'02")
 6. BYE BYE BLACKBIRD( 2005年・8'48")
 7. NOBB'S BLUES( 2005年・7'52")
 8. MY FUNNY VALENTINE(2005年・5'08")
 9. TOO YOUNG( 2005年・5'08")
10. TENNESSEE WALTZ(2005年・4'53")

 add band
 浅倉功一(Flh) 橋本信夫(Tp) 吉井善満(As) 
 中村静代(P) 中村稔(B) 堂山和芳(Dr) 今西幸司(Dr) 
 角谷総明(Dr) 矢島俊郎(Per)

 4月8日のライブ会場にて販売していたあさやんのCD+本を、制作に携わったかめでも販売しています。(サイズ170×182) あさやんの生きざまを残そうと、本人を差し置いた有志による自費出版なので500部限定、5000円+送料です。本屋さんやCD屋さんには置いていませんので、興味のある方は是非。
 詳しくは、あさやんCDと書いてメールにてお問い合わせ下さい。kamedesign_yamada@ybb.ne.jp

(既にご予約頂いた方には本が届きましたら発送させて頂きますので、少々お待ち下さい。)

あさやん 《浅倉功一》

2006年04月10日 | あさやん
 メシを食ってるから生きているのか。
 酒がうまいから生きているのか。

 彼はジャズがあるから生きている。

 4月8日、あさやんのCD本出版記念ライブが帯広で行われた。彼は病気の進行と共に体調を崩し、3月から入院し寝たきり状態となっていた。ライブの日にあわせて彼の熱いジャズ魂が動いたのだろう。ライブの3日前から車いすに乗る練習をはじめ、前日には、フォークも持てなくなっていた彼の手がゆっくりとラッパを持ち上げ、動かない指でバルブを押した。この力はいったいどこから湧いてくるのか。

 ライブ当日、会場の客席数を超える大勢の客で会場は溢れた。当日まで来れるかどうかわからない彼の分までと、道内各地から集まったジャズの仲間達による熱い演奏が3ステージにわたって続いた。そして本当に最後の最後に、彼は病院から到着し、車いすごと抱えられてステージにあがった。
 ラッパを持とうとしたが、持てない。。顔をゆがめて痛みをこらえ、呼吸を整え、そして体中の力を振り絞り、彼は両手の平でマイクを支え、歌い始めた。彼のマイファニーバレンタインを。

  今日はこれで勘弁。。

客席から、
  来てくれただけでうれしいよ!ありがとう!
 
そして最後のテネシーワルツ。
 どこからこんな力強い声がでてきたのか。。仲間達と共に帯広でジャズを生きてきた彼らと、それを見守る大勢の観客とが、熱い音楽と心で一体になった。突然涙が溢れてきてとまらない。。

  もう少し元気になって、またやります。

と言い残し、介護の人に付き添われて彼は会場を去り病院にもどっていった。

 彼を見てるといつもこれが本当に最後かと思う。だが彼の力はジャズしている時が最大なのだ。メシを食う時よりも、酒を飲む時よりも。この彼の軸はぶれることはない。彼の生き方がジャズそのものなのだ。

  去りにし夢  あのテネシー・ワルツ
  なつかし愛の唄
  面影しのんで 今宵も歌う
  うるわしテネシー・ワルツ

十勝の熱い夜

2005年06月27日 | あさやん
6月19日。帯広から車で30分。ひたすら畑をまっしぐらに走った田舎の万年公民館にたくさんの人がやってきました。公民館は森の中のようになり、爽やかな十勝も、ジャズと酒と皆熱くなりました。
「今夜こうして皆が集まってくれたのも、うまい酒が飲めるのも、楽しくジャズが聞けるのも、全てオレのおかげ。」と、動かない指に重力をかけながらもとても熱い音を聞かせてくれました。
帯広のジャズシーンに大きな影響を与えてきたあさやんは、前々から皆からCDづくりをせがまれていたのですが、本人はそういうの大嫌いで、今までの音はほとんど残されていませんでした。メディアに出て有名になっていくジャズマン達と違う、ジャズの生き方をしてきたあさやんを、今回は強引に説得し、廻りが勝手に動き、録音ライブまでこぎつけたようです。
12月に発売するCD(限定発売)制作にもかかわっていきたいと思います。かめ設計室でも予約受付ますので是非お早めに。

あさやん

2005年06月24日 | あさやん
十勝であさやんに会って来ました。
万年公民館でのジャズコンサートもありました。
秋にもう一度ライブをやって、それと一緒にしてCDを作るそうです。
クリスマスにはCD発売に伴うコンサートも予定しています。
ジャズや音楽の事はほとんどわからないけど、
あさやんとその仲間たちの間にある演奏中の呼吸(息)は、
集団で設計する事を学んだ僕たちの、それはもうあこがれですね。

素敵なあさやんの言葉です。

「音楽が好きだ、ジャズが好きだ、ラッパが好きだ、っていうのと、
 うまいもんが好き、酒が好き、女が好き、っていうのと、ちょっと違って、
 音楽とかラッパとかジャズっていうのは、大事なんだよね。
 もうちょっと大事なんだよ。」