3夜
住民グループと関わる中で、町から正式に復興計画を委託される事となった。東京都が進める区画整理事業計画の中で出来る事は限られていたが、この後実現する事となったコミュニティ道路などの幾つかは今も姿をとどめている。
大島復興計画には、宝箱のようにエッセンスがつまっている。「地域資源」「自力建設」「水取山」「発見的方法」、その後の象設計集団へと受け継がれたフィールドに向かう姿勢、場所の発見。大島の経験を原点として、象設計集団は沖縄、台湾、十勝とその後フィールドを広げていった。そして同じく大島を原点として、漁村研究に生涯を尽くされた地井先生がこの6月に亡くなられたことを知った。
実は大島大火のひと月前、都はるみは新曲を発表している。地井先生に捧げる「涙の連絡船」。
いつも群れ飛ぶ かもめさえ
とうに忘れた 恋なのに
今夜も 汽笛が 汽笛が 汽笛が
独りぼっちで 泣いている
忘れられない 私がばかね
連絡船の 着く港
(1965年 都はるみ)
住民グループと関わる中で、町から正式に復興計画を委託される事となった。東京都が進める区画整理事業計画の中で出来る事は限られていたが、この後実現する事となったコミュニティ道路などの幾つかは今も姿をとどめている。
大島復興計画には、宝箱のようにエッセンスがつまっている。「地域資源」「自力建設」「水取山」「発見的方法」、その後の象設計集団へと受け継がれたフィールドに向かう姿勢、場所の発見。大島の経験を原点として、象設計集団は沖縄、台湾、十勝とその後フィールドを広げていった。そして同じく大島を原点として、漁村研究に生涯を尽くされた地井先生がこの6月に亡くなられたことを知った。
実は大島大火のひと月前、都はるみは新曲を発表している。地井先生に捧げる「涙の連絡船」。
いつも群れ飛ぶ かもめさえ
とうに忘れた 恋なのに
今夜も 汽笛が 汽笛が 汽笛が
独りぼっちで 泣いている
忘れられない 私がばかね
連絡船の 着く港
(1965年 都はるみ)