かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

涙の連絡船/大島編

2006年10月30日 | 空間に恋して
3夜
 住民グループと関わる中で、町から正式に復興計画を委託される事となった。東京都が進める区画整理事業計画の中で出来る事は限られていたが、この後実現する事となったコミュニティ道路などの幾つかは今も姿をとどめている。
 大島復興計画には、宝箱のようにエッセンスがつまっている。「地域資源」「自力建設」「水取山」「発見的方法」、その後の象設計集団へと受け継がれたフィールドに向かう姿勢、場所の発見。大島の経験を原点として、象設計集団は沖縄、台湾、十勝とその後フィールドを広げていった。そして同じく大島を原点として、漁村研究に生涯を尽くされた地井先生がこの6月に亡くなられたことを知った。
 実は大島大火のひと月前、都はるみは新曲を発表している。地井先生に捧げる「涙の連絡船」。

 いつも群れ飛ぶ かもめさえ
 とうに忘れた 恋なのに
 今夜も 汽笛が 汽笛が 汽笛が
 独りぼっちで 泣いている
 忘れられない 私がばかね
 連絡船の 着く港
 (1965年 都はるみ)

続アンコ椿は恋の花/大島編

2006年10月29日 | 空間に恋して
2夜
 舞台は波浮行きの連絡船。船内では、前年に大ヒットした都はるみの「アンコ椿は恋の花」がきっと流れていたはずだ。流れていた事にしよう。現実を暗示している訳ではないのだが・・・時代はいつでもドラマティックだ。
 青図を持たされた青年は当時まだ20代の樋口さんと渡部さん(だったと聞いている)。住民組織や町、都関係者に復興計画を投げかけた。「焼け野原の中でみんなおにぎりの方がありがたいだろうに、どうして青図なのか。納得するまでに20年くらいかかったよ」と樋口さんが話してくれた。

 三原山から 吹き出す煙
 北へなびけば 思いだす
 惚れちゃならない 都の人に
 よせる思いが 灯ともえて
 あんこ椿は あんこ椿は
 あ・・・・あ すすり泣き
    (1964年 都はるみ)

 大島元町を焼いたのは、恋の炎か、寝たばこか。

アンコ椿は恋の花/大島編

2006年10月28日 | 空間に恋して
 コメントしづらい記事ばかり、これまでに200以上書いた。もう飽きたとも言えるし、何も書いていない気もする。読者を想定せずに、懲りずに書いておきたいことがある。空間に恋してシリーズ、3夜連続ではじまり。

1夜
 「フィールドを持つ」。計画者にとってこれは重要だ。
 この思いは、吉阪隆正を中心とした(吉阪研究室、産専、U研究室他)伊豆大島での活動を知ってからだ。「ユートピアの不可能性を自覚しながら理想の存在を忘れない人たちがいる」というスーザン・ソンタグの言葉の通りかあるいは、大島で描かれた計画はユートピアだったかもしれないとさへ思う。

 昭和40年1月の大火から始まる大島復興計画のことである。1月11日午後11時10分、煙草の不始末から広がった火災で元町中心地はほぼ焼失した。(参照:東京都大島町公式サイト【大島小史】)翌日に吉阪を中心に一気に描き上げられた元町復興計画の青図は、そのまま現地へ持ち込むこととなった。まだ食料さえ満足いかない状況のその火中へと。

 三日おくれの 便りをのせて
 船が行く行く 波浮港
 いくら好きでも あなたは遠い
 波の彼方へ いったきり
 あんこ便りは あんこ便りは
 あ・・・・あ 片便り
  (1964年 都はるみ) 

今夜、すべてのバーで 7

2006年10月26日 | かめ バー
「理屈より実践」
 なにかの事象で理論通りにモノごとが発生することはむしろまれです。コインを投げて、表が出る確率は50%。しかしコインを100回投げて、表と裏が50回ずつになる確率は、7.96%しかないそうです。

「因果より因縁」
 煙草を吸うから肺がんになった。ああすればこうなる。なんてそんな、因と果で言えるほど身体は簡単じゃない。果から因を探るなんてのはますます暗くなるだけだ。因が無くても縁はある。病気になったのも何かの縁だ、そのくらいのことにしておこう。

「必然より偶然」
 どうしてあの娘にふられたのか。ああしたからこうなった。なんてそんな、因と果で言えるほど人の心は簡単じゃない。やめろよ、ふられた理由考えるのは。縁がなかったのさ。そのかわり嫌いになった時は、縁がなかったって済ませられるだろ。

「悪用しないでくれる?」
 いずれご縁がありましたら。いかにも聞こえはいいが、明らかにもうこれっきりよ、って感じ。

死んだ男の残したものは

2006年10月23日 | かめ バー
死んだ男の残したものは
一人の妻と一人の子供
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花と一人の子供
他には何も残さなかった
着物一枚残さなかった

死んだ子供の残したものは
ねじれた足とかわいた涙
他には何も残さなかった
思い出一つ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残さなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだ彼らの残したものは
生きてる私 生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない

谷川俊太郎・詩/武満徹・曲

流行建築通信24/翼/伊東豊男 新しいリアル展

2006年10月22日 | 流行建築通信
 風よ 雲よ 陽光よ
 夢をはこぶ翼
 遥かなる空に描く
 「希望」という字を
 人は夢み 旅して
 いつか空を飛ぶ
 (1982年 武満徹詩・曲)

 初台オペラシティで開催中の「伊東豊雄 建築|新しいリアル」展に行った。
 原寸大の曲面ベニアの白い床が敷き詰められた展示室に、石川セリの歌が流れている。彼女の歌声が日曜の白によく合っていた。それだけで上機嫌になってしまった。音に弱すぎる。
 次々とヒット曲を出し続ける建築家のサクセスストーリーも、1971年3人の事務所から始まった。仕事の見込みがほとんどないまま、目の前の住宅設計だけに向かっていた70年代。当時、事務所ではもっぱら演歌が流れていたと言う。中でも森進一のビブラートが時代の空気に合っていた、と本人のコメントが紹介されていた。これが聞けただけで成果だった。

シベッチャ

2006年10月18日 | 仕 事
 約3万ヘクタールに及ぶ釧路湿原の、約45%は標茶町にある。このウェットランドの中をうねるように流れてるのが釧路川。
 水草が低温と空気不足によって不完全分解をして炭化し堆積した土地を、泥炭地という。有機物が多く、鉱物質が乏しい不毛の地だ。北海道の大きな川の下流域はほとんどこの泥炭地だと言われる。この泥炭地開拓は、困難な排水工事に始まり、鉱物質を加える客土を施す必要がある。北海道の水田(近頃北海道米が人気)はこの泥炭地開拓からはじまったが、開拓民の苦悩はいかほどか。雪解け、豪雨、河川の氾濫ごとに地下水位は高まる。道路をつけるにも砂利が乏しく、少しの雨でも泥沼になる。水に囲まれながら飲料水に悩むのも、泥炭開拓地だ。
 近年開通した厚岸から標茶を通って釧路空港につながる道路の両側には湿地帯独特の風景が延々と続く。この農道に30年の年月を費やしたと聞いた。開拓当初のことを想像すると言葉をなくしてしまった。
 
 標茶(しべちゃ)はアイヌ語の「シベッチャ」=大きな川のほとり、という意味だという。
 その名の通り、町のまんなかを釧路川がゆるやかに流れ、その両岸に町は広がっている。その中に設計中の住宅敷地はある。

標茶パノラマコース

2006年10月17日 | 仕 事
 北海道標茶町での住宅設計がじわじわと進んでいる。
 基本設計のプランが合意に至り、秋晴れに誘われるまま、標茶観光初級編=パノラマコースへと爽やかなドライブだった。標茶町は釧路湿原の北、霧の摩周湖の南に位置する広い町だ。近ごろ仕事と旅はいつもセットになっている。

 霧の摩周湖が晴れ渡り、全貌を拝見。
 真ん中に小島カムイッシュ。
 日本一の透明度と言われる摩周湖の伏流水が、標茶の人たちの飲料水となるそうだ。
 裏摩周は中級コースとして、次回以降にお預け。
 懐かしい人には懐かしい道東の風景でした。

東京染小紋

2006年10月09日 | 
 土と紙を求めて小鹿田と黒谷に訪れたことを以前紹介した。(鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥)
 今回は染色(小紋)を学びに旅をした。旅というより散歩なんだけど。江戸小紋の工房は浅草や新小岩に多くあったと聞くが、明治以降川の汚れが目立ち、神田川を遡るかたちで早稲田や落合に工房が多く移ったようだ。
 神田川流域にある富田染工芸で、東京染小紋の製作工程を見学させていただいた。
1/糯粉と米ぬかに染料を配合して色糊を調整する
2/長板に白生地をはって伊勢型紙をのせ、目色となる糊で柄を染める(写真)
3/生地を板から外し、地色となる糊で生地を染める
4/染料を生地に定着させるために、蒸す
5/糊を落とすために、生地を洗う(S38年までは神田川で洗った)
6/生地をはって、乾燥させる
7/湯のしで幅を整える

 これらの工程は想像を絶する繊細な作業だ。ここでは7を除きひとつの工房で行われるが、各工程は専門職に別れる。帰り道、近所に湯のし屋の看板を見かけた。
 実は今回、紙と糊の事を相談しに伺ったのだが、「なんでも教えてあげるよ」ととても親切にしていただき本当に感謝。伝統技術の知恵と職人の働く姿勢にはいつも勇気をいただく。そして私の手仕事に向かう。

規矩準縄・縄の巻

2006年10月05日 | 建 築
 垂直に関する感覚は、人間かなり優れていると思う。足の裏の感覚か、脳の判断か、わずかな傾斜があれば立っただけでわかる。歪んだ部屋に入ったらすぐに気持ちが悪くなる。二足歩行の人間だから持っている感覚だろうか。
 まだ学生だった頃、舞踏家の田中泯さんの元で竹で家を作っていた時の事。掘ったての竹の柱を立てようと思案していたら、「あなたは地球に垂直に立っている」と言われた事を思い出す。さしがねやら下げ振りやらと覚えたての知識で粋がっていた頃だから、その言葉が響いたんだろう。何気ない言葉に建築の本質を教わった気がしている。
 この世の中で本当に垂直なのは人間だけか(画:ピロスマニ)

規矩準縄・準の巻

2006年10月03日 | 建 築
 規はぶんまわし、矩はさしがね、準は水盛、縄は下げ振り。
 今もさしがねと下げ振りはもちろん健在だが、昔ながらのぶんまわしと水盛は現場で見たことがない。以前、直営工事の現場を持ったとき、本来元請けがやるべき墨出しやレベル出しを自分たちでやっていた事がある。トランジット(測量器)は扱えたので何とかなったのだが、外壁の杉南京下見板張り(横張り)のレベル墨を打っといてくれ、と大工に言われた時は困った。
 3階建ての外壁だからトランジットはどうにも役に立たない。当然のように規矩準縄の原則に戻ることとなった。ホームセンターで長い透明ホースを買い、水を入れて、両端をふたりで持って・・・はい止まったー、マーキング、そして墨打ち。結局、大工は何事もなく板を張り終わったので、水平は出ていたんだろう。
 この世の中で本当に水平なのは水面だけだ(画:ピロスマニ)

規矩準縄

2006年10月02日 | 建 築
 規矩準縄。
 これが大工術の全てと言ってもいい。
 わが故郷長浜に、この大工道具を展示している場所がある。友人が長浜を訪れたとき見てきたよと、教えてくれた。小さな建物の2階にその展示室はあって、教えてもらうまで知らなかった。建物は、滋賀県で最初の小学校(開知学校)として地元では有名。2階が「古建築研究所」として展示公開されるようになった。
 この規矩準縄を事務所の名前にしている先輩がいる。
 規は円、矩は方形、準は水平、縄は垂直の意味がある。これが難しい。

百万個のじゃがいも

2006年10月01日 | かめ バー
 十勝からじゃがいもが箱でドカンと届きました。お世話になった地元万年農家からの、恵まれない東京貧民への温かいプレゼントでした。
 十勝では6月頃、ジャガイモの花が咲きます。一面に白い花の風景が続くのです。富良野や美瑛のラベンダー畑が有名ですが、ジャガイモの花畑は数十倍に広大で爽快で、かつ食べられるから最高です。
 肉じゃが。じゃがバター。フライドポテト。グラタン。ガレット。ビシソワーズ。いもだんご。シチュー。カレー。ポテトサラダ。丸揚げ。きんぴら。今夜はコロッケかな。