かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

ニッポンイチの風景/新宿編

2005年09月30日 | 数の風景
 かめ設計室から見える風景にいくつかの日本一がある。
 東向きの窓から見えるは新宿区。写真は六本木ヒルズから撮った新宿なのだが。
 新宿駅の一日の乗降客数が日本一の320万人だという。JRだけでも150万人が乗降する。なんなんだこの数は。同じ新宿区の高田馬場駅では乗降客は1日約44万人なのだが、1ホーム当たりの乗降客数では日本一になるのだそうだ。あれ以上の混雑は無いのだと思えば、もう怖くはないか。よく大したトラブルも無く毎日それだけの人をさばけているもんだと関心さえする。
 話はガッタンと脱線するが、先日閉幕した愛知万博の入場者数が最終日でさえ24万人だと聞いた。新宿駅の比では無い。そういえば先日オープンした秋葉原のヨドバシカメラは初日から4日間で入場者が100万人を突破したらしい。まだ万博やりたいんならヨドバシカメラに任せた方がいいんじゃないか?

鮭の親子丼

2005年09月29日 | かめ バー
 秋口になると、北海道ではどこのスーパーでも生筋子が並びます。生筋子の袋を破り、卵をひとつひとつバラバラにして味付けをしたものがいくらです。かめでも、生筋子からいくらの醤油漬けをつくりました。いくらの瓶詰めは量のわりに高くて手が出ませんが、生筋子から作ると量も値段もとてもお得です。あったかいごはんに、焼いてほぐした鮭と青じそをちらし、いくらをのせれば鮭の親子丼!旬な味でしょ。

ニッポンイチの風景/中野編

2005年09月28日 | 数の風景
 かめ設計室から見える風景にいくつかの日本一がある。 
 20,067人/km2。これは、西向きの窓から見える中野区の人口密度。2,000以上ある市区町村の中で日本一高密度な町なんだそうだ。一人当たりに換算するとわずか50m2。道や川、公園などを差し引けば一人当たり10坪に満たない計算だ。その中で、飯を食い眠り風呂に入り仕事をしている。災害時には消防車は入れない、避難所は足りなそう、何より食料支援が追いつかないのでは、と心配になる。ところが驚くことに江戸の町人地では6万人/km2を超えていたらしい。中野区の3倍もあり、しかもほとんどが平屋か2階建てだったことを考えるとちょっと信じられない数字だ。
 そんな密集具合からか、古典落語の舞台にもなる江戸の貧乏長屋と騙し騙され、でも憎めない人付き合いの気風が、中野の商店街あたりに行くとたびたび感じられるような気もする。

かめうさぎ、現る!

2005年09月26日 | 仕 事
 ひかり保育所のコメントより、いま話題の「かめうさぎ」。帯広・ひかり保育所より西新宿にやってきました!(帯広にいたとは、、)正式には「うさかめ」で、かめの仲間らしいのですが、今日は物思いに更けりながら新宿の夕日を眺めておりました。この後、突然思い立ったように、飛び跳ねていくんですが、残念ながらカメラに収めることはできませんでした。後ろ姿しかお見せ出来ず残念!こちらにお越しの際には是非。

アナログの生き様

2005年09月23日 | 建 築
 超大型ハリケーン「リタ」の如く、デジタルの無機的な波音が大きくなる。かなりでかい。青焼きの業者から連絡が入った。「10月1日から、感光紙の値段が3割程度上がる。今のうちに買っておいた方がいい。」・・・8月19日「アナログとデジタル」で触れたばかりだよ。感光紙の生産中止も時間の問題なのかな。需要のない商品からメーカーが撤退することは極めて明快な論理だし、こちらはそれを食い止めるすべも力も持ち合わせていない。
 写真はいまやっている住宅の設計図面。設計図はモノを作るための手段であり媒体であり、それそのものが目的ではない。そんなこと承知している。しかし小説家が万年筆と原稿用紙を取り上げられ、明日からパソコンで書いてくださいと言われるようなものだ。CADかぁ、と思うとただ憂鬱になるだけだ。

腰を掛ける椅子

2005年09月19日 | 籐 の椅子
 7月22日剣持勇と親父の椅子8月22日渡辺力と親父の椅子に続く記事。
 さりげないデザインにいつも憧れつつ、なかなかそれが出来ない。
 親父は自宅の小さな作業場で仕事をしていた。通りに面して引き戸がいつも開いていた。そこにひとつのスツールが置いてあった。手が仕事を覚えているので、話しながらでもどんどん仕事は進む。小さな釘を一気に口に入れ、一本ずつ上手に口から出してテンポよく釘を打つ。いつも近所のおやじ達が代わるがわるスツールに腰かけ、暇をつぶしていった。当時は近所にも自営業の人が多かった。子供心には、毎日のこのおやじ達への挨拶とその暇そうなウダツの上がらない雰囲気が嫌いだった。
 スツールとは背もたれも肘掛けもない椅子のこと。「腰を掛ける」という言葉はスツールのためにあるのかもしれない。仕事をする親父の横で、邪魔にならない程度に近所の人がちょっとの間ちょこっと「腰を掛け」、たわいもない話をする。こういうふうに生活をまちに開いてゆくさりげない行為をデザインしたいと思ってはいるんだけど、なかなか難しい。

デザインの効用

2005年09月18日 | 建 築
 こんな階段を公共施設で作ったら、税金の無駄だ!と叩かれるのか。公共事業の無駄が指摘される昨今、大阪ではフンデルトワッサーのゴミ処理施設が、過剰デザインの無駄と叩かれていた。化粧もリアクションも過剰な愛すべき大阪でさえそうなの?
 本屋に並ぶ雑誌には、モダン、の文字が踊る。いつからオシャレ=シンプル=モダンになったの?モダンな建築家はかたちに意味を求めたがり、あげくの果てには、説明を放棄するようにかたちを消し始める。それで?
 北新宿で見かけた外階段。まちを歩いていてこんなデザインに出会うとき、初心消えかかる思いをつなぎ止めてくれるようで、うれしくなる。

今夜、すべてのバーで 2

2005年09月15日 | 見 聞
 ブログを始めて100日が過ぎた。書いた記事は50件。ブログを始めて世の中が変わった訳でもないが、ブログ見てますよ、なんて言われるとうれしくなる。
 最近のかめ設計室は、季節の変わり目のせいか、ついつい眠くなってよく寝ている。そろそろ、耳をつけて、かめウサギに変身して、ぴょ~ん、と飛ぶぞ、と気合いをいれ直しつつ、こんなダレたブログを書いている。

紅葉の頃に、ぜひ

2005年09月13日 | 仕 事
 訳あって西山温泉(山梨県早川町)に行ってきました。竣工式以来、約一月ぶりの訪問になります。オープンからの3週間で2000人弱の人が訪れたそうです。人口1600人の山奥の町ですから大繁盛と言っていいでしょう。公共施設ですが、地元のお年寄りが管理をしていますので、ややのんきな雰囲気です。
 写真は、朝日新聞9月11日日曜日の朝刊に掲載されたものです。じわじわと人気が広まってくれればと願います。翌12日にはホームページ『100%源泉かけ流し -西山温泉・湯島の湯-』を立ち上げてくれました。ここ西山温泉は、紅葉の頃がいちばんの見せ場となるように設計しています。この地の紅葉は10月末から11月上旬になります。

小鹿田焼き

2005年09月11日 | 
住宅の打合せのためにはるばる九州まで行ってきました。長らく北海道で設計をしてきたため、全く違う環境での設計になります。今回の出張中、久々に「雨宿り」をしました。車社会の北海道ではもちろん、東京生活でもほとんど必要ないので、懐かしく雨をずっと見ながら、設計のことを考えていました。大型の台風14号の去ったすぐ後で、その被害のニュースにもかなり敏感になります。
遠方の設計では全く儲けなどありませんが、新しい風景に接する喜びがあります。今回は大分の小鹿田(おんた)に行きました。『小鹿田焼』の集落です。ここの窯元は長男しか継げず、ずっと変わらず10軒の窯元が伝統の技を受け継いでいるんだそうです。川の水を引込み「唐臼」と呼ばれる獅子おどしのような装置で、土を細かく砕く音が、集落に響きます。生活が集落の風景を作り上げていました。半農半陶だそうです。

今井兼次展

2005年09月05日 | 建 築
もっと多方面に行動しなければと思いつつ、またまじめに建築話が続いてしまいます。
昨日は多摩美の美術館で開催されていた『今井兼次展』を見てきました。数多くの原図やエスキース、スケッチなど久々に充実した建築展です。多くの建築が今も残っています。早稲田大学図書館(現・会津八一記念博物館)・碌山美術館(長野)・日本二十六聖人殉教記念館(長崎)・皇居内の桃華楽堂・根津美術館(東京)などです。これらの多くは60歳を過ぎてからの作品だというのも驚きです。吉阪隆正氏や大竹十一氏(U研究室)がもろに影響を受けたであろうことも図面やスケッチからビシビシ伝わってきました。
当時の建築家はとにかくスケッチをよく描いています。近頃はエスキースもコンピュータで描く人が多いと聞きますが、随分と職能が変わったものだと思います。ブログも写真ばかりでなく、スケッチも載せるようがんばりたい。

抽象化に向かう

2005年09月04日 | 建 築
富広美術館のコンセプトは、『非中心性・非全体性・相対性・非均質性』
富広美術館は正方形の平面を正円で分割したプラン。
ちなみに、21世紀美術館のコンセプトは、『多方向性・水平性・透明性』
21世紀美術館は正円の平面を四角に分割したプラン。
どちらも缶クッキーの中のパッケージのようなのです。

概念をできる限り不純物の無いかたちに昇華させていく。
それほどに抽象化するのなら、行き着く果ては真白な世界ですか。
ロシアの画家マレーヴィッチの絵画『白の上の白』のように。
こういう話題はどうも表面的になってしまうが、抽象画の極北とされる絵画である。
ただ、面白いのはこの作品の後マレーヴィッチは具象に回帰していく。

富広美術館の設計者は、次の様にも説明する。
『雑木林のような外部(的な)環境をつくりたい』
たとえば木陰の心地よさは、誰も異論はない。
木陰のような場所をつくるよりも先に、
木陰をつくってしまう癖が僕たちにあるから、
どうもそれ以上話が進まなくて、反省してみたり。
幾層もの葉を通り抜けた木漏れ日を見るとみな丸いことに気付く。
そんな不思議なかたちのない場所がつくれたらもっといいだろう。
明確な理論や結論のみからかたちが生まれる訳でもないだろうに。


残暑お見舞い申し上げます

2005年09月03日 | かめ 会
日曜の夕方、友人が遊びに来た。朝夕は過ごしやすくなったのでお酒がうまい。ふらりと来た客には、和食小品がよく似合う。オクラの酢の物。里芋とイカの煮物。鶏肉のマリネ焼き。旅行土産の宇都宮餃子。商店街でさんまを買い、刺身にしたがこれがうまい。
最近冷蔵庫を買いかえて少し大きくなったので、仕込みネタが増やせるのがなによりうれしい。夏に漬けた梅酒の味みをしたがなかなかの仕上がり。秋まであともう少し待とう。

研修旅行005 <那須温泉湯元鹿の湯>

2005年09月02日 | 
橋を渡り、男女に分かれ、ガラガラと建具を開けると、うわっとお風呂場が広がります。待っていたのはいくつもの温度の違う浴槽と、温泉好きのおとな達でした。床はすべて木のすのこ。浴槽は41度から48度まで6段階ほどが用意されていました。白濁で強い硫黄臭はいつまでも体に残りました。奥にいくほど熱い湯なのですが、奥にいる人ほど自慢げにこちらを見ているのがとても印象的でした。公共浴場なので地元の人が多いのだと思います。やはり公共施設はいくら格好が良くても、地元住民に親しまれていないといけません。



研修旅行004 <那須温泉元湯鹿の湯>

2005年09月01日 | 
そんな訳で、那須高原の「那須温泉元湯 鹿の湯」に足を伸ばしました。正倉院文書の記録にも残るという開湯から1370年の歴史ある温泉です。駐車場に車を止めるなり、雰囲気があります。建築とか環境をつくるとはこういうこと、と先ほど見ていた現代建築の後味の悪さがどこかに吹き飛んでいました。
写真にあるように温泉は川向こうにあります。川のこちら側に受付となる玄関があります。そこで靴を脱ぎ、板の廊下から川を超えて温泉に入ります。映画『千と千尋の神隠し』に出てくる銭湯のように、黄泉の国へのかけ橋を渡っていくような感覚があります。由緒ある温泉にひたり、このかけ橋を戻る時には、夢か幻かというくらいの気分でした。
なぜか子どもの頃に入ったお化け屋敷を思い出します。お化け屋敷の中での記憶はほとんどないのに、お化け屋敷に入る前のドキドキと出て来た時の安堵の記憶は鮮明なのです。
建築の設計で考えることはいくらでもある。