三右衛門 新田の小野田さんが作る三右衛門芋。大井川によってもたらされた砂地は、里芋が育つのに大変適していました。里芋は乾燥を嫌うので、適度に水分があり、尚且つ水はけがよい環境を必要とします。その点、三右衛門新田の田んぼはうってつけの環境だとのこと。畑で作られる里芋と違い、ゴジゴジとせず、柔らかでなめらかな食感になるそうです。昔は三右衛門新田から大住にかけて、多くの農家がこの里芋を作っていました。今ではこの地域の農家はほとんどなくなってしまいました。
三右衛門新田には、今でも芋まつりというお祭りが残っています。その昔、この地が飢饉に合い、他の作物が全てだめになった時も、里芋だけは生き残りみんなを助けてくれたという言い伝えが残っています。みんなを助けた里芋に感謝するお祭りが9月15日の八幡様の芋まつり。今でも細々と残っているこのお祭り、以前は三右衛門新田秋の一代イベントだったとか。串に刺して醤油で煮て、鰹節をまぶした里芋。「一人2本までだよ」と配られるこの里芋が子供たちの楽しみだったとか。大量に作られるこの芋煮のために、普通の家庭の庭でも里芋を作らなければならないほどだったそうです。
この三右衛門芋、かつては焼津の漁業と深い関係にありました。
焼津神社の荒祭は、焼津のお祭りの中でも大きなお祭りです。昔は、漁に出ていたカツオ船がみなこの荒祭のために帰ってきました。その船が、8月13日のお祭りが終わると、一斉に海へと出ていきます。まだ漁船に冷蔵庫が付いていない時代。野菜も持っていけるものが限られています。
そのため、重宝されたのがこの三右衛門芋。お盆が終わったころから収穫が始まりますが、夏の里芋の根は元気がよく収穫時の作業も一苦労。この頃は皮を剥いてすぐに調理できる状態で出荷するのが一般的で、収穫の後も黒石川で里芋を洗い、木べらで皮を剥き、焼きミョウバンで色止めという作業が残っています。この時期が一番のかきいれ時、一斉に船出するカツオ船に対応するため、市場は大量の皮むき里芋で真っ白になったのだとか。もしかすると、夜なべ仕事という日もあったかもしれませんね。
里芋は、カツオ船だけでなく、島田などにも売りにいきました。その頃は重さで売るのではなく、一升ますでいくらという売り方をしていたんだそうですよ。
今では、焼津の漁業も当時より勢いをなくしていますし、三右衛門芋を作る農家もほぼなくなり、この芋煮も手間がかかるという理由で作られなくなってしまったとのこと。時代の流れということなのでしょうが、ちょっと残念な話です。
お料理教室参加者の、三右エ門芋の感想
・とてもおいしくてびっくりしました。なくなっちゃダメですね。作り方が田んぼを利用して作るのを知りました。味もヌメッとした感じがなくて感動です。ご ちそう様でした。
・ゴジゴジしたところがなくて、ねっとりとした食感がとてもおいしかったです。皮を剥くときに、上の部分を捨ててしまうことを、初めて知りました。
・煮たり焼いたりと食べ方も色々あるんだと知り、良かったです。
・ 在来作物について知れてよかったです。
・ほくほくしていて、しっとりしていておいしかった。
・ほくほくでおいしかった。
・自分でも里芋は作っていますが、また違った里芋の味をありがとうございました。おいしかったです。
・本当においしい里芋に出会い、嬉しいです。買いたいと思いました。
・里芋にも色んな料理があるんですね。里芋はとても好きです。蒸かして焼いたり、煮たり、これからも楽しみです。
・すごくおいしかったです。貴重な里芋を食べれて大満足。これからも在来作物がなくなっていかないよう、みんなで協力していきたいです。
・三右衛門芋という名前を初めて知り、とても貴重なものをいただくことに感謝しました。今までに味わったことのない味と出会えて、嬉しかったです。とても素朴な味の芋ですね。
・ただぬるっとした里芋でなく、しっかりとした食感もあり、歯触りのよいお芋でした。里芋がおいしいと思ったのは初めてです。
・さくっとほっくり食べやすい、おいしい里芋でした。ぜひまた食べたいです。
・上品な里芋でびっくりしました。グラタンやパスタでもいけるかなあと思いました。