前回、日鋼団地における、東山道武蔵路について説明しましたが、今回は、周辺地区の東山道武蔵路ついて、見ていきたいと思います。
この遺跡調査で、最も参考になるのは、西国分地区の遺跡発掘調査(平成5年11月~平成7年度末)で、その調査報告が、2巻に纏められています。しかし、これは厖大な資料ですので、そのダイジェスト版と云うべき版が以下の資料で、読むのにはこちらが手頃です。
その発掘場所は「http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/bunka/6018/011673.html」より、以下の赤線の場所で、特に、③には、市立歴史公園「史跡東山道武蔵路跡」が造られて、この貴重な文化財を保存しています。
「http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/moyooshi/kyouyou/014083.html」
発掘作業の様子は
「http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/touzando-m/kokubunji11.html」に、詳しく説明されています。
地表の全ての土を、丁寧に取り除いて、その全貌をしっかり記録している様子が良く判ります。さらに、以下にその詳細の説明が続きます。
「http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/touzando-m/kokubunji12.html」
「http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/touzando-m/kokubunji13.html」
この延長線上に日鋼団地があり、その周辺の遺跡の発掘状況は
「http://www.city.fuchu.tokyo.jp/kurasu/bunka/maizo/honmatiEkimaeHakkutu/files/KengakukaiShiryou.pdf」の中で、下図の様になっております。
特に、武蔵国府の駅が付近にあったと推定される為、西国分寺の遺跡以上の重要な遺跡と考えられ、簡単な調査だけで終わるとは、とても考えられません。
これでは、今後も建替えは出来なくなるのではないかと思われますが、そんな事はなく、それなりの充分な覚悟をすれば可能と思われます。例えば、安全を見て、約5年間と、さらに延長した場合の保険等加入による仮住まい等の資金及びこの間の精神的・肉体的負担を覚悟すれば、可能であると思われます。しかしながら、今は断じて「その時では無い」という事です。
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