ひろしま歴史街道散策会に参加!
令和元年11月21日(木) 14:00 JR可部線緑井駅 集合 18名参加
散策会 「雲石街道と安川西岸」
散策経路
雲石街道~中須胡子神社~古市~一里塚跡~浄宗寺~古市橋跡~
安神社~勝想寺~官弊社
案内人 佐々木卓也氏 指南役
好天に恵まれ、雲石街道を歩きます。
◎ 旧雲石街道
雲石街道は現在の中区堺町で西国街道から分かれ、可部、吉田、三次等を経て出雲に
至る出雲路と、可部から石見(益田方面)に至る石見路の総称である。
古市では県道矢口安古市線(横川と可部を結ぶ旧国道の一部)がこれにあたる。
◎ 八木用水
江戸時代中期に開削された延長約16kmの農業用水路。
太田川右岸の佐東、安古市、祇園にまたがる地域の農業用水を確保するため、
南下安村の大工卯之助が中心となって工事を行った。
◎ 中須胡子神社 → 雲石街道に立つ神社
◎ 安川 → 以前は荒れ川で水害が多かった。
◎ 石畳み
麻うくりが盛んだった明治から大正にかけて、古市の町には煮汲屋(にこぎや)と呼ばれ
る麻の繊維工場が50軒ほどあった。
古川あ繊維の「けば」をこそぎ落す作業が行われており、旧街道に沿って河原へ通じる
石畳や麻製品が保管された蔵が残っている。
◎ 水準点
◎ 一里塚跡 この辺りに一里塚があった。
◎ 浄宗寺
天正年間(1573~1591)僧浄具が開基し、当時は天台宗であった。
元禄4年(1691)5月22日に時の住持寿礼(県史では寿福と記載)が改宗して
真宗となる。
元は中筋切戸にあったが、明治35年(1902)旧国道に面した現在の地に移った。
(本堂に上がらせて貰って説明を聞く)
◎ 安佐南区役所
休憩に立ち寄る。
5m以上もある長径の畳。
野外彫刻 → 旅たち 作 :
野外彫刻 → 和 作:片岡 享
◎ 薬師如来分詞 → 中は空っぽでした。
◎ 軽便鉄道跡
明治44年(1911)横川~可部間で開通した軽便鉄道は、山陽鉄道(現山陽本線)
などより軌道幅の小さい規格の鉄道で、馬力も小さく急な上り坂では乗客が降りて
後押ししたこともあったです。
◎ 安川跡 → 流路を古川に変更で埋め立てられた。
古市橋跡 → コンクリートの当時はしゃれた橋であった。
長くなりますので、続きます・・・
令和元年11月21日(木) 14:00 JR可部線緑井駅 集合 18名参加
散策会 「雲石街道と安川西岸」
散策経路
雲石街道~中須胡子神社~古市~一里塚跡~浄宗寺~古市橋跡~
安神社~勝想寺~官弊社
案内人 佐々木卓也氏 指南役
好天に恵まれ、雲石街道を歩きます。
◎ 旧雲石街道
雲石街道は現在の中区堺町で西国街道から分かれ、可部、吉田、三次等を経て出雲に
至る出雲路と、可部から石見(益田方面)に至る石見路の総称である。
古市では県道矢口安古市線(横川と可部を結ぶ旧国道の一部)がこれにあたる。
◎ 八木用水
江戸時代中期に開削された延長約16kmの農業用水路。
太田川右岸の佐東、安古市、祇園にまたがる地域の農業用水を確保するため、
南下安村の大工卯之助が中心となって工事を行った。
◎ 中須胡子神社 → 雲石街道に立つ神社
◎ 安川 → 以前は荒れ川で水害が多かった。
◎ 石畳み
麻うくりが盛んだった明治から大正にかけて、古市の町には煮汲屋(にこぎや)と呼ばれ
る麻の繊維工場が50軒ほどあった。
古川あ繊維の「けば」をこそぎ落す作業が行われており、旧街道に沿って河原へ通じる
石畳や麻製品が保管された蔵が残っている。
◎ 水準点
◎ 一里塚跡 この辺りに一里塚があった。
◎ 浄宗寺
天正年間(1573~1591)僧浄具が開基し、当時は天台宗であった。
元禄4年(1691)5月22日に時の住持寿礼(県史では寿福と記載)が改宗して
真宗となる。
元は中筋切戸にあったが、明治35年(1902)旧国道に面した現在の地に移った。
(本堂に上がらせて貰って説明を聞く)
◎ 安佐南区役所
休憩に立ち寄る。
5m以上もある長径の畳。
野外彫刻 → 旅たち 作 :
野外彫刻 → 和 作:片岡 享
◎ 薬師如来分詞 → 中は空っぽでした。
◎ 軽便鉄道跡
明治44年(1911)横川~可部間で開通した軽便鉄道は、山陽鉄道(現山陽本線)
などより軌道幅の小さい規格の鉄道で、馬力も小さく急な上り坂では乗客が降りて
後押ししたこともあったです。
◎ 安川跡 → 流路を古川に変更で埋め立てられた。
古市橋跡 → コンクリートの当時はしゃれた橋であった。
長くなりますので、続きます・・・
雲石街道は大きなマンションがいくつか建っているようですが、この辺りは広島市内への通勤圏なのでしょうか。
古市の煮汲屋というのも面白い名前です。名前から推測すると繊維のけばを煮て落としていたのでしょうか。
5m以上もある畳も珍しいですが、軽便鉄道を人の手で押したなんていう時代もあったようですね。
可部線沿線は、凄く変化してきています。
緑井は、3年前の7月豪雨災害もありましたが、市内にも20分くらいの通勤圏です。
古市は、麻の繊維の工場が50軒もあり、煮た麻のけばを落として川で洗っていたようです。
軽便鉄道は、明治の頃の国鉄の前身の頃の話です。
目からうろこですよ。(苦笑)
街歩きもいろいろ勉強になります。