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ひろしま歴史街道散策くらぶ(11月散策会)に参加! 1

2019-11-22 14:27:55 | ひろしま歴史街道散策会
 ひろしま歴史街道散策会に参加! 
 令和元年11月21日(木)  14:00 JR可部線緑井駅 集合 18名参加
  
   散策会 「雲石街道と安川西岸」
   散策経路  
    雲石街道~中須胡子神社~古市~一里塚跡~浄宗寺~古市橋跡~
    安神社~勝想寺~官弊社

   案内人  佐々木卓也氏  指南役
 

  


 好天に恵まれ、雲石街道を歩きます。
 ◎ 旧雲石街道
  雲石街道は現在の中区堺町で西国街道から分かれ、可部、吉田、三次等を経て出雲に
  至る出雲路と、可部から石見(益田方面)に至る石見路の総称である。
  古市では県道矢口安古市線(横川と可部を結ぶ旧国道の一部)がこれにあたる。
 

 
 


 ◎ 八木用水
  江戸時代中期に開削された延長約16kmの農業用水路。
  太田川右岸の佐東、安古市、祇園にまたがる地域の農業用水を確保するため、
  南下安村の大工卯之助が中心となって工事を行った。
 


 ◎ 中須胡子神社 → 雲石街道に立つ神社
 
 

 


 ◎ 安川  → 以前は荒れ川で水害が多かった。
  

 ◎ 石畳み 
  麻うくりが盛んだった明治から大正にかけて、古市の町には煮汲屋(にこぎや)と呼ばれ
  る麻の繊維工場が50軒ほどあった。
  古川あ繊維の「けば」をこそぎ落す作業が行われており、旧街道に沿って河原へ通じる
  石畳や麻製品が保管された蔵が残っている。
 

 



 ◎ 水準点  
  

◎ 一里塚跡  この辺りに一里塚があった。
 


 ◎ 浄宗寺
  天正年間(1573~1591)僧浄具が開基し、当時は天台宗であった。
  元禄4年(1691)5月22日に時の住持寿礼(県史では寿福と記載)が改宗して
  真宗となる。
  元は中筋切戸にあったが、明治35年(1902)旧国道に面した現在の地に移った。
 


 


 


 


 (本堂に上がらせて貰って説明を聞く)

 ◎ 安佐南区役所
  休憩に立ち寄る。
 

 5m以上もある長径の畳。
 


 野外彫刻  → 旅たち  作 :
 

 野外彫刻  → 和  作:片岡 享
 

 ◎ 薬師如来分詞 → 中は空っぽでした。
 

 ◎ 軽便鉄道跡
  明治44年(1911)横川~可部間で開通した軽便鉄道は、山陽鉄道(現山陽本線)
  などより軌道幅の小さい規格の鉄道で、馬力も小さく急な上り坂では乗客が降りて
  後押ししたこともあったです。
 

 ◎ 安川跡 → 流路を古川に変更で埋め立てられた。
  

 古市橋跡 → コンクリートの当時はしゃれた橋であった。
 


 長くなりますので、続きます・・・

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2 コメント

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ひろしま歴史街道散策会 (イケリン)
2019-11-22 16:35:06
JR可部線の沿線は人気スボットのようですね。
雲石街道は大きなマンションがいくつか建っているようですが、この辺りは広島市内への通勤圏なのでしょうか。
古市の煮汲屋というのも面白い名前です。名前から推測すると繊維のけばを煮て落としていたのでしょうか。
5m以上もある畳も珍しいですが、軽便鉄道を人の手で押したなんていう時代もあったようですね。

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Re:ひろしま歴史街道散策会 (kagurakko)
2019-11-22 19:47:56
こんばんは、イケリンさん。
可部線沿線は、凄く変化してきています。
緑井は、3年前の7月豪雨災害もありましたが、市内にも20分くらいの通勤圏です。
古市は、麻の繊維の工場が50軒もあり、煮た麻のけばを落として川で洗っていたようです。
軽便鉄道は、明治の頃の国鉄の前身の頃の話です。
目からうろこですよ。(苦笑)
街歩きもいろいろ勉強になります。
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