ひろしま歴史街道散策くらぶ、散策会に参加する!
R6-1/18(木) JR宮内串戸駅 13:30集合 集合後バス移動 21名参加
散策会 「西国街道と宮内界隈」
散策経路 津和野街道分岐・夜泣き石~佐原田権現社~宮内天王社~
専念寺・宮内一里塚
案内人 佐々木卓也指南役
串戸駅前からバス移動で、下畑口で降り、西国街道・津和野街道分岐点に到着
21名の参加で、賑やかでしたが、生憎の雨の中、元気に歩きます。
◎ 夜泣き石(津和野街道分岐の道標)
通称 夜泣き石と呼ばれる。夜になると鳴くという伝承。
◎ 佐原田権現社
1739年(元文4年)将軍徳川吉宗の時代に建立した時の棟札が発見されている
周辺の山の整備の折り、ハート形の竹を発見、伐採後当社に奉納されている。
雨が一時、激しくなりましたが、津和野街道・西国街道をくねくねと、県道を
何度も行ったり来たりして歩きました。
◎ 道路開通記念碑 (津和野街道)
津和野藩、参勤交代の時もこの街道を通っていた。
◎ 宮内天王社
神武天皇御東征のおり、立ち寄られた所が「天王社」と呼ばれ、津波以後現在の
場所に移されています。
境内の大木は、「ムクロジ」と言って実が沢山なっていましたが、果肉は石鹸として利用
され、中の黒い種は「羽子板」の羽の玉として利用される。
◎ 宮内市民センター
トイレ休憩で立ち寄り、少し休憩です。
「左九州」「右石州」の道標。
センターの真ん前にあり、
◎ 専念寺
南光専念寺は浄土真宗本願寺派の寺院。
ご本尊:阿弥陀如来立像
かって速谷神社供僧12坊の一つといわれた真言宗龍口山真福寺の住職
了源が、弘治元年(1555)に浄土真宗に改宗、現在の山号寺号に改名
大変立派な屋根瓦が印象的な専念寺には、旅人の休憩にと茶店が設けられて
いた。
庫裏の石庭が素晴らしい!
◎ 宮内一里塚跡
専念寺前には一里塚跡の碑
裏面には、「本標は広島元橋里程原標より四里の塚である」と記されている。
一里塚跡碑を後に西国街道をテクテク歩き、途中、神武天皇が宮内に立ち寄られたと言われ、
流れる川を「御幸川」(2級河川)を見ながら、解散地「JR宮内串戸駅」に戻って
来ました。
結構歩きましたが、串戸駅、16:15 解散となり、三々五々、帰宅の路に付き、
16:19の山陽本線白市行きのJRで帰宅しました。
雨も上がっていましたが、約2時間の宮内界隈を楽しく散策しました!
皆さん、お疲れ様でした! END
R6-1/18(木) JR宮内串戸駅 13:30集合 集合後バス移動 21名参加
散策会 「西国街道と宮内界隈」
散策経路 津和野街道分岐・夜泣き石~佐原田権現社~宮内天王社~
専念寺・宮内一里塚
案内人 佐々木卓也指南役
串戸駅前からバス移動で、下畑口で降り、西国街道・津和野街道分岐点に到着
21名の参加で、賑やかでしたが、生憎の雨の中、元気に歩きます。
◎ 夜泣き石(津和野街道分岐の道標)
通称 夜泣き石と呼ばれる。夜になると鳴くという伝承。
◎ 佐原田権現社
1739年(元文4年)将軍徳川吉宗の時代に建立した時の棟札が発見されている
周辺の山の整備の折り、ハート形の竹を発見、伐採後当社に奉納されている。
雨が一時、激しくなりましたが、津和野街道・西国街道をくねくねと、県道を
何度も行ったり来たりして歩きました。
◎ 道路開通記念碑 (津和野街道)
津和野藩、参勤交代の時もこの街道を通っていた。
◎ 宮内天王社
神武天皇御東征のおり、立ち寄られた所が「天王社」と呼ばれ、津波以後現在の
場所に移されています。
境内の大木は、「ムクロジ」と言って実が沢山なっていましたが、果肉は石鹸として利用
され、中の黒い種は「羽子板」の羽の玉として利用される。
◎ 宮内市民センター
トイレ休憩で立ち寄り、少し休憩です。
「左九州」「右石州」の道標。
センターの真ん前にあり、
◎ 専念寺
南光専念寺は浄土真宗本願寺派の寺院。
ご本尊:阿弥陀如来立像
かって速谷神社供僧12坊の一つといわれた真言宗龍口山真福寺の住職
了源が、弘治元年(1555)に浄土真宗に改宗、現在の山号寺号に改名
大変立派な屋根瓦が印象的な専念寺には、旅人の休憩にと茶店が設けられて
いた。
庫裏の石庭が素晴らしい!
◎ 宮内一里塚跡
専念寺前には一里塚跡の碑
裏面には、「本標は広島元橋里程原標より四里の塚である」と記されている。
一里塚跡碑を後に西国街道をテクテク歩き、途中、神武天皇が宮内に立ち寄られたと言われ、
流れる川を「御幸川」(2級河川)を見ながら、解散地「JR宮内串戸駅」に戻って
来ました。
結構歩きましたが、串戸駅、16:15 解散となり、三々五々、帰宅の路に付き、
16:19の山陽本線白市行きのJRで帰宅しました。
雨も上がっていましたが、約2時間の宮内界隈を楽しく散策しました!
皆さん、お疲れ様でした! END