ひろしま歴史街道散策くらぶ散策会に参加!
5-19日(木) 狩留家駅 14:00 集合 20名参加。
散策会 「三田往来狩留家宿」
散策経路 中郡通~西八幡宮~狩留家集会所~本陣~長甼橋~
薬師堂~純正寺~中郡通
◎ 狩留家駅 → 大正4年(1915)芸備鉄道(JR芸備線)が開通。
現在の駅舎は昭和23年(1948)に建て替えられた。(無人駅)
◎ 中郡古通 → 中郡古道は、平成25年度 国土交通省から”夢街道” に指定。
古道を歩きます。
この辺の石垣は川で流され丸くなった石を「とんこ石」と言います。
◎ 紅梅山天満宮
ご祭神 : 菅原道真公
農耕生活の安定と学問の振興を願って建てられた。
宝暦9年(1759)に作成、260年の歴史がある。
◎ 西八幡神社 → 創建は不明
本殿・拝殿は平成6年(1994)に広島市重要有形文化財い指定。
室町末期の部材や特徴を残した建築様式で、妻飾りの邪鬼面など美しい彫刻類
正面の扁の特徴は「八幡宮」の「八」の字が対の鳩で書かれていることである。
境内の石灯篭は大正時代のもの。
〇 「灰小屋」 → 「はんや」と呼ばれる。
◎ 狩留家本陣 割庄屋跡
本陣とは「大名が宿泊する公認の宿舎」であり、そのご本陣が狩留家にも置かれていた。
その家が元割庄屋・黒川家で、広島藩主の浅野公が領地を巡行される時や狩りをされる
際、宿泊所として使用されていた。
(黒川家の家主16代?さんより説明を受ける)
◎ 胡子神社
江戸時代、狩留家の街道沿いには魚屋、酒屋、醤油屋、飲食店、宿屋等が立ち並び
多くの人たちが集まり大変賑わった。
明治18年(1885)えびす信仰のご祭神を現在地に勧請した。
中郡道「長甼橋」→石橋「ガイド板」最近のもの…
◎ 薬師堂 → (薬師さん)
寺名は「城平山福寿院寿福寺」という。
建立は享徳2年(1453)と言われている。
本尊の薬師如来像は行基作と言われ、寿福寺が廃寺になってから薬師堂は順正寺
抱えとなって7いる。
( ↑ 手水鉢の盃状穴)
◎ 城平山 順正寺
天文5年(1536)武田信玄の叔父、重信が甲斐の国より戦乱を避けて来狩し
古城の館跡に順正寺を開基した。
最初は真言宗であったが、2代目道加のとき浄土真宗に改宗した。
中郡古道を戻ると子供の頃によく食べていた「ぐいび」がなっていて懐かしかった。
約4時間の狩留家の中郡古道の散策でしたが、それほど暑くはなく、楽しく散策できました。
母の故郷だと言う友人は他の用を繰り上げての参加でしたが従弟に会えたりあちこちで
叔父さんたちの名前を見つけて大変喜んでいました!
狩留家駅18:08発の芸備線、広島駅行きから、乗り換えて山陽線「岩国行き」
で新白島で降り、アストラムで牛田駅に帰りつきましたが、約1年ぶりの歴史街道散策会
はやはり疲れました。
5-19日(木) 狩留家駅 14:00 集合 20名参加。
散策会 「三田往来狩留家宿」
散策経路 中郡通~西八幡宮~狩留家集会所~本陣~長甼橋~
薬師堂~純正寺~中郡通
◎ 狩留家駅 → 大正4年(1915)芸備鉄道(JR芸備線)が開通。
現在の駅舎は昭和23年(1948)に建て替えられた。(無人駅)
◎ 中郡古通 → 中郡古道は、平成25年度 国土交通省から”夢街道” に指定。
古道を歩きます。
この辺の石垣は川で流され丸くなった石を「とんこ石」と言います。
◎ 紅梅山天満宮
ご祭神 : 菅原道真公
農耕生活の安定と学問の振興を願って建てられた。
宝暦9年(1759)に作成、260年の歴史がある。
◎ 西八幡神社 → 創建は不明
本殿・拝殿は平成6年(1994)に広島市重要有形文化財い指定。
室町末期の部材や特徴を残した建築様式で、妻飾りの邪鬼面など美しい彫刻類
正面の扁の特徴は「八幡宮」の「八」の字が対の鳩で書かれていることである。
境内の石灯篭は大正時代のもの。
〇 「灰小屋」 → 「はんや」と呼ばれる。
◎ 狩留家本陣 割庄屋跡
本陣とは「大名が宿泊する公認の宿舎」であり、そのご本陣が狩留家にも置かれていた。
その家が元割庄屋・黒川家で、広島藩主の浅野公が領地を巡行される時や狩りをされる
際、宿泊所として使用されていた。
(黒川家の家主16代?さんより説明を受ける)
◎ 胡子神社
江戸時代、狩留家の街道沿いには魚屋、酒屋、醤油屋、飲食店、宿屋等が立ち並び
多くの人たちが集まり大変賑わった。
明治18年(1885)えびす信仰のご祭神を現在地に勧請した。
中郡道「長甼橋」→石橋「ガイド板」最近のもの…
◎ 薬師堂 → (薬師さん)
寺名は「城平山福寿院寿福寺」という。
建立は享徳2年(1453)と言われている。
本尊の薬師如来像は行基作と言われ、寿福寺が廃寺になってから薬師堂は順正寺
抱えとなって7いる。
( ↑ 手水鉢の盃状穴)
◎ 城平山 順正寺
天文5年(1536)武田信玄の叔父、重信が甲斐の国より戦乱を避けて来狩し
古城の館跡に順正寺を開基した。
最初は真言宗であったが、2代目道加のとき浄土真宗に改宗した。
中郡古道を戻ると子供の頃によく食べていた「ぐいび」がなっていて懐かしかった。
約4時間の狩留家の中郡古道の散策でしたが、それほど暑くはなく、楽しく散策できました。
母の故郷だと言う友人は他の用を繰り上げての参加でしたが従弟に会えたりあちこちで
叔父さんたちの名前を見つけて大変喜んでいました!
狩留家駅18:08発の芸備線、広島駅行きから、乗り換えて山陽線「岩国行き」
で新白島で降り、アストラムで牛田駅に帰りつきましたが、約1年ぶりの歴史街道散策会
はやはり疲れました。