5月30日、上森三郎さんが主宰する「かごめかごめをつたえる会」の主催するイベントに参加した。「高御位山」から下山して次に向かったのは、高御位山のすぐ北側にある不思議な形をした山の麓にある「大歳神社」だった。

この不思議な形をした山を上森さんは「イエス・キリストの墓」といっている。
世間の常識ではとんでもない意見だが、上森さんの話を聞いたり、一緒に山を探索していると、「それも有り得るか」と思ってしまう。

僕はこの山に二度登った。 「聖なる山と磐座」と題してその模様を等ブログにエントリーしている。

この勾玉あるいは胎児のような形をした山(僕はこの山を「志方勾玉山」と勝手に名付けている)の麓には二つの神社(厳密には四つ)がある 。中央の山麓には「白髭神社」、東側の山麓には「大歳神社」がある。今回のイベントでは大型バスを乗りつけて、「大歳神社」の参拝をした。

志方勾玉山の位置
「高御位山」と「志方勾玉山」の位置関係を「地理院地図」と、ほぼ南北関係にある。
気に掛かるのは、志方周辺には溜池がずいぶん多いこと。「志方勾玉山」のすぐ南側にも「大池」という池がある。実際に地図を見るといたる所に立明かがあるのが分かる。
地図からも水田が多く溜池を必要であることが分かる。溜池を掘ると当然土砂が多く出て来る。窪地を埋め立てて、田畑にしたとも考えられるが、僕はこれらの土を使って古墳を造ったのではないかと考えている。
実際に「志方八幡宮」周辺には古墳が多く見られる。
「志方勾玉山」の不思議な形もあるいは盛り土によって造られてはいまいか。発掘調査をすれば、解明されるだろうが・・・・・・。

「大歳神社」に到着して、上森さんがまず案内したのは本殿でも拝殿でもなく、その左手の斜面の下にある「天端の平らな石」だった。

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「祭壇石」のような天端の平らな石とその傍らに立つ上森さん。お供え物を置いて、しばし祈り。

帰りがけに撮った写真でこの場所を確認してみる。

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手前の天端の平らな石が「祭壇石」といえる石。ゆるやかな斜面が上方に延び、草刈などの手入もされていて、桜が数本植えられている。この「祭壇石」の所に立つと、何となく心地が良い。

気功師の天野先生が突然斜面を登り、桜の木の側で、祈り舞い始めた。

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祈り舞う天野先生。

この写真を見ていて、桜だろうか、ひょろりと生え二股に成っている苗木が何となく僕のは気がかり。

戻って来た天野先生は「大晦日から正月、神様が中央の真っ直ぐな木に神様が降りてきて、この広場が愛に満ちた平和な場所になる。」というようなことを言われた。(曖昧な記憶なので間違っているかもしれないが。)

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すると一人の女性がその場所まで行って、木に向かって祈り始めた。
ほぼ全員が後を追った。

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その木はおそらく植林されたと思われる「檜」で、真っ直ぐで枝打ちもされていない。まだ細いが不思議な生命力を感じる木であった。

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その檜の上方に、石の繋がりがあり、上方を示しているようにも思われる。
僕にはまだ「神さま」を感じることは全く出来ない。ただ何となくその雰囲気を楽しんでいる。

この檜の右手に「大歳神社」の拝殿と本殿があり、ほぼ全員がそちらに移動して、各々祈っていた。

祭神は「大歳神」。神社についての貴重なインターネット上の情報源である「玄松子の記憶」の「大年神」の解説には、

大年神は、須佐之男神大山津見神の娘・神大市比売命との間の御子神で宇迦之御魂神の兄弟神。

とある。
「宇迦之御魂神」は「稲荷神」。

さらに解説には、

また、大年神と天知迦流美豆比売神が婚姻して以下の十人の御子神が生まれた。
奥津日子神奥津比売命(大戸比売神)大山咋神(山末之大主神・鳴鏑神)庭津日神阿須波神波比岐神香山戸臣神羽山戸神庭高津日神大土神(土之御祖神)
これらの神々は、竃や屋敷、庭、農地など、農業生活(稲作)のための神々だと思う。

とある。 
「大年神」から 興味深い神々が生まれている。



「大歳神社」は兵庫県中央部に多くあるのも不思議に思う。


今回のイベントの時、上森さんは「志方町の勾玉山は、公のイエス・キリストの墓で、遺体を埋葬された墓は他にある。」と言い出した。

またまた混乱が始まった。