かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

古代史が眠るエリアに良い喫茶店がありました! ・・ 市川町奥に 喫茶「OKU」

2018-11-02 11:48:53 | かごめかごめの真実とは

2018年11月

 10月27日(土) 威徳森神社へと行く途中に、「良い喫茶店があるから・・」と市川町に住む古代史研究家の市川慎さんに連れて行ってもらいました。

市川さんも久しぶりらしく・・、でも車を停めても、お店らしい雰囲気も感じられず、引き返そうかと戸惑ってしまう喫茶店「OKU」さんのお店の入り口に初めて行ったら驚かれることでしょう。

でも・・、⇇開くの引き戸のドアーを開けると、そこには外の感じと全く違った空間があるのにちょっとビックリされることでしょう。

お店の前には、ピラミッドみたいな三角の山が見えていましたが、間違いなく古代の人のメッセージを持った山であるようです。

はこの地域の西手の山の裏にこそ、日本の古代史を解明する上で重要な場所があるのです。

Cafe OKU 

〒679-2325 兵庫県神崎郡市川町奥742-5

TEL 0790 26 2401

定休日 毎水曜日、第4木曜日 営業時間 8:00~18:00

                      

 

 


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豊受大神は丹後の神でありスサノオノミコトでありモーセである

2018-10-29 06:06:44 | かごめかごめの真実とは

2018年10月29日(月)

 昨日はイエスの四男であり第四代懿徳天皇陵の山を初めて後円部正面から眺めました。

市川大橋から眺める風景は、目の前に天皇陵、北には卑弥呼の陵墓、西には七種槍、橋の下には岩肌と川の流れ・・と、なんとも言えない情景を見ることができます。

そかから地元に住む古代史研究家の市川慎さんに電話すると、ほどなくして来てくれました。

そしてそこから山を見ながら、「あの山には磐座があるよ」と教えてもらったりしながら、「威徳森神社へ連れて行ってもらえませんか」とお願いすると快く「じゃ~」と言うことで、私の車を寺前駅の事務所へと置きに行って、市川さんの車で連れて行ってもらうことになりました。

・・・

んん~~ん、沢山書くことが多すぎて後日まとめることにして、昨日の最後の神社での結論です。

・・

「豊受大神って誰ですかね」と私が聞くと市川さんはニンマリ苦笑いして、「ホウジュと書いてるやんか」と。

「そうなんですかぁ」と私。

豊受大神は丹後の神であり素戔嗚尊でありモーセであると言ってますね。

トヨウケと読んでしまうから分からなくなりますが、ホウジュ(宝珠)と読んだら「宝珠はいらんかね」のお爺さんと分かりますよ。

この方は「道教」の神様でもありますが、分かってきたのは道教の本来の聖地こそがこの市川橋から西に見える綺麗に尖った山である七種槍(なぐさやり)がある七種山・千鶴山一帯でした。

昨日は、懿徳天皇陵の秘密を教えているであろう威徳森神社へと市川さんに連れて行ってもらいましたが、もうそれは予測した通りの神社の配置にビックリするばかりでした。

威徳森神社では豊受大神の扁額はみませんでしたが、他の二社では豊受大神をみることができました。古代史の謎がここから一気に解けそうです。

          




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京見山(姫路市)には、可愛い亀さんが大きな鏡岩を守っていました ・・そして二つの島が重要だと!

2018-10-09 14:49:55 | かごめかごめの真実とは

2018年10月10日(水)

 古代史研究家の市川慎さんとの出会いによって私の人生はおもしろき方向へと進んでいきました。

古代史研究の水先案内役を市川さんは引き受けてくれているようです。

7日(日)も市川と優美な七種槍(なぐさやり)が見える市川の喫茶店で古代史の話を聞きながらいろいろと教えてもらいました。

そして、話の流れから、「じゃ~明日、車で廻りましょうか・・、私も京見山にある鏡岩を案内しますよ。上までは登れませんが・・」と言うことになり、三連休の最後の日に行った次第でした。

朝10時前に住まいの近くに市川さんが車でやって来てくれて、目指す京見山へと行きました。

登り口まで連れて行ってもらい、「登りきったところに、七つ岩という標識がありますからその方向、右手に行ったらすぐですから・・」と。

鏡岩までは20分ほどでたどり着くことが出来ました。

七つ岩と言うことですから・・、着いて数えるともっと在りましたねぇ。

市川さんが言う鏡岩もすぐ見つけることができました。

あまりにも大きすぎてカメラにはおさまりきれません。木も茂っていますし・・。

実は、その鏡岩の3,4倍ほどの鏡岩も南面を向いて在りました。

意味ある方位石もあるようでした。 時間をかけて調査すると、その場所の重要性が浮かび上がることでしょう。

それを暗示するように帰り際、標識の近くの石群を見ると・・、なんと亀石を発見することができました。

可愛い亀さんです。 頭には、目まで彫ってありました。  空海さまの痕跡と嬉しく思ってしまう私です。

亀石がある場所は、古代史を紐解く上でのキーポイントであるようです。

亀さんは、165度方向を見ていましたが、この方角には淡路島で二番目に高い山である先山があり、ここには先山千光寺があります。

やはり重要な所を亀さんは見つめていました。

そして・・東南を向いているという鏡岩は、明石海峡(135度)の方向に向いていました。

この意味は、上島、クラ掛島へと少しでも朝日の反射光が届けられるようにとの思いが込められています。

上島も、クラ掛島も、三角法でイエスの陵墓など教える重要なベンチマークポイントの島でした。

まだ有ります! 〇〇〇王の墓も教えていました。

                  

下は、市川さんが発見した鏡岩です。

 

家島諸島や遠くには四国の山々も見通せます。

下は、上島です。

下はクラ掛島です。 ひょっこり瓢箪島みたいですねぇ。

 可愛い亀さんが居てましたよ。 生きてるようでした!

目もありましたよ!

 

 


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法華山一乗寺は、マリア様やイエス・キリストを供養する所であり、並びに古代王家の方々を供養するお寺でした

2018-10-09 11:53:11 | かごめかごめの真実とは

2018年10月9日(火)

 昨日(8日)市川慎さんと一乗寺へと行きました。

今度のツアーは、ここ法華山一乗寺からスタートですから、大事なことの確認作業へと行きました。

行って角度を計測し、帰って地理院地図にラインを引いて初めて浮かび上がるものがあります。 

そしてそこから先人達の思いと願いが聞こえてくるようです。

 

孝徳天皇は・・650年・・ ・・をもって供養し、鎮護国家の道場とされた。

何の供養か! だれの供養か!  ・・ この答えがこの場所と、三重塔と本堂に手を合わす方角に隠されています。

三重の塔で手を合わす先には、マリア様の墓があります。

そして本堂で手を合わす先には、聖地神河にあるイエス・キリストの墓です。

ここ法華山一乗寺のポイントは重要な位置に在ります。

磁北には、聖地内での祈りの場である八幡山ピラミッドがありますし、神河町長谷にある犬塚との関係からは、マリアの墓やイエス終焉の地まで直角三角形で教えています。

犬塚は間違いなく大きな意味をもたせたベンチマークポイントであることが再び浮かび上がってきました。

法華山一乗寺は、マリア様やイエス・キリストを供養する所であり、並びに古代王家の方々を供養するお寺でした。

11月17日のツアーは、ここ法華山一乗寺がスタートです。

              


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必勝チーム上森

2018-04-17 08:35:42 | かごめかごめの真実とは

2018年4月17日(火)

 ドラマには続きがありまして・・ どんどんとドラマは展開しています。

今日17日、神河町議会議員選挙の告示日です。

「この看板は、前回のままですよ」と古代史研究家の市川慎さん。

「あっ、本当ですねぇ」と、全く思ってもいなかったことでスタートです。

思ってもいなかったと言えば、鶴が三羽描かれた一通の手紙が届けられたりもして・・。

ドラマはどんどんと続いていま~~す。

 

 


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中村山のモアイ像の本当の見る位置は・・

2018-02-26 13:40:23 | かごめかごめの真実とは

2018年2月26日(月)

 「上森さんの写真は、反対から撮っていますよ」と、古代歴史研究家の市川慎さん。

そして・・、画像を送ってきてくれました。

んん~~ん、市川さんの写真がアイヌのニポポ像で、間違いなく2体あったと思われる写真ですね。

「その写真を撮るには、危ない崖の方からしか撮れませんよ」と私。

モアイ像は、本当は一対のニポポの像であったようです。

 


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オムライス専門店 BECAUSE ビコーズ 神河町にはくつろげる美味しいお店がありま~~す

2017-08-10 09:49:49 | かごめかごめの真実とは

2017年8月10日(木)

 古代史研究家の市川慎さんに、「オムライスの美味しい店があります」ということで連れて行ってもらいました。

それは、日本遺産認定された「播但貫く、銀の馬車道」という歴史街道に面したすてきなお店でした。

オムライス専門店 ビコーズBECAUSE

   兵庫県神崎郡神河町粟賀町520-1 TEL 0790-32-3730

世界の聖地となる神河町の奥山へと、人も行かない、登らない山々へと入り込んで探索している私ですが、町の中の探索もまた楽しい一時です。

そしてそれらのお店で食事をしてコーヒーを飲みながら、市川さんと古代史の話をしながらくつろぐ時間に幸せを感じる私です。

神河町でのお奨めのお店です。  

今の世はカーナビがあるから何処へでも行けますね! かごめのお友達、誰が行くかな~~!?


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神河町にあるパン工房 丸藤さんからは、卑弥呼が暮らしていた山と陵墓が見える心やすらぐスポットです

2017-07-31 11:13:52 | かごめかごめの真実とは

2017年7月31日

 29日(土)、市川慎さんと薪窯パン工房 丸藤さんへと行ってコーヒーを飲みながら、卑弥呼さんの陵墓と、女王卑弥呼が暮らしていた場所を見ながら、その時代にタイムスリップしていました。

丸藤さんの縁側からその両方が見えるのです。

丸火鉢があって、今は蚊取り線香の煙も小さく揺れて・・、おお~縁側の外にはイグワナの赤ちゃんのようなトカゲがあっちへ行ったりこっちへ来たりと、私を眺めていたようでした。

いよいよ・・、卑弥呼の陵墓から尾根を通って、卑弥呼が暮らしていた場所まで行って、調査をしたいと思っています。

日程はこれから決まって行くと思いますが、その時、一緒に行ってちょっとでもお手伝いしたいと思われる方は、住所と連絡先とお名前をお知らせください。

当日、参加できる人数には制限があると思いますが、是非ともボランティアで参加したいと思われる方は、メールででもお知らせください。

 

 

 


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女王卑弥呼がくらしていた卑弥呼の家の場所を特定できました

2017-07-06 10:07:06 | かごめかごめの真実とは

2017年7月6日(木)

 一日二日と神河町で、古代史の勉強会でした。・・しかも、個人レッスンみたいなもので市川慎さんと一日目は、ゆっくりお茶会。

二日目は、現場周りと言いますか、福崎にある「亀坪」という場所へ行って、大歳神社を見て、そこから日光寺へ。

そしてそこから、生野を通って、青倉神社へと連れて行ってもらいました。

どうして、同じ日に、直線距離にして凡そ32キロm、車の走行距離にして50㎞はあるであろう二か所を訪問したのか。

そしてそこで見たもの、目にしたものは、大変なことを私に教えてくれました。

それでいつものようにその二点を国土地理院地図に落として、図形を引いてみました。

その結果、一発で私に教えた場所は、もともと私に教えてくれていた卑弥呼が住んでいた家の場所でした。

又、それは別の大事な場所を教えて「554mの山」とも関係していて、「私はココヨ!」との響きとシンクロしていました。

卑弥呼は女王とは名ばかりで、実質は山の上に軟禁状態だったと聞こえてきます。

東も西も川で囲まれ、両側も急な崖地で、その地から抜け出すこともできない山の上が卑弥呼が暮らした場所でした。

祈りの場も、暮らした場所も、そして自ずから造営して自分から入って岩戸を閉めた卑弥呼の陵墓の位置も全て特定できました。

7月5日夕方、「もう間違いない!」との思いで、「バンザ~~イ!」とした瞬間でした。

これも、神社、寺院に残されていた磐座が教えてくれていました。

古代の歴史の真実を紐解くには、コツコツコツコツ現場を歩いて、一つ一つその意味を繋いでいかなければ見えてこないようです。

現場に行かなければ真実は教えてもらえないということのようです。

武部さんも頑張っていますねぇ

上三枚は、青倉神社の御神体の磐座です。

下は、卑弥呼の家を教える方位石と、意味ある梵字の碑です。


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真言も天台も、実は仲良く埴岡の里の王家の丘に眠る神々様たちへの祈りを絶やさないように御勤めされていました

2017-05-18 04:46:35 | かごめかごめの真実とは

2017年5月18日(木)

 新刊に書きました金剛城寺から南へさほど遠くないところに天台宗のお寺で、應聖寺さんがあります。

こじんまりとしていますが、実に清らかで手を入れられていて、いつまででも居たいと思わせるお寺です。

ここで手を合わせると、人は13度の方角に祈るようになっていました。

・・

そしてその場所を探して、14日(日)にその場所に古代史研究家の市川慎さんに連れて行ってもらいました。

その場所は重要な場所で、そこには重要なお寺が存在していたはずなのですが、現在は取り壊されて公園になっていました。

その公園には小さな御堂が残されていて、その中に仏像などが安置されていました。そこには・・

私の目には、最澄様と映る坐像が棚の上に置かれていました。

この重要な地域で、空海さま同様に最澄様も、イエス様や女王卑弥呼をはじめ、王家の人々やその方々を支えられた御霊をお守り、祈りを絶やさないようにされていました。

何にもなければあまりにも寂しいかぎりですが、手を合わせるものがそこに「在る」、それだけで有難く、心温まるものがありました。

人が造ったものは、必ず壊れ朽ちる運命をたどりますが、その場所、その山々はそうたやすく全てを変えてしまうことはありません。

私は、空海さまや最澄様たちが思い描いたものを、彼らの代弁者として語っていきたいと思いました。

 

應聖寺さんで手を合わせるその先には、大事なお寺さんがあったはずなのですが・・・。

その廃寺跡には、御堂があって・・・。

 

 

 


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2017-01-19 10:05:19 | かごめかごめの真実とは

2017年1月19日(木)

 4冊目の原稿を書き終えて、又、何度も読み返し、今、校正中であります。

このブログをいつも見ていただいている皆様に、一部を読んでいただきたいと思います。

そしてこの話は、前回のツアーに参加された方々には、思い出のシーンが蘇ることでしょう。

私は二日目の昼食をとってバスに乗り込んでからマイクを握って言いました。

「カッパ伝承や大蛇伝説など怖い話は、実はそこが重要な場所であることを教えているんですよ~~」「近寄ってはダメですよ~~~」 ってね。覚えている方も居られると思います。

それで私は、翌々日に市川さんに電話して、伝承にある「駒が岩」を見に行ったのでした。

今回2月節分という意味ある大事な日に、「姫の路 シュメールの故郷へとまたまた第10回 聖地巡礼ツアー を行いますが、ツアーで聖地を皆で回るごとに謎が解けていってる気がします。

皆さんと一緒に謎を解いていま~~す。

ノアの箱バスの残りのシートはです。  オリオン座のベルトになるつの輝く星となる神様は・・誰?!

・・では、4冊めの本の中へと一足先に「しゅっぱ~~~つ!」

 

1章シュメールの故郷は兵庫県神崎郡を流れる市川流域だった!

2016年11月17日~18日に、恒例となった「イエスと卑弥呼の墓参り」を目的としたツアーを無事に終えて、ホッと一息入れる間もなく、ツアー中に気になった地点をパソコンで検索してみたら、やっぱり重要なことを教えられたのである。 

その地点というのは、神崎郡福崎町が町おこしの為に力を注いでいる「柳田國男記念館」のすぐそばだ。 

の場所には「駒が岩」と言う岩がある。そこには「河童伝承」があることから、よほど大事な場所であることを伝えている、と私には思えたので、早速、神崎郡在住の古代史研究家の市川慎さんに連絡をして、再調査をすることにした。 

「河童伝承」にしろ「大蛇伝説」にしろ、怖い話が残っている所は特別に重要な場所なのである。 

・・

カメラとコンパスグラスをリュックに押し込んで、私は、お気に入りのJR播但線のわずか2両編成の赤色の普通電車にゴトゴト揺られながら、椿さんと一緒に福崎駅まで向かった。 

車窓に映る景色が、あとわずかの所で「七福神様たち」の眠っておられる緑濃い山々に変わろうとする手前の駅が福崎である。

福崎駅で降りると、にこにこした市川さんの優しい笑顔が待っていてくれる。 

私たちは、慣れた調子で市川さんの車に乗り込んで、詳しい説明も特に必要としない阿吽の呼吸で目的地まで連れて行ってもらう。

まず初めに、取り敢えず、3人は「柳田國男」が何かを書き遺してくれていないか、を確認するために、その記念館を訪れてみた。 

熊本の田舎生まれで、長年、建築の仕事に携わってきた私としては、古い時代の建築物をゆっくり見て回るのも気が落ち着くものであるが、そこでゆっくりと町の歴史書も読んでみたいものだと興味をそそられる本もあったりした。 

そこで本を読みながら柳田國男の世界に浸りたいとも思ったが、目的は違うところにあったので、本だけを買い求めて、次を急いだ。 

いよいよ目的の「駒が岩」である。 

ここに「河童」が出没していたということだが、なるほど相当意味深い岩であることが、コンパスグラスを覗いてみて、ハッキリわかる。 

春日権現とも春日大明神とも呼ばれる「天児屋根命」の陵墓がコンパスグラスで真南にあり、「恵比寿様」の陵墓が真北にある。 

これが教えることは、「天児屋根命」、私は「コヤネ爺」と呼んでいるが、この人のルーツは「恵比寿様」つまりイエスの従兄弟の「タダイ」であるよ、ということである。  

さらに、また、東に位置する「白山」という山と、磁北にあたる「恵比寿様」の陵墓である「高星山」とで、きれいな正三角形が描ける。 

白山信仰は北辰信仰なので、これらが何を伝えたいのか、読み解くことができる。 

そして、もうひとつ、大事なことも教えてくれている。 

それは、「駒が岩」の長い背のラインが250°方向を向いていて、それを真直ぐ伸ばしていくと、岡山県備前市にある「イエス・キリストの最期の地」に行き着くのである。

私がコンパスグラスを覗いて感慨にふけっていた時、すぐそばで椿さんは、2つの低い山(神前山と日光寺山)の間から「市川」という川、七福神様たちの安らいでおられる「埴岡の里」(現在の神河町と生野市)の真ん中を流れる川の上流を眺めて、かつての厳かで美しかった聖地を想像するのであった。 

市川さんが何の気なしに口にされた「この『市川』には7つの川が流れ込んでいる」という一言が心に強く響いたようだ。 

椿さんも私と同様、あの世とこの世、過去と現在と未来が、何の違和感もなく、一つになっていると感じるらしい。 

今、自分が立っているこの同じ場所に、何層にもなって過去が重なっており、さらに未来も繋がっているのである。

太古の時代から、この「埴岡の里」は「聖地」として選ばれていたに違いない。 

聖地はその2つの山の間を軸にして北方向にまるで蝶が羽を開いたように扇形、あるいは見方によってはハート型に拡がっており、周囲を七福神様達の山々に囲まれていて、平面的に見れば、「市川」と7本の川とで巨大な「生命の樹(メノラー)」が形造られている。  

 ・・・

 みんなで謎解き物語の中にいてますよ~~~!

 4冊目の本は、もうビックリ! です。 お楽しみに・・!! 

            

  

市川と駒ヶ岩

 


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姫の路 シュメールの故郷へ 聖地巡礼ツアー のお知らせ

2016-12-21 10:20:25 | かごめかごめの真実とは

2016年12月21日(水)

 2017年2月3日(金) 大事な節分の日に、「姫の路 シュメールの故郷へ」 聖地巡礼ツアーが決定しました。

姫路城が女王卑弥呼の陵墓に向けて造営されていた事実から、「姫路」という地名は、間違いなく御姫様の陵墓への路であることを教えていました。

そして女王である御姫様の陵墓が、どうして神河町にあるのかというのは、5代前のご先祖様、すなわち世界の大王イエス・キリストの墓や、王家の人達の墓守を卑弥呼がしていたからです。

では、どうして大王イエス・キリストの墓が神河町にあるかというと・・、なんと、その地域こそがシュメール人の故郷だったからなのです。

シュメールの粘土板に残されたその印章の図柄の生命の樹や蛇の絵などが、全くその地域の川や地上絵などと同じなのです。

そして、その地域の神河町に、一万三千年前の福本遺跡があることからしても、そのことは十分に言えます。

24日(土)のセミナーで、そのシュメールの故郷は兵庫県の中央部であったことを、地元の古代史研究家の市川慎さんに発表していただきます。

そして・・、ツアーにも市川慎さんが参加されて、シュメールの里を一緒に歩いてみたいと思っています。

 

麻賀多神社の猿田彦の「猿」の秘密は、先ず24日のセミナーで話をしたいと思っています。

24日のセミナーは、市川慎さん、武部さん、そして私が話しますが、3時30分ごろから懇親会となります。

今から私もセミナーが楽しみです!

 


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シュメール人の故郷は日本であり、粘土板に記された七枝樹こそが埴岡の里に広がる生命の樹でした

2016-12-10 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年12月10日(土)

古代史研究家の市川慎さんは、シュメールの粘土板にある七枝樹二神の樹が生命の樹の原型であると言います。

そしてその生命の樹のモデルは、生野から南に流れる市川流域であると言われます。

七枝樹は、左に4つ 右に三つの枝になっていますが、幹を市川としたとき、市川に流れ込む川が左に4つ、右に三つの川が流れ込んでいるということです。

そしてこの地域の神崎郡神河町福本には、福本遺跡と呼ばれる1万三千年前の遺跡も発見されています。

又、粘土板にはその樹の左手に蛇が描かれていますが、なんと、市川の左にあたる段ヶ峰には大きな蛇の地上絵もありましたね。

シュメール人の故郷が兵庫県の中央部であり、播磨国風土記に記された埴岡の里であったという証明がこれからなされていくことでしょう。

12月24日(土)のセミナーに市川慎先生をお招きしたいと思います。

そして市川慎先生から直接、そのことを皆さんに聞いていただきたいと思っています。

24日は早めに3時頃から懇親会にしたいと思います。

 

 

 

 


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姫路城の秘密

2016-12-05 10:01:58 | かごめかごめの真実とは

2016年12月5日(月)

神戸の六甲道駅から姫路まで、新快速電車で45分ほどで行きます。

3日(土)、古代史研究家の市川慎さんと神戸駅で待ち合わせをして、市川さんの車の助手席から姫路城と、一つの神社の鳥居が目に飛び込んできました。

その日は、Yさんも一緒に市川さんの話を聞きましたが、それからその2ヶ所が非常に気になるので、翌日日曜日に姫路城へと行きました。

それは、前々から姫路という地名と、卑弥呼の陵墓との関係性が大いにあるという思いが私にはありましたから、この今のタイミングなんだろうと思って、天気は悪くとも行くことにしました。

事前に私は、コンパスグラスで覗いて20度ラインが卑弥呼の陵墓であることを地理院地図から割り出して行きました。

姫路駅で降り立ち、北の方へ出ると、そこには姫路城を案内するかのようにメイン道路が城へと延びています。

そこでコンパスグラスで城の方向を見ると・・、角度が全く違いました。

これは益々、天守閣へと行って方位を測らなければならないという気持ちになりました。

神戸を出る時は雨は降っていませんでしたが、姫路駅に降り立った時にはもう小雨が降りだしていました。

城はすぐそこにみえていますが、それで・・、タクシーで行くことにしました。

・・・

天守閣へと上り詰めると・・、そこには御社が祀られていました。

なんと、姫神様を祀ってありました。

「さぁ角度は何度だ、角度は!」と私の頭の中に響き渡ってきます。

小雨模様の天候のせいもあって室内は薄暗くて・・、ハッキリとコンパスグラスの数値は読みにくい状態でしたが、何度も何度も間違いないかと計りました。

その数値は、「ピッタリ20度」でした。

播磨国風土記に記された埴岡の里、現在の神河町にある卑弥呼の陵墓がある角度にピッタリと向けて姫路城は造営されていました。

そしてそして、天守閣にはその卑弥呼の陵墓に向かって手を合わすように、城の最上階の天守閣の中央に「姫神」を祀る御社がありました。

私は北の窓からどのような山々が見えるかも非常に興味がありましたので、コンパスグラスでそこから目印になるような山の形にラインを合わせると・・。

イエスの陵墓と卑弥呼の陵墓を教える特徴ある山も見ることができました。

そして、天守閣へと登る途中でアゲハチョウの模様を掘った瓦も展示してありましたが、靴を入れるビニール袋にも平家の紋章であるアゲハチョウが印刷されてありました。

又、パンフレットには、十字紋瓦が「にの門」の破風上にあることも書かれていましたが、このことも私には大いに興味が持たれます。

姫路城とは、間違いなく御姫様である女王卑弥呼を守り祀っていくお城であり、御姫様の陵墓へと通じる路が「姫路」という地名として残っているということでしょう。

昨日の雨は、「やっと姫路城の本当の意味を分かって下さる方が来られましたぁ・・」と、イエス王家の方々とその直系である卑弥呼様とそれを支えた平家の方々など目に見えない多くの方々涙されたようでした。

世界文化遺産である姫路城へと、これから益々、世界中からやって来られます。

そして、そこで先ずは姫路城で御参りを済ませ、そこから播但線に乗って生野、神河町の聖地へと行かれます。

その流れはもう止めることができないでしょう。

神様のシナリオは、それはそれは素晴らしいものですよ。

その重大なことを教えるもう一つの秘密も、姫路の方々に変わって書きたいと思います。・・つづく

             


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本当の「生命の樹」は埴岡の里にあった

2016-11-30 13:15:04 | かごめかごめの真実とは

2016年11月30日(水)

私は山を使って一対のメノラーの地上絵を発見しましたが、なんと! 生野、神河町の地元で古代史研究を続けている市川慎さんが、本当の「生命の樹」を発見されたようです。

播磨国風土記に記された「埴岡の里」・・現在の兵庫県中央部に位置する、生野町、神河町、市川町、福崎町がその地域でした。

巨大な巨大な生命の樹です。

生命の樹の枝には、脈々と流れる水の流れがあります。 

その中心を流れる川が市川です。

生命の樹のこの地域がシュメール人の故郷でした。

これからそのことを市川慎先生が解き明かしてくれそうです。

 


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