鏡川早朝ウォーキング ファンクラブ

平成の名水百選に選ばれ、”龍馬も泳いだ鏡川”周辺を歩いて、健康増進と交流を図ります。

1月9日、「鏡川早朝ウォーキング」スタート式&ウォーキング・・・その3下見

2011-01-07 | 事務局からのお知らせ
Nさんのメールより・・・
 
◆老いも若きも、たまには、病院をのぞいてみる!
 おすすめのスポット・病院!
 
  母が、年末T病院に入院・個室で付き添いが、必要だったので
 かみさんと交代で病院通いをしていました。T病院は、救急病院なので
 救急車も絶えませんね。昼間は、もちろん夜間も、診察待ちの人で
 賑わっていますね。診察待ちの人は、60才以上の人が、大半。
 私も、近い将来、この病院にお世話になるかも、と覚悟を決めた?!
 
 よく見ると、若い人もいましたね。
 どこが、悪いのですか、と聞いてあげたくなったりもする。
 (これまで、大病を患わずに来た自分をほめてあげたい!)
 「健康」の大事さを痛感、そして、いずれ来る「老い」の覚悟。
 自分の日常生活をふりかえる(反省の)場としては、これ以上のところは、
 ありませんね。
 
 たまには、病院へ、100円コーヒーを飲みに行くか!
 
 
●健康が、気になる方におすすめです
  
   <第1回・鏡川早朝ウオーキングのお知らせ>
 
 ・日時:23年1月9日(日)9:30より、受付。 
             10:00~12:00
 
 ・集合場所:みどりの広場
 
 ・参加申し込み:不要、直接来場ください。
 
 ・参加費:無料
 
 ・主催:「鏡川早朝ウオーキング」フアンクラブ、鏡川こども祭り実行委員会
  共済:高知新聞社
 
  ※今回は、第1回目なので10時からですが、
   2月からは、早朝6時30分からです。
   冬場(10月~3月:6時30分・集合)
   夏場(4月~9月:5時30分・集合)
 
  毎月:第二日曜日に実施します。
  健康促進・地域住民間の交流・観光もてなし、をめざしてます。
 
 早朝の鏡川は、昼間とは、違う「顔」を持っています。
 皆さんも参加されませんか。
 
 
 

下見その3

昨年の11月14日、早朝6時にみどりの広場に集合して、「鏡川早朝ウォーキング」の準備を進めて来た「鏡川こども祭実行委員会」のメンバー有志で、予定コースの下見をしました。

この下見には、香美市土佐山田町にお住まいの鈴木朝夫さん(「高知ファンクラブ」代表)や、高知市鏡にお住まいの川村貞夫市議(元鏡村村長・「鏡川こども祭実行委員会」副代表)も駆けつけてくださいました。

また、石川妙子さん(「鏡川こども祭実行委員会」副代表)からは、出発時間の関係で、日の出の時間を調べていただき、検討の結果、冬場(10月~3月の出発時間を6時から6時30分に変更)と夏場(4月~9月の出発時間を5時から5時30分に変更)にしました。

毎月の第2日曜日の日の出時間。

2/13  6:53
3/13  6:20
4/10  5:43
5/8   5:12
6/12  4:55
7/10  5:03
8/14  5:27
9/11  5:46
10/9  6:05
11/13 6:35
12/11 6:59

 

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天神のクスノキ
 高さ25㍍、周囲7.5㍍、樹齢推定1000年とされる。高知市指定の文化財 

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天神大橋
 元和8年(1622)、二代藩主忠義が廟に参詣のために架橋。旧称真如寺橋。 

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HN:鏡川 さんの記事

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第1回 鏡川こども祭 目次

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「鏡川早朝ウォーキング」見所・名所・史跡案内

2011-01-07 | 鏡川の見所・名所・史跡

「鏡川早朝ウォーキング」見所・名所・史跡案内

  ~鏡川のいわれ~
 市街地を貫流して、浦戸湾に注ぎます。元禄年間、この荒れる川を清め、
  鎮めるため『影を映すこと鏡の如し』との祈りを込めて名付けられた。


   ① 天神大橋
 元和8年(1622)、二代藩主忠義が廟に参詣のために架橋。旧称真如寺橋。


   ② 馬場弧蝶・島崎藤村の交歓の地
 明治26年、明治学院の同窓生藤村が共立学校の弧蝶を訪れ、文学談義を交した。


   ③ 山内容堂・西郷隆盛(号は南州)会見の地
 西郷は島津久光の命を受け、容堂の上洛を促すため。散田邸の敷地内で鏡川を
   眺められる堤防上、物見座敷「此君亭」で開催された。結果、上洛の了解を得。 

  
   ④ 旧山内家下屋敷長屋
 山内家下屋敷の附属長屋として、慶応元年、豊範の時代に建築された。 


   ⑤ 山内容堂公邸跡・・ 

 公邸跡~詩・書をよくし、酒を好み歴代藩主の中でも逸話が多い。


   ⑥ 山内神社・・ 

 山内神社の祭神は、維新に功績のあった十五代容堂と十六代豊範。

   ⑦ 土佐山内家宝物資料館
  資料館は、山内家代々の遺物一万点余りを保管・展示している。


   ⑧ 水丁場
 水防のための防衛組織。境界を示す石柱が今も3箇所残っている。


   ⑨ フランク・チャンピオンの碑
 米人飛行士。大正6年高知市で航空ショーの飛行中、墜落死。


   ⑩ 日根野道場跡
 日根野弁治が築屋敷に開いた小栗流道場。龍馬も14歳から修行を始める。


   ⑪ 水天宮
 堤防内側一段低い場所にある為、河童のいたずら封じ、水難除けとして信仰。  


   ⑫ 河田小龍寓居跡
 土佐藩の絵師。ジョン万次郎口伝による「漂巽紀略」を山内容堂に献上。


   ⑬ センダン
 花や実など四季折々に楽しめ、高知市の木に指定されている。 

 
   ⑭ 石立大砲鋳造所跡
 嘉永6年、藩が石立村鍋焼で大砲の鋳造所を造る。俗称「鍋焼」と呼ばれる。


   ⑮ 潮江天満宮
 菅原道真公没後、嫡子菅原高視が遺品を御神体として、潮江天満宮を創建した。 

        
   ⑯ 真如寺(曹洞宗)
 一豊改宗後の菩提寺で一寺を建立。筆山の北の麓には山内家歴代の墓所あり。

   ⑰ 要法寺(法華宗)
 一豊の土佐入国と共に滋賀県長浜から菩提寺として移された、一豊が改宗した為
   二代目康豊が保護していた。野中兼山の位牌もこの寺には置かれている。


   ⑱ 天神のクスノキ
 高さ25㍍、周囲7.5㍍、樹齢推定1000年とされる。高知市指定の文化財。


   ⑲ 築屋敷
 藩の許可を得て、町民が自力で石垣を築き開発した片側町。


      ~ミカドアゲハ
 要法寺、潮江天満宮が生息地。オガタマノキがあり食樹に。国の天然記念物。

 

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑱ 天神のクスノキ

2011-01-07 | ⑱ 天神のクスノキ

⑱ 天神のクスノキ

 高さ25㍍、周囲7.5㍍、樹齢推定1000年とされる。高知市指定の文化財。

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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柳原沈下橋

2011-01-07 | 鏡川の見所・名所・史跡

~柳原沈下橋~

 高知市の柳原と大原町の野球場の間に架かっていた沈下橋。
   工費捻出に苦労していた高知市の土木課長と発案者の土木技師
   岡吾一氏のコンビで、昭和2年に架けられた。しかし後の同46年
   の台風により損壊し、同54年3月、抜水橋である現在の
   柳原橋となった。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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築屋敷(つきやしき)

2011-01-07 | 築屋敷(つきやしき)

 ~ 築屋敷(つきやしき)~
 
 城下を守る鏡川大堤の外側河川敷の竹藪であったが、前に広い河原があったことから、宝永元年(1704)に町民が藩の許可を得て、自力で石垣を築き開発した片側町。後に、石垣が延長され、職人も多く住むようになった。坂本龍馬が少年時代、通った日根野道場もあった。

 ~築屋敷八景の見どころ~

  ○ 石立落秋
      石立の秋の夕暮れ風景
  ○ 吉野山桜
      吉野山の山桜の満開風景
  ○ 鷲尾
      鷲尾山の山並み
  ○ 鏡川清流
      鏡川の美しい月景
  ○ 恋山翠松
      筆山にある美しい松の木立
  ○ 観音堂
      思案橋近くにあった観音堂。
      大正時代に町民の手によって
      現在地に移された。
  ○ 称名仏閣
      江戸時代には、潮江村にあった称名寺。
      絵金の兄弟子の絵馬が奉納されている。。
  ○ 八幡古祠
      八幡様の古いほこら。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑰  ミカドアゲハの食樹オガタマノキ

2011-01-07 | ミカドアゲハ

~⑱ ミカドアゲハの食樹オガタマノキ~

~ミカドアゲハ~
 要法寺、潮江天満宮が生息地。オガタマノキがあり食樹に。国の天然記念物。

 

  老樹又は大樹としての価値は少ないが、本種が国の
 天然記念物に指定されている珍蝶「ミカドアゲハ」の食樹で、
 このオガタマノキが極めて少ないので保護されている。
  四国では主に高知県内では室戸から足摺の海岸線各地に
 生息している。
  国の天然物としての指定は、潮江天満宮境内、要法寺境内、
 潮江中学校校庭に限定された地域指定である。
  ウツギ・センダンの花が咲き始めると羽化した成蝶した
 オガタマノキの若葉に産卵する。
  成長した幼虫は殆どはさなぎで越冬する。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑰ 要法寺(法華宗)

2011-01-07 | ⑰ 要法寺(法華宗)

~⑰ 要法寺(法華宗)~

   一豊は当初法華宗に帰依し、要法寺を菩提寺としていたが、
 のち曹洞宗に変えたため、弟の康豊が要法寺を保護した。
 そして遺言に従って寺内に葬られている。また野中兼山の位牌も
 この寺にある。
 境内に「桜井戸」と名づけられた井戸がある。
   古い桜の切り株が朽ちて、外側が残り、井戸になったので、
 この名が付けられたという。
 この水は渇水期でも枯れることがないため、茶道界の
 日本三名水の一つとされ、要法寺では現在でもこの水を使って、
 各流派の茶会が開かれている。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑯ 真如寺(曹洞宗)

2011-01-07 | ⑯ 真如寺(曹洞宗)

~⑯ 真如寺(曹洞宗)~

   山内一豊は慶長6年(1601)土佐入国の後、軍事・政治
 の顧問であった在川和尚を開基として、一寺を建立。
 禅宗の一派曹洞宗で、山内家代々藩主の菩提寺として栄えた。
   また、元和元年(1622)には、藩主参拝のために鏡川に
 橋が架けられ、真如寺橋と呼ばれていた。現在の
 天神大橋である。
   一豊は長浜時代、地震で一人娘を失い、それ以降、法華宗
 から禅宗に改宗したといわれている。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑮ 潮江天満宮

2011-01-07 | ⑮ 潮江天満宮

⑮ 潮江天満宮

 菅原道真公は、延喜元年(901)大宰府に左遷され、
   嫡子菅原高視も土佐権守として潮江に居住した。
   道真公没後、遺品が土佐に来たことからこれを
   御神体として、潮江天満宮を創建した・・・と
   伝えられている。
 また、宮尾登美子の小説「鬼龍院花子の生涯」の
   ゛鬼政゛こと鬼龍院政五郎のモデルといわれる
   鬼頭良之助こと森田良吉が奉納した゛お百度石゛も
   残っている。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑭ 石立大砲鋳造所跡

2011-01-07 | ⑭ 石立大砲鋳造所跡

~⑭ 石立大砲鋳造所跡~

 ペリーの来航以来、嘉永7年(1854)までに土佐藩では
   120砲造る事を決め、石立村鍋焼(現東石立町)に
   藩営の製砲工場が造られた。
 ここはもと長宗我部国親の菩提寺のあったところで、常通寺島
  と呼んでいた。鍋焼きの呼び名は、1821年ここで鍋釜類を
  鋳造したことによる。度々火災を起したようで最終的に何門
  ぐらい実用できる大砲を製造したかは明らかではない。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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