鏡川早朝ウォーキング ファンクラブ

平成の名水百選に選ばれ、”龍馬も泳いだ鏡川”周辺を歩いて、健康増進と交流を図ります。

⑫ 河田小龍寓居跡

2011-01-07 | ⑫ 河田小龍寓居跡

~⑫ 河田小龍寓居跡~

 文政7年(1824)浦戸町生まれ。狩野派の門に学び、長崎に遊学して南画の技法を習得、南北合派の新機軸を編み出した。
 アメリカから帰国した中浜万次郎の取調べにあたり、漂流の経緯と異国見聞の詳細を『漂巽紀略』と題して藩主山内容堂に献上した。
 当時城下随一の知識人と称され、多くの人が彼の門を訪ね、坂本龍馬もその一人であった。小龍は万次郎から得た知識をもとに、富国強兵とりわけ海軍強化を熱く語り合い、「君は内に居て人を造り、僕は外にあって船を得べし」と理想像を約束をした。この後、龍馬は勝海舟に弟子入り、小龍は多彩な門下生を輩出して亀山社中・海援隊に送り出していった。

 

 

   絵馬~土佐市有形文化財
                              土佐市
 ① 松尾八幡宮の絵馬~場所は高岡町の松尾神社。
         河田小龍が「静御前の舞い姿」を描いた絵馬。
 ② 三嶋神社の絵馬~場所は高岡町の三嶋神社。
         河田小龍が「源平合戦」を描いた絵馬。
                           明治13年 奉納。

 

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑪ 水天宮

2011-01-07 | ⑪ 水天宮

 ~⑪ 水天宮~

 通町の久万氏の祖先が文化10年(1813)に現久留米に鎮座
   してる水天宮様を勘請して、自分の屋敷に奉斎したものを、
   いつのころからか、河童のいたづらを封じるため、現在地に
   遷座したと伝えられている。
 祭神は安徳天皇を抱いた尼御前(時子)で、とくに河童に対して
   有力な守札を出してきた。と記されている。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑩ 日根野道場跡

2011-01-07 | ⑩ 日根野道場跡

~⑩ 日根野道場跡~

 坂本龍馬が剣術の修行のため通った小栗流日根野道場
   (柳生家の認可)は築屋敷にあったとされるが、門人達は
   士格より軽格のものが多かったのは、三代目弁治が郷士
   の出であることと無縁ではない。
 龍馬は5年後、目録を授かり其の後皆伝に当たる「小栗流
   和兵法三箇条」を授けられている。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑨ フランク・チャンピオン(米人飛行家)

2011-01-07 | ⑨ フランク・チャンピョンの碑

⑨ フランク・チャンピオン(米人飛行家) 

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 ~⑨ フランク・チャンピオン(米人飛行家)~
       
飛行免許は、米国で86番目に取得。    
 飛行機の有効性を示すため、1917年(大正6年)
米政府の派遣で来日、各地で飛行ショーを展開。
本県には、最後の飛行地として同年10月に来高。
朝倉練兵場を離陸した単葉機は7回宙返りなど高度
な飛行技術を披露、約10万人の大群集が見学する。
 二回目の飛行中、神田の田んぼに墜落。34歳  
翌年7年、柳原に遺骨の一部を納めた記念碑が建立。
 79年後の平成8年、一人娘のジーン・マスキュリン
(当時86歳)が高知新聞社の招きで、米ワシントン州
から念願の来高を果たした。      
来高をきっかけに墜落地点が神田683番地と判明、
ここに地元有志で記念碑が建てられた。    
             

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑧ 水丁場

2011-01-07 | ⑧ 水丁場

⑧ 水丁場
 
  城下町を囲むように2.1mから2.7mの高さに堤防を築き、
   南岸を低く、いわゆる水越堤防として築き、北側の城下へ
    の浸水を防ぐようにしていた。
   北岸には西の思案橋から東は下町の雑魚場までの間に
    12箇所の水丁場(水防受持ち区域)を設け、石碑を建てて
    整備し、出水の状況に応じて水防組(武士と町人)が
    出動するようにしていた組織作りをしていた。。
  特筆すべきは、水丁場の警護・管理をするにあたり、各箇所
    ごとに家老を置き、その下に武士と町人を人員配置。
    緊急時には強制的に出動させていた。
  現在、「観音堂北」・「南堤防上」・「忠霊塔西側」の3箇所に
    石の標柱が残っている。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑦ 土佐山内家宝物資料館

2011-01-07 | ⑦ 土佐山内家宝物資料館

~⑦ 土佐山内家宝物資料館~

資料館は、山内家代々の遺物一万点余りを保管・展示している。

 昭和45年、戦災で消失した山内神社がされたのを機に、
   山内家に伝わる歴代藩主の遺物や旧藩関係の
   古文書類、維新志士たちの遺墨などを収蔵する
   「山内神社宝物資料館」が併設され、一般に
   公開展示されてきた。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑥ 別格官幣社 山内神社

2011-01-07 | ⑥ 山内神社

⑥ 別格官幣社 山内神社

山内神社の祭神は、維新に功績のあった十五代容堂と十六代豊範。

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    ~⑥ 別格官幣社~  
 明治四年、政府は神社制度を改め、全国の神社を官社  
(国幣社・官幣社)と諸社(府・県・村社)の社格に分けた。
 官幣社には、天皇・皇族を祀った神社が多く選ばれた。  
この官幣社に準じて、翌年定められたのが別格官幣社
で、人間が神として祀られた神社に限られた。    
祭神には戦国の著名な大名、明治維新に功績があった  
諸藩の大名などがあります。        
 明治四年、土佐藩最後の藩主山内豊範によって創建  
された山内神社は、三代から十四代までが祀られ村社  
になる初代一豊・二代忠義は藤波神社に祀られている。  
 その後十五代容堂と十六代藩主は幕末維新における  
功績を顕彰するために新社殿が造営され、昭和九年
改めて、別格官幣社山内神社が創建された。    
  ~三代から十四代までは藤波神社へ遷座~  
               

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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⑤ 山内容堂公邸跡

2011-01-07 | ⑤山内容堂公邸跡

~⑤ 山内容堂公邸跡~

公邸跡~詩・書をよくし、酒を好み歴代藩主の中でも逸話が多い。

 藩主の一門の屋敷を追手邸・東邸・西邸・南邸などと称して
   いた。東邸・西邸は現在市役所のあるところで、
   鷹匠公園は南邸と呼ばれ、文政4年(1821)屋敷を
   父豊著(とよあきら)が新築。
   嘉永元年(1848)15代藩主となった。
 現在、公園北側に「山内容堂公邸跡」の碑が建てられている。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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旧 散田邸

2011-01-07 | ④ 旧山内家下屋敷長屋

~旧 散田邸~

 

 旧散田邸は県民文化ホールの一部を含む広大な屋敷で、
   維新後拡充されて山内家の本邸となり、
   戦後は売却されて、その大部分は三翠園ホテルの
   所有となっている。
 三翠園ホテルに買取られたころの山内家散田屋敷。
   戦災のため殆ど消失したが、現在表門、下屋敷長屋が
   ホテル敷地内に保存されている。正面入口の式台部分は
   武家住宅らしく重厚で安定感がある。住居部分は平屋
   から二階に続き、屋根の上には洋風の物見台が
   設けられている。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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④ 山内家下屋敷長屋

2011-01-07 | ④ 旧山内家下屋敷長屋

~④ 山内家下屋敷長屋~

 山内家下屋敷の附属長屋として、慶応元年(1865)に十六代
   藩主山内豊範の時代に建設されたもので、
 今に残るこの長屋は表門に隣接し、下屋敷勤務者の宿所として
   建てられたもので、
   現在は国の重要文化財に指定されている。

 

参考文献
  鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
  改訂版高知の城下町読本
  龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)

 

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