~⑭ 石立大砲鋳造所跡~
ペリーの来航以来、嘉永7年(1854)までに土佐藩では
120砲造る事を決め、石立村鍋焼(現東石立町)に
藩営の製砲工場が造られた。
ここはもと長宗我部国親の菩提寺のあったところで、常通寺島
と呼んでいた。鍋焼きの呼び名は、1821年ここで鍋釜類を
鋳造したことによる。度々火災を起したようで最終的に何門
ぐらい実用できる大砲を製造したかは明らかではない。
参考文献
鏡川小特集~土佐地域文化第5号2002年6月号
改訂版高知の城下町読本
龍馬を育てた道の小冊子(高知市観光課)
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