アシリアペ    「アシリアペ」とはアイヌ語で「新しい火」。住所は茨城県常陸太田市大中町3486-2

営業日等:土日の10:00~17:00 臨時営業もあり。天然酵母パンやオーガニックの食材などを取り扱う。

今月の言葉

2021-01-12 09:17:22 | 今月の言葉
「今は下降していく『下山の時代』だということを認識しなければならない。」
「下山の価値が劣ることは絶対にない。」
「経済が熟覧し、腐臭が発し始めた頃に文明は成熟していく。タイムラグがある。これからは経済が下降し、文明が成熟する。希望と幻滅が交差していく。大人の時代になるということだろう。」
(2021年1月5日 東京新聞WEB版 五木寛之インタビューから)

今月の言葉

2020-12-26 15:45:44 | 今月の言葉
「苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神」 田中優子著から

 毒死列島に祈りを捧げるもだえ神はもはやいない。縄文からの射程でいえば約3000年あまり。そんな太古から来た人の物差しで見れば、魂の抜けた人間たちが愚かなことを繰り返し、一度滅びて生まれ直す歳月はどうということはないかもしれない。しかし、それは「生まれ直す力があれば」という条件付きである。
 救いというものはない。まず自分が人間になり直す作業を魂に課すこと。それが、日本人が成し遂げることができなかった魂の自立だと道子は言った。人間になり直すとは、自然を支配下に置こうとするのではなく、自然の中に入って生類たちとの連帯を取り戻すことであろう。それができなければ、人類は孤立し、破滅の一途をたどるだけである。


「私は真実が知りたい」(赤木雅子+相澤冬樹著)から

2020-08-29 09:52:56 | 今月の言葉
「私は真実が知りたい」(赤木雅子+相澤冬樹著)から

 私の夫、トッちゃんの本名は赤木俊夫。この時、54歳。財務省近畿財務局の上席国有財産管理官。あの森友事件で、国有地の値引き売却についての公文書の改ざんをさせられ、依頼1年ずっと苦しんできた。それを間近で見ながら救い出してあげられない私のつらかった。何度も死の一歩手前までいきながら何とか引き戻すことができたけど、とうとう助けられなかった。
 私は自分を責めた。でも同時に思った。私以上に責任があるのは財務省と近畿財務局。彼らがトッちゃんに無理矢理改ざんを押し付けたのに、何の救いの手を差し伸べてくれなかった。トッちゃんは公務員としての仕事に人一倍誇りを持っていたのに、公文書の改ざんをやらされたことに苦しみ、一人責任を押し付けられる恐怖におびえて、命を絶ってしまった。だから私は119番より先に思わず110番に電話してしまった。「財務省に殺された」という思いがあったから。



「わかりやすさの罪」(武田砂鉄著)から

2020-08-22 10:38:23 | 今月の言葉


「わかりやすさの罪」(武田砂鉄著)から

 国が丸ごと大変な状況に陥れば陥るほど、為政者の支持は高まる。不満よりも不安が大きくなった国民は、それを解消してくれる可能性を持つ権力者にすがり、次にどんな言葉が発せられるかを待つ。「リーダーシップ」という概念はいつだって曖昧なのに、ただ皆が窮地に陥ったとの状況下において、曖昧なリーダーシップがそれなりのものに見えてしまう。まったく錯覚なのだが、そのうち、もう錯覚でもいいから、と思い始め、やがて、錯覚であったことさえ忘れてしまう。このコロナ禍の中でよく聞いた言葉に「やってる感」がある。主に日本政府の対応が遅れていることを皮肉った言葉だ。「やってる感」って、つまり、「やってない」わけだが、この「やってる感」への批判が「やってる感」を支えた側面もある。なぜって、あなたたちは「感」をつけるかもしれないけど、ちゃんと「やってる」んで、と言い返すことができるから。



「コロナの時代の僕ら」(パオロ・ジョルダーノ著)から

2020-08-07 10:43:41 | 今月の言葉


「コロナの時代の僕ら」(パオロ・ジョルダーノ著)から

 僕たちは今度のCOVID-19流行の最初から、そんな風に「まさかの事態」を受け入れようとせず、もっと見慣れたカテゴリーに無理矢理押し込めるという過ちを飽きもせずに繰り返してきた。たとえば急性呼吸疾患の原因ともなりうる今回のウイルスを季節性インフルエンザと勘違いして語る者が多かった。感染症流行時は、もっと慎重で、厳しいくらいの言葉選びが必要不可欠だ。なぜなら言葉は人々の行動を条件付け、不正確な言葉は行動を歪めてしまう危険があるからだ。それはなぜか。どんな言葉であれ、それぞれの亡霊を背負っているためだ。たとえば「戦争」は独裁政治を連想させ、基本的人権の停止や暴力を思わせる。どれも―――とりわけ今のような時にはーーー手を触れずにおきたい魔物ばかりだ。


「ワイルドサイドをほっつき歩け」(ブレイディみかこ著)から

2020-08-07 10:40:58 | 今月の言葉


「ワイルドサイドをほっつき歩け」(ブレイディみかこ著)から

だいたい「楽しんだあいつらは許せない」とか「わがまま」とか、モラル的なことを理由に人々が特定のグループをバッシングしだすときは、社会全体に余裕がないときだ。そんなときはだいたい、お金がないから楽しいことは我慢しなさい、なんにつけても節約・倹約し、自分の身の丈に合わないことは諦めて生きていくことが一番の美徳です、と言い聞かされている陰気な時代だ。これを一言でいうと、「緊縮の時代」という。
人種差別や排外主義だって緊縮財政と大きくリンクしているということが、近年、欧州ではさかんに指摘されている。「自分より得をしている気がする者」を全力でぶっ叩きたくなるのが緊縮時代の人々のマインドセットだとすれば、そのターゲットは外国人にも生活保護受給者にもシングルマザーにもなり得るのであって、「いい時代を生きたベビー・ブーマー時代」もその一つの形態に過ぎない。
ほんと、何度言っても言い過ぎることはないほど、緊縮財政というやつは罪つくりなのだ。


「大地よ!」(宇梶静江著)から

2020-08-04 18:09:43 | 今月の言葉


「大地よ!」(宇梶静江著)から

なんと言っても、アイヌは自然を敬う民族です。古代の先祖からの遺言である、水を司る神に対して心するべきだと思います。廃棄物は浄化して毒のない状態に処理するべきです。土地にやたらと農薬や化学肥料を撒き散らしてはなりません。使用後の水が浄化される洗剤など、家庭で使う洗剤にも気をつけるべきです。水を司る神を敬い、水の源を考えてみるべきなのです。
(中略)
人間たちのあまりのぞんざいさ、地球を焦がすがごときバランスを欠いた温暖化、荒廃する大地、毒物のたれ流し、撒き散らし。地球は、何事かをすでに警告しているのです。多くの人間の、これまでのし放題、やり放題を深く反省しなければ、手遅れになるような何事かを。水や空気、大地に感謝すること。同胞と共に、今荒れ地になっている大切な土地を、神が宿る地にして、種をまき、苗を植えること。収穫された物は、分け合い、共に生活の糧にする、という考えを持つ者同士で、今、私たちは考えはじめています。


「明日も必ず夜が明ける Ⅱ」(舘崎やよい著)から

2020-08-04 18:07:25 | 今月の言葉


「明日も必ず夜が明ける Ⅱ」(舘崎やよい著)から

反対運動のポイントは、とにかく事業を引きのばすことだと考えています。そうこうしているうちに、相手の状況、いろいろな事情が変わってくることがあるんですね。そのために、まずは事業をストップさせることが大事なのだと思います。国は、ここと決めたら、なにがなんでも事業を進めようとしてきます。だから、スタートさせてしまえば、なかなか中止にならないんです。そういう意味で、反対運動は本当に大変ですが、声を上げていくことが大切だと取り組んできました。


「僕は、そうは、思わない」

2020-06-06 16:40:23 | 今月の言葉

「逆ソクラテス」(伊坂幸太郎著)から

敵は、先入観。世界をひっくり返せ! 「僕は、そうは。思わない」

<安斎くんと土田くんの会話>

「ピンクの服を着たからって、女だとは思わないよ」
「ピンクは女だよ」
「それならフラミンゴはどうなるんだよ。大体、女みたいだって、別にいいじゃないか」
「男なのに女なんて変に決まってるだろ」
「土田はそう思うんだろ。ただ、俺は、そうは思わない。女みたいな男だろうが、男みたいな女だろうが、おかしくはない。地球に人間、何人いると思ってんの。いろんな人がいるのが当然だろ。土田みたいな人間もいる」と言葉を一つずつ、相手に噛んで含めるようにして、しっかりと言った。俺は、変だとは、思わない。

今月の言葉

2020-05-21 10:59:39 | 今月の言葉
「常世の舟を漕ぎて 熟成版」 (語り 緒方正人 編者 辻信一)から

俺は、「物事」っていう言葉をモノとコトに分けてみるんです。そうすると物事にはモノ性とコト性というふたつの側面があることがわかる。モノは現象として目に見えるから、実在しているものとして目にとまるんだけど、俺は大事なことはコト性にこそあると思っています。水俣病事件という時にも、事件のコト性が大事だと思う。モノじゃなく、コト性にこそ本質があると。しばし我々は他人も自分自身をも、モノでごまかしてきた。カネというものもそうでしょ。だから俺はカネじゃないんだ、と言ってきたんです。(中略)
便利、便利って、便利なものができて、暇が増えた人はいない。忙しくなるばっかりじゃないですか。でも、人間は追い詰められないとなかなか気づけないんだな。その人間が土壇場で深く気づかされることがあるとすれば、結局、「食」を通してなんだろうと思う。