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日々の暮らしをここに記録して未来に役立てよう。

沖 幸子著「50過ぎたら、ものは引き算、心は足し算」

2013-09-15 09:49:50 | ブックレビュー

この本に書いてあったわけじゃないんですけど、貧乏人とお金持ちの定義について。

貧乏人は自分の時間をお金に換えて、その金で物を買い、それをいつかゴミとして捨てる壮大な無駄を生涯繰り返す。
お金持ちは、まず手元にあるお金を増やす方法を考える。将来、価値が下がるものは極力買わない。

家の中を見渡すと、たくさんのものに囲まれてます。
ほんとにこれだけのものが、これから生きていくのに必要なのかな。

さて、著者はドイツで生活して、ドイツ人のきれい好き、掃除のうまさに感動し、
日本に帰国した後にハウスクリーニング業を立ち上げた方です。

掃除は5分以内にさっと拭く。
それで落ちない汚れはプロにまかせる。

最近、毎朝玄関を掃き掃除してるんですけど、
毎日ちょっとずつゴミが出るんですよね。
でもほんのちょっとだから、さっと掃けばそれで済む。

これをほったらかしにしておくと、
いつかホースで水を撒きながらデッキブラシでゴシゴシやらないと落ちなくなる。

古くて小さな家でも、
掃除と整理整頓が行き届いた部屋があって、
平屋で濡れ縁があって、
ちょっとした庭があって、
そこで必要最低限のものだけで暮らす。

最近の夢かな。

できれば北海道がいいなー。

...隠居したい。


幸せってなんだっけ?

2013-09-14 09:21:18 | What's up?

過去1億年の人類の歴史の中で、死ななかった人は一人もいない。
人はいつか必ず死ぬ。
今、地球上に生きている人たちもいつかは全員寿命が尽きて死ぬ。

これは真実だ。

それなら、目の前の何かにこだわったり、すがったり、抱え込んだりするのは意味がない。

本当はそんなこと、どうだっていいんだ。
自分も含め、どうせみんないつかは死んでしまうのだから。

たとえば健康のために、長生きするためにウォーキングを始めたとする。
毎日1時間、1年365日続けて365時間。
そして健康になってその分365時間長生きできたからと言ってそれが何だというんだろう。

幸せの尺度は、あと何年生きられるかじゃなくて、
たとえ明日死んだとしても、

(ま、いいか。


と納得できることなんじゃないかな。


今までの人生を振り返って最良の日はいつだったろう。
その日に何があっただろう。

そう考えてみると、ささやかな出来事で十分幸せを感じていたはず。

自分もいつかは寿命が尽きて死ぬ。それはいつかはわからない。
自分の事となると実感がわかない。


3.11の震災の犠牲者も、9.11のテロの犠牲者も、まさか自分がその日に、命を落とすなんて思いもしなかっただろう。

自分の死はいつくるかわからない。
とりあえず今日じゃないと思っている。
何の根拠もなしに。



1年は365日の集まり。365日は24時間の集まり、24時間は60分の集まり。60分は1分の集まり。
1分は60秒の集まり。

自分の残りの人生は、今この瞬間の積み重ねでできている。


だから遠慮しないで、他人の目を気にしないで、
自分の本当にやりたいことをやった方がいい。

何をやりたいのかわからないのが一番不幸なことなんだ。

やりたいことをちゃんと決めよう。

そして具体的な計画を立てよう。

大事だけど急ぎじゃないことを後回しにし続けるのはもうやめよう。

砂時計の砂は今この瞬間にも落ち続けているのだから。