小説 新坊ちゃん⑩ 職員旅行不参加
気の毒に土谷君は告げ口によって辞職に追い込まれたのである。職員旅行不参加が遠因と考えられるから、次はわたしに攻撃の矢が飛んでくると予想される。飛んでくる前に辞める覚悟はあるが、辞めてなにをするかの見当がたたない。予備校へ戻るのが良いのであるが、履歴書を送っておいても採用になるまでは長い間待たねばならないというのが通り相場である。前行っていた予備校には恥を忍んで持参して、あの若くて如才ない男に丁寧にお願いしておいた。この履歴書にもあのウオーターマンの万年筆とロイヤルブルーのインクを用いたが、結局効果はなかった。どうもこの組み合わせはいけないようである。
土谷君はご自分の母親は事情が分かっているのでどうということはなかったが、お嫁さんの両親は烈火のように怒り狂ったという話を土谷君から電話で直接聞いた。他人の家庭内で争議が起こるようなことでも平気でする連中である。頭から油が出ている爺とキツネ目野郎にはどう対応したらいいのかあの田舎の大ばあちゃんに聞きたいところであるが、遺憾ながら大ばあちゃんはだいぶ前に亡くなっていた。
そのうち頭から油爺とキツネ目はどこから聞いてきたかわたしが縁談を断ったという話を職員室でやりだしている。たしかに断りはしたが理由のあることである、理由のあることをしてどこが悪い。どこまでもうっとおしい連中である。念のために自分の両親には近く退職するかもしれんと話しておいた。父親はできた人でそうかといったきり何も云わなかったが母親はそれでは縁談がこないとして猛反対であった。こんな状態では縁談は無理だろうと言うと母親はその辺にあるものを投げつけて怒り狂ってもう大変だった。
むかし中国の何とかというエライ人は「五斗米のために腰を折らず」といったらしい。ちょっとした米を貰うために節を曲げないの意味で立派な話だと思うがいざそれを実行するのは大変である。本に書いてあることは現実の社会の中で実現することは相当の無理がある。どうせ出来ぬなら立派な話なぞは教えなければいい。一生お目にかかれないようなご馳走の名前を覚えさせて覚えないと卒業させないぞとか言ってるのと同じじゃないのか。
職員旅行も宴会も自分たちの子分とまではいかなくても仲間になっているかどうかを調べる踏み絵になっているんだ。わたしは踏み絵を踏むのを拒んだばっかりにこいつは仲間では無い、こういうのは追い出してしまえという追い出される対象になってしまった。職員間のいじめである。そんなことして何が面白いものか。そんな奴のお仲間になってもいいことは何もない。こいつらは、いじめを楽しんでいるのである。生徒どおしのいじめなんか視野の外である。一方の私は辞めた後の生活をどうするか毎日そればかりを考えていた。
そんなころ隣の村田先生がごくごく穏やかな口調で、
「あなたねえ、今度の忘年会には出たほうがいいと思うよ。でも来年の夏の職員旅行は参加しなくてもいいように私からよく言ってあげるから。」
といってくれた。わたしはとりあえずハイと返事しておいた。まあ辞めるにしても忘年会までは居てないと仕方ないだろう。来年三月末には例え将来の目途が立たなくても辞職しようと決心を固めた。
同じころ廊下を歩いていると、同僚の何の教科の先生であるかうろ覚えで名前もはっきりとは覚えていない中年のちょっとお腹周りに脂がついてきた感じの男の先生に呼び止められた。
「わたしのことを、委員会に悪く言わないで下さいよ。いいように言ってくださいよ。」
その先生の眼は懇願するようであった。明らかに病んでいた。
わたしは数か月前に採用になった新人である。委員会とは教育委員会のことだと思うがそこには何のコネもつながりもない。それなのにわたしがあの油爺やキツネ目と同類とこの先生は見たのかもしれない。油爺一派のいじめがこの本来はヒトのよさそうな先生にまで及んでいるということか。
わたしはもちろん
「ええそんなことしませんから、大丈夫です。」
とできるだけ明るい声で答えておいた。この人はご家族があるだろう、辞めるに辞められないのであろう。わたしよりずーと気の毒である。なお念のために読者諸氏に申し上げておくが当時は結婚した女性は原則 外で働くということのない時代である。
ヒトを心の病に追い込んで平気な連中がのさばるところにこれ以上いるわけにはいかない。