独り合点(ひとりがてん)

きもの業界をステージとした、ビジネスと生活スタイル、および近況。

すごい!有難いことです!

2011-11-08 | きもの

今日京都でコンサルタントの・石氏が主催する勉強会[若手経営者の会」が開催された。呉服店、メーカー、仕立屋さんなど関係者50人を超える出席で盛会でした。私は出席できなかったのですが、出席された西尾市のあづまやさんがhttp://t.co/IwtWYGlsで、5時間にわたる会議の一部始終を中継放送してくれたお陰です。ありがとうございます。関心ある方、録画版もあるそうなので、後で見て下さい。

それにしても業界の会議が、公開されるというのは珍しいことです。若手経営者が熱心に聞かれていましたが、やはり女性の出席者に比べ、男性の着物姿が少ないのは残念。これをどれほどの方が見るか分かりませんが、関係者の熱意は、言葉ももちろんですが、さまざまな着物姿こそ、一番の迫真のメッセージ、と思うのですがー。途中で中座するつもりで見始めたのですが、最後まで見てしまいました。最後まで見たのは、内容に引かれたと言うより、靴の上から足を掻くようで、いらいらして、と言う方が正しいかも。テーマは、「日本人は着物を取り戻す日が来るのか?」でしたが、この日本人というのは業界人のこと?かろうじて早坂伊織氏が[男のきもの」で男性客の心理を開設していましたが、全体に[着る人目線」が見えません。初めてのことで、内容も盛りだくさんで、企画された方の準備、設営のご苦労は分かるのですが、もっとシャープにテーマに切り込んで欲しかった。せっかく業界人の若手が50人も顔を揃えたのに、これが呉服のプロの会議ーと言う、歯がゆさが残りました。でも50人以上集める、集まる、この両者のエネルギーが、石氏が言うように1つのきっかけとなって、新しい何かを生み出したら、最高ですね。皆様お疲れ様でした。石さん、あづまやさん、ありがとうございました。


本当に?!

2011-10-21 | きもの

某総研から研修会の案内状が届いた。そこには[来年流行る!ニュービジネス]の大きなキャッチフレーズとともにメニューが紹介されていた。金プラ買取ショップ、訪問介護、介護用品ショップ、韓国アイドルグッズショップ、婚活カフェ、小さな葬儀ビジネス、自習室ビジネス…などなど。正直、これなんだ!今はこんな案内が呉服関係者に来るのか!と唖然。というのは私が登録してあるのは呉服関係ですから当然一緒に学んだ呉服屋さんを中心に配られているのだと思う。この数年、呉服屋さんでも金プラ買取ショップ、訪問介護、介護用品ショップなど、取り入れているお店が増えている事実からすると、コンサルタントの指導で多角化?する呉服屋さんは案外多いようです。どんな理想やこだわりを持とうが、経営が成り立たなければ、飯が食えなければ、意味がない。社員を養い、店を維持して行かねばならない。確かに。そうなんです。でもーー???

いま、本流のきもので勝負!とメーカー、呉服店10数名が熱い論議を繰り広げています。さらに12月には100人近くの着る人を巻き込んで、次のステージを目指すべく準備を進めています。コンサルタントに頼らず、熱い想い、志を持つ呉服屋さん、メーカーと真剣に10年、20年先まで続く呉服業をめざし、行動している人たちを見ながら、是非成功して欲しい、いや絶対成功する、と確信しています。難しい時代ですが、あえて言わせて貰えば、まだまだ本業を掘り下げていない!流行を追う、先取りすることも必要ですが、あなたにしかできない、呉服屋にしかできない、まだまだ真っ当なこと、やっていないこと沢山、いろいろありますから。


アンテナが違うのか

2011-09-05 | きもの

某大手呉服店の担当者と話の中で「そういえば、キモノなでしこが休刊になりましたね」と言うと???どうやら「キモノなでしこ」なる季刊誌が発行されていたことをご存知なかったよう。いつも思うのですが、キモノ関係者が案外とマスコミに無関心ということ。新しいきもの雑誌や単行本に関心を払っていないこと。七緒ですら、創刊7年目にしてようやく認知されたようですが、いまでも?の方も。それにしても創刊してわずか3号で休刊という決断の早さ。事情通によると思ったより部数が伸びず、3.11を機にしばらくは「きものどころではないだろう」と判断をしたそうですが、余りにも表層的ではないだろうか。それにしても、キモノ関係者のアンテナもっと高くして、もっと「今どきー」も「着る人こころ」も呼吸して欲しいものです。


紅板締め(2)

2011-07-22 | きもの

紅板締めは、布を屏風畳みにし、両側から模様を彫った型板を当てて、かたく縛って防染し、染液に浸し、紋様を染め出すもので、正倉院に伝えられる夾纈の1種で、奈良時代には隆盛を極めましたが、徐々に衰退し、江戸時代後期に入り、京都を主産地として高価な紅と絹を使った「紅染」と出雲では藍を使った木綿の「藍染」の板締めが人気を博しました。紅板締めが流行した背景には、度重なる幕府の贅沢禁止令の影響があり、表着はあくまでも地味に、しかし見えないところは思い切って贅を尽くし、おしゃれをする、と言う江戸っ子の美意識「底至り」がありました。しかし、明治、大正となり、型染が発明され、更に化学染料が使われるようになると、手間のかかる紅板締めは衰退してしまい、ついに世から姿を消してしまいました。

また紅板締めは、長襦袢、裾よけなど女性の下着や間着に多く使われたことから、広く目に触れる機会も、現存品が少なく、高野染工所が廃業してからわずか6年ですが、急速に私たちの記憶から消えようとしています。またすでに技法にも不明な点が多く、「幻の染め」とも言われています。

 

襟元や袖口、裾から覗く鮮やかな紅染の下着、また襟や帯はひときわ鮮やかに赤く、華やかに装う女性達を魅了したのが、「紅板締め」。幻の染めといわれる「紅板締め」の染色工程やいまも色鮮やかな紅花で染められた長襦袢など、江戸から明治期の普段余り目にすることのない下着を一堂に集め、「紅板締め 江戸から明治のランジェリー」と題し、特別展を開催します。

 

紅板締め 江戸から明治のランジェリー

 

開催期間 7月26日(火)~9月4日(日)

       *平日9時30分~16時 土日祝9時30分~17時

       *入館はそれぞれ30分前まで

会場    国立歴史民族博物館 企画展示室

      千葉県佐倉市城内町117 電話043(486)0123

 


政治の遅滞、そして情のなさ…

2011-07-02 | きもの

東日本大震災から早くも4ヶ月が過ぎようとしている。昨日、編集長がお会いした被災地の呉服屋さんのお話を聞いていると、1000年に一度の大災害と言いながら、「なんと情のない政治、企業なのか」と暗澹たる気持ちになってしまった。例えば都市銀行。被災に伴う更に重なる融資に担当者は「渋い顔」で厳しく、事業計画の提出を求める。支店はあるが、地元と共存共栄ではない。「晴れた日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる」とは一昔前に言われた銀行の姿だが、今も変わらないようです。しかし地元の信用金庫は、「地元の産業や商業と共存共栄です。一刻も早い復興を後押ししますから、一緒に頑張りましょう。運命共同体です。足りなければ、また考えましょう」との言葉に、2行、3行の都市銀行から融資を断られた後だけに、号泣ものでしたと。聞いているこちら側も目頭が熱くなってしまいました。一方の政治。法律がある以上、大災害だからと勝手に法律を破るわけには行かないが、義援金をもらったら、一時所得が入ったのだから「生活福祉資金」をカットするというお役所。災害後いち早く体制を立て直し、従業員を再雇用し始めた会社には、被災企業を応援する様々な政策は適用されない状態とか。いってみれば自助努力した会社や社員は恩恵を受けるどころか、損?するような仕組みとか。被災地の人々や国民は、「本当に頑張っている」と思うが1部大企業のトップや政治家は、自分たちのことしか考えていないのではないか。古いギャグで言えば、残念~!


拙速?!

2011-05-11 | きもの

江戸幕府は旧暦の5月28日から8月の晦日まで、大川(隅田川)の川遊びを許し、その初日に揚げる花火は、江戸の年中行事の1つだった。、両国の花火は、江戸の夏に欠かせないものですが、最初は霊を慰め、悪霊を祓う目的だった。享保17年(1732年)、飢饉と疫病の流行で多数の死者がでた。それで翌年の享保18年、川開きに花火を揚げ、意気消沈していた江戸の人々を慰めることにしたいということから、今日まで続いているのだとか。「東都歳時記」には「烟花空中に渙発し、雲のごとく、霞のごとく、月のごとく、星のごとく、麒麟の翔けるごとく、鳳の舞うがごとく、千状万態、まどい魂うばはる。おおよそここに遊ぶ人、貴となく賤わとなく、一擲千金惜しまざるもよきなり」と表現するほど江戸の花火は、素晴らしいものであり、もっとも楽しみとするものであったようです。それは現代も変わりません。励ましながら、今の幸せを感じながら経済活動を応援する、そんなイベントのかたちもあるのではないでしょうか。現にGWにはそんな兆しが幾つか見えました。自治体による早々とした自粛による中止は、本当に残念です。余りにも拙速過ぎなかったのではないか、そんな思いがします。


七緒、最新号

2011-03-15 | きもの

東北関東大震災の被害状況も把握出来ない時期ですが、被害を受けていない我々も一緒に落ち込んでいては仕方がないので、被災地や被災者への支援、応援と共に日々の仕事を今まで以上に懸命に努めるよう、準備してきた4月の勉強会を開催することにしました。案内状を近々発送いたしますので、都合が付く方はご参加下さい。

きものサロンが年4冊発行から2冊に減り、きもの雑誌の休刊が続く中、元気な季刊誌「七緒」。最新号を早速手に取ってみましたが、記事と広告のアンバランスさに、厳しさを痛感させられました。一般のファッション雑誌では、広告収入で発刊をまかなっているといわれるくらい広告収入が多いのですが、きもの雑誌には広告が殺到したり、メジャーなスポンサーが広告を掲載しないので、どうしても定価を高くせざるを得ないところがあります。七緒も定価1,400円ですからファッション月刊誌の約倍です。広告より実売が収益の柱になっていると思いますが、それでも広告は、大事な収益源。とはいえ、出してくれるならどんなスポンサーでも、原稿でも言い訳ではなく、その雑誌なりのコードがあり、編集コンセプトとの整合性や相乗効果を考慮する必要があります。TVでは不況になり、このコードが下がり、昔のサラ金やパチンコ、公営ギャンブルなど、スポンサーが様変わりしているのはご承知の通りです。七緒にも当然スポンサーコードがあると思いますが、背に腹はかえられない、ということなのでしょうか。スポンサーも雑誌のコンセプトに敬意を評し、それなりの原稿を掲載して貰いたいものだと思います。短期的な視点の広告ではなく、長期的な視点から「投資」と考えた広告の方が、広告=スポンサーへの好意度、効果が高まると思うのですが、いかがなものでしょうか。月刊アレコレも最近、広告掲載の問い合わせが続いています。有難いことです。のどから手が出るほど欲しいし、広告も読者にとっても大事な情報と考えていますが、いまのところ月刊アレコレのコンセプトと整合性が取れるまでには至っていません。残念ながら、広告掲載を見送っています。お金を出して本を買って下さる読者にも納得、支持頂けるような広告スポンサーと出会いたいモノです。


温故知新(1)

2011-02-08 | きもの

花想容では、ちょうど「薩摩の織物」展を開催中。写真は、戦前の大島紬ですが、とってもモダンで、いま着てもおしゃれ。70年以上の月日が風合いを変え、信じられないくらい柔らかで、軽いのですが、反物の状態でおいてあっても生地が風化し、着るには少し問題もあるとか。住む人がいない家は荒れると言いますが、布も同じように人が着ないと、弱くなってしまうようで、用美双即と言いますが着てこそキモノ、と改めて実感しました。それにしてもお話を聞きながら、中野さんから、心底きものが「好き」が波動で伝わってきます。それはとても心地よい波動です。突然、「そうそう、こんなモノが出てきたよ」と鞄から学生時代に中野さんがデザイン、工夫がいっぱいのジーンズの仕様を取り出して説明してくれましたが、これが傑作。例えば、洗濯をお知らせするセンサーの布が裏に貼ってある。白地の布が汚れてきたら洗濯の目安と言う説明ですが、それって意味ある?とみんな腹を抱えて大笑い。作れば作るほど赤字で、5本か、6本売れたそうですが、もう当時から「布が好きだったんだよな」というつぶやきに、中野さん、花想容の原点があるように思いました。

呉服業界の、キャリアのある人ほどで「きもの離れで、大変だ」と悲観していますが、アレコレの周りは「キモノ大好き。もっともっと知りたいし、着たい」という人ばかり。”きもの離れ”なんて微塵も感じません。この落差、一体何なのでしょうか。もしかしたら「きもの好き度」「きもの着用度」の違いなのではないか、と密かに思っているのですが。


代官山へ。

2011-02-05 | きもの

毎月5日は月刊アレコレの発行日。そのため3~4日は購読者や取材した方々への掲載誌の発送に大わらわ。お陰様で毎月読者が増え、1日では発送を終えることが出来ないくらいになり、嬉しい悲鳴です。今月は2号続けて、きものの「寸法」を特集。さまざまな仕立てや寸法の都市伝説を検証して、着やすい、美しい着姿のきものの寸法、仕立てについて特集しています。中々奥の深い話ばかりでページ数が足らず、今月は前編です。是非、お手にとってご覧下さい。

何とか午前中に発送を終え、代官山へ。 コートがいらないほどの暖かさで、そういえば立春。日射しが本当にきらきらと優しい、気持ちいい日です。お目当ては古民家を改装したギャラリー無垢里。川越の笠間呉服店が、川越唐桟の展示会を開催しているのを拝見に。いったんは採算に合わず、しかも後継者おらず、高齢のため廃業を決めた川越唐桟の織物工場・西村織物でしたが、地元の若手、笠間さんもその1人ですが、「頑張って売りますから」との熱意に負け、身体が続く限りとまた織り始めた川越唐桟。木綿ですが絹のような光沢と軽さは、魅力です。西村さんは単に続けるだけでなく、今回も新柄が幾つかあり、意欲的なきものへの想いが伝わってきます。古民家の板の間、柔らかな日射しが反物を雰囲気よく演出していました。川越唐桟を知って貰おうと、川越からわざわざ東京で展示会を開催してから今年で5年目。初日でしたが、程いい混み具合でした。最近、地方の呉服店や地方にあるのネットショップが、東京で展示会を開くケースが目立って増えています。若手の企画力、動きは今後益々注目です。


密偵たちの宴

2011-01-26 | きもの
池波正太郎の人気小説「鬼平犯科帳」の中に「密偵たちの宴」と題した1編があります。鬼平が使う密偵は皆、鬼平に捕縛された元盗賊たち。その盗賊、いま密偵たちが深夜集まり、昨今の畜生働きを憎み、昔の血が騒ぎ、真のお盗めとは何か、お手本を見せてやろうと話がまとまり、では…というストーリー。シリーズの中でも異色の作品で、好きな作品です。本日のお話しは、密偵ではありませんが、先日それぞれ違う某全国規模の大手呉服店にいたお二人とお話をする機会がありました。それこそ「いまだからいえるけど」という話ばかりで、聞いている方もその裏話には興味津々で、周りをうかがうようにして話し込んでしまった。当時は組織の1員として頑張ってきた自分に誇りを感じながらも、二人とも一抹の後ろめたさ、済まないさを持っているという。だから退社した訳でもないと思うのだが、きものへの思いや愛情、買う人、着る人のためにというお店があり、自分たちは使命に燃えて仕事をしているというより、毎月の催事の商品をどう売るか、店頭の客のキャッチの仕方とか、売り込み方とか、ばかりで精一杯。売上げ目標を達成することが目的で邁進する日々。また本部からのマニュアルは、着る人、お客としての自分から見ると不可解なことも多いが、そんな疑問や1人1人のお客佐mナオコtを考えて、きものを勧めする、相談に乗る、というような自由や余裕が持てない。またそのための知識や情報がなく、きもの初心者にも、ましてきものを着る人は、とても太刀打ちできるだけの知識や見識のあるスタッフが少ないので、「勧めに弱い人」や「コレクターのような人」をターゲットにして「お似合いですよ」「お値打ちですよ」「もう二度と出会えないですよ」「安いでしょ」などの常套句を駆使して、「筋」のない売り方の毎日で、いいのだろうかと疑問の日々。研修も集客のお土産や特典、売るテクニックは細々と教えても、きものの歴史やしきたりは一通りで、舞台の台詞を覚えるように、催事前に覚え、次の催事商品になれば、前のことはほとんど忘れてしまう。体系だった知識が身につかない。本部からの指示で、店頭は動くから、お客様にもそれぞれの方の暮らしぶりにあった、筋や体系だったきものがお勧めできない。持っていないきものや化けるきもの、珍しいきものなど、バラバラ。企業本位に商品を調達し、売る。そこにお客様1人1人のきもの暮らしぶりを勘案する余地は少な区、きものが好きでに入社したのに、売れば売るだけ「これでいいのだろうか」という思いが黒雲のような増える。「黒留め袖の長襦袢、ピンクでもOK!」「姪御さんの結婚式、訪問着でも大丈夫ですよ」明らかに素人目にも繊難なのに「いい正絹生地使っていますよ」とは、あきれる思い。某大手では、「大丈夫!」って言われましたと言いつのるお客に、お客もお客だが、そのいい加減さに同じ呉服屋として「社会害悪だ」と憤慨している呉服店主がいまスが、まさに思いは同じ。「今どきは」を枕言葉にすればいい加減な情報も許されると思っているのか、いい加減に、誤った情報、知識をお客様に教え、きものを勧めるのは、プロとして恥で、情けないような状態で店頭に立たせている。「売れる人、数字」が偉い。とてもとてもここでは書けないような「ある種あざとい、それってだましと弱みにつけ込む」テクニックの様々は、さすが、というか、感心するほど研究されている。やり手の店長だった2人だけに変に感心させられてしまった。それでも有難いことに「熱心に勧めて貰って」「きものとの出会いをつくって頂いて」など、感謝を沢山お客様から頂いたのが、せめてもの救い、とはいうものの、幾ら儲けようと、どんな商品を売ろうと、どんな仕入れ方しようが、企業努力で工夫したまでのこと。売上げの大きさはお客様の満足の証。どこが悪いの。社会的に、悪いことをしているわけでは勿論ない。お土産や特典、食事を楽しみにし、喜んで下さるお客様が沢山いる。それらは会社の好意ではなく、商品価格にその1部、或いは全部がサービス?経費として自分たちが負担していることもお客様は知っている。確かに。「どこがおかしい」と開き直られれば、「そんな商売は…」といえども、社員を食わせ、儲けて税金を払ってゆく社会的責任がある、という。確かに。でも天に恥じない「商売の仕方、儲け方」というのがあるのではないか、といえば、せせら笑いが聞こえるようで、虚しいことおびただしい。悪貨は、良貨を駆逐する。世の中は目明き千人、盲千人、というから仕方がないか。せめて、賢いお客様になること、としか言いようがないかと、3人が3人とも心が晴れず、苦い酒を飲みながら考えさせられてしまった。密偵たちのように、世を正す、なんて行動は出来ないが、せめてこの次は、こんな思いはしな呉服店に勤めたい!という。