驚きです。最近、このブログを訪問する人の数(IP数)が、今までになく高水準です。それに付随して、ページビュー数も多く、ブログを管理する人間としてはうれしい限りでございます。
ただ、残念なのはどのような方々がご覧になっているのかが、こちらからは全くわからないことです。ですから、たまにコメントがあると嬉しくなり、それに対して真剣に返答をしてしまいます。
現在、我が同好会はある案件を抱えているので、長い文を投稿できませんが是非ともこれからも、このブログをよろしくお願いいたします。
「ある案件」については、まとめて後でお話しいたしますので、ご承知を。(了) 執筆:会長
ただ、残念なのはどのような方々がご覧になっているのかが、こちらからは全くわからないことです。ですから、たまにコメントがあると嬉しくなり、それに対して真剣に返答をしてしまいます。
現在、我が同好会はある案件を抱えているので、長い文を投稿できませんが是非ともこれからも、このブログをよろしくお願いいたします。
「ある案件」については、まとめて後でお話しいたしますので、ご承知を。(了) 執筆:会長
上水高校非公式サイトが工事中になっていましたね。工事が完了したらどうなってしまうのでしょうか?
お知らせしておきますが、「ブラックなアート集」は少しの間お休みさせていただきます(諸事情によって)。その間に、ネタを仕込んで起きますのでお楽しみに・・・。 執筆:会長
お知らせしておきますが、「ブラックなアート集」は少しの間お休みさせていただきます(諸事情によって)。その間に、ネタを仕込んで起きますのでお楽しみに・・・。 執筆:会長
昨年10月21日に設立された社会科同好会も、すでに1周年をこえました。そして本日の活動で、通算活動回数が「100回」となります!
1年間、皆様の応援があり、ここまでやって来れました。
さらに、今年の10月12日から始まったこのブログ。昨日、閲覧ip数が31ipとなり、はじめて30の大台を超えました(ちなみに、昨日の閲覧数は110pv)。
今後も社会科同好会、および本公式ブログともどもよろしくお願いします。(執筆:研究関連担当代表)
1年間、皆様の応援があり、ここまでやって来れました。
さらに、今年の10月12日から始まったこのブログ。昨日、閲覧ip数が31ipとなり、はじめて30の大台を超えました(ちなみに、昨日の閲覧数は110pv)。
今後も社会科同好会、および本公式ブログともどもよろしくお願いします。(執筆:研究関連担当代表)
久しぶりに上水高校のニュースです。
平成18年度の上水高校PTA役員選考の被推薦者(自薦・他薦問わず)が、不足し、役員を選考するにもことを欠いているもようです。
これは、本日配布されたPTA発行のプリントからわかったもので、推薦状の回収率が大変低かったそうです。どなたか、我こそはというお人はぜひ宜しくお願いいたします。
それにしても、職業婦人の多い現代社会において、このようなシステムが成立するかどうかは、目に見えていたと思うのですが・・・。新設校なのに妙に復古的な制度が、様々なところに散見される上水高校でした。 執筆:会長
平成18年度の上水高校PTA役員選考の被推薦者(自薦・他薦問わず)が、不足し、役員を選考するにもことを欠いているもようです。
これは、本日配布されたPTA発行のプリントからわかったもので、推薦状の回収率が大変低かったそうです。どなたか、我こそはというお人はぜひ宜しくお願いいたします。
それにしても、職業婦人の多い現代社会において、このようなシステムが成立するかどうかは、目に見えていたと思うのですが・・・。新設校なのに妙に復古的な制度が、様々なところに散見される上水高校でした。 執筆:会長
「多角化」と書くと、ダイエーとかカネボウと言ったような企業が思い起こされ、ちょっと危ないのではないかと思ってしまいます。
社会科同好会も設立当初の活動は、社会科に関する研究ぐらいであり、その一環として特別研修旅行を行うぐらいでした。ですから設立当初では、このようなブログを作ったり、公式ホームページを作ったりするような計画はありませんでしたし、広報「上水社会ニュース」も想定外でした。
さらに想定外なのは、放送部と協力して「映像作品」を放送大会(高文連)に出品すると言うことです。
想定外といいましたが、設立当初の活動範囲であった社会科に関する研究と言っても、図書室やパソコン室で資料を入手して、活動場所で黙々と資料等を利用して研究すると言うだけであり、大変退屈なものでありました。
それに加え、しっかりとした意欲がある人しか入会させないという、自らの首を絞めるような自主規制が存在していたことによって、わが同好会はさらに苦しい位置に立たされていました。
私としては、できるだけ社会科同好会の間口を広くし、必ずしも研究をしなくてもよいのではないかという方針なので、今年度に入ってからは徐々に規制を緩和させてきました。われわれのような弱小の団体(今はそうでもありませんが。)は積極的に外へ向けて、何かを発信しないと生き残っていくことが出来ませんので、様々な方法で情報・宣伝活動(同好会では情報の探知・収集もやりますよ。)を行ってきました。
その活動が功を奏したのか、わが同好会の活動に参加する生徒は10名を超え、活気に満ちてきました。これからも、校内外の皆様に向けてわかりやすく、正しい情報や、社会科同好会からのお知らせをお伝えできるよう精進いたしますので、宜しくお願いいたします。 執筆:会長
社会科同好会も設立当初の活動は、社会科に関する研究ぐらいであり、その一環として特別研修旅行を行うぐらいでした。ですから設立当初では、このようなブログを作ったり、公式ホームページを作ったりするような計画はありませんでしたし、広報「上水社会ニュース」も想定外でした。
さらに想定外なのは、放送部と協力して「映像作品」を放送大会(高文連)に出品すると言うことです。
想定外といいましたが、設立当初の活動範囲であった社会科に関する研究と言っても、図書室やパソコン室で資料を入手して、活動場所で黙々と資料等を利用して研究すると言うだけであり、大変退屈なものでありました。
それに加え、しっかりとした意欲がある人しか入会させないという、自らの首を絞めるような自主規制が存在していたことによって、わが同好会はさらに苦しい位置に立たされていました。
私としては、できるだけ社会科同好会の間口を広くし、必ずしも研究をしなくてもよいのではないかという方針なので、今年度に入ってからは徐々に規制を緩和させてきました。われわれのような弱小の団体(今はそうでもありませんが。)は積極的に外へ向けて、何かを発信しないと生き残っていくことが出来ませんので、様々な方法で情報・宣伝活動(同好会では情報の探知・収集もやりますよ。)を行ってきました。
その活動が功を奏したのか、わが同好会の活動に参加する生徒は10名を超え、活気に満ちてきました。これからも、校内外の皆様に向けてわかりやすく、正しい情報や、社会科同好会からのお知らせをお伝えできるよう精進いたしますので、宜しくお願いいたします。 執筆:会長
同好会の特別研修旅行を奥多摩で行い、様々な危険があったことは昨日、このブログでも述べましたが、あの神社会談に匹敵する危険がまた、行程路中にありました。
それは、「吊り橋」でした。
行程は多摩川上流に沿って歩いたのですが、途中にあった吊り橋の最大積載人数?がなんと5人でした。おぉ、これはおもしろいと思い、吊り橋を勇んでわたったのですが何とも足元がしっかりせず、雲の上を歩いているような感覚でした。
しかも、5人という制限をものともせずに後続が続いたため、大変心配でしたが日本の工業製品は優秀なのでしょうか、無事にわたりきることに成功しました。
帰りは、あのスリルを覚えてしまったため結構楽しめました。
今回の特別研修旅行で危険だったことは、これと昨日述べたものだけで、多くの経験や楽しみを得ることができたので、新入生の皆様は怖がらずに社会科同好会の門をたたいてください。第5回特別研修旅行の詳しいことは今後、研修活動担当代表が書く記事や、部報「JS社会第3号」をご覧ください。(終わり) 執筆:会長
それは、「吊り橋」でした。
行程は多摩川上流に沿って歩いたのですが、途中にあった吊り橋の最大積載人数?がなんと5人でした。おぉ、これはおもしろいと思い、吊り橋を勇んでわたったのですが何とも足元がしっかりせず、雲の上を歩いているような感覚でした。
しかも、5人という制限をものともせずに後続が続いたため、大変心配でしたが日本の工業製品は優秀なのでしょうか、無事にわたりきることに成功しました。
帰りは、あのスリルを覚えてしまったため結構楽しめました。
今回の特別研修旅行で危険だったことは、これと昨日述べたものだけで、多くの経験や楽しみを得ることができたので、新入生の皆様は怖がらずに社会科同好会の門をたたいてください。第5回特別研修旅行の詳しいことは今後、研修活動担当代表が書く記事や、部報「JS社会第3号」をご覧ください。(終わり) 執筆:会長
昨日、玉川上水の本流である多摩川の原点を探るという事で、奥多摩へ行きました。奥多摩ビジターセンタから羽黒三田神社、槐木、白髭神社、しだらくの吊り橋、鉄道(廃線)トンネル、をまわり奥多摩湖へ至るルートを歩みました。私自身が青梅の者なので、ある程度察しはついていたのですが、山あり谷ありの険しい道で、とても疲れました。(今日現在も足に違和感が残っています)
奥多摩ビジターセンタから表街道を離れ旧街道へと入ってすぐのところに羽黒三田神社への参道があります。ここの階段が総計215段に及び、約45mほどの高台(1段20㎝での概算)まで登ったところ何もなかったので結局もと来た道を引き返す羽目になりました。その後、時代劇にでも出てきそうな(奥多摩は実際にロケを行うらしい)山道を歩き、とても人家があるとは到底思えない崖沿いところに集落があり、そこを歩くと今ではあまりお目にかかれないような古民家があったり、多摩川の渓谷に架かる吊り橋を渡り、崖崩れで通れないため大幅な迂回をしたり、ダム建設用の廃線軌道のトンネルを通りと…、今までにない研修旅行になりました。また途中から恐れていた雨も降って来るという条件の中やく5時間ほどかけて歩き通しました。とても険しい道でしたが、がけの上から見えた、静かに佇む奥多摩湖は、優美なものでした。
昔から様々な旅人が往来したこの道も今では、ハイカーぐらいしか通らない静かな道になっていました。途中茶店があった跡はあり、青梅の旧街道なので、この険しい道を昔の旅人たちは遙か江戸、甲府へと歩んでいったのだと考えると、感慨深くさせられます。
やったのことで着いた奥多摩湖も昔は小河内の静かな集落があった地で、ダムの建設の際に強制退去が命じられ、泣く泣くこの地を捨てた人もたくさんいて、また建設の際に多数の方の尊い命が失われたという悲しい現実もあったそうです。
今となっては多摩有数の観光地となり、その当時の面影は見る影を失いましたが、このような人々の悲しい現実の上に建つこの施設を大切にしていくことが必要です。
この後、バスに乗り、奥多摩駅へと戻ったのですが5時間かけて歩いた道なのですが乗車時間はわずか15分ほど、今となってはどこへでもすぐに行ける世の中になりましたが、昔の人は相当な苦労を強いられていたのだとつくずく考えさせられました。
(おわり)
著者:特別研修旅行担当者会副代表(総合統括副代表)
追伸:私のブログでも共同公開中です。
特別研修旅行(個人ブログ版)
奥多摩ビジターセンタから表街道を離れ旧街道へと入ってすぐのところに羽黒三田神社への参道があります。ここの階段が総計215段に及び、約45mほどの高台(1段20㎝での概算)まで登ったところ何もなかったので結局もと来た道を引き返す羽目になりました。その後、時代劇にでも出てきそうな(奥多摩は実際にロケを行うらしい)山道を歩き、とても人家があるとは到底思えない崖沿いところに集落があり、そこを歩くと今ではあまりお目にかかれないような古民家があったり、多摩川の渓谷に架かる吊り橋を渡り、崖崩れで通れないため大幅な迂回をしたり、ダム建設用の廃線軌道のトンネルを通りと…、今までにない研修旅行になりました。また途中から恐れていた雨も降って来るという条件の中やく5時間ほどかけて歩き通しました。とても険しい道でしたが、がけの上から見えた、静かに佇む奥多摩湖は、優美なものでした。
昔から様々な旅人が往来したこの道も今では、ハイカーぐらいしか通らない静かな道になっていました。途中茶店があった跡はあり、青梅の旧街道なので、この険しい道を昔の旅人たちは遙か江戸、甲府へと歩んでいったのだと考えると、感慨深くさせられます。
やったのことで着いた奥多摩湖も昔は小河内の静かな集落があった地で、ダムの建設の際に強制退去が命じられ、泣く泣くこの地を捨てた人もたくさんいて、また建設の際に多数の方の尊い命が失われたという悲しい現実もあったそうです。
今となっては多摩有数の観光地となり、その当時の面影は見る影を失いましたが、このような人々の悲しい現実の上に建つこの施設を大切にしていくことが必要です。
この後、バスに乗り、奥多摩駅へと戻ったのですが5時間かけて歩いた道なのですが乗車時間はわずか15分ほど、今となってはどこへでもすぐに行ける世の中になりましたが、昔の人は相当な苦労を強いられていたのだとつくずく考えさせられました。
(おわり)
著者:特別研修旅行担当者会副代表(総合統括副代表)
追伸:私のブログでも共同公開中です。
特別研修旅行(個人ブログ版)
いつも、本ブログヲご覧下さいましてありがとうございます。
10月12日(水)の開設から、まもなく1ヶ月になります。11月5日(土)までの4週間の、合計アクセス状況を公表いたします。
閲覧数:1694ヒット
アクセスIP数:469ip(同一のIPは、1日1回のアクセスのみカウントされます)
記事件数:55件(本日現在公開中のもの)
これからもご愛読下さい。(執筆:研究関連担当代表)
10月12日(水)の開設から、まもなく1ヶ月になります。11月5日(土)までの4週間の、合計アクセス状況を公表いたします。
閲覧数:1694ヒット
アクセスIP数:469ip(同一のIPは、1日1回のアクセスのみカウントされます)
記事件数:55件(本日現在公開中のもの)
これからもご愛読下さい。(執筆:研究関連担当代表)
プロローグ
平成17年11月6日(日)、少々危うい天候の中、第5回特別研修旅行~奥多摩むかしみち~が実施されました。欠席は2名で参加者は8名(構成員は7名)でした。参加率は約77.7%で、前回の37.5%を上回りました。
早くも第5回目となった「特別研修旅行」。賑々しく実施された今回のイベントを、今、文字でふり返ります。
尚、来年春発行の「部報 JS社会」第3号にて、この連載に準じたものが掲載される予定ですが、肖像権の関係上、この連載の内容は部報掲載予定のものより格が下がりますので、その点はご了承願います。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)
※第2回は12日(土)頃掲載予定です。
平成17年11月6日(日)、少々危うい天候の中、第5回特別研修旅行~奥多摩むかしみち~が実施されました。欠席は2名で参加者は8名(構成員は7名)でした。参加率は約77.7%で、前回の37.5%を上回りました。
早くも第5回目となった「特別研修旅行」。賑々しく実施された今回のイベントを、今、文字でふり返ります。
尚、来年春発行の「部報 JS社会」第3号にて、この連載に準じたものが掲載される予定ですが、肖像権の関係上、この連載の内容は部報掲載予定のものより格が下がりますので、その点はご了承願います。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)
※第2回は12日(土)頃掲載予定です。
本日は第5回特別研修旅行を奥多摩で行いました。今回の活動では、初めて同好会の活動の中で生命の危険を感じました。具体的に説明いたしますと、行程中(奥多摩駅~小河内ダム)にある神社を訪ねようとしたところ、その神社へ行くにはどうやら急な階段を登らなければならなかったのです。
手すりなし、滑りやすい、急傾斜、数十メートルに亘って踊り場なし、頂上が見えないの5拍子でした。そういった危険を冒して登頂したのですが、拝殿が見当たらないのです。おそらく、山全体が神社だと言う考えなのでしょうか。
仕方が無いので、あの階段を今度は下って行程路に戻りました。
まあ、生命の危険を感じたとは言っても、こうして原稿を書いているのだから確実に生きているのは事実です。 つづく・・・ 執筆:会長
追伸 昨日のアクセスIP数が28でした、なかなか多いほうです。この調子でアクセスしていただきたいと思います。あっ、ちなみにHGのセリフは封印です。
手すりなし、滑りやすい、急傾斜、数十メートルに亘って踊り場なし、頂上が見えないの5拍子でした。そういった危険を冒して登頂したのですが、拝殿が見当たらないのです。おそらく、山全体が神社だと言う考えなのでしょうか。
仕方が無いので、あの階段を今度は下って行程路に戻りました。
まあ、生命の危険を感じたとは言っても、こうして原稿を書いているのだから確実に生きているのは事実です。 つづく・・・ 執筆:会長
追伸 昨日のアクセスIP数が28でした、なかなか多いほうです。この調子でアクセスしていただきたいと思います。あっ、ちなみにHGのセリフは封印です。
3章:「小平」誕生の章(つづき)
4、字名整理
市制施行とともに、字名の整理が行われた。
実をいうと、市制施行まで、小平の地理区分はほとんど享保年間の新田開拓で生まれた村のままであった。
このため、次のような弊害があった。
・長く、しかも似ている字名がある
野中新田与右衛門組・野中新田善左衛門組など。こんなのが住所だったら、書くのが大変である。
・区域が大きい
最も面積の大きい小川は、小平町の約三十八%を占めていた。
・飛び地がある
野中新田善左衛門組の最も離れている所は、約三・五キロ。
このような理由から字名整理が行われ、小平の地名は現在あるとおりの区分けとなった。小平の町名を、次に挙げておく。
・小川町
・小川西町(にしまち)
・小川東町(ひがしちょう)
・大沼町
・学園西町(にしまち)
・学園東町(ひがしちょう)
・喜平(きへい)町
・栄町
・上水本町(ほんまち)
・上水南町
・上水新町(しんまち)
・鈴木町
・たかの台
・津田町
・天神町
・中島町
・仲町
・花小金井町
・花小金井南町
・美園町(みそのちょう)
・御幸町(みゆきちょう)
・回田町(めぐりたちょう)
平成十七年七月一日現在、小平市の人口は十七万六七〇七人である。
このように、小平市は着実に発展してきた。現在、小平は大きく開発され、地名も抜本的に変更されたため、かつての面影は薄くなった。しかし、玉川上水や小平グリーンロードなど、かつてをしのぶことの出来る場所は、今も残されている。<完>
【参考文献等一覧】
大日本印刷株式会社CDC事業部年史センター・編「小平市三〇年史」小平市(1994)、大場磐雄・監修「多摩の歴史3」武蔵野郷土史刊行会(1975)、郷土こだいら編集委員会・編「郷土こだいら 第三版」小平市教育委員会(1971)、上田正昭他・監修「講談社版日本人名大辞典」講談社(2001)、平凡社・編「日本史事典」平凡社(2001)、ウエストタウンズ、『週刊朝日百科日本の歴史新訂増補 第十一巻「醐醍醐と尊氏」』朝日新聞社(2002)、埼玉県立歴史資料館「古道を歩く―鎌倉街道歴史探訪―」奥武蔵古文化研究会(2000)
※ご愛読ありがとうございました。11日(金)ごろから、新連載「奥多摩をゆく(仮称)」をはじめます。(執筆:研究関連担当代表)
4、字名整理
市制施行とともに、字名の整理が行われた。
実をいうと、市制施行まで、小平の地理区分はほとんど享保年間の新田開拓で生まれた村のままであった。
このため、次のような弊害があった。
・長く、しかも似ている字名がある
野中新田与右衛門組・野中新田善左衛門組など。こんなのが住所だったら、書くのが大変である。
・区域が大きい
最も面積の大きい小川は、小平町の約三十八%を占めていた。
・飛び地がある
野中新田善左衛門組の最も離れている所は、約三・五キロ。
このような理由から字名整理が行われ、小平の地名は現在あるとおりの区分けとなった。小平の町名を、次に挙げておく。
・小川町
・小川西町(にしまち)
・小川東町(ひがしちょう)
・大沼町
・学園西町(にしまち)
・学園東町(ひがしちょう)
・喜平(きへい)町
・栄町
・上水本町(ほんまち)
・上水南町
・上水新町(しんまち)
・鈴木町
・たかの台
・津田町
・天神町
・中島町
・仲町
・花小金井町
・花小金井南町
・美園町(みそのちょう)
・御幸町(みゆきちょう)
・回田町(めぐりたちょう)
平成十七年七月一日現在、小平市の人口は十七万六七〇七人である。
このように、小平市は着実に発展してきた。現在、小平は大きく開発され、地名も抜本的に変更されたため、かつての面影は薄くなった。しかし、玉川上水や小平グリーンロードなど、かつてをしのぶことの出来る場所は、今も残されている。<完>
【参考文献等一覧】
大日本印刷株式会社CDC事業部年史センター・編「小平市三〇年史」小平市(1994)、大場磐雄・監修「多摩の歴史3」武蔵野郷土史刊行会(1975)、郷土こだいら編集委員会・編「郷土こだいら 第三版」小平市教育委員会(1971)、上田正昭他・監修「講談社版日本人名大辞典」講談社(2001)、平凡社・編「日本史事典」平凡社(2001)、ウエストタウンズ、『週刊朝日百科日本の歴史新訂増補 第十一巻「醐醍醐と尊氏」』朝日新聞社(2002)、埼玉県立歴史資料館「古道を歩く―鎌倉街道歴史探訪―」奥武蔵古文化研究会(2000)
※ご愛読ありがとうございました。11日(金)ごろから、新連載「奥多摩をゆく(仮称)」をはじめます。(執筆:研究関連担当代表)