都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

第1期社会科部は平成21年3月12日消滅。本ブログは現在活動中の新生「社会科部」様や都立上水高校とは一切関係ありません。

受信料払っているぞゴルァ!!!

2005年11月03日 21時52分45秒 | Weblog
 ゴルァとは、2003頃まで2ちゃんねるで使用されていた用語です。最近はあまり聞きませんね。時の流れを感じます。
 今日、たった数時間前に日本一大きい有料チャンネルがとんでもないことをしてくれました・・・。これについては、状況が許し次第、じっくりお話します。
 今、話すとちょっとやばい事になってしまうので・・・。
                                執筆:会長

ほたるいかの墓

2005年11月03日 17時00分25秒 | Weblog
 いきなりすみません、アホな題名で。
 本日、私は予備校の模試(進研模試)があったので、ほぼ一日家にいませんでした。
 各教科の出来は 国語(現代文・古文・漢文)・・・下落
         英語・・・平年並み
         政経・・・確変
 なぜ政経を確変(確立変動の略)と書いたかと言うと、政経の問題に私が得意な自衛隊、国会の問題が多いこと多いこと。
 少なくとも、8割がたは正解したでしょう。これで○政大学や中○大学の合格確立判定にBがつくこともありえます。ククッ(笑)
 さあ明日からまた、頑張りませう!           執筆:会長

小平市の歴史 第9回

2005年11月03日 16時42分46秒 | 【連載】小平市の歴史(完結)
3章:「小平」誕生の章(つづく)
2、小平町
 小平村に町制が施行されたのは、太平洋戦争終盤の昭和十九年(一九四四年)二月一一日だった。当時、人口は一万五六〇〇人。まだ人は少なく、町の中心地というものが無かった。
 東京府から視察に来た役人を迎えるにも、一台の乗用車のない村では、二台あったオート三輪車を急ごしらえの「乗用車」にしたてたほどであった。府の役人も小平に中心がないので「一体どこが町になるのだ」と皮肉を言ったと伝えられるほどであった。(「郷土こだいら」より引用)
3、小平市
 町制執行の翌同二十年(一九四五年)、太平洋戦争が終結した。戦後、小平は急激に変化する。町制執行から昭和三十七年(一九六二年)に市になるまでの十八年で、小平の人口は三・八倍の四万四千人に増えたのである。
 一時は国分寺町・小金井町との合併を模索するも果たせなかった。だが、昭和三十五年(一九六〇年)十月一日現在の国勢調査で人口五万二九二三人、三多摩各町では一位、全国の町では二位という記録を出した。
 その二年後の昭和三十七年(一九六二年)十月一日、小平町は市制が施行され、全国で五五八番目、東京都下十一番目の市として「小平市」が生まれた。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)