都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

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小平市の歴史 第8回

2005年11月02日 21時49分47秒 | 【連載】小平市の歴史(完結)
3章:「小平」誕生の章
1、小平村
 江戸幕府が滅亡し明治時代に入ると、小平の村々は二つの県に別々に編入した。しかし、明治五年(一八七二年)、小平の村々は全て神奈川県に編入された。
 明治政府は明治二十一年(一八八八年)四月、市制・町村制 を公布し、近代国家建設のため江戸時代のままの小規模な村を次々と合併させ、財政能力を強め、行政システム向上に努めた。
 このため翌同二二年(一八八九年)四月一日、小川村・小川新田・大沼田新田・野中新田与右衛門組・野中新田善左衛門組・鈴木新田・廻り田新田の各村が合併し、小平村が誕生した。
 「小平」という地名はこの時生まれたのだが、この村名決定は難航した。七村の頭文字をくっつける案、七村のうちいずれかの名を選ぶ案、七村の合併なので「七里村」とする案などが出されたが、次の由来から「小平」と決定した。
  ・「小」・・・最初に開拓された小川村から
  ・「平」・・・平らな地形であることから
 四年後の明治二十六年(一八九三年)四月一日、小平村を含む北多摩郡・西多摩郡・南多摩郡の三多摩は東京都に移管した。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)