ダビスタ04ノーリセット日記

2004年の発売当初からエンディング目指して苦闘し続けていまだに果たせずにいる男の、ある意味ライフログ

雪の日経新春杯ならぬ、雨の天皇賞でした。<その1>

2005年12月24日 02時04分46秒 | きりん牧場史
さあブルースクイーズと福永騎手。ブルースクイーズと福永騎手。はたして手応えはどうか、手応えはどうか。まだ楽に行っている。少し離れてメイショウドトウがその後ろだ、メイショウドトウがその後ろだ。ああっとブルースクイーズちょっとおかしいぞ。
ああっとブルースクイーズおかしいおかしいおかしい。後退した、ブルースクイーズが後退した。福永騎手がちょっと後ろを見ている。これはどうしたことか、これはどうしたことか。故障か?故障か?
ああっと故障か?ブルースクイーズは故障か?これは故障か?
ブルースクイーズは競争を中止した間に、中止した間に故障か?故障か?故障か?
ブルースクイーズ、これはえらいこと。これはえらいことになりました。



基礎牝馬にしようと思い、ノーザンダンサーの2×3というキツいクロスは承知で買ったサドラーズウェルズの牝馬(97)は、意外なことに競走馬としても大成功してくれた。牡馬混合のG1を4勝など11億円を稼ぎ、凱旋門賞にも出走したのだった。
繁殖に上がってもドバイに挑戦した殿堂入り牝馬(654)オークス馬(661)を出し、まずまず子出しも上々だった。

このサドラーズウェルズ牝馬(97)が登場するまで、牧場の最強牝馬といえば、牧場初のG1ホースであるオークス馬(16)が生んだ、天皇賞春秋連覇の牝馬(27)のことだった。が、この初代最強牝馬(27)はG1ホース2頭を輩出するも、血脈を残せずに終わった。しかし、この初代最強牝馬(27)には全妹(34)がいた。

その最強牝馬の全妹自身(34)は、G2とG3をそれぞれ1勝に終わったが、繁殖に上がって5頭目の産駒である快速牝馬(70)がマイルのG1を3勝し、伝統の血脈を継ぐものと思われた。しかし、その伝統を受け継ぐはずの彼女(70)は、マイルのG1レース3連勝を飾ったマイルチャンピオンシップの次走に選んだ有馬記念で帰らぬ馬となってしまった。

そんな悲運の血統の最後に残ったのが、最強牝馬の全妹(34)の最後の産駒となったインディアンリッジの牡駒(91)である。

生まれた時から時から大型だった以外には、取り立ててスピードがあるでもない目立たない仔馬だった彼(91)は、体質の弱さや3歳暮れの骨折による休養もあり5歳春までは重賞勝ちも無い普通のオープン馬だった。が、5歳秋の京都大賞典でメジロブライト・ヒシミラクル・シルクジャスティスなどを相手に鮮やかな逃げ切り勝ちで初重賞を飾る。体調を崩して天皇賞を回避するも、ジャパンカップを2着に逃げ粘ると、有馬記念でも逃げてテイエムオペラオーを直線さらに突放という強いレースで制して見せた。

が、その後7歳まで走りG1の勝ち星を重ねることのできなかった彼(91)は、晩成の血統でもあり、産駒を残すのは難しいかに見えた。伝統の血脈を惜しんだ牧場主は種牡馬引退も迫った73年目の春に、彼(91)の最初にして最後の種付け相手として、前述の凱旋門賞にも出走したサドラーズウェルズ牝馬(97)を選ぶ。こうして生まれたのがブルースクイーズ(743)だった。

長くなったのでこの項続く・・・のか?


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2 コメント

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新しいカテゴリー? (おつかい)
2005-12-24 10:20:19
雪の日経新春杯…



まだ馬券を買う資金も乏しい頃…学生が競馬場へ行く、ということ自体がいろんな意味で抵抗があった頃(実際に、学生だろうということで捕まったり、始末書を書いたりした者もいた)だった。



当時は(システム的に)100円単位では馬券が買えず、バラ券という200円単位の勝ち馬投票券が最低単位(購入金額)で窓口は金額単位(500円券、1000円券など)ごとに分かれていて、並ぶ顔ぶれ(雰囲気)も窓口ごとに違う気がした。



生まれが函館市内(競馬場の近くでもないが)だったこともあって早くから競馬に親しんでいた者(仲間)もいた。キタノカチドキ、カブラヤオー、TTGと続く3年間は、われわれ先駆的近代競馬ファンの走り(笑)にとっては、競馬にはまらずにおくものか、という3年間であった。



雪の日経新春杯と聞くたびにバラ券を数枚握り締めて、友達の四畳半アパート14インチテレビの前で涙した“3人のおバカ”の姿がよみがえるのであった。



コメントになってませんが…
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新しいカテゴリーになるかどうか・・・ (きりん)
2005-12-25 00:03:23
実際の競馬なら、途絶えたとしても語り継ぐ価値のある血脈は、誰かが必ず語り継いでくれるわけですが、ウチの牧場のウチの血脈は自分が語るしかありません。といっても読者はおそらく「今よりちょっと年取った自分」だけな気もするわけですが。



あまりの出来事に、雪の日経新春杯の日の杉本アナのような気分になってしまいました。と言っても後付けで覚えた知識に過ぎませんが。



ちなみに自分が馬券を買い始めた頃はすでに中央競馬の馬券は磁気タイプだったワケですが、そのころ中央以上によく通いつめた大井や船橋はまだまだ200円、500円、1000円単位の紙の馬券が健在でしたね。



スタンドや場外に自分のような小僧が少しずつ目立ち始めた中央競馬に物足りなさを感じて、地方競馬に脚を運び始めたまだ未成年の自分でした。さすがにその頃の船橋競馬場では、自分のような小僧は浮いていましたが、それもまた嬉しかったのを覚えています。



「雪の日経新春杯」ですか?

まだ小学生だった自分はテレビのニュースか何かでそんな悲しい馬がいることを知り、ハイセイコーに続いて二番目に覚えた競争馬名としてテンポイントの名を記憶したのでした。
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