樹業人~風の通心

持続可能な社会や森林・建築・木製品について、気ままに こそっと考える為のネタ帳です。

びわ湖からは遠い山

2007-07-21 | 壊れかけてる森林
今日、彦根からびわ湖沿いを安土まで行き
R8から多賀に北上した。

最近でこそ 何箇所も橋を渡るたびに
「あの山あたりから流れてきた水ね」と思うが
平地に暮らして 遠くから山を見ていると
実感がわかなくて当たり前だなーとも思う。

最近は、本当に 松枯れがひどい。
日に日に増えていっている。

でも 遠くから見るといつもと変わらない。

木々の1本1本から ふわーっと白い雲の始まりが
空に向かって立ち上っていく光景。
この雲が またいずれ恵みの雨を降らす事になる。
( 時には暴れるが…)

山林組合の組合長さんが、春間じかになると
心配で雪の積もり具合を見に山に登る。
木の心配ではなく 水の心配をしいるのだ。

国道沿いの大きな店や工場を見なが車を運転していると
そんな事が 山でおこっている事など
遠い国の出来事のように思えてくる。

当たり前にある空気と水と森林。
命の根源が 森林にある事を忘れていると
「ニュース23」の「私の多事争論」で倉本総さんが
言っていた。

無くなってしまった過去の文明は ほとんどが
森林との付き合い方を間違ったものだ。

最近は、滋賀県=びわ湖の水を守りましょうという
スローガンを見ると 少々気分がよくない。
粛々と 損得なしに山の手入れをしてこられ
山が荒れている事を一番知っている本当の現場の声が
山でこだまするだけで どこにも届いていない。
「水を見て、森をみず」なるほどと思う。

なんとか子孫を残そうと杉は花粉を大量に出し
どんぐりのなる樹はたくさんの実をつけた後に
体力を消耗して虫に食われ枯れていく。

動けない樹が 不自然に枯れて行き
もう山には住めないと里に降りてきている動物たち。

警告は、いっぱいある。

山から離れてみると どうにかしなくちゃという
思いも山でこだましているだけだったような気がした。

はてさて。


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3 コメント

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Unknown (やまかん)
2007-07-22 00:00:45
山、森、湖、海、川、空・・・・・・。
無くなってからでは遅い。
無くならなければ解らない。
解っている者達だけで、がんばるしかない。
ただ、やるしかない。
30年前、40年前、50年前、ずっと前から、
解ってる者は やってきたのでしょう。

私の国には山がある、おいで一緒に私たちと。
私の国には川がある、おいで一緒に私たちと。
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日本の森林行政 (市川純雄)
2007-07-22 21:13:54
 海、湖、川の環境破壊はよく問題になりますが、森林は無視されていますね。日本の森林行政はどなっているのでしょう。社会保険庁ばかり攻撃されていますが、林野庁は森林保護にしっかり取り組んでいるのでしょうか。
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森林行政 (樹子)
2007-07-23 09:59:50
取組んでこなかった に近いかもしれません。
林野庁解体論もでてきてはいます。
社会保険庁の問題が出てきて、すくわれた感もあります。
だだ、与えられている役割や求められていた事が今までは狭かったのではないでしょうか。
「水を見て、森を見ず」の逆で山しか見られない役所でもあるのです。戦後の大造林も、その時は最善を尽くされたのだと思います。森林保護と林業というのは、相反する場合もあります。違った角度からみますと、森林は保護されてきました。おかげで、日本には今では手に余る程の森林が残っています。保護されてこなかったのは、森林ではなく林業なのかもしれません。
戦争やその後の復興に使われて、それまでのサイクルが狂い「業」として成り立つ木がまだ育っていなかった。その間に日本の状況は、ゴロッと変わり人の手が山に入らず、森林が荒れてきた。森林の半分以上は個人の持ち物なので、役所としては手が出しにくい。
間伐材までは、林野庁の仕事だけど その後の製品となると担当する省庁が違ってくる。木材貿易の自由化をしたのは、林野庁じゃないですしね。
「環境と経済」も一緒に面倒をみてくれるところがこれからは必要なのだと思います。
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