中山間地域の農業(米作)の今後の展望について、ある程度みえてきた。1.20ha以上の作付けをまとめてできるなら採算があう。100haとかなら十分利益も出る。ただ小さな田んぼが離れ離れではムリ。見渡す限りのところが一つの事業体(集落営農か農業法人)でやること。2.それより小さいところは単価高く安定して買ってくれるお客様を見つけること。お客様からみて有機、自然農、ライフスタイル、食料安全保障などメリッ . . . 本文を読む
イスラエルという国について、私は(たぶん多くの日本人は)、ナチスドイツによるホロコーストから逃れたか生き延びたユダヤ人がヨーロッパからやってきて作った国である、という素朴な認識でいた。
ユダヤ人というと私たちは真っ先に『アンネの日記』を思い浮かべる。ホロコーストから逃れようとして最後は犠牲になってしまった少女の物語だ。『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルも有名だ。彼はアウシュビッツ収容所の生 . . . 本文を読む
三重県鳥羽市を訪問、学生たちとフィールドワークを行った。鳥羽市は三重県南部、伊勢湾に面した海の街だ。市域の多くは伊勢志摩国立公園に指定されており、リアス式海岸の景色が美しい風光明媚なところである。四つの離島もある。主な産業は水産業と観光業だ。
観光業が盛んになったのにはお隣のまちに伊勢神宮があることがベースにある。伊勢神宮は江戸時代から続く日本最大の観光地と言って良い。ただ周辺には泊まる場所 . . . 本文を読む
「限られた島の生産力の上から見て、島の生産を飛躍的にのばすことはむずかしく・・・多くの島では野心的な意欲はほとんど消えて来ている。島がいたずらに年をとり若い者がいなくなったからである。そのためにも生産とは関係のない形で島の利用を考えるとすれば観光が大きくクローズアップされる。それも今までのように団体をつれて来て名所古蹟の案内をするのを観光と心得るならば、それの通用する島はごく少ない。大半の島には人 . . . 本文を読む
「貧は働く者にはつきものであり、病人でもかかえるとたちまち一家離散のうき目を見なければならないようになる。村の中ではそういう悲惨なものをできるだけくいとめようとして、いろいろの助けあいもした。助けあうといったところで、ただ物を持っていってやるというようなことは自分の生活をおびやかすことにもなるので、頼母子のような方法で持ちよって、貧家の立ちなおりをまって徐々にかえしてもらうのである。村に共有の広い . . . 本文を読む
【宮本常一との対話7】「日本人には個性の確立がないといい、とくに農民がそれが強いというが、交易を主として発達した都市社会ならば自らの利益をまもるために強い自己主張も必要だっただろう。が、そのためには一方では人間が人間を警戒しなければならなかった。だからそこにいつも信と不信の葛藤が見られた。だが農民の生活の中にはまず信頼と融和が要求せられたのではなかったか。・・・農民の家には築土をめぐらしたものは少 . . . 本文を読む
「ごく卑近な例であるが、私の家の始祖となった人は一種の田楽法師のようなものであった。・・・幼少の時ひどい疱瘡をわずらってあばた面になっており、生涯妻を持たなかった。長子であったが、そのため一生食えるだけの田畑をもって分家し、しかも自分はほとんど田畑に出て働くことがなく、人を使って耕作し、ただ遊んで暮らしていた。声がよくて歌をよくおぼえ、田植の頃になると田植しているほとりに立って太鼓を打ち田植歌をう . . . 本文を読む
「こうした仮りの親子の契りは実の親子についで大事にされ、吉凶禍福あらゆる場合に親子が行き来して助けあったものである。だから実の親に力がなくてもよい仮親をとっておいてやりさえすれば、その子が食うに困るということは少なかった。・・・ しかし子になったものは親方に対して恩はむくいなければならなかったし、また義理もはたさなければならなかったから、それでは主従的な関係も生まれたであろうと考えられるが、そうい . . . 本文を読む
「わたしは少数の仲間で昭和二九年から山村の生活実態調査にしたがっている。・・・それらの中には、林野面積が八○パーセント以上の村が七○以上にのぼっている。いずれも僻村といってよいところである。そして過去においてははなはだしい窮迫の見られたところである。
しかしそれらの村々がすこしずつ前進している。その前進させているものは何かというと、大体においてスギの造林をおこなっていることと、林道の開設である . . . 本文を読む
「会社のオフィスに着く。机の上には万能事務装置がのっている。おれが椅子にかけると、それでスイッチが入り、事務装置がささやくように言った。
『あなたとお会いできて、うれしいわ。きのうあなたとお別れしてからのわたし、ずっとさびしくてさびしくて、たまらなかったのよ・・・』」星新一『未来いそっぷ』新潮文庫1982年p.144.(初出は新潮社、1971年)
昨年、ChatGTPが登場して . . . 本文を読む