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樹業人~風の通心

持続可能な社会や森林・建築・木製品について、気ままに こそっと考える為のネタ帳です。

ライフサイクルアセスメントと住まい

2017-01-14 | 持続可能な社会

一年に一度の投稿・・・。

ちょうど、このブログを書き始めたのが10年前。
環境の取組みをはじめて、バックキャストで考える事、資源の採取から製造 利用 廃棄までというライフサイクルアセスメントという思考が大切な事を学ばせて頂いた。

読み返してみると、なんと 当時は夢だと思っていた事が確実にかなっている!

例えば・・・
地元の木で出来た印刷用紙やコピー用紙が作れるようになって 使えるようになって
多賀町の広報誌にまで活用してもらえるようになっていたり
古い建物を活かす住まいづくりにも取組んだり
すっかり忘れていたが CO2も半分削減したり
http://blog.goo.ne.jp/jjjko0313/e/34d00c5c26fc712290c4485e719700f2
何より、ほぼ100% 国産材を使った家づくりが出来るようになった。

(すべて、他力本願だけど(笑)感謝・感謝)

森林の方も、まだまだではあるが地元の木が流通するようになり
森林所有者の把握にむけて国が動き出したというニュースも目にした。

ライフサイクルアセスメントから考えると 森林や木材は資源の採取に対してどうかという「はじまり」の部分になる。
建築は「製造・利用」に対して、どうかという取組みになる。
耐震や省エネというのも その中の一つの要素だ。
ここが、今 工務店として取組んでいるところ。

そして、昨年 廃棄に対して あまりにも無頓着だったという事に気づかせていただいた。建物を廃棄する(解体する)に至るまでのアプローチが出来ていなかった…。
ちゃんと分別して捨てるという意味ではなくね。

作る時から考えなくてはいけないのに。

わかりやすい話だと「空き家」の問題もその一つ。
これは、物の作り方や流通とか自社で何とかなる問題ではないけれど
「空き家」になる前に、出来ることがあるのではないか、私たちの業界は空き家予備軍を今もつくり続けているのではないだろうか…とか、問題の深さ広さの現実を目の当たりにしつつ、手探り中。

と、いう事で 今までの活動プラス、「まもる。つなぐ。しまう。」という最終ステップに取組みたいと思っております。

ザックリしすぎの宣言ですが・・・


森林の一丁目一番地

2013-12-16 | 持続可能な社会
最近、頭がショートしそうになる位、林野の政策を読む機会に恵まれている。実に色々な事に配慮されているなぁと関心すると共に、どんな素晴らしい計画を立てても、現場では実行する為に根本的に必要な森林所有者の把握もできていないのにどうするんだろうと気になって仕方がない。

どれだけ、国産材の安定供給を叫んでも 基本的には所有者の了解なしに木は伐れない。
森林所有者の把握が、一丁目一番地である。わが町では、半分弱位がつかめてないかもという感じらしい。これは全国的に特別な事ではない。結構に地域がかかえている問題だ。全国では300万人の森林所有者がいる事になっているらしい。(未確認情報ですが)1m2以下の所有者もけっこういるとの事。

現実の森林は一つなのに、森林簿、法務局のデータ、森林組合の施業履歴などリンクしていないデータがいくつもあり、既に亡くなられた人(見るからに明治生まれとわかるお名前)が所有者という割合は相当高いし、面積も地図も実際とは随分違う。図面のようなものもあるけれど、昔のことなのでザックリ「このあたり」というだけで、そもそも、税金をとる為に庶民の所有にしたらしいので、少なめに申告してあったりもする。
森林簿というのは林野関係の行政が持っているデータで、かなり色々なデータが収集されていて、それを元に計画もされているのだと思うのだけど、計画は持主がわからなくても出来るので市町村によっては所有者の欄がないものもあるとか。

例えば、今、間伐が必要な樹齢50年の森林。30才で植林した人は80才。
山の場所は知っていても、日に日に山に行ける体力はなくなってくる。五年が勝負。それを逃すと、そのツケは所有者ではなく行政に回ってくるのは明らかだ。所有者がわからない森林は、誰がどうするの?所有を放棄されても困る。皆が近所の人とは限らない。遠い所の人が相続して分割されたり名字が変わったり、持主間では売買されていても登記されていない場合もあるそうだ。

これは、林野庁や森林組合だけではどうにもならない。というか、そもそもそれ以前の問題で責任を持つのは違う部門だと思う。そのデータが整った上で、本業の林業に専念してもらうべきなのではと思う。

隣地があるので個人で頑張っても限界がある。個人情報保護法を作ったところや管轄している部署に動いてもらわねば、どうしょうもない。所有者は全国に散らばっているので、森林のある市町村だけで何とかなるものでもない。市町村の担当者が他の地域を訪ねて行っても教えてもらえない事もある。
それでも探す手立てやヒントは、やはり地域の高齢者に聞くのが一番だったりする。

それを専門に動ける職員さんの余裕もないだろう。各省庁が一丸となって全国に指令を出し、予算をつけてもらえないと市町村も動けない。国土の7割もある森林。そのうち、民有林で把握できていない森林がどれくらいあるのか。国家の問題である。先延ばしにすればする程、困難になっていく。そういう政策もあるけれど、ちよっと利用しにくい。

とにかく、きちんと計っている時間はない。登記なんてしようものなら相続問題になるし、きちんと決めるとなると隣といさかいがおこって、これも進まない。又、登記してしまうと簡単に売りやすくなってしまう。
そっこん税金にはリンクさせないと約束しないと、協力もしてもらえない。

山を知っている人の寿命と体力。これが優先事項だと思う。時間に限りがある中で、やらねばならない事を想像すると、単年度の政策ではなくせめて五ヶ年計画。
ちゃんと出来ている市町村と全くできていない所、所有者のありようも違うだろう。どこにお願いすればいのかわからないが、各市町村がPDCAで計画をたて実行にうつせるようにサポートして頂きたい。

森林においては、これからますます市町村の役割が大きくなってくるのではと思うし、期待したい。

今度の予算で、こんな政策がでてくるとうれしいのだけど。。。もう 決まっているのよねー。たぶん。

未来の森林

2013-04-21 | 持続可能な社会

●まえがき(笑)
冊子を出すにことになって、私なりに一生懸命考えたのだけど、ズバッ! と却下になったので、せっかくなので 超個人的に ここに書くことにしました

確かに、公に出すには 無茶だったかもと思うけど もう 色んなものを犠牲にしてひねり出したのよ・・・。ハハハッ。でも、このブログもボチボチしか 書けないので 何日かかる事やら。長くなるんだろうなぁ。言いたい事、溜まってるし。

●本文
やる気がない森林所有者 という言葉を最近目にするようになって、私の周りをリサーチすると やる気がない 以前の問題で「どこから、取りかかればいいのか わからないだけ」の人も結構いたりする。口では言わないが、みんな自分の家の山の事は気になっている。

だいたい、わが家の色んな話を総合すると、今みたいな広い範囲の植林なんてした事がなかった爺さんに連れられて、父が手伝いに行ったという感じで、早 その父も75才を超えている。早くに祖父が亡くなったというのもあるけれど、そもそも 杉・桧の育て方の伝承なんて うちの近所にはなかったんだもの。下草刈りはしたぞ! と言っていたので、間伐をしているかは かなり怪しい。 その後、たぶん 誰も教えてくれなかったんだろうと思う。教えてもらったとしても、とても、山仕事をしにいく時間もなかったしね。 材木屋が皆 儲けていた訳ではないのですw 大勢の子どもを育て、会社を存続させるのに精いっぱいという、そういう時代だったの。責められない。

会社勤めの林家の人も、そうそう休めない時代だった。森林をなんとかしろというのなら、育休のように、本当の「木育休」というのが正々堂々と取れるようにしないと なんて思ったりする。

この間、お会いした隣村の年配の人が、「木を売ったのは、自分らの世代が最後やろな」と言われたので、その頃はどこに売っていたのかと聞いたら「あんたのとこ」と言われ、地域での役目が今はたせていない事を心苦しく思った。といっても、つながりが切れている訳ではなく、木が1本邪魔になるからとか、治山工事の為の伐採の時も声をかけて頂いた。
今は、材木の価格が安いからと言われると胸が痛んだりもするけれど。

拡大造林が終わり、木を育てているという事は、建築材になる木は少なくなっている訳で、少しずつ製材屋も市場も素材屋さんも、廃業していった。本来であれば、伐り出した丸太を近くで、色々有効に使い販売する事で、原木を少しでも高く買える場所=木の出口がなくなったとも言える。それも、木がまだ細いうちは、難しい。

そして、地域では木を売ったことがない山主と買った事も売った事もない森林組合が残ったという感じに近い。森林を育てる事が仕事だった森林組合に、いきなり商売感覚を身につけろというのも無茶な話でもあるし、市場に売るのが原則なので、地場の製材所は通り過ぎていく。

やっと柱材がとれる大きさに育ったけれど、まだ、梁材は難しい。多様な木材の加工場をつくるには、この地域ではまだリスクが多い。出てくる木も出口もまだ少ないから。だから、何をするにも遠くまで運ばなくてはならない。輸送にかかる経費に、消えていく。地域材と他の地域の国産材の使い分けが、現段階では必要になる。林業の方にがんばってもらっても、その先も同時に歩幅を合わせていかないと、ビジネスとしては危うい。木は動いても、林業や製造業が苦しくなっては意味がない。

そんな現状の中で、自分たちの事を棚にあげながら、山主の方にメッセージを伝える言葉をさがさなければならなかった。昔の丸太価格が良かった時を知っている方にも 木を植えすぎたと避難され「やる気」がうせた方にも、林業はダメと刷り込まれている次世代の担い手にも、意識を変えて頂かないと、待ったなしで、未来に健全な森林は伝えられない。

自分の頭を整理する為にも伝える言葉をひねり出したのが これ↓


●盛況だった戦後の林業は、例えていうなら先祖の貯金(森林資源)を使って得たものです。

●当時の植林は、減った元金を元に戻すものでした。おかげで先進国の中ではトップクラス、国民が心配する事のない量にまで成長しました。

●これからは「利子」=「森林の成長量分」を上手く使い、若い木から高齢の木、針葉樹と広葉樹がバランス良く分布する健全な森林を将来にわたり持続させる仕組みを、地域で考え、守り育んでいく事が大切なのではないでしょうか。


 

確かに、もう少し 熟成させないと 万人受けしないとは思うけど、近江商人の土地柄には悪くないアプローチだと思うのだけど やっぱりだめかしら?(笑)
そもそも、林業は「業」なんだもの。お金の話を少しでも、からませたかったのと、時間軸を変えるにはどうすればいいのかと、相当 苦しんだ。お察しの通り、簡潔に文を書くのが、めちゃくちゃ苦手な私にとっては、苦行のような日々。文才もコピーライトのセンスもない。

それで、「利子」というのが、どういう事なのかという事をグラフもどきにしたのが 下のグラフ。
実は、6年以上 同じ事を言い続けていると気がついた。  
2007年の記事 間伐だけでいいの? でも、今回は 一歩 進んだのですよ。
手に入ったデータが100年もなかったので、限界はあったけどね。


もちろん、私は専門家でもないし、もっと色々な事を考慮しなければならないし、バランスがいい持続可能な森林の姿が、どんな形なのかわからない。そもそも、元のデータは ザクッとしたプロットだと思うし、杉と桧、育ち具合などで伐採できる林齢は違う。もっと、言えば、実際の森林は、林齢で面積をズバッと分けられるものでもないし、面積でカウントできる森林のありようが良いのかというと、疑問も残る。実際の現場では、かなり難しい事も理解できる。本当は、資源量の方がよかったかな?とも思ったり。

だけど、森林林業白書で これに近いグラフを見た時は うれしかったのよ。国も考えててくれたんだぁと思って。未来が、見えないと動けないもの。自分たちの世代で、結果が見えるものではないからこそ、バックキャスティングで計画するって大切なのよね。

間伐しましょうなんて、最近 言われ出した感があり、植えろと言われ一生懸命植えたのに、今度は、植えすぎたと言われ、次は木は伐るなと言われ、手入れをさぼった・やる気がないと言われている山主にとっては、「荒れているから間伐しろ、手出しは少ないから」と言われても、何のモチベーションもあがらないし、きっかけにもならない。余程、大儲けできるならば別だけど、そうでないのなら、先祖と子孫と世間の皆さまの為と思わないと、やっていられないのが森林を持っているが今は「業」としていない多くの個人の山主の気持ちではないだろうか。

あくまで個人的にではあるけれど、木を使わせて頂いている「業」として、地域に対して、環境に対して、未来に対して負荷をかけていない森林から出された木であるということは大切だと思っている。でも、一番は、良い住まいをつくること。その為には、良い木は欠かせない。だから、今のコストや量重視の林業の流れには、不安を覚えることもある。それも、私たちが真っ当な価格で木材を買わない事が原因でもあるのが歯がゆいが、直接 買わない限り 原木価格がどうなっているかなんて、さっぱりわからなくなっている。もちろん、その木が生えていた山がどうなっているのかをつかむことは難しい。かといって、森林認証を受けた森林の木じゃないと使わないなどと 個人の山の集合体に望めば、ますます、山が動かなくなる( これは、ここの地域の場合ですけどね) 林業と言っても、様々なのである。

だけど、将来は、森林にかなり依存する世の中になる可能性があると思っているので、今のうちに、ルールを決めておいて欲しいと思っている。 ちなみに建築でも発電ではなく、製造業の資源。発電にいきなり丸太を使うなんて、資源の有効活用という点では非常にもったいないと思っている。何かに使った後に燃やせないものか。せめて、丸太ならば、熱エネルギー。樹木は、字のごとく「樹脂」がつくれる持続可能な資源でもあるのよね。構造材や内装材だけでなく、設備機器や配管・接着剤にとっても、重要な資源となりうる可能性がある。

戦争は 資源の奪い合いでおこり、国民は その時の自分の暮らしを守る為に「伐れ!」と言い、マスコミは今とは逆の事を言っていて、政府がそれに応じてきた。その結果が、現在のバランスが悪いグラフの形になったのだと思う。
伐れと言ったり、植えすぎたと言ったり、伐るなと行ったり、そんな事に右往左往していたら、人間とは違う時間軸で存在する森林は守れないと、過去は教えてくれている。もう、お殿様がいる訳ではないし、やっと、ちゃんと、しばらく心配がない資源量を確保できた今だからこそ、未来への手立てを考えておかければ・・・と。このままでは、今の続きの価値観で 産業の為と乱伐を許すことになるやもしれない。

終戦後の森林政策を、今の現状から責める意見もよく聞くし、批判する方が受け入れられやすい世の中で、判で押したような批判には少々ぐったりするようになってきた。
あの頃の状況を思えば、かなりベターな政策で、少なくとも今よりは、未来に対してのリスクマネージメントができていたように思う。
もし、木が輸入できていなかったら、どうだったか。森林に手を入れず、針葉樹を植えず、天然に任していたら?少なくとも、細いながらも、植林した事に対して、文句をいう人などなかったのではないか。山を削らずにいたら、多くの人が暮らしている場所は、田んぼのままだし、木造だけでなく、コンクリート造も鉄骨造も 建物を建てるには 相当苦労したはず。

いまある問題は、木を使わなかったことによるが、それも、まだ育っていなかったし、例えば北欧材が入ってきたのも、森林の時間軸でいうと ほんの最近のこと。切り替えるなら「今でしょ!」と、いう感じで 遅くも早くもない気がする。

これからは、石油が輸入できなくなったらどうするか、石灰が日本から採掘できなくなったらどうするかなど、今の木材の需要だけで森林の事を考えてはいけない未来が待っている気がする。(たぶん)

上のグラフは、エクセルで数字をあっちやったり、こっちやったりしてつくったのだけど、数字だけでも、かなり難しい。あー伐りすぎかな(エクセルの中で)と思ったけれど、成長量の6~7割位の伐採→植林量に結果的なりましたの。そっか、木は成長するんだとあらためて実感しました。素晴らしい資源。
ただし、バランスが取れた後の持続可能な年間の伐採量は、そう多くはないのではないかという感じもした。まぁ 幸か不幸か人口は減っているし、日本の森林がまかなえる日本人の数という視点から考えてみるのも悪くない。(誰か、計算してくれないかしら)

ただ、しばらくの間、これだけの量を伐って育てるという事は、「使う人々」がいないと伐れない訳で、私たち、建築業者も、競争力も大切だけど 未来の資源に責任を持つという姿勢を問われているというのが、よく理解できたグラフでもありました。

コストダウンからもたらされる結果が与える森林・林業への影響もだし、将来の化石資源の枯渇の問題にも 正面から向き合うということも大切だし、間伐でも、皆伐でも 育てる経費を考えたら「いるもんはいるという原木の買取価格」にして、未来を見据えた森林を育てて頂けるようにしないと、子供や孫の世代に、あの頃の日本人は何やってたんだと言われるような気がする。

牛丼屋さんみたいに、価格競争で値段を決めてはいけないのだよ、森林資源を使っている会社は・・・と思うけど、建築にも企業間の競争はあるし、なかなか難しいのも現実。
林業の問題ではなく、国家の問題なので(と、とりあえず言いきってしまうw)、経済活動の中でみんなで、その分をプラスすればいいのだけれど、鎖国している訳ではないので、それも難しい。

それが経済活動の中で自主的にできないというのならば、関税に手を加えるのが一番なんだけど、他産業の為にそれも許されないだろうし。本当は、政府が政府たる存在感を一番出せるのが、関税のコントロールなんだけど、それも放棄しそうだし。はてさて。

●あとがき
自然を守れ、土砂崩れ、水の枯渇も水害も起こすな、多様性のある森にしろ、動物も守れ、でも、動物の被害は減らせ、CO2は吸収させろ、花粉は減らせ、地域も活性させろ・・・私は、更に もう少し15年位までは目のつまった丸太を育てて欲しいとか、やっばり 死節はあかんでしょ とか、固い釘のきく国産の下地材はないのかとか、堅い多様なフロアー材を育てて欲しいとか そんな事も思ったりする。

そこに、更に コストダウンしろなんて とても 言えない。負担しますので、どうぞよろしくお願いします という気持ちになる。

最近、同じ事に同じお金を使うにしても 変えた方がいいと思う言葉がある。

「補助金」「貢献」
恵んでやっている感のする言葉は、失礼だとさえ思う。
貢献というのも、本来は本業で当たり前にしなければならない事が多い。

後は「間伐材」「温暖化」
これは、又の機会にでも。

と、ここで 自分の家にも山があることを再び思い出した。まずい。やる気のない山主からは、やっぱり脱却しないと(笑)
最近、結構 わかりやすい資料を見つけましたの(難しいけど・笑)
林家のための森林経営計画ガイド

再生プランが批判されていて、そりゃもっともだ!と思った事もあったけど、資料を読む限り、何が問題なのかよくわからなくなってきた(笑) どこで、何が 変化してしまうのだろう。。。
伝わり方の問題?補助金の出し方がリンクしてないから?
地域にも、個人にも配慮されている感じはするし、当町も着々と動き出している。
イコールフィッテングというのも、なくなってないはずで 森林組合の独占を推奨しているとも思えない。PDCAで、直していけばよいのでは。そう、簡単ではないだろうけど。何にしても、時間はかかる。

とりあえず、この資料を見て、どこで、つまづくのか、何が大変なのか、どういう弊害があるのかわからないけど「わが家の森林経営計画」というのをやってみてもおもしろいかもと思った資料でした。 まずは、きっかけが大事ですもんね。

あー 長くなった(笑) 何日かけて、書いた事やら。分厚い書類が某所から、届いたので とりあえず、しばらく加筆できないので、これでアップします。分けるとぜったい、下書きのままなので、長くなってごめんなさい。しかし、自分のブログは、気楽でいいなぁ。


電気と木材

2012-04-27 | 持続可能な社会
電気にすると エネルギーの半分以上は捨ててしまう事になる。
木は、先にジャストタイムで家庭や企業の熱源として利用すれば、電気の使用量は減る。
木も大切な資源だ。

まず、そちらの活用を検討すべきではないだろうか。

地域限定でもいい。

地域の経済を回す事。地域の企業にも使って頂ける政策。

オール電化の給湯と競合するから、進まないのか…。

まさに、夢の扉が開いたよ。

2011-03-09 | 持続可能な社会
りぐぱるを発明された 三重大学の船岡教授の話を聞いてきました。

脳天かち割られる位の 久々の衝撃でした。未来の価値観がズコンと変わりました。

木を資源として考えた時に、私の中では色々使い回した後に、エネルギーとして利用する もしくは 炭にして炭素を固定 して地球に還すというのが 最終的な利用としてベストだと思っていました。

ところが、分子レベルでみると それではいけないのだそうです。

木は セルロース ヘミセルロースが70% リグニンが30%から出来ています。このリグニンが接着剤の役目をして木が固い物体になっています。

このリグニンの組織を壊さず すべてを分離する技術を開発されて、すごくかいつまんでいうと
一つは、例えばプラスチック様のものを紙からつくれる事。今までも 木の粉を接着剤で固めたものはあったけど その場合は 後は燃やすしかない、りぐぱるは分子構造からの変化で作って また 分解して違うものに変化 させられるらしい。

もう一つ すごいのは、現在 石油から生成されるケミカルな製品がつくれる事。

でも、一番感動したのは、先生のものの考え方。

木を集めて運んで、大きな工場で分解するのではなく、山にプラントを持って行って、液体状にしてからタンクロリーで回収して、次の工程に移すとか、1日の製造量を限定させる規模の大きさの施設とか 反応に使う薬品もプラントの中で循環させて 汚水などがでない仕組み作りとか。

うまく 説明できないんだけど どこか お釈迦様の話しを聞いているようでもありました。

印象に残った言葉をいくつか。

林業から工業への流れをつくる。
今の枠組みでは難しい。

今の木材工業は 形状で利用が決まり 廃棄に至る。

太陽は 地球外エネルギー

石油は 一番扱い安い資源。工業はあるものを利用してるだけで 資源を作るという事を今までしていない。etc.

以下は私の感想
私の目的は、どんな状況になろうと、地域の方に住まいが提供出来る体制を確保しておく事。
樹脂などの製品も必要になる。石油が枯渇しても、対応できる可能性が出来た事は、非常に明るい未来を見せて頂いたと思う。
今、地域でやるべきは、本当の資源量を把握し、環境に負荷のない森林の持続性が担保できる山のあり方と規制する方法を確立する事ではないか。石油が少なくなる前に…
山村を中心に工業が生まれる可能性や木材工業の質が変わるかも☆

すみません。さぼってて。

2010-01-19 | 持続可能な社会
なんだか、更新していないのに読んで頂いている方が増えています・・・。


自分のブログは更新していないを知っているので 久しぶりにのぞいてびっくりしています。

何が 検索にひっかかっているのでょう(笑)

1 か月分くらい 書いておこう・・・。


今、グリーン購入やFSCなどの森林認証、J-verのカーボンオフセット、カーボンフットプリントなどを調べています。

なんとか、森を手入れするお金を 山に還したくてね。

がんばってはみているけど、今のこのシステムでは日本の里山は救えない。。。はぁとため息ばかりなり。


だって 普通の日本の大部分の山には 人もお金もないんだもん。

昔から それなりに林業が栄えていたり 有名産地だったりする所が そういう色々な取組みの対象になっている気がする。規模が大きくないと 出来ないの。企業の森 とかも そう。


手入れされて、ちゃんと森林経営されている所にしか 手が入れられない。

どの取組みをするにも、すごくお金がかかるし 専門家が必要になるしコーディネートする人材もいる。

結局 今のままでは 山に手入れをするためのお金が山主に還らない気がする。



森林って言っても 色々あるのよね。



私が、私の親族のために 近くの森林や環境を未来に残すことを考えた時に
一番 動かさなくてはいけないのは、小さな捨ててもいいくらいの面積の
山林の持ち主の皆さんの「心」だと 思っている。

自分の周りのことからしかできないし、そういう小さな取組みが集まって 地球も元気になるのだと思う。


「心」を動かすには、今は希望が持てる未来の姿と おかねと助けてくれる人が必要だ。


近所の知り合いや同級生に会うと 聞いてみる。

「山 ある?」

「おー あるけど どこかわからんわー」

「森林組合に入ってる?」

「さぁー」

こんな調子ではあるが、みんな どうでもいいなんて思っていない。

何もしていない事が 心の中では引っかかっている。

もう ひと押しである。


つづく

お騒がせしましたが 無事終了

2009-12-05 | 持続可能な社会
公的に書いたものを少しいじって書いてみます。

昨日のブログでは、お騒がせいたしましたが
当初 予想(笑)より 7人増え 無事 午前中に再植林を完了しましたicon22

何をしていたのかというと
鹿が一昨年植林した木のやわらかい新芽の先を食べてしまったので
植えかえをしながら、大丈夫な木にも
幼齢木ネットというのをかぶせる作業をしました。

鹿にとっては、ちょっとつまみ食い程度ですが
そこを食べられてしまうとちゃんと木は成長しないそうです。



集合場所で、滋賀県立大生 3人が車に乗っているのを
見た時には、思わず全身で喜びを表現しました。

いや バンザーイってしただけなんだけど・・・・。
生まれて初めての植林体験で イキイキ作業をしてくれました。

 

この場所は2年前にお施主さんの山の木で建築する事になり
弊社で伐採・製材し、建築させて頂いたお家の柱や梁が生えていた里山です。

この山に林道ができてから、初めての材木の搬出と植林だそうです。
ウッドマイルズも とても 短い!

今、私を含めて建築や設計にたずさわっている大多数の人間は
どんな風に 木が育てられたのかも知らず木材を使って来ました。

「それでは、あかんよねぇ」という事で地元のメンバーと
森林の循環を一から学びたいと、山主であるお施主さんの
父上に無理をお願いし、植林させて頂きました。


父上が地元の山から採取され、種(どんぐり)から育てられた
広葉樹も一緒に植えました。それが 二年前。

鹿にやられたと聞いた時は、ショックでしたが
山主さん(父上)は、私たちが植林した後にも鹿がこないように
色々苦労され、雪起こしや下草刈りなどをされてきただけに
心中いかばかりだったかと・・・。

それでも、子や孫や世間や森林の事を思い 今 未来に
どんな森林を託せばいいのかと 一生懸命考えて頂いている事が
お話をお伺いしていると、よくわかります。

あの時植えた 広葉樹も鹿にやられたり育たなかったり。
今、また 栗なども含めたドングリを家で育てておられるそうで、以前よりも 大きくしてからもう一度山に植えて 混交林にすると。
柵を張ろうかと思っているとの事でした。
子牛くらいの大きな鹿が出るそうです。

頭が下がります。

( このような状況を見ていると、人工林を広めに間伐しただけで ちゃんと広葉樹が間から育ってくる環境林というものになるのか ちょっと不安になりましたが・・・鹿が食べちゃうしねぇ。専門家ではないのでわかりません。)
 
とにもかくにも
今回も、ほとんど山に来たことがなかったという山主さんの息子さんであるお施主さんが参加して下さいましたkao05

木の流通だけでなく、山主さんと次の世代を担う方とを つなぐことiconN11に少しだけお役に立てたかなと帰ってまいりました。

たぶん、こういうお節介は 行政さんや森林組合さんでは やりにくい事かもしれせんね。
地域で 森林を支えていく という意味には こういう事もあるのかもしれません。
ほんと 「忘れ去れた個人の山主」に 救いの手を! と 思います。

山にお金を還さないと、山は守れませんが お金だけじゃないんですよね。
お金の話をしたら、最終的に間伐して1/4になった木を搬出しても 今の木材価格からこの作業にかかった費用をひくと 既に赤字。
だれも やろうと思わないでしょ。でも やらなくちゃって思っている人は多いのですよ。
所得補償じゃなくて 未来の絵が欲しいのですよね。

何年後かに 木材の輸入はやめますって宣言したら 山の手入れは進むと思うのだけど…。ハハハッ。




地産の建物

2008-07-11 | 持続可能な社会
これは、プレ森の健康診断で 能登川のきぬがさ山に
行った時に 撮った写真です。

普通、ビニールのテントが張ってあるものなのですが
竹で 出来ているのです。

継ぎ目なし、熱でまげているのでしょうね。

ちっちゃい頃 おじいちゃんが 火をおこして
竹スキー(ほんの 2M位しか滑りませんが…)を
作ってくれたのを思い出したました。

それだけで 私の中で じいちゃんはヒーローです。

あっ 脱線・・・。

すごく 美しいのです。現代アートです。
中では、しいたけを作っていました。
隙間からさす 明りも 美しく幻想的でした。

しかも すぐ近くに 竹を伐った後があったので
ウッドマイルズは ゼロです。

それで 思い出したのが マキノの建物 二つです。

マキノ町というのは 滋賀県の北にあるのですが
とても 同じ県だとは思えないくらい気候風土が
私の住んでいるところと違います。

そばを食べに行ったついでに あまりに屋根 特に
藁葺き屋根の家の形が 私の近所と違うので
ブラブラしてみました。



ちょうど この家の前で作業をされている方がいらっしゃったので 中を見せて頂き お話を伺いました。

この家の主のお父様でした。

自分たちで 直されたとのこと。屋根も葺いて・・・?????

いや すごく 有名らしいです。詳しくは 

福井的田舎生活通信



写真にリンクしているので ご覧下さい。

ここの緑のシートがかかっているテントに 
何年間も住んで 家を直されていたそうです。
すごすぎ・・・竹の時もあったようです。

次は そばや



ただのボロボロの店ではないのです。



巨大な石が 2つ…テーブルになっていました。

どう考えても 石があって その周りに後から建物を建てたとしか思えません。

そばは、うまく切ろうとか 細くしなくちゃなんて 
考えたことがないと思われる とても 素朴
いなかそばです。

ふっふっふ。 鹿のステーキがあったので頂きました。

最近は、食料として 認識するように 意識の変革を
おこなっています 

建物も食材も 家具も 地産。

業平そば

恐るべし マキノの在原 ★

水を大切にする民

2008-07-05 | 持続可能な社会
風の通心という小冊子を 今回から
少しずつですが 以前に工事をさせて頂いた
お施主さまのところへ ご様子を伺いがてら
手配りを始めました。

何せ 創業80年近くなり 昔は顧客リストなんていう
ものがなくても どこそこのどなたかというのが
わかっていたのと 書類自体を発掘するのが
大変で、古くても30年前位のお客様までしか
ポツポツとしかわからないのです。

父の代に建てさせて頂いた家は、私が一線を退いた後も
残っていることに ハタッと 気がつき
お顔も知らないのでは、次の代にも渡せないので
「住まいのカルテ」のようなものが作れればいいなと
思ったのでした。


そんな中で 彦根の日夏という昔からの集落がある
ところに行ってきました。

ここも 自動車がない時代に出来たところなので
ほんと 道幅が狭いのです。

写真は、若かりし頃 私が設計したお宅で
やはり 感慨深いものがありました。



水路にかけてある小さな橋を渡ったところで
「バジャン」と 音がするではないですか。

よーく見ると 30cm位ある鯉が うじょうじょ。

幅 50cmから60cm位の いわゆる 溝ですのに。

その先を見たら また 水車が…



そう 以前に 水をめぐる冒険 で 多賀町土田にあったのと 同じ感じです。


そう 彦根の日夏も多賀の土田も 米どころなのです。

エコクラブ めだかの学校 という看板があり
熱心に取り組みをされているようですが

家の土台近くから まるで湧き出すように キレイな水が
流れていて 下の写真のような作りになっているところを見ると


昔から 水を大切にする気質のようなものが
伝わっているからなのだと思いました。

この水って もしかして鈴鹿の山から流れているのかなぁ
と思うと なんだか ズシリとしました。


このエコクラブの子供たちと 山のおっちゃんを
あわせたいなぁと思い
滋賀県の皆さんに このつながりを知って頂く事って
大切よねぇと また ムクムク 策をねっています。


いや 森の健康診断に みーんな 誘っちゃおうって魂胆なんですけどねぇ。

良く見たら ナマズも おりましたぜ。



そうそう daizusenseiに質問です。
こんな感じのところでは、小水力発電って
出来ないのでしょうか?

福田ビジョン2

2008-06-16 | 持続可能な社会
市民のための環境学ガイド
首相の温暖化対策「福田ビジョン」 06.15.2008

ということで 引用元へのリンクや 簡素にまとめていただいた内容
朝日、日経、読売の社説の内容の検討等がUPされているのに気がつきました。

ご興味のある方は どうぞ。


ところで 最近 またまた気になるのが 窒素 です。

以前 紹介した 養老孟司 本当の環境問題
にも 窒素は二酸化炭素よりも問題になるかも みたいに書いてあった。

そしたら

日刊 温暖化新聞
http://daily-ondanka.com/

海中窒素の1/3は人間由来

という記事が…。

窒素の循環。
これって びわ湖を守る私たちは 結構真剣に考えないといけない。

昨日、びわ湖沿いを走っていたら アチコチで焼畑?をしていた。
以前は 野焼きはだめーと言われていたので 見なかったが
有機農法 環境こだわり米 が 推奨されてきたからだろう。

植物がすった分の窒素が循環していれば 問題ないのかな?

じゃ 炭だな。と 単純に思ったのだけど

そもそも 肥料に使う 窒素ってどうやって作るのだろう…。
おぼろげながらは わかるのだけど まだしっくり
のみ込めていない無知な私でした。また しらべよーっと。