ぢろーらものおもちゃ箱:引っ越し後

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小学校のお誕生会

2010-08-27 00:19:17 | うんちく・小ネタ

ぢろーらもが小学校時代、一番楽しかったのは小学校3,4年のクラスです。けっこう友達がみんな仲良くしてくれた、ということもあるのですが、クラス自体も割と楽しかったです。その中で思い出に残っていること、それは、そのときの担任の先生が毎月行なっていた「お誕生日会」です。

普段の体育の時間とかも、ゲームをうまくとりいれてくれたりする先生で、非常にレクリエーションには力をいれていた先生でした。そのおかげか、けっこう印象には残ってますね。

で、誕生会ですが、こちらはグループごとにわかれて自分で考えた劇をしたり、音楽演奏したりと出し物発表をしたあとで、そのあとで自分たちで用意した手作りのプレゼントをその月の誕生日のクラスメイトに渡す、という感じです。

まずはプレゼントですが、折り紙だとか、彫刻刀で木にメッセージ(お誕生日おめでとう、など)を彫って渡したり、あとはいろいろでしたね。ぢろーらもは工作は大の苦手。確か、すべての会ぢろーらも母にやってもらってました。ぢろーらも母も器用なほうではなかったのですが、職業は幼稚園の先生。この手の作業はお手の物でした。セロファンを使って作った色眼鏡だったり、牛乳パックで作った潜望鏡だったりと、割とさくさく作ってました。なので、ぢろーらも(?)のプレゼントは割と好評でした。ま、完全100%他力本願ですが・・・

出し物はいろいろやりましたね・・・。毎月、決められたグループで帰宅後に誰かの家(ぢろーらも家もけっこう使われました)に集まって、「何をやろう、じゃあ、どうしよう・・・」みたいなことを話し合い、練習するわけです。

演奏だと「かっこう」をやったことがあります。このときは歌とかピアニカ、リコーダなど習った楽器を使って演奏してましたが、ぢろーらもはなぜか「鉄琴」でした。そういえば、NHK教育テレビ(なんだかは忘れました)でマリンバとかヴィブラフォンの演奏をみて「あ、かっこいい・・・」と思って、両親にねだって鉄琴買ってもらったんです。小学生、特に当時(女の子まで含めて)クラスで一番非力だったぢろーらもには、鉄琴は重かったですわ・・・。それを学校まで運びました。

そういえば、今でもマリンバの演奏とか好きですね。宅間久喜さんの演奏とかすばらしいと思います。

演奏だと「宇宙戦艦ヤマト」とかもやりましたね。こちらは音楽会でも演奏した曲ですが、それをあえて誕生会にやりました。音楽会ではなかったパートなどあって戸惑いもありましたが、そこは音楽の得意な女の子にフォローしてもらいました。

あと、そのときのクラスには、1人バイオリンを弾ける女の子がいました。ピアノ弾ける子はほかにもいたでしょうけど、バイオリンはその子だけだったので、演奏、となると注目の的でした。その子と同じグループになったときもありました。そのときは確かクリスマスの曲だったと思います。ただ、どうしてもそのとき、「合わせやすい調」がお互い違ったんです。どっちかがハ長調で、どっちかがヘ長調だったかな・・・。確かメロディーを弾くのがぢろーらもとその子だったのですが、そのときのぢろーらも(というか、未だにつらい)には「移調」は到底無理な作業でした。その旨を話したら、彼女のほうが調をあわせてくれました。さすがにそのときは言葉には出しませんでしたが「すごいな・・・」と尊敬のまなざしで見ていました。

今だと信じられないんですけど、なぜか、ぢろーらもが「ネタ元」になることも何回かありました。先ほどの話のとおり、ぢろーらも母は幼稚園の先生だったのですが、その関係かはわかりませんが、ぢろーらも宅には絵本などの本が非常に多く(多分、少なくとも大きめの段ボール箱30箱以上)ありました。その中の本を題材にして紙芝居とかやってましたね。一回やったのが「はるのゆきだるま」という本でしたね。

こちらも当時は割と話題によくあがっていたのですが、ぢろーらもは大の「ポンキッキ好き」でした。このクラスでは、給食の時間の待ち時間(配膳からいただきますまでの時間)に日直に3回注意されたら廊下に立たされ、さらにみんなの前で歌を一曲披露しなくてはいけなかったのですが、こちらもなし崩しで「歌いたい人が歌う」という感じにかわっていきました。ぢろーらもの場合は最初は注意されたのがきっかけでしたが、意外にも歌がうけたこともあり、割とおなじみで歌ってました。ただ、そのときの歌、ほとんど全部ポンキッキの歌でした。

なんでこの話をはさんだか、ということですが、お誕生会の劇もポンキッキの歌を元ネタにすることがあったからです。たしか「ゆきのおさむらいさん」の歌をやりましたね。確か、このときは男性陣だけでグループを組んだのですが、なぜかもめたのを覚えています。原因は全く覚えてませんが・・・なんでだろうな・・・。ただ、こちらもなぜかですが、最後の「おてんとさまに見つかると、とけてながれていざさらば、とけてながれていざさらば」という歌詞にあわせて、全員でいもむしのように這う、というのを申し合わせていました。で、本番それをやったら一同大爆笑。まあ、みんなで這うわけですからこっけいですわね・・・。でも、それまでもめてはいたけど、それでみんな「よかったね」とすっきりした気分になったのは覚えてます。

ほかには、ガチャピンが歌う曲、「たべちゃうぞ」を劇にしてみたこともあります。どーでもいいのですが、このときのぢろーらもの歌の十八番がなぜか同曲でした。で、このときの誕生会でなかなかネタが出ず、迷ったあげくぢろーらも思いつきで「じゃあ、”たべちゃうぞ”を劇でやろう」と言ったらそのまま採用されてしまいました。こちらもやってることは、曲をレコードで流しながら歌詞の通り劇を遂行しただけですけど・・・。ただ、段ボールで鍋を作ったりといろいろと準備はしてましたね。ぢろーらもは「歌」の担当のはずでしたが、演者に小道具を渡したりと意外にも裏方は忙しく、歌う余裕はありませんでしたね。まあ、そのときの評価で上から2番目の95点をいただき、けっこう満足していました♪

ちなみに、グループを作る時ですが、どうしてもこの年代だと子供たちに任せると「男子は男子、女子は女子」でくっついてしまいます。ま、しょうがないんですけどね・・・。なので、先生も見かねて何回かは「お互い同性同士でグループを作ったあとで、話し合い、あるいはあみだくじなどの方法で男女(4:4くらい)のグループを作る」ということをしていました。

誕生会は2年間でトータルで24回、その中で女子とグループを組む機会はおそらく半数以上、少なくとも10回以上はあったはずですが、どういうわけかそのときに好きだった女の子とは一回も組むことはありませんでした。ま、人生そんなもんか・・・


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