中小企業のES=人間性尊重経営のパイオニア/有限会社人事・労務 ES組織開発・人事制度改革ブログ

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シンガポール・マレーシア 従業員満足(ES)を探る視察研修<第一弾>

2014-09-29 19:53:40 | ES

シンガポールは一度行きたいと思っていた国です。シンガポールほど私の仲間内でも好き嫌いがはっきり分かれる国は珍しい。シンガポールが好きな人は、日本はこれからシンガポールや上海のような、世界中からお金と人があつまり、安全できれいなクオリティ高い国家を目指すべきだという。一方、否定的な意見の方は、歴史のない経済一辺倒の国を真似することはない。シンガポールは、人工国家で日本は自然国家で歴史も人口も違うという。
 さて、これは、私自身の目で確かめ自分はいったい何を感じるのか!


今回は、いつも日本賃金学会でお世話になっている大学の先生の紹介で参加です。大学の先生や新聞社の方、行政の方との同行視察です。参加する人、それぞれ見識が深く、私とスタッフの畑中は、戸惑いを感じながらも、精一杯勉強をしてこようと今回の研修視察に臨みました。
メニューは、ハードスケジュール。皆真剣そのもの。どうせ研修と称して遊んで来るんでしょ!!と思われている方が多かったのですが、本当、超ハードスケジュールなんです。



シンガポールは確かに素晴らしい。きれいな国だし、地震がないせいかマリーナベイサンズをはじめとしてユニークな建造物は見ているだけで楽しい。クラークキーでは、夜中までいても日本の歌舞伎町のほうが怖いくらい。しかし、人間臭さがない。街にごみが落ちていない。野良猫がいない。浮浪者がいない。それが、ディズニーの映画の画面のようなきれいなごみひとつ落ちていない。国家というよりおとぎの世界。
しかし、どうも違和感が。本当はどこかに不都合なことが隠れているんじゃないの?とひねくれ者の私は、舞台裏を見てみたくなってしまう。今回の訪問では、舞台裏があるのかどうかもわからなかったが、シンガポールのような街は、ディズニーランドに行く気分で何度も訪問するには最高の街である。しかし、住む、仕事をするには、もっと人間臭さがあふれる街がいいなあと思ってしまう。
余暇は最終日のペナン島だけ。あとは、一週間、大使館やジャイカ商工会議所、シンガポールの日本法人の工場視察、労働組合と、まさに、ゼミ合宿並み。ひぇ~!


まずは、シンガポールのESのお話から。
まず私が驚いたことは、女性が逞しい!私と同じ40代の女性の実に7割は働いているという。そして、出生率も1.2%と日本よりも低く、少子高齢化が進んでいるという。この国は、外国人が、1/3を占めている。さて、このような国のESはいかなるものか?正直この国のESは、お金と契約の世界。やはりそうか・・・。日本で今、正に議論されているホワイトカラーエクゼンプションをシンガポールは既にやっている。シンガポールでは、2500シンガポールドル以上の社員は、雇用法≒日本の労基法の範囲以外で残業の対象外だという。また、外国人労働者とシンガポーリアンの労働格差は顕著だ。契約の範囲以上は決して仕事はしない社員。2500ドル以上は仲間が仕事が忙しく職場に残っていても先に帰ってしまうという社風。そして、同一労働同一賃金を掲げ労務トラブルが労使間でおきる職場。いわゆる3Kとわれる職種にはシンガポーリアンは、決して就かない。でも、そんなシンガポールの企業風土のなかでも日立、パナソニックのESの取り組みを伺い安堵した。日立では、CSR活動が職場のつながりをつくるとりくみとして推奨され、パナソニックでは、外国人のキャリアアップ制度として人事考課を年1回から4回に増やし同一労同一賃金を目指す人事制度がここ最近取り入れられたという。

やはり、シンガポールでも、人間性尊重経営としてのESの考えは健在だ。
 国の成長を外国人労働者の受け入れに依存してきたこの国でも、いままでのお金や地位といった外的報酬のみをESの基本としておいてきたこの国でも徐々に変化が起きている。
つながりを大切にしたESの試みが、職場の生産性へとつながるということがアジアの国でも広がることを期待したい。
次回は、マレーシアについて触れてみたいと思う。

まちづくりの視察へ!お伊勢さん「おかげ横丁」にみる地域ブランド復活の熱意

2014-09-02 13:01:30 | 地域貢献
お伊勢参りに行った際に、どうしても視察しに行かなくてはと思っていたおかげ横丁に
行ってまいりました。
 なんでも、赤福の先代当主の浜田氏が、おはらい町の門前町の凋落を観て、なんとかしなくてはと、
当時の1年分の売り上げに相当する額をまちづりのために投資したという。
 伊勢神宮には、年間500万人を超す方が参拝する。そして、この門前の、おはらい町は、活況にみちていました。しかし、参拝者は、500万人を維持するものの、おはらい町の活況は、1975年には、20万まで落ち込んでしまったそうです。
さて、この日も沢山の方が、参拝に訪れていました。
伊勢神宮前のローターリーには、ひっきりなしに、観光バス、タクシーがやってきます。かくいう私も、
伊勢市駅から、外宮まで行き、タクシーで。内宮へ!実は、このモータリゼーションの流れが、
おはらい町の凋落の原因だという。

 そこで、赤福の浜田氏は、会社の存亡をかけて、おはらい町復活のための活動として、
人工のまちをつくりあげる。おかげ横丁の誕生だ。
 この人工のまちは、おはらい町とつながっており、むかしからここに存在していたのではと
きっと思ってしまうはずだ。
 そして、自然と車で来た参拝者の方が、この門前町を歩きたくなるような仕掛けがそこかしこに、
おかげ横丁には、用意されています。

 おかげ横丁で、太鼓のショーがやっていたり、神話をアニメで開設する劇場があったり、
昔懐かしい玩具、おもちゃのお店があるかと思えば、イセエビコロッケや、黒飴ソフトクリームなど
食べ歩きができたりと街中がお祭りです。私も、ついつい視察を忘れ、楽しんでしまいました。
 さて、1975年には、20万人まで減ったこの門前町は、いまでは、300万人まで復活する。

 そして、赤福さんの売り上げはどうなったというとですが、個人的に聞いたところによると、
ここだけの話ということで、返答していただきましたが、
5年間で初期投資分を回収し、「?倍」にもなったということです。さて、どのくらいいなったんでしょうね。
充分投資以上にはなったということです。
 しかも、その業績は、いまも継続中です。
 
 浜田氏は、「変化することが、伝統をまもること」と言い残しています。

さて、赤福餅に赤福かき氷をいただいて、浜田氏のまちづくりにあやかるとしましょう。