田心カフェが始まって1ヶ月、準備から始めると7月からだから3ヶ月が経った。
この団体は、自律分散型組織を徹底して行うと決めてスタートした。
「次世代を担うこどもたちへ働く豊かさを!」
を掲げての活動。
優秀な学生や社会人が集まる。
つながりを求めて集まってくるのだ。
まさに時代はお金中心の無縁社会からつながりを求めてメンバーが集まってくる。
今日は浅草田んぼプロジェクトの脱穀。
5月より10月半ばまでの期間メンバーもお客さんも一緒になって秋葉神社で稲を育て今日おはその奉納。
私たちがこの活動で大切にしていることはコミュニティという発想。
お客さんから徐々に仲間にそして同じ志に共感するメンバーになっていく。
私たちには、お客さんという概念がない。そして、社長と社員というような上下関係もなく、コンセプトに対し共感する仲間同士であり役割なんだという思いを大切にやっている。
一緒に越谷の畑や秋葉神社で野菜や稲を育て、そして販売するメンバー、それを料理するメンバー、そして、美味しくいただくメンバーとそれぞれが役割が違うだけで、そのために必要な思いの循環の証としてお金を流通させていく。
まだまだ理想だけど、この903シティファーム推進協議会でやっていきたいことはそんな世界観。
見てください、この笑顔!
子供も大人も誰が指示することもなく勝手に役割が決まっていく。
脱穀という作業にも籾を稲穂からこき落とす作業。
こき落とした籾を玄米にする作業。
玄米と籾殻に選別する作業となかなかの工程があるが
子どもたちも私がやる!と進んで体を動かすのだ。
「お母さん、お米にして!おそいよ!」
「こっちこっち、籾をはずして!」
大人も子供も立場は同じ。この場では子供は親の言うことをに従うというという不文律はない。
この風景を見ているとはたらくとは、コミュニテイの中ではやらされるものでなく、場からの求めに応じて自然と役割が決まり、自らがなんとなくその方向性に向かって動いていくことだと諒解する。この感覚は言葉で説明するのが難しい。
先日、里山資本主義の藻谷さんのセミナーを受けていてある方がつながりの大切さは先生の話を聞いてわかりましたが、経営者に方や周りにそれを広めるためにはどうすればよいか、いくら言っても耳を傾けてくれないのだが、という質問が会場からありました。
藻谷さんは一言、それは、10%でも実際にやってみることだよと。
まさにそれなのだ。
お金で面倒なつながりを介さずに日常を送っていくのが悪いとは言わないが、いつも肉ばっかり食べていたら飽きてくるし第一、体に悪い。野菜も食べてみれば美味しいと気づく。それと同じでつながりの場も日常に取り入れると良いと。
確かに、コミュニティのつながりは時には面倒だ。そもそも有縁な世界を捨てて村落共同体から離れ無縁の世界を求めて都市を作ってきた。私も浅草に今は住んでいるが、以前はそれほどローカルでない郊外都市の相模原のハズレに住んでいたが、それでもそこそこの共同体として窮屈さを感じることがあるくらいだからローカルでは、なおさらだ。
だから、野菜ばかりとも言えない。
だから、村落共同体のつながりに頼ることをやめ、国や会社に依存しながら生活する日常を選択したのも感覚としては分かる。しかし、それも頼りにならない時代へとなってきた。それに追い打ちをかけるようにコロナ禍になりますます会社も国も頼りにならず不安は増すばかり。在宅、テレワークと日常が変化していく中、メンタル不全になる人たちも少なくない。
この活動を通して感じたことは、そんな有縁の場を都会の中で会社の中で感じられる場を作ることの大切さだ。
次回はそんな活動を通しての良い側面を書かせていただきましたが、次回は私達が経験した苦労話を綴りたいと思います。