管理型組織から現場主義の自律分散型組織への移行がなかなか進まないという
相談をよくいただきます。
社長の考えは、社員の当事者意識がない!どうすればよいのだ!というもの。
でもちょっと待ってください。
本当に、社員の当事者意識だけの問題なのでしょうか?
トランスパーソナル心理学の論客として定評のあるケンウィルバーは、
個人の意識のレベルを4つの段階で分けています。
http://esr-j.com/?p=2047
自律分散型組織への移行は、実は個人の意識レベルの進化と経営者自身の
意識レベルの相互の進化の過程で経営のスタイルが決まるというのです。
http://esr-j.com/?p=2050
つまり、自律分散型組織のリーダーは、成熟した自我という段階のリーダーであるということ、
そして、社員は後期自我以上の社員であるという組み合わせでないと自律分散型組織への
移行は成り立たないというわけです。
ここでペルソナとシャドーという心理学用語の解説をしましょう。
ペルソナとは、自分自身がこうあるべきだと社会性のなかで育ててきた理性、
意識のうえでの自分の在り方、姿のことを言います。
そして、シャドーというのは、あってはならないとペルソナからはみ出した
衝動や部分人格をはじめとして無意識レベルで抑圧され蓄積された巨大なモンスターだと
人間性尊重型大家族主義経営の天外伺朗さんは著書の中で述べています。
つまり、自律分散型のリーダーは、ピラミッド型組織の後期自我のリーダーの
シャドーによる恐れからくる戦いモードでの仕事観、人生観としてではなく、
自己への信頼、社会への信頼といったより大きな歴史観、宇宙観とでも
いうような真善美をよりどころとしたリーダーシップで組織を動かすリーダー
といえましょう。
最近はやりのリーダーシップのスタイルであるサーバント(奉仕型)リーダーというのはこの
範疇に入るものと思われます。
皆さんのまわりにも余計な支持をしなくてもその人がいるだけで空気がかわるリーダー
っていませんか?
身近な例で言えばうちの空手の師範。80歳の高齢で
現役たちに空手を道場に来て教える機会は減ったものの師範が
道場にいるだけで道場の全体の雰囲気が変わります。
大会で勝つとか昇段するためにはという次元でなく生涯スポーツとしての空手とは、
いまの流派をより社会に歴史に残し貢献していく為にはいまどうあるべきなのか!
そしてその師範が言っているのは寺子屋方式で自分が習いたい形や技を道場生は
先生に見てもらうのです。
道場生も言われてやるような中期自我ではなく試合に勝とう、昇段しようと少なくとも
後期自我以上の道場生しか残らない仕組みなのです。
ケンウィルバーは、経営において後期自我のスタイルが悪いとは一概にはいっていません。
マクロでみれば、戦後の日本の経済の発展も、そして私自身もサラリーマン時代に成し遂げられなかったことを
やろうと起業したわけで今思えばサラリーマン時代のその時のマイナスに感じていたことこそある時期までは
経営の強いエネルギーであったわけです。
しかし、後期自我のスタイルが戦いをベースにしている以上、すべてを現場に任すことはできません。
自分が先頭で俺についてこいと刀を振り回す大将のような経営スタイルです。
常に戦っていないと精神的に不安定になるとケンウィルバーは述べています。
こうしてみると、一概に社員だけの問題ではなさそうですね。経営者自身の意識の進化という
シャドーに向き合っていく。
私自身もリーダーシップの旅の途中だなあと天外さんの書籍から大いに学ばせていただきました。
相談をよくいただきます。
社長の考えは、社員の当事者意識がない!どうすればよいのだ!というもの。
でもちょっと待ってください。
本当に、社員の当事者意識だけの問題なのでしょうか?
トランスパーソナル心理学の論客として定評のあるケンウィルバーは、
個人の意識のレベルを4つの段階で分けています。
http://esr-j.com/?p=2047
自律分散型組織への移行は、実は個人の意識レベルの進化と経営者自身の
意識レベルの相互の進化の過程で経営のスタイルが決まるというのです。
http://esr-j.com/?p=2050
つまり、自律分散型組織のリーダーは、成熟した自我という段階のリーダーであるということ、
そして、社員は後期自我以上の社員であるという組み合わせでないと自律分散型組織への
移行は成り立たないというわけです。
ここでペルソナとシャドーという心理学用語の解説をしましょう。
ペルソナとは、自分自身がこうあるべきだと社会性のなかで育ててきた理性、
意識のうえでの自分の在り方、姿のことを言います。
そして、シャドーというのは、あってはならないとペルソナからはみ出した
衝動や部分人格をはじめとして無意識レベルで抑圧され蓄積された巨大なモンスターだと
人間性尊重型大家族主義経営の天外伺朗さんは著書の中で述べています。
つまり、自律分散型のリーダーは、ピラミッド型組織の後期自我のリーダーの
シャドーによる恐れからくる戦いモードでの仕事観、人生観としてではなく、
自己への信頼、社会への信頼といったより大きな歴史観、宇宙観とでも
いうような真善美をよりどころとしたリーダーシップで組織を動かすリーダー
といえましょう。
最近はやりのリーダーシップのスタイルであるサーバント(奉仕型)リーダーというのはこの
範疇に入るものと思われます。
皆さんのまわりにも余計な支持をしなくてもその人がいるだけで空気がかわるリーダー
っていませんか?
身近な例で言えばうちの空手の師範。80歳の高齢で
現役たちに空手を道場に来て教える機会は減ったものの師範が
道場にいるだけで道場の全体の雰囲気が変わります。
大会で勝つとか昇段するためにはという次元でなく生涯スポーツとしての空手とは、
いまの流派をより社会に歴史に残し貢献していく為にはいまどうあるべきなのか!
そしてその師範が言っているのは寺子屋方式で自分が習いたい形や技を道場生は
先生に見てもらうのです。
道場生も言われてやるような中期自我ではなく試合に勝とう、昇段しようと少なくとも
後期自我以上の道場生しか残らない仕組みなのです。
ケンウィルバーは、経営において後期自我のスタイルが悪いとは一概にはいっていません。
マクロでみれば、戦後の日本の経済の発展も、そして私自身もサラリーマン時代に成し遂げられなかったことを
やろうと起業したわけで今思えばサラリーマン時代のその時のマイナスに感じていたことこそある時期までは
経営の強いエネルギーであったわけです。
しかし、後期自我のスタイルが戦いをベースにしている以上、すべてを現場に任すことはできません。
自分が先頭で俺についてこいと刀を振り回す大将のような経営スタイルです。
常に戦っていないと精神的に不安定になるとケンウィルバーは述べています。
こうしてみると、一概に社員だけの問題ではなさそうですね。経営者自身の意識の進化という
シャドーに向き合っていく。
私自身もリーダーシップの旅の途中だなあと天外さんの書籍から大いに学ばせていただきました。