メインストリートのうつけもの

ロックンロールにゃ歳だけど、死ぬにはチョイト若過ぎる?

「結城友奈は勇者である」感想

2014年12月30日 14時37分30秒 | アニメ
中間のアニメ感想でも触れたが、最初はまったりとし過ぎていて油断していたぜ。
変身して敵と戦うという勇者としての見せ場が少なくて
やけにのんびりとした日常の描写が続く…。
「視聴やめようかな」と思った瞬間であった。

ところが大掛かりな戦闘に各人がハイパー化(満開?)して
その戦いに勝利した後からメッチャ暗い“鬱”展開になだれ込んでいったのだ。
ハイパー化する度にその代償として“体の機能を失う”という勇者の運命が発覚!
大丈夫か?コレ。放送コード的に…という。
上述した日常生活の描写が丁寧だっただけに効くわ~。
これが狙いの演出だったのか。

昔、「どろろ」という手塚治虫の漫画があったが
アレは“予め失われて生まれてきた体の部分を、妖怪退治して取り戻す”という
希望に向けてのハナシであったので良かったんだよね。
コッチはもう完全に破滅しかなく、
勇者システムの末路の姿をした“経験者(先輩)”が
もう絶望的な格好(片目と口は見えているが、他は包帯でぐるぐる巻き。
両足はなく、手も片方しかない様子?)で語る“それでも死ねない運命”。

自分が記憶する中で、およそ最悪の設定のアニメだと思う。
(そう言えば、「カイジ」も指詰めたり、鼓膜破ったりとヒドかったな)
これって例えば「アカメが斬る!」の“仲間が死んでいく暗さ”とはまた違うんだよな。
「グリザイアの果実」のバス転落サバイバル展開(やはり仲間が死んでいく)の暗さとも違う。
繰り返しになるが、提示された幸せな学園生活の光景を、
自らラミネートチューブを下から絞るように“潰していく”みたいな暗さ…かな。
“明日はどうなるか(死ぬか生きるか)判んない”よりも
“確実に自分の体の一部分が失われていく(先輩の姿のように)”という恐怖。
これ最後どうなっちゃうのお?と
まあ、後半に向けて次回への引きは強烈だったわな。

でも最後は“チカラ技”の設定で、みんな(死んだ先輩を除く)事無きを得るんだよね。
確かに「なんじゃそれ」的な。「なんで?」とも「説明足りねーだろ」とも言える。
けど、登場人物の幸せを願う自分は“それでいいのだ!”と言い切るぞ。

面白いアニメってのは「また観よう!」という気になるものだが
決してつまんなくはなかったこの作品を「また観よう」と思うかどうか…。
それだけ登場人物の“絶望的な気持ち”がストレートに伝わってきた“良作”と言いたいところだが
最終回のまとめ方に問題があるのでチョットな。

でも、こちらを釘づけにした後半の設定には拍手!
おすすめは出来ないけど。

「アカメが斬る!」感想

2014年12月28日 21時29分19秒 | アニメ
原作は知らないので、このアニメがここまで面白くなるとは思わなかった。
最初は“キャラデザが古臭く、しかもありがちなキャラ設定。
展開もコメディだかシリアスだがよく判らない中途半端なアニメ”
という感想を持っていのだが、話数が進むにつれてドンドン引き込まれていった。

思い返せば1クール目は主人公の成長を中心に展開し、
じっくりと他の登場人物と絡めていくといった
後半(2クール目)に向けての下準備をタップリと貯め込んでいたんだな。
もちろんヤバそうな敵の描写も怠りはなく、
「このままバトったら負けそうじゃん?」という
期待感を高めるアオリも非常に良かったと思う。

果たして主人公らと対をなす敵の一味との局地戦では
“大バトル1回につき、双方いずれかの1人が死ぬか大怪我”という事に。
ここでまた死亡フラグが比較的判りやすい感じで立つもんだから
ますます見逃せない展開になるという。
この頃には、敵側のキャラにもそこはかとない感情移入をしちゃってるもんだから
結構やるせなかったりするのだけれど。

ここで効いてくるのは“どちらも自分側が正義と考えて戦っている”という
戦争の兵士としての立ち位置だ。
「俺様が貴様らを倒して天下とったる!」みたいな野望系で動いていないので
“悪役”として認識出来るのは“歪んだ正義感”とか“趣味が異常(キモ!)”とかの
キャラ固有のものだ。そういった性癖めいたものがない場合、
主人公達の討つべき相手は、自分達と“等価”になってしまう故に
決着(死んだり)が着かないという公式が導き出される(←ケッコー無理矢理)。

そこでいうと、まだほんの子供で、大臣に操られていただけの王様が斬首されるというのは
チョイとかわいそうだが、まあ最後に街を壊しまくったんだから仕方ないか。

それにしてもナイトレイドのメンバーが死んでいくのは悲しかった。
特にマインやシェーレな。マジ涙流しちまったぜ。
それだけキャラクターに感情移入させられていたのだろう。
なんだ、やっぱ萌えキャラに弱いのか自分。

これは大変恐縮なのだが、主人公のタツミが最終回の1話前で死んでしまった時は
「あらら、まだ来週があるのに?」とポカーンとしただけで
別に悲しくなかったんだよなあ。
どちらかというと群像劇の色合いが強いこのアニメでは
主人公の存在はステレオタイプで際立つものがなかったからかな。
レオーネさんの片腕が吹っ飛んだ時も気が気ではなかったくせにな。
男にはキビシイ自分。

オープニングも良かった!
2クール目なんかはどことなく暗くてな。
1クール目のイケイケ感がなくなって残念!と思っていたら
これがまたじっくりと効いてくるのよ。
メンバーが少なくなっていく度に…。

面白かった!

「棺姫のチャイカ2」感想

2014年12月23日 20時29分02秒 | アニメ
終わり方は、まあ、あんなものだろうな。
やはりスケール感というか、ダイナミックさというかが足りなかった。
最終話近くはいいところまで盛り上がってきていたのは確かなのだが
いかんせん。
敵が自ら墓穴を掘る行動に出た(サバターをわざわざ要塞に招き入れる)のがきっかけで
手に入れた魔法武器に裏切られてアッサリ消し飛ぶ…という。

少々気になったのが、
魔法武器のエネルギーとして使用者の“記憶で代替する”といった設定だ。
これってサンライズの「革命機ヴァルヴレイヴ」のロボットのエネルギー切れの時と設定が同じだよな?
“よくある設定”なのかしらん?
自分では「ヴァルヴレイヴ」で感心したクチなので
「チャイカ」でこの設定が出て来た時には“あらら”と思ったものだ。
で、都合のいいところでこの設定が活きるのね。
明らかに魔法武器(ガンドという長距離砲?)の無駄撃ちをして魔法弾を枯渇させ、
最後には自分の“ここまで辿り着く過程で知ってしまった忘れてしまいたい事実”を燃料に
ガズ皇帝を撃ち抜き、リセットされたアタマ(しゃべり方まで変わっていた)で
最後はサバターと穏やかに暮らす。
めでたしめでたし。

そりゃあ“本人が計算した行動ではない”とヒトは言うだろう。
事実、その通りだとは思うが
“どこぞの都合のいいイカシた設定を引っ張り出して当てはめた筋立て”という
感想を抱いてしまったのだから仕方がない。
あまりに綺麗に決まったものだから、予定調和過ぎてポカーンな感じだったぞ。
そういった意味では「良い最終回」のクチに入るのかもしれないが。

そうそう、ジレット隊の女の子(ジレットに惚れてるヤツ)がチャイカっぽくなっちゃったが
アレってなんでなの?説明ってされてたっけか?全く覚えがない。
彼女もガズの作った術式?
まあ、なんだかんだ言ってもBDに残すので、見返す時に確認するか。
やれやれ。

このアニメ、嫌いじゃなかったんだよなあ。
「キャプテン・アース」と一緒に応援していたのに。
そうか、自分はBONESのファンなのかもしれないな。
どちらも“みんなが幸せになるなら、それでいいや!”という
非常にストレートな感想で締めくくりたい。

もちろん面白かったに違いないぞ。
が、強くはオススメはできない。
BONESファン向け?

AC/DCちゃんと稼いでる?

2014年12月21日 16時54分47秒 | ロック

ケーブルTVのMTVで「AC/DC特集」をやっていた。
大部分は「ファミリー・ジュエルズ」というDVDで観た映像だったが
問題は…そう、問題は最新アルバム「Rock or Bust」からのPVだった!
そこには“やはり観るべきではなかった”映像が!

従来、彼らの良心的な作られ方をしたPVは
基本はAC/DCの演奏シーン。
テーマによってはバックに映像を挟むといったモノだ。
中にはストーリーがあって、メンバーが小芝居をするといった
いかにも80年代PV風なヤツもあったが、ほとんどは前者のパターンだ。
問題の“Play Ball”というPVはそんな作りの映像だった。

テーマにちなんで、女性だけのチームが様々な球技を繰り広げる映像が
AC/DCの演奏シーンに挿入されているのだが
いかんせん、彼らの…というよりか
アンガスの姿が見ていて痛々しいぐらいに“じいちゃん”になっていたのだ!
特にヘッドバンキングで帽子を飛ばしてからの映像は見るに堪えない。
禿げあがった頭に皺の寄ったおでこ。
従来のステージ・パフォーマンスをなぞっているのだが
明らかに「こら、きっついでぇ」と苦しそうな表情で動き回るその様は
ブライアンが案外昔と変わらないのと対照的だ。

後ろに立っているサイド・ギタリストは誰なのだろう?
まさか認知症のマルコム?…じゃあないよな。
いずれにしてもエラく冴えない、これまたじいちゃんである。
なんかもうトホホだぜ。
ストーンズも「げげ」と思ったが、より思い入れのあるAC/DCの
こんな姿は見たくなかったなあ。
これに比べるとツェッペリンってカッコよく歳とってたよな。

先般「行列のできる法律相談所」にゲスト出演していたふなっしーが
ファンであるオジー・オズボーン宅を訪問するという企画をやっていたが
いやはやメッチャ大邸宅で、その規模はハリウッド・スターを凌ぐほどだと紹介されていた。
確かツェッペリンのメンバーだってスゲー屋敷に住んでいたと記憶している。
世界規模で売れたバンドって、みんな結構億万長者ではないかと思う。
バンドのイメージとして“悪ガキ”を保ち続けているAC/DCのメンバーはどうなのだろう?
やはり世界的規模でアルバムは売れているはずだし
そこそこ儲かっていると思うのだが。

ヨボヨボになってまでハードロックをやり続けるというのは
スタジオワークならまだしも、ステージとなるとやはりキツイと思う。
ましてや酸素吸入器が必要なまでのアクションをしてきたアンガスだ。
ライフ・ワークとして音楽をやり続けるのは素晴らしいが
もうそろそろ人目を気にしたほうが良さそうだ。

歳とってデブるほうが、見た目には「裕福」「ゆとり」が感じられて
いかにも大御所っぽくて無難だが、
アンガスのようにガリガリで、若いころと同じ“学生服”を着て
苦悶の形相でヘッド・バンキングで跳ねまわるというのは
「昔は良かったが、今は故あって貧乏だ!コレ一筋でまだまだ稼がしてくれい!」的な。
そう、悲壮感しか感じられないのだ。

スタイリストとかついていればもう少し何とかならないのだろうか?
稼いだバンドがいつまでも貧乏くさい格好というのは
“演出”として理解できるので別に構わないが、
ロック・スターを憧れる若いヒトに対して「惨め」なんかに映ったら大変だ。
“Play Ball”のPVはモロにそう見えてしまうからヤバイのだ。

と、ゆうのも初代ヴォーカリストが急死したり、ドラマーが殺人計画の疑いで逮捕されたり
サイド・ギタリストが認知症になって脱退したりとか
悪いニュースには事欠かないAC/DCなので、余計そう思えてしまうのだ。
ひょっとしてあんまし儲かってないんじゃなかろうか?
心配になってしまうぜ。

通勤用音楽の効用

2014年12月18日 13時48分03秒 | 日記・コラム・つぶやき
なんか周期だな。
サザンロック的なもので癒される時もあれば
ラウドなロックンロールでイケイケ感がほしい時もある。
LAメタルのようなキャッチーなロックでほっこりしたい時や
70年代の耳タコロックで、過去の自分の確認作業に入りたい場合もある。

ただ言えるのは、2年前ごろに夢中になっていた
アーチ・エネミーなどのデス・メタルはiPhoneライブラリに入れたくないということだ。
なんか疲れる。ヒリヒリする。
少なくとも通勤時間に聴く音楽じゃない気がしている。
そういやヴォーカルが代わったアーチ・エネミーの新作はまだ聴いていない。
いつも肩書が“今回が最高傑作”と紹介されているこのバンドだが
さすがにヴォーカルが代わってどうなんだろう?
まあ、いいや。

で、今はズバリ“アメリカンなロック”を中心としたバンドをiPhoneに入れている。
トム・ペティ&ハートブレイカーズのBOXや最新作までな。
いいよう。牧歌的で。時に軽妙なロックンロールもあるし。
チキンフットもいい。カナダだけどB.T.Oもゴキゲンだぜ。

ちょっと前はスワンプなロックがツボだった。
ブラック・クロウズとかレッチリとか。
要するに、緊張感があったり暗い感じの楽曲から
逃げてる感じなのかな。
いや、両足がイカれてるってのは精神的に来るものがあるのよ。
おそらくこれの緩和策として
ユルイ音楽、明るい音楽を好んでいるのかもしれない。

プログレでもEL&PやYESはいいけど
ジェネシスとかVDGGはダメだな。
酒を飲めばフロイドなんかは良さそうだ。
「モア」「雲の影」「ウマグマ」「おせっかい」あたりなんか最高だ。
しかし一杯飲んだ帰りに電車で聴いていたら間違いなく寝るな。
非常にキケンな催眠効果があるように思う。

自分のエネルギーの問題だと思うが
もう少し若いころ、心が折れそうなとてもつらい時があって
今なら自分の中での和み系の音楽をチョイスするところだが
パンテラの「悩殺」ばかり聴いていた時期があった。
折れそうな心を怒涛の激リフで保つというか、
辛いという心情を「どうしてくれるんじゃ、オラー!」的な怒りに転嫁するというか
なんか今より明らかにポジティブだったな。

それとアニメのサントラも通勤には合わないなあ。
つか、手持ちがそんなにないし。
ドライブじゃアニソンばっかなんで。

そうそう、
ブラック・サバスってのもほっこりする曲があるのだ。
時々やけに明るいリフが挿入される曲があって
それがイギリスやスコットランドのトラッド的なダンス曲(?)みたいな。
特に、4~6枚目に収録されている楽曲によく出てくる。
でも、明るいことやってるのになんか暗いという
不思議な雰囲気だ。
それと案外トミーのギターの音色が明るいのには驚くな。
ディストーションの響きがフワ~っと拡散していくような感じで
ザック・ワイルドのような“重い”音色とは完全に違う。
ギーザーのベースやビルのドラムも決して“重く”ない。
もちろんオジーの声だってそうだ。
なんか、曲全体で“重い”イメージを創ってるんだよな。
これはサスガの職人芸ではないだろうか?

いずれにしても
“今、どんな音楽を聴いていたいか?”は
その時自分がおかれている状況に大きく影響される。
で、あるから周期的に移り変わるのだ。

Blackfoot 5枚セットを買ってみた

2014年12月16日 15時10分07秒 | ロック

確かに昔、LPのジャケットは中古の棚に並んでいるのを見た記憶がある。
蛇とか黒豹とかの頭のやつね。
但し、驚くほど当時の記憶が無いのだ。
ハード・ロックバンドだったっちゅーのを最近知ったばかりだったのだ。
ハード・ロックバンドなのに当時自分がスルーしていた原因を考えてみる。

例えば…サザン・ロックっぽい紹介のされ方をしていたとか。
当時の自分はカントリーのイメージと一緒くたにして嫌っていたので
レーナードスキナードあたりも最近まで食わず嫌いだった。
この辺りで取りこぼしているバンドは沢山あると思われるので
機会があれば聞いていこうと思っている。

メンバーのインディアンにスポットを当てた紹介をされていたとか。
恐らく当時の自分は“イギリス的なテイスト”をより好む傾向があり、
リーダー格と思われる作曲を手掛けるネイティヴ・アメリカンな人物がいるだけで
NGという感覚を持ってしまったとか。

「知ってたけど“こういう理由で”避けていた」ぐらいの記憶は
あってもよさそうなものだが、ここまで真っ白というのもなあ。
すごい早い時期にダメ出ししてしまったんだろう。

で、今回の5枚セットで温故知新となったワケだ。

蛇、豹、鷲の3枚は年代(1979~)順に発表されていてほぼ同じトーンだ。
絵に書いたような歌メロ中心のハード・ロックを演っている。
自分の好きなやや重いギターサウンドで、あまりソロがない。
南部の香りってヤツはさほど感じられないけどな。
むしろ湿った感じがする楽曲もあるが、ブルージーというほどではない。
そうだなあ、フリー(コゾフがいたバンドね)が
もっとハード・ロック寄りな曲を演ってる感じか。
骨太で男っぽい感じ。
かといって同じくアメリカHRの雄、カクタスより
キャッチーな楽曲群だ。

次がなんと!ケン・ヘンズレー(U.ヒープのKeyね)が加入しているアルバムだ。
メンバーがいかつい顔して映っているヤツで、いかにもHRかHMをやるバンドってな演出だ。
もう前の3枚とは別のバンドという雰囲気で、
完全にイギリスのバンド然とした佇まいに変化している。

いやあ、キーボードのメロディが自分にはウザイ。
つか、いっぺんに時代を感じさせるというか、古臭いんだよね。
ヒープの時のようなフレーズ弾いてんじゃねぇよ、ケン!
なんか合わねぇぞ!それに暗くなっちまったじゃねぇか。
とはいえ、一定のクォリティを持った楽曲群で聞かせてしまう勢いはあるな。

上記アルバムから25年経っているのが
女性の下半身(脚中心だが)の写真がちりばめられたアルバムだ。
メンバー構成は確認していないが、
ケン・ヘンズレーが抜けたっぽい音になっている。
昔に戻ったというか。
味付け程度のキーボードは聞こえるが、
彼がいたころみたいに楽器として出しゃばっていない。
もちろんサウンド・プロダクションは時代相応になっていて
当時の2008年でも古臭さなどは感じられなかったと思う。

まあ、この調子ならばそこそこのファンはついていたのかなーとも思うが、
とにかく地味だ。どのアルバムも。
コレといった売りがない。シングル用の曲とかも含まれていたのかもしれないが
ソレと判らないほどだ。
ただ、BGMとして流れているのにはそれが故に申し分ない。
飽きも来ないほどクセがないので、極めて高機能といえる。

「興味を持った!このバンドの足跡やディスコグラフィーを調べよう!」
という気持ちにならないのも事実。
アメリカのハードロックの一翼を担ったというにはあまりにも
マイナーな存在だが、自分は好きだな。
アメリカではBOX売りになるほどの知名度・実力はあったワケだが
日本でのウケはどうだったんだろう?

そうそう、ブラック・オーク・アーカンソーってなバンドもいたなあ。
ゲス・フーとか…。
名前は知っているものの、どんなジャンルに属するバンドかも知らん。

“温故知新”って広大だわ。

携帯契約時のあからさまなワナの話

2014年12月13日 16時25分51秒 | 日記・コラム・つぶやき
あ~あ、よく考えりゃオカシな話だったんだよなあ。
がっついたりしなければ良かっただけの話なんだよなあ。
…という<やっちまった!>件をお話ししよう。

iPhone5Sへの機種変更ドタバタ編は前にも書いた。
その時、契約がフィニッシュする際に担当のお姉さんから
「この割引契約ですと、自動的に2本のサービス契約をお付けすることになっています。
 必要が無かったら、来月(月が変わったら)ソッコーで解約してくださいね。
 解約を忘れないようにアイコンにして画面に出しときますね。」
と、非常にユーザー側に立った話があった。
音楽(800円)と書籍(1000円)の配信サービス契約ということだ。

なるほど、こういった入会時や継続時に付帯サービスを付けて
ユーザー側の忘却を狙うわけだな。よくあるテだ。
たいていの場合、1つや2つは付いてくるな。
でも、今回は“忘れないでね”というメッセージが強いだけに
とっても良いカンジだったのだ。

ところがこれがクセもので、
家に帰り、iPhoneバックアップをPCで完了させると
当然のことながら、以前の待ち受け画面になるわな。
その時点で、せっかくauのお姉さんが入れてくれた
“押しつけで入れられた契約”のアイコンも消えてしまっていたのだ。
そーなると、こんな契約なんてものはアッサリ忘れてしまう最近の自分であった。

12月も半ばになり
フトこの契約解約の事を思い出した!
あせって料金請求の画面から「身に覚えのない」料金設定を見つけ出す。
あった、あった。「音楽」と「書籍」の配信サービスだ。
まず「書籍」を解約する。
次に「音楽」にとりかかると…。

“解約する前に貯まったポイントをご確認ください。
 このポイントで、例えばシングルで8曲がダウンロード出来ます“
てなコメントが…。
「むむう?いつの間に貯まったんだ?
このまま使わないってのもアレだ。
解約する前に今期アニメのOP曲でもダウンロードするか。」

ということで8曲をダウンロードして
再生用のソフトも無料でダウンロードしたのだ。
で、解約の画面に戻ると
“最後のダウンロードから90日後に解約手続きが出来ます”
などというコメントが出て、解約手続きが出来ない状態だ!
なんてこった!
じゃあ、800円×3カ月で2,400円払わなければならないのか?
この金額はいつのまにか貯まっていたポイントとほぼ同じだ!

まあ、会員規約とかマニュアルとか良く読まない自分が
いかにも引っかかりそうなワナだ!
しかし!
“解約する前に貯まったポイントをご確認ください。
 このポイントで、例えばシングルで8曲がダウンロード出来ます“
このコメント↑を出した時点で、
「解約の意思を持ったユーザー」を相手にしているのだから
“最後のダウンロードから90日後に解約手続きが出来ます”
というアテンションは必須だと思うがどうだろうか?
これではだまし打ちではないか?
自分の勤める業界であればソッコーで大クレームである。

その後に、自分の“良く読まない落ち度”を確認するために
何度か解約画面にすすむも、
もう契約延長したカタチの自分のIDでは
その時の画面やコメントは2度と現れないのであった。

よおく思い返してみれば、
auのお姉さんも
「解約する前に興味のある曲や漫画なんかダウンロードしてみてくださいよ」
とか確かに言ってたな。
そしたら翌月に解約なんて出来なくなるじゃんか。
むむう。これをどうとるか?

こういったコトで文句を言いに行くヒトもいるだろう。
自分も“道すがら”にこのショップがあったらどうしたか分からん。
でも「言った」「言わない」ってことで揉めるのもメンドーだ。
もしかしたらクレームの受付も30分ぐらい待たされるのかもしれない。
…ということでノー・アクションの人間が多いから
このワナも有効なんだろうな。

まっ、聞きたい曲を手に入れたんだからいいか。
なんだかなあ…。

マスターマインド「ブレインストーム」感想

2014年12月11日 23時19分09秒 | ロック

まず“人気バンドの音や楽曲にそっくりな音を出すバンド”について書こう。

学生の頃はそういったバンドを“ものまね”だの“パクリ”だのといって
毛嫌いしていたし、軽蔑すらしていた。
まさに“柳の下のどじょう”を狙った卑しい行為だと考えていたのだな。
友人のプログレ野郎も同じスタンスだった。
若いだけに真直ぐだったんだと思う。
そういったパクリ・バンドをバカにして盛り上がっていたっけ。

ところが年を重ねていくと
必ずしもそういったバンドの音が嫌いではなくなってきている自分がいる。
世間的にも「ものまね」「パクリ」とかの表現から
「リスペクト」「オマージュ」といった
“似ていることがむしろ美徳”という
紹介のされ方をしているようなバンドも出てきたりして
それなりに市民権(?)を得ている。
まあ、モノは言いようだが…。

そう、当時と違うスタンスとして
老いた人気バンドの“全盛期の音”の再現を目的としたバンドまで出てきた。
こういったバンドを「ものまね」「パクリ」と呼べるだろうか?
確かに“ものまね”には違いないのだが、「目的がものまね(再現)」だけに
逆に“確かな技”や“精度”などが求められたりして。

そこまでオリジナルのバンドに拘らないでも
“雰囲気を醸し出す”だけでいんじゃね?みたいな
オリジナルの“亜流”みたいなバンドも当然出てきている。
この辺を「リスペクト」「オマージュ」と評されるかどうかは
そのバンドの実力と、継続性だろうと思う。

今の自分あたりは大歓迎だけどね。

いつもながら前置きが長くなったがマスターマインドである。
このバンドが出た20年くらい前(もっと前?)には上述した通り、
“まねっこ反対”的な考え方が強かったので
あからさまにEL&Pのコピー・バンド然とした音に怒りを覚え、
全く興味を持たなかったのだ。
初めてみた彼らのアルバム(実はこの2nd)のデザインも
3流臭がプンプンしていたし。

ところが
このあいだ、EL&Pの再結成ライブを買う際に
横にこのマスターマインドの2ndが並んでいたのだ。
まあ、安かったこともあり勢いで一緒に購入したのだった。
そしたらどうよ。
この30年越しのEL&Pよりも、よっぽどEL&Pっぽいワケよ。
まさしく自分が聴きたかった(期待していた)全盛期のEL&Pの音が
そこにあったのよ!

情報が欠落しているが、マスターマインドは兄弟2人で演ってるらしい。
しかもこの音でキーボードがいない!
全てギターの音色加工で「キースの弾くキーボードの音」を出しているらしい。
兄がギター、ヴォーカルで弟がドラム、パーカッション。
このユニットでEL&Pっぽい音を出すんだから
もう狙っているとしか言いようがない。確信犯だ。

収録曲は丁度「タルカス組曲」のような感じで
非常にアグレッシヴでカッコいい!
EL&Pの曲(フレーズ)も部分的に引用(意識的なパクリ)したり
なかなかオチャメだ。
「ワルキューレ」「ウイリアムテル」などのクラシックもハードなアレンジで
ケレン味たっぷりに演っている。

“全盛期のEL&Pの音を聴きたい”という欲求は
図らずもマスターマインドで解消したのだった。

EL&P「ハイ・ヴォルテージ・フェスティヴァル 2010」CD感想

2014年12月10日 07時45分12秒 | ロック
あまりに残念なEL&Pの再結成ライブCDの感想を…。

自分は(多くの人がそうかもしれないが)
彼らの全盛期を「恐怖の頭脳改革」までとみているので
それ以降の楽曲はあまり興味が無い。
このあいだ、どうしてもEL&Pの、自分がまだ聴いてない音源を聴きたくなったのだ。
中古ショップで「展覧会の絵」のスタジオ版が収録されたアルバムを探したり、
海賊盤のBOXを探したりしていたのだが、フト再結記念ライブCDが目に付いた。
これは丁度いい!何がって、演っている楽曲が全盛期のものばかりなのだ。
ボリュームも2枚組で2,500円(中古)とお手頃だ!
ただ、ジャケットのグレッグの巨漢ぶりがやや気になったが…。

自分の場合は、同じアルバムのライブを聴きたいと思った時に
アーティストが演るたびにアレンジとかを変えて演奏しているのならいいが
ギター・ソロが若干違うぐらいで毎回ほぼ同じパターンで演奏しているのならば
そのアルバムのライブは1回(ライブアルバム1枚の事ね)で十分だ。
当然、熱狂的なファンは、同じ時期のライブでも海賊盤まで漁って
音源をコレクションしたりするだろうし、その気持ちもわかる。
海賊盤の演奏内容がオフィシャルのそれよりも評価が高いといった現象もよくあったし。
EL&Pもそんなバンドだったと思う。
友達のプログレ野郎は
海賊盤の内容が「レディス&ジェントルメン」を超えたと豪語していた。
自分はそこまでこのバンドに入れ込んでなかったので
“演奏内容はともかく、どうせ音質は海賊盤特有の低クオリティでしかないのだろう”と
タカをくくり聴かせてもらうこともしなかったしな。

で、この再結成EL&Pのライブである。
ツェッペリンやブラック・サバスの再結成ライブが、そこそこの演奏内容で
ファンを喜ばせるという昨今であるからして、EL&Pとて期待しても良いのではないか?
あの輝いていた頃の楽曲を、現在の彼らがどう演奏するか?が
非常な興味として購買意欲を掻き立てたのだった。

結果は期待していただけに残念なものだった。
期待していただけにね…。
グレッグの体格をまんま音にしたかのような“大味な”演奏。
サッパリ感じられない“緊張感”や“鋭さ”。
まあ、せめてもの救いはヘタにアレンジされて原曲をブチ壊していない事か。
音質も高域とかがあまり伸びていないし、音も籠っている感じがする。
技術的にはもう少しマシな録音もできただろうが、
所詮“お祭り騒ぎの再結成記念ライブ盤”という企画モノで
そこにはアーティストの意識というものはあまり反映されていないのだろう。

シロウト考えでもこのライブ盤を
オフィシャルな彼らの“ライブ・アルバム”としてカタログに加えるのは
いかがなものかと思う。
これならば、マンティコアがジャケットになったライブBOX(4枚組だっけ?)を買っとけば良かったぜ。
ディスク2には、きっと自分の期待した全盛期の音が詰まっていたに違いない。

やれやれ。
キース、君らちゃんと練習した?こんなもんでエエやろ的な妥協してない?
かつての美声を期待してたワケでもないが、想像以下だったのには唖然としたぜグレッグ。
カールは逆に走らんようになったね。つまんなくなったけどな。

マニュアルって読まないよな

2014年12月09日 00時16分43秒 | オーディオ
またしてもAVアンプVSA-1019AH接続ネタである。

前回は“スピーカーB端子”にあたる接続を見つけたという話で
あやうくもう1台アンプが増えてしまう(それも良いのだが)ところであった。
今回は光音声の問題である。しかもやはりVSA-1019AH固有の問題のように思う。

皆さんはTVとBDレコーダー、AVアンプをどのように繋げているだろうか?
サラウンド再生などを考えなければ、HDMIコードで
TVに全てのレコーダー(ウチには3台ある…)を接続してしまえば簡単だ。
経済的にもコレが一番だし。

次にサラウンド対応としては
まず全てのレコーダーをHDMIでアンプに繋ぎ
アンプをセレクターとしてTVに映すヤツ。
この接続の難点は、TVとレコーダーに加え
例えサラウンドで再生したくなくてもアンプに電源を入れなければならない事だ。
メンドーかつ不経済だ。

そこで上記2通りの良いとこどりの接続方法として
全てのレコーダーをHDMIでTVに繋ぎ、
TVに付いている音声出力(光ケーブル)のみをアンプに繋ぐ方法だ。
こうすればバラエティなどを再生する時にはアンプの電源をいれずに済むし、
TVの入力切り替えと音声は当然リンクしているので
常に映っている画面の音声がアンプに流れるワケだ。

長らくはこれで何の問題もなかったが、
以前ブログに書いたように“サラウンド再生されない”BDソフトが出てきたのだ。
たとえばエヴァンゲリヲン「Q」とか「忘年のザムド」「スターウォーズep1~3 BOX」とかだ。
DTSマスターHDサラウンドとかPCMマスター・サラウンドとか
主に“マスター”が付いているサラウンド形式がヤバイ。
こんな時はPS3で再生していた。コイツのみ全てのサラウンド形式がOKだったのだ。

自分はこの現象をBDレコーダーやAVアンプが、最新のサラウンド形式に対応できていないせいだと思っていた。
ところが!毎度毎度マニュアルを良く読まない自分の知識不足で、
問題は音声とアンプの接続方法にあったのが判明したのだった!

結論を簡単に書くと、HDMI接続でアンプとBDレコーダーを繋いでさえいれば
現状のサラウンド形式(少なくとも「自分がサラウンドしない!と騒いだソフト」)は
全てシッカリとサラウンドで再生される。
しかし光ケーブル接続だと、幾つか対応しないサラウンド形式がある。
…という極めてシンプルな決着だ。

なんてこった!
光ケーブルは音質の面でHDMIケーブルと同等か、それ以上と考えていたので
そこに問題があるとは思ってもみなかったのだ。
VSA-1019AHのマニュアルを熟読してみると、
なんと光のインプットはサラウンド再生形式がHDMIより制限されているではないか!
なんでやねん!と怒っても仕方がない。
VSA-1019AHがそういう仕様なのだから。

そうか、で、アンプとHDMI接続されているPS3がオールマイティーだったのだな。
謎が解ければPS3以外にも1台、レコーダーをHDMI接続すれば良いだけの話だ。
PS3はあまり使いたくない。PS2ソフトが遊べるというのがメリットの
恐ろしく発熱する初期ロッドの製品なのだ。
しかも立ち上げにBDレコーダーより手間も時間もかかるしな。

やれやれ。
光のインプットさえ充実していれば最初から何の問題もなかったのに。
この仕様はVSA-1019AH固有のものだとは思うが、
でもわざわざ光の性能を落とすってのも疑問だ。
ひょっとして光ケーブルってどのAVアンプもこんな感じなのか?

ボーナスって呼び方は

2014年12月07日 13時20分01秒 | ロック
トートツな話だが、Yesの“シベリアンカートゥル”という曲が好きだ。
9分ぐらいある長尺の曲だが、全く長さを感じさせない
イケイケ感と緊張、静謐さが合わさったイカす楽曲だ。
Yes初体験「イエスソングス」(ライブ)のオープニングがこの曲で
そらもうエラくかっこ良くて、当時ハードロック野郎であった自分も
このバンドに夢中になったのだ。

数ヵ月後、プログレ野郎の友人の家でスタジオ版の“シベリアンカートゥル”を聴いた時、
ライブでの荒々しい印象とは違う緻密でアコースティックな、
それでいてカッチリとしたドライブ感のある曲の佇まいにビックリしてしまった。
改めて惚れ直したのは言うまでもない。

で、今回のブログのテーマにかかわるのはここからだ。
Yesリマスター(ライノ版)「危機」アルバムを頭から聴いて
オリジナルLPでは最終曲である“シベリアンカートゥル”が終了すると
ライノ版リマスターの目玉であるボーナス・トラックが始まった。
おお!なんとこの違和感たるや!
こっちは「アルバム終了」のイメージがあるので
いきなりボートラが始まってビックリだ!

実はYesの場合、ライノリマスターBOXを買った時点で
ボートラはボートラだけで聴いて
ボートラ付きのYseのアルバムを頭から聴き倒したコトはなかったのだ。
特にYesの場合は、アルバム全体での構成が非常にコンセプチュアルなので
聴くこちら側もそれなりに同調して聴いていたりしていたのだ。
…そう、LPレコードの時代はな。
自分の場合、耳タコで聴いていたのはその時代が主だったので
その構成も記憶にしみ込んでいるのだ。

だから「危機」は“シベリアンカートゥル”で終わるというのが
今でも正しいと思うし、終わらなければならないとまで思う。
ボートラを入れるならば、無音状態を数分間挿入してもらいたいぞ。
または無音トラックを挿入するかだな。
少なくとも続けざまに「おまけ」が始まるよりはずっとイイ。

耳タコ状態のアルバムほどこういった感覚は強い。
しかもみんなLP時代から聴いていたアルバムに対して発生する。
ツェッペリンⅣの“レヴィーブレイク”の後にデモ版あたりの
“ロックンロール”なんかが始まったらどうよ?
やっぱ違和感あると思うんだよな。

…という感覚はベスト・アルバムを聴いたときにも起こったりする。
同じアルバムからLPの曲並びと違う順序で構成されていたりすると
どうもしっくりこない。
こうした現象を避けるためか
最近では、同じアルバムから曲を選択していた場合には
オリジナルと同じ順序で収録されているベスト盤も多い。
そうそう、曲が飛んでいてもこちらのほうが違和感が少ないかな。

ボーナストラックは良いんだよ。
むしろ昔の音源再発なんかはゼヒ入れて欲しい。
ただ!
オリジナルのイメージを守る意識も必要かなと…。
つか、ミュージシャン側ってどう考えているのだろう?

ジョン!、クリス!あんた達のことだよ!