メインストリートのうつけもの

ロックンロールにゃ歳だけど、死ぬにはチョイト若過ぎる?

PSO2でも突きつけられる己の本質

2015年01月29日 01時17分00秒 | 日記・コラム・つぶやき
基本的に自分は“凝り性”だと思う。
もちろん人によって程度の差はあるだろうが。
自分の場合はPSO2のゲームのハマリ方に象徴されるように
ぎゅーっと入れ込んだかと思うと、その反動で飽きるのが早いとも言える。

PSO2で言えば
一人のキャラクターでもレベル上げが大変だというのに、3人もキャラ作って
武器を使い回しさせるためにそこそこレベルを合わせたりなんかしてな。
(レベルが武器の要求値に達するまでそのクラスをがんばる!)
しかも今度は“サブクラス”までレベル上げをするとなると
なんと!6人分のキャラ(クラス)を育てなくてはならないのだ!

自分でやっててナンだが
この“育てなくてはならない”と考えてしまうのが既にアレだ。
別にそんな必要はないのだ。
素直に一人分のキャラ(クラス)を最後まで育てりゃいいのだから。
変な所に拘りと完璧主義(この場合、極めて狭量なコトを指すが)が出てしまう。
もちろん他のクラスに興味もあるってのは前提だが。
まあ、言い方を変えれば
“自分で風呂敷を広げるだけ広げておいて回収できずに終わる”ってヤツだな。

このブログを見ている方ならお気づきだろうが
結構、興味の対象が一時的というか
継続性が無いとお感じではないだろうか?
こういった性癖なので、完全に食い散らかし野郎になっているな。

またPSO2の例で恐縮だが
そのくせ「他人に気を遣うのはイヤ」なので
パーティー・プレイは避けたりなんかして全くレベルが上がらない。
そのうち飽きちゃうのだな。
でもさ、参加したパーティーが友人・知人ならともかく
明らかに能力的に劣る自分が他人さまから
“寄生(何もしない)”だの“地雷(面倒をかける)”だのと陰口たたかれるよりは
ストレスが溜らないゲームとの付き合い方だと思うのだ。

所詮、コッチはサラリーマンの暇つぶしさ。
そんな熱くなるなって。
ナニ怒ってんだよ。
こんなヤツ(自分)が参加してくるなんて想定ぐらいしてろよ。
あんたらベテランなんだろ?
そこが大規模MMOの醍醐味ってもんじゃないか。
いやならお友達とエリート集団でも作ってやってたらどうだ?

…なんて開き直れない自分。

そもそも支援クラス(回復や能力アップの魔法をパーティー・メンバーにかけるなど)
とされる職業を選んだヒトが、本当に「自分は他人の支援にまわりたい!」という
高尚なというか奇特な意識でそのキャラを動かしている保証なんかないのだ。
そりゃあ運営側や、ベテラン参加者が“役割期待で”そう望んでいたとしてもだ。
         
「支援クラスはかくあるべき」というのは分かる。
ハンターやファイターのパーティー内に一人だけ魔法使いがいたら
“回復(の魔法)は任せた!”と暗黙のうちにみんなが思ってしまうだろう。
ただ、その魔法使いは自分が生き残るのに精いっぱいで
他人のHPゲージが目にも入らない状態という事だってあり得るじゃんよ。

人生いろいろでキャラもいろいろって事で
他人をメッチャ批判するってのはやめにしちゃどうだろうかね。
まあ、発言(感想)の自由ってやつも分かるんだが。
古株の「リネージュ」というゲームも同じような問題があるらしいし
ある程度月日を重ねると仕方が無いのかもしれないな。

やはりこっちの付き合い方でバランスとるしかないか。
今回はグチばっかだったな。
いやさあ、自分もパーティーに参加出来たらなあなどと
チラっと思ってみたのでね…。

なんかスマン。

PSO2 まったりと再開しました

2015年01月27日 20時55分54秒 | 日記・コラム・つぶやき
溜まったアニメ観ていたり、編集していたり
何よりもチョットした”飽き”もきていたので長い間休息していたPSO2だが
最近また再開してみた。

自分の選んだクラスにも”サブクラス(裏の職業)”という設定があって
また違ったクラスのレベルを上げる事によって
当初自分が選んだ表のクラスにも影響(もちろん乗算される)するというものだ。

…なんだ、こんな仕組みがあるのなら
良いアイテムを拾った場合、現在のクラスでは装備できないモノでも
クラス・チェンジで持てるじゃんか。
わざわざ3人もキャラ作る事無かったなあ。

で、このクラス同士が”合う/合わない”があって
無闇なカップリングは意味をなさなかったりするのだ。
一応、せっかくだから3人がカブらないように決めてみた。

その中で、これから入れ込みたいキャラはフォースという魔法使いだ。
サブクラスには同じく魔法を使う職業で”テクター”というヤツに決定。
ネットでの評価では2つの相性は良いらしい。
この職業は打撃技もできる魔法使いなので育成が楽なカンジだ。
(もちろんその分、魔法力はフォースに劣るが)
なにしろフォースは”マジック・ポイント”が切れたら
非力な肉弾戦か、火力の弱い銃火器で応戦するかして
マジック・ポントを稼がなければならないのだ。

で、表のフォースの魔法属性は「炎」だったが
裏のテクターは「闇」にしてみた。
発動エフェクトがナニヤラ黒い飴みたいなのが空から垂れてきたりして毒々しい。
文字通り”毒”の魔法なのだ。コイツはほかの属性よりも強力らしい。
それにキャラの外見も課金しない範囲内でいじってみた。
やっぱこういう作業が好きなんだよなあ。
どうだろうか。「闇」の魔法使いの演出なのだ。

ゲームの仕様変更によるスキルの振り直し用に
セガ(運営会社)から「スキルのリセット券」が送られているので
場合によっては表の「炎」属性フォースも変更が可能だ。
思い切って他の属性を試してみるのも一興だ。
例えば「雷」とか。
これもエフェクトが派手で面白そうだ。

「ユリ熊嵐」幾原監督の芸風炸裂!

2015年01月17日 17時33分50秒 | アニメ
先般書いた“2015年冬アニメ”の雑感に追加したい。
「ユリ熊嵐」という破壊力のある作品だ。

2話まで見たところでの夫婦のやり取りを引用しよう。
自分「いやあ、この監督(幾原邦彦)は相変わらずの世界観だなあ」
カミ「見ていて気分が悪くなる」
自分「ユリの描写(ハダカでのレズシーン)が多用されてるから?」
カミ「いや、人を熊が食べるシーンがイヤ」
自分「直接描写がないのに?」
カミ「あの“ガリガリ”“ゴリゴリ”という音(←食べてる当の熊がしゃべっている!)がリアルでイヤ」
  「これに比べれば“東京グール”“寄生獣”の方がよっぽどソフトな感じ」
つまり低レベル(お色気シーンに特化した)ハーレム・アニメなどと同じく
カミさんについては視聴停止作品になってしまったワケだ。

自分はてっきり“あからさまなレズの絡みシーン”が原因かと思ったのだが…。
なんかおチャラけたエロシーンというよりも
“ズバリ行為そのもの”を特に茶化すでもなく描いてしまう
まるで18禁棚に並ぶエロアニメのようなスタンスの覚悟というか。
ただ、乳首とかが描きこまれていないだけでオッパイなんかバンバン出てくるしな。
しかし「輪るピングドラム」のキャラデザのようなキッチュな絵柄に
欲情するかどうかもアレだし、そもそもそういったリビドー直撃の作品とは全く違うのだが。

これに匹敵する“おいおい、TVで大丈夫なの?”と思ったアニメは
過去には「聖痕のクエイサー」「一騎当千」「LOVE STAGE!!!(ホモだけどな)」が記憶にある。
いずれも直接的な“性行為”の描写があったアニメだ。

それらの作品も「ユリ熊嵐」の全体を覆うユリエロ・フレイバーの毒気にはかなわない。
それにカミさんの言う“人喰いのシーン”も言われてみればチョット凄い。
“ムシャムシャ”でも“ベチャベチャ”でもなく
かわいい顔をして“ガリガリ”“ゴリゴリ”である。
それは骨まで噛み砕いて食べる、正に見る側に恐怖を抱かせる
残酷でいて凄惨な擬音だ。

この監督の劇場版「少女革命ウテナ」では
やはりユリなのだが濃密なエロを感じるシーンがあったし、
「輪るピングドラム」では
子供が無慈悲に機械に投げ込まれて大量に処分されるシーンがあった。
にもかかわらず演劇的なあり得ない場面展開で
ややコミカルな方向に引っ張るという力技を披露する。

今、TVアニメでこれほどまでにアクの強い作風をかますのは
幾原監督と新房監督ぐらいじゃないかなあ。

いずれにしても「ユリ熊嵐」の今後が楽しみだ。
このままブッとんだ着地点に向かって突き進んでもらいたいものだ。

2015冬アニメが始まったが!

2015年01月13日 18時19分34秒 | アニメ
いや、なんかもう今期は不作と言うしかないのか…。
前期から続いている作品はさすがに面白いが
有象無象の新作アニメの視聴は“見るに堪えなく”最後まで見届けられないモノが多い。
それはまず “基本的に絵が下手”もしくは
“自分の好みから大きく外れたキャラデザ”なうえに以下の条件が揃っていない
作品なのだ。

自分が思う(期待する)に、アニメの第1話というのは
「次回が期待されるストーリー展開になっている」
「ネタばれにならない程度に世界観が提示されている」
「登場人物に共感できる」

この条件さえあれば、多少難のある絵柄(キャラクター・デザイン)でも
2話目以降も観てみようかとなる。
最近のアニメは“まったり日常系”とでもいうのか
どこに向かっているのか?ナニが言いたいのか?
1~2話観た程度では判らないような作品が多くなってきている。

実はハーレム展開も嫌いなのだが、ソレ言っちゃうと
昨今の殆どの作品が引っかかってしまうので敢えて無視している。
しかし、本当に視聴者はハーレム展開を望んでいるのだろうか?
自分の世代でいえば「うる星やつら」あたりが元祖だろうか。
「ああ!女神さま」あたりか?
女性がメチャ積極的で、男のほうが引いてしまう構造からすると
うる星が近いかもしれない。
でも異星人で電撃をかまし、人前はばかることなくベタつきたがる女ときたら
諸星でなくとも引いちゃうだろう。
こう考えると昨今のハーレムとはやはり違うかな。

最近のは“やや天然気味”で“相手へのアプローチはあからさま”なくせに
実際に手を出すと“嬉しそうに嫌がったり”するパターンと
“いつでも抱いてくれ”的な一直線パターンが同居している。
男の願望としては分かるが、あまりに類型的で
「ああ、またコレか」と本当に辟易してしまう。

連ドラではそんな場合でも男が手を出してしまい
本命の彼女、その他廻りの女子とドロドロの関係になっていくのが常だが
さすがにそうはしたくないのね。
あくまでちやほやされまくりのどっちつかずの状態であるのが重要らしい。

ライト・ノベルがベースとなっているから仕方がないとも言えるが
そのライト・ノベルがハーレム・インフレに陥っているのではあるまいか。
おそらく文章になっていると
まだ読み手の想像力でバリエーションがあるように思えるのだろう。
ところが、やっつけ量産のアニメ演出では
記号的な行動パターンに当てはめてしまうので全部同じになってしまう。

オリジナルな原作でのアニメが少ない中
第1話で“つかみ”をとるには、この辺の設定にスポットを当てるってのが
鉄板と考えているのだろうか。

制作側に緊張感が無いと思われるもう一つの要因は
“TOKYO MX”での放映がメチャクチャ多いということだ。
これはもうゲーム会社(数社)、カドカワをはじめとする出版社(数社)の
持っている放送枠の中でのやりくりと思われる。
従って、普通ならスポンサーを募る、説得するなどといった
アニメ作品の中身までもが揺らいでしまう駆け引きが無いために
ユルイ作品が生まれ続けているのではないだろうか。

無料で見ていて文句垂れるのはいかがなものかとも思うが
アニメの質の低下を黙ってみているのもアレなので。

「マーダー•ライド•ショー 1&2」感想

2015年01月11日 13時16分39秒 | 映画・テレビ

年末に録り溜めていた映画をイッキ観した。
前評判ではケッコーな残酷ホラーと聞いていたので
カミさんが出かけて留守になったチャンスを活かしての視聴となった。

彼女は最近“あまりに残酷なのは観れない”というスタンスなので
アニメの「マルドゥック・スクランブル」とか「ヘルシング」さえも
一緒に観ていて心配になってしまった。

で、雑駁な感想としては「1」と「2」では
まるっきり感触が違う作品になっている。
監督も同じで登場人物も同じであるにもかかわらず、だ。

「1」 よくあるスプラッター&サイコ・ホラーのパターンで
殺人鬼一家の家に拉致された訪問者の悲劇を描いたものだ。
狂気の笑いとスプラッターが織りなす地獄絵図だ。
系としては「ホステル」シリーズに近いかな。

「2」 上記殺人鬼一家が警察に追われながら
殺人を重ねていく70年代のアメリカンなロード・ムービー仕立てだ。
非常に乾いた感触で、音楽の選曲が抜群に良いのが特長。
「バニシング・ポイント」とか「ナチュラル・ボーン・キラーズ」あたりに近い。

監督のロブ・ゾンビ(すげーイカシた名前でしょ?)は
アメリカのヘビメタ(インダストリアル?)系のミュージシャンで
自分は彼のデビューとなるバンド「ホワイト・ゾンビ」からずっと聴き続けていた。
彼は結構な映画&アニメおたくで、ヘビメタ・ナンバーのSEに
日本エロ・アニメの黎明期を支えた傑作「うろつき童子」のセリフなんかもサンプリングしていた。

そんなロブが満を持して作ったのが「1」だ。
当時の彼の志向性が見事に結実した映画になっていて、
ホラー映画の“いいとこどり”をしたような楽しい?作品になっている。

しかし、「2」で化けたのだ。
多くの人が言っているように“傑作”と呼んで差支えないだろう。
もうオープニングからして素晴らしい。例の殺人鬼一家が
警察に囲まれて一斉射撃の中を逃げきるところから物語は始まる。

逃げる道すがら老女を殺して車を奪うところで出演者とタイトルが出るのだが、
バックには牧歌的なサザン・ロックが流れている。
どピーカンの炎天下の中、ナイフで老女を刺し殺す場面が
ブレブレのストップ・モーションで流れていく。
なぜか「イージー・ライダー」の一場面をも思い起こされる。

残酷なのに、ミョーに軽妙なのだ。
乾いたテキサスという土地も非常に効果的に映されている。

2作品目でこんなにシブイ?映画を作ってしまうなんて!
やはり“おたく”の拘りは凄いと言うべきか。
惜しむらくは「1」の続編であったことだ。
別のタイトルで作っていたら、もっと別の評価が下されたかもしれないし
ホラー・ファン以外の人にもアピール出来たかもしれない。

殺人鬼一家も「1」で見せた“顔の皮剥ぎ”こそ「2」でも健在だったものの
今度は一応“殺人”にも目的や理由が出来てしまっている。
“逃げるために邪魔なもの”といった理由だ。
これは“ナニを考えているか分からない不気味な殺人者”から
一挙に人間味が出てしまったと言える。

もちろん理不尽な暴力も至る所に出てくるのだが、
隙をつかれて、拉致した獲物から反撃されたりもしている。
最後なんかは、兄を殺された復讐心で殺人鬼一家を追い詰める警部と
どっこいどっこいの感情移入をしてしまう有様だ。

いや、むしろあの殺し屋(トレホ!)を雇ってまで追い詰める警部よりも
ひ弱に映るあたり、こっちの一家を応援してしまう人もいるかもしれない。
…ぐらいの演出なのだ。

最後のシーンからエンド・ロールに移行する流れも傑作の佇まいだ。
ロード・ムービー・ファンならホラーというジャンルに惑わされることなく
ぜひ観てみたら?とオススメ出来る“珠玉の”名作だと思う。

ちょっと褒めすぎか?

アクセルが体現するROCKの原点  <追記&訂正アリ>

2015年01月09日 15時49分36秒 | ロック

年末だか正月だかに「ガンズ&ローゼズ」「マドンナ」のライブをMTVで放映していた。

マドンナはチョット見では往年の肉体を維持しているようだった。
さすがに身体能力は衰えてきているようで、
全盛期の激しいダンスこそ無かったものの
55~56歳ぐらいでアレだけのパフォーマンスを演れるのだから
これは大したものだと感心せざるを得ない。

ステージもどこぞのスタジアムで、
セットはオペラ演劇のような…いや、それ以上の大掛かりなものだ。
ダンサーも逆関節をキメる暗黒舞踏団のようで
凄い!を通り越してキモ!の領域になってしまっている…。
演出も、音と映像でステージをコントロールしていて
スタジアム・ライブでよくあるような
“拡大スクリーンでステージを投影”といった事はやらず、
完全にステージを盛り上げるためのイメージ映像になっていた。

もっともこの演出は
マドンナが老化した顔のアップ・ショットなどを嫌い、
計画的に自分自身のアップ映像を“映さない”
という事だと睨んだがどうだろうか。
お得意のコルセット姿でアップの時は
白黒の画面や静止画になっている…。
よほど完璧主義者なのだろうな。

マドンナはコンサートの主役であるかもしれないが
そのステージはミュージカル劇団の一団員でしかなく
50名はいるであろうダンサー達が見せ場を作っているといっても過言ではない。

昔からマドンナは宗教に関わった詩を歌っているが
その度合いが非常にエキセントリックになっていて
“神罰”というとらえ方がチョット異常に重い。
「パパ・ドント・プリーチ」たるや
悪魔(の格好をした暗黒舞踏ダンサー)がマドンナを
地獄に浚っていくといった演出になっている。
いやはや…。

対してガンズはどうだったかというと
まず驚いたのは…つか、やっぱりというか
アクセル・ローズの肥大した姿だった。
白人ミュージシャンは歳とって太るケースが非常に多いが
例に洩れずといったところだろうか。

そうそう、自分はガンズをライブ・アルバム以降聞いていなかったのだ。
最新(?)アルバムだって聴いていない。(自転車のジャケットのやつ)
丁度、アメリカンなロックに飽きてきた時期だったのだろうと思う。
だからアクセル以外では、誰が正式メンバーになっているかを知らなかったし
ハッキリ言って今更興味もない。
だからと言って、
自分の持っている彼らのアルバムの価値が下がるわけでもないし
むしろアメリカン・ハードロックの珠玉の名作として
語り継ぐことだって厭わない。
つまり自分にとってガンズは完全に“過去の”バンドなのだった。

で、そのライブだが、どうもスラッシュがいない感じだ。
年齢も若いカッコ良い兄ちゃんが3人ばかしでギターを弾いている。
キーボードもいるな。ドラムは黒人か。
演奏はソツがないし、結構イケてると思う。
このメンバーでのツアーをこなしてきてる様だ。
肝心のアクセルも太ってはいるがそこそこ歌えている。
(もっとも全盛期のハイ・トーンで伸ばす歌い方は出来ていないが)

マドンナのライブの壮絶な“作り込み”に比べて観ちゃうと
ガンズのライブは正直ユルい。まるでアクセルの体型を現わすように。
ただ、これぞ“ロケンロール”ではなかろうか。
若いころ“ひと山当てた”バンドの中心人物が、引退よろしく過ごした揚句
思い出したかのようにアルバムを出してみる。
そしてツアーして、またそこそこのお金が入る。
その間、別にアスリートでもないのだから、酒池肉林でデブる。
このユルい、気ままな生き様こそがROCKなのだと思う。

もちろん、歳とっても鍛えるミック・ジャガーのようなヤツもいる。
あれはもう趣味の領域ではないか?
彼なんかはアスリート気分なのだろうな。
それはそれで立派だ。

そりゃあ、ジジイやババアになってもカッコ良いに越したことは無い。
昔からファンだったヒトが「劣化した!」と騒ぎ立てる事も
最近多くなってきているな。
でもさ、“老ける”=“劣化”か?と言いたい。
人それぞれ色んな老け方があるのだから
太ったって仕方ないじゃんよ?
皺が増えて面影も薄れてきたってさ。

で、それを整形して若返ろうものなら
ソッコーでまた“お直し済”などと叩かれるのだから
特にネットの世界なんて始末が悪い。
“キレイに老ける”のは至難の業なのだろうか。
いや、ほっぽっといてくれれば
みんなそれなりに着地すると思うのだが。

時の流れを有効にコントロールしていくマドンナ。
時の流れのまま、好き放題に過ごしていくアクセル。
両者ともに楽しいのだろうが、やっぱ後者に魅かれる自分であった。
あの今のアクセルの体型こそがロック者の到達点ではなかろうか?
あとは趣味でダイエットとかすればOKだ。
それも金をかけてな!
イエーイ!

<追記>
いやあ、「スラッシュ」のライブもMTVから録っていたのだ。
当然、ガンズのライブと見比べちゃうわなあ。

ほほう、こっちのヴォーカリストは若いころ(痩せてたんだぜ)のオジーのような風貌。
そして若いころのアクセルのような声と歌い方だ。
これは寄せてきている!ガンズは俺達なんだよとでも言いたげな!
そしてガンズのナンバー”You Could Be Mine" を演奏すると、もう狙い通りの展開だ。
さすがにカッコ良い!当たり前と言えば当たり前だが”現役感”バリバリである。
そこでガンズの同ナンバーの演奏シーンと見比べてみると…

やややや!アクセルは明らかに”口パク”ではないかっ!!
コイツはすぐマイクを口から離すパフォーマンスが癖になっているらしく
非常に判りやすい。もはや公然の事実であるかのようだ。
もうちょっとシッカリ取り繕えよ、アクセル!
もうガッカリだぜ!

今まで十分なパフォーマンスが出来なくなったヴォーカリストが
ステージで醜態をさらしてきたライブは沢山見てきたが、
それでも潔く”現在の自分”を曝け出していたのは
今回のライブのアクセルに比べれば何億倍もマシだ!

自分の中では口パクは”ロック者”にあってはならない行為なのだ。
トミー・ボーリンがパープル時代に残した「ラスト・ライブ」の
コカインでヘロヘロになってロクにギター弾けていないパフォーマンスや
EL&Pの結成30周年記念ライブのまったりパフォーマンスだって
エア演奏かませられるよりナンボもマシなのである。

いや、つかもうそれをも含めて
”ショービズの世界に生きるロック者”として
今のアクセルには何でもアリなのかもしれないし、
きっとアリなのだろう。すべてOKなのだ。

往年の美形キャラからヒグマのような体型でカムバックし、
口パクでビッグ・ステージをこなして大金を稼ぐ。
むむう。
これも”世間騒がしてナンボ”のロックな生き様と言えなくもない。



劇場版「ナルト ROAD TO NINJA」感想

2015年01月03日 19時40分20秒 | アニメ
正月は嫌いだ。
仕事は元旦からあるし、しかもクリスマスが近づくあたりから超がつくほど忙しい。
楽しみに(?)しているTV番組は特番で潰れるし
およそこちらの生活にとってプラスになっているとは言い難い。

さて、2日は休みだったので録画アニメを見渡してみれば
案の定、特番とかでロクに録れていない。
そんな中でカミさんが「NARUTO」の劇場版を録画していた。
合間のCMで盛んに“ナルト映画の最終回”を流していたので、
一種のプロモーション放映だったのだろう。

ウチはアニメで“中忍試験編”が終わり、
放映時間(曜日)が変更になったあたりで観なくなってしまっていたので
時系列が追えなくなっている。
ただ、時々放映される劇場版は観ていたので
ガマ仙人がいなくなった(死んでしまった)事ぐらいは把握していたが。

その劇場版のアニメは“当たり・はずれ”があり
やはり原作以外のストーリーというのは“オマケ”的な感じは否めない。
今回の話もさしたる期待感が無くボンヤリ観ていたのだが
これがなかなかオマケ的な話ながら“泣かせる”展開で面白かったのだ。

ナルトとさくらが敵の術中にはまり
現在とは違うパラレルワールドに飛ばされてしまうといった話で
ナルトは両親が生きている世界(だから火影の子供という設定ではない)
さくらは両親が死んでいる(ナルトの両親死亡の設定と同じ)世界を
まあ、いってみれば逆の境遇を体験することになるのだが、
このまとめ方が映画館で親と子供が一緒に観ることを考えると絶妙なのだ。
いや、まったくいい仕事をする人達はいるものだなあと。

その話の中で、さくらやその他ナルトの同期生達が
親に「上忍に推薦してもらう」というくだりがあったが、
ナルトってまだ下忍だったのでは…?
他のみんなってもう中忍になっていたんだっけ?
と、基本的な事が判っていなかった自分。
ナルトって特殊任務は任されるわ、死闘は繰り返しやってきたわで
かなり“強い”忍者になっているのでは?
性格はちょっとアレだけど。
まあ、この劇場版はソコ重要じゃないからいいけどさ。

子ども向けという性格が強い作品ではあるが
NARUTOのファンであれば楽しめる作品になっていると思う。
エンドロールの音楽がアジアンカンフー・ジェネレーションっていうのも
夢中になってナルトのアニメ観ていた時代を思い起こさせて
また泣かせるわ。
思えば“中忍試験編”は燃えたなあ。