メインストリートのうつけもの

ロックンロールにゃ歳だけど、死ぬにはチョイト若過ぎる?

ジンガリOCM-106 本当の姿を今更・・・

2015年06月27日 06時37分36秒 | オーディオ
なんという事だ!
2階のオーディオ・システムで聴いていた音は何だったんだ?
記憶と異なるスピーカー像に仰天だ!

事の発端はこうだ。
「そろそろ2階のジンガリも1階に持ってきて本格的に鳴らしてみるか。
 なにしろ以前、2階でチョットだけ聴きなおした時は散々な音だったもんな。」
そう、上記で思い出してるのは昨年の11/21のブログの内容だ。
ついでにサラウンド・システムのメインSPをNHT-B3からボーズ121に変更。
NHTはそのままオーディオ・システム(アンプはFモールCA-S10)に繋いだ。

で、ジンガリから出た音は・・・
大筋では前回(14年11/21)ブログの時と同じ傾向の”低音が目立つ音”という
CECのアンプで聴いていた時…というよりはニア・フィールドで聴いていた時とは
180度傾向の違う音だったのだ!
しかも、ボーズ201AVMの広がる低域やボーズ1705IIアンプに繋ぐと低音が強調されるとかとは
全く次元の違う低音だ。マジで低い周波数が出ている。
ああ、こんなまっとうな低域は久しぶりに聴いたような気がする。
ユニットの痛みの問題で、現状では1階でスピーカー台に甘んじているスーパー・スワンで
聴いていた以来の低音といったところか。

クラシックではホールの響きが深く、パイプオルガンなどでは家自体が共振する低い周波数が出ている。
飯田明の周波数チェックCDでは40Hzあたりも音量豊富に再生している。
日本でこのジンガリOCM-106が発売された当時は”低域が出ない”という評価も散見されていたが、
そういう感想を持つのは2ちゃんねるのオーディオ・スレとかに出入りしてるヒトで
今となっては、本当にこのスピーカーを聴いていての感想かどうかは疑わしい。
オーディオ誌などでは概ね低域不足を指摘している評価は無かったように記憶している。
とにかくこれまで自分がオーディオ記事で散々使ってきた
「解像度」「透明感」という音質評価に「奥行感」なるフレーズを足したい。
それほど質量?を感じる低音と奥行なのだ。

期待した高域の出方はどうなんだというと”極めてフツー”なのだ。
このステキなホーンは見かけ倒しなのか?
ここで冷静になると、別にホーンが高域を際立たせるワケではないのだ。
スーパーツィーターでもあるまいし。
自分が勝手に思い込んでいただけだったようだ。
2階ではニア・フィールドで聴いていただけに
耳に直撃で高域が入っていて、その逆で中域・低域はスルーされていたという事だ。
やれやれ。

チョットここでヤマハのテンモニを繋ぎ直してみると・・・
こりゃあヒドイ!全く低域が出ていない。
もちろんその音域を担っている楽器の音は出ているが
然るべき量感も響きも感じられない。
これこそがテンモニへの巷の評価なのだ。
自分はこのYAMAHA NS-10Mに憧れていて”痘痕も笑窪”状態であったらしい。
音そのものが薄っぺらでナニヤラやかましいぐらいだ。
こんなに感想が変わってしまったのもジンガリの低域を聴いたからだ。

しかしこの低域に関しての実力差は
スピーカーたちの開発コンセプトそのものの違いだろう。
なにしろジンガリとヤマハ、SPの横幅はほぼ同じながら
奥行きが倍近くジンガリの方が長い。
テンモニときたら現代ではあまり見かけない
”奥行よりも横幅の方が長い”平べったいSPなのだ。
こりゃあ低域を捨てていると言っても過言ではないのでは?
ましてや密閉型だしな。

オーディオ・システムに繋ぎ直してみるとNHT-SB3も結構魅力的で
丁度ボーズ201AVMとジンガリの中間的な存在だ。
低域はジンガリ同様に割と低い方まで出ているし、
高域はジンガリよりも華やかな感じだ。

改めて比較して201AVMの音質傾向を書いてみると
華やかで前に出てくる音、フワ~っと広がる音像、
そこそこ出ている低域(しかし重心は高い…)といった
NHTやジンガリとまるで違うキャラクターで、
これはこれで素晴らしい。


ロックあたりを中心に聴いていると
「この曲の低域はこのぐらい」と決めつけてしまうのか
脳内で勝手に低域を補完してしまうようだ。
なにしろテンモニでピンクフロイドあたりを聴いていても
不満が出なかったのだから不思議だ。
オーディオ・ファン(マニアと呼ぶにはおこがましい)として
甚だ遺憾な感じだ。