孫とおじいちゃん,と古希過ぎのダイエット考

初孫が九歳、
二人目が満八歳になりました。

ドブログのブログと統合しました(2009-03-23)

29日 +0.9kg

2016-01-28 20:44:06 | Weblog
昨日は2025kカロリーでした。

甘利大臣辞任はあっけないものでした。
政治献金の定義のあやふやさが政治家の政治資金集めの脱税ツールにして当然としている。

菓子折りと祝儀袋がなぜ政治資金になるのだろう。
政治家の常識は一般人の常識と乖離があり過ぎる。

秘書が私用で300万円ピンはねするのもうるさく言わない先生が大先生なのか。
時代錯誤の政治の世界だ。

明らかになっただけでも辞任では足りず議員辞職すべきだが、総理は慰留したと報道されている。
狂っているぞ自民党。

そういえば、鳩山元首相の脱税問題も国会で説明していないな。
民主党も有頂天になっているとお化けが出るぞ。

28日 △1.4kg

2016-01-28 07:58:41 | Weblog
昨日は透析日、1663kカロリーでした。

「ゼロ戦」が再び日本の空を飛んだそうだ。
この飛行機は私の将来を決めることになった。

昭和20年台でエンジン機の模型を飛ばすのは当時のこどもにとっては贅沢な趣味だったと思う。
毎週日曜日、札幌大通り公園、中野島公園で早朝無風時を狙って飛ばしていた。

飛ばす仲間は米軍兵士が多かった。
彼らの飛ばす機体は、プロフィール型の「マスター」練習機が多かったが時々スケール機・「ムスタング」、「メッサーシュミット」、「スピットファイヤ」、戦勝国のモデル機が大多数だった。

ある日、とりわけ優美に見える緑色の機体が飛び始めた。
これが「ゼロファイター」だった。

私のお小遣いの額では到底手が出る品物ではなく、この機体の持ち主の回りをとりまく工作狂いの少年だった。
まず、排気量の大きいエンジンが必要であることが判ったが、流石に高額な遊び道具を親にねだる勇気が出なかった。

高校を卒業するまで入手出来なかった。
入手出来た時は、住んでいる周辺には飛行可能な土地がないほど日本も都市化した。

必然的に運搬用の「車」が入手できるまでは夢は実現できなかった。
実現できたのは地方勤務時代の昭和50年台である。

亡妻も文句も言わず道具、無線操縦機器を揃える私に「まるでこどもみたい。」と笑った。
もうすぐ完成寸前で東京転勤を命じられた。

この機体、無線操縦機器一式を仲間のひとりにプレゼントした。
飛ばしたという連絡がないのでもうスクラップになっているだろう。

この時から30年の時間が経っている。
昨日のゼロ戦の勇姿は私を少年に引き戻した。

1月27日(水)のつぶやき

2016-01-28 05:20:33 | Weblog