きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

新しいこと

2012年03月01日 | 羊、朝の一声
2月中、LAに滞在していたえんぢぇる師は、再び日本へ向けて旅立ちました。(参照:えんぢぇるコラム Back to Japan!

そして新しい月が始まりました。毎朝のデボーションは「出エジプト」になり、今朝の冒頭部分では苦難や迫害の中に働かれ、ご自分の民を強められる神様を見ます。えんぢぇる師は、今回仰ったことで、心に残った言葉のひとつに、『リバイバルのあるところには迫害があり、迫害のないところにリバイバルはない。』があります。国家単位で迫害が起きているアフリカ諸国や中国、北朝鮮のことを思うと同時に、今、私個人が直面する「神様から与えられている地」を思いました。そう、家族であり、職場であり、友人知人との人間関係です。

関係の齟齬を恐れ、安穏としたゆる~い関係を保つことばかりを考えているなら、そこに「リバイバル」はないのです。中川健一牧師は、リバイバルのことを「アウェイクニング=霊的覚醒」と呼んでいらっしゃるそうですが、目覚まし時計が鳴る瞬間、アラーム(警報)が響くその瞬間、少なからずの不快感を感じる(ひょっとして私だけ?)ように、しゃっきりと目覚めるためには何かしらの刺激が必要です。苦難や迫害は、単なる刺激と呼ぶ以上のものですが、その時だからこそ主を呼ぶ、主を求める、そして主は応えてくださるのです。

私自身も、この1ヶ月でいろいろと学びました。そしてとにかく「祈ること」。これが今、必要です。リビングライフには出エジプト1章について、こんなコメントがありました。

世の人々は、神の義が現れるのを恐れ、神の人を疎ましく思い、あらゆる手段を使って教会を迫害し、神の人に重荷を負わせます。しかし、苦難や迫害に遭う神の人は神に祈ります。その祈りは、御心が天に行われるように地でも行われ、驚くべき繁栄と成長がなされます。このように、苦難の中には計り知れない神の深い摂理があります。聖徒は、神の約束は必ず実現することを信じ、絶えず神の御前にとどまっていなければなりません。


私が最初に神様から教えていただいた御言葉が、心に響きました。

このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。 (ローマ5:1-5)

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