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どうして 「サムエル記」?

2010年11月10日 | 羊、朝の一声
昨日、珠玉の小編ルツ記にルツという一異邦人女性の美しさを見ましたが、今日のサムエル記上も一人の女性、子供に恵まれずに心を痛めていたハンナから話が始まります。ルツ記が好きで、ルツ(ルース)という名前を女の子に付けるクリスチャン家庭が多いそうですが、私個人的には、ハンナの方が好きです。2章にある彼女の祈りには心を撃たれ、彼女の芯の強さ、神様への信頼、意思した従順さ、これらを尊敬し、憧れます。そして昨日も少し書きましたが、そんなルツやハンナから、イスラエルの王ダビデが立てられていくことに女性の力を感じます。

サムエル記上では、イスラエルの民が他国と同じような「王」を求め、ハンナから生まれて主に献げられて成長した最後の裁き司、士師のサムエルがイスラエル最初の王サウルと、イスラエル王国の繁栄を導いた次代ダビデ王誕生のことが記されています。なぜ「サムエル記」なのだろう?と考えてしまいました。今日のサムエル記上では生きているものの、明日のサムエル記下ではサムエルはもういません。またサムエルが書いたものというわけでもありません。そんなことを考え、初代王として召されたにも関わらず、即位後、主への不従順によって死んでしまうサウル(礼拝メッセージも見てね!)と、続くダビデの任命を読む時、すべてが主の導きによって進んでいることを感じました。だからこそ、主の言葉を執り告いだ「サムエル記」なのです。ルツもハンナも偉大なる王ダビデの登場に大役を果たしています。しかし、それは個人の功労ではなく、ダビデの偉業もまた、彼の誉れではなく、すべてはその背後で見守り、導き、御計画のために働いておられる主なる神様がいらっしゃること。それをサムエル記上に感じました。




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Good News Stationではないのですが、この紙芝居、面白かったので。。。



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