きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

賢明な選択

2012年03月04日 | 羊、朝の一声


今日の礼拝では、「選択すること、決断すること」を語られました。毎日、毎時、毎分、私たちは何かを選択しています。今日は何を着ようか、何から取り掛かろうか、何を食べようか、誰に声をかけようか、どこへ出かけようか、聖書はどこを読もうか、ごくごく日常的にはこんなことを毎日選択しています。そしてその結果が、私の人生となっているのです。

時に、順番を間違った!と思うこともあり、失敗して否応がなくそれに気付かされることもあり、あるいは、間違っているのになかなか気付かないこともあります。「賢明な選択」を得るにはどうしたらよいのでしょうか?というところから始まりました。そして、今日の御言葉です。


兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。(Ⅰコリント2:1-5)


人の知恵ではなく、神様の力によって動くこと。それが何よりもの「賢明な選択」です。。。とは言え、私としてはわかっているけど、なかなかうまくいかないワ、というのが実情。そんな私に『頑なでなくなること』が神様の力で動く重要ポイントと教わりました。

毎日毎時の選択がそうできるかどうかは、今後に期待することにしますが、今日の御言葉でひとつ「知恵」をいただきました。私は、まもなく日本へ一時帰国します。言ってしまえば「里帰り」ですが、気持ちは「宣教派遣」です。目標もいくつか持っており、神様の導きを強く求めています。そんな私に与えられた「知恵」は、御言葉にあるとおり、『わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた』ことです。

「十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」と決断すること。パウロ先生ほどの方でも、優れた言葉や知恵を用いず、「イエス・キリストの十字架」以外語らなかった、それ以外のことは知らないことと決めたのです。私程度の言葉や知恵でどうにかなるものではありません。

神の知恵は、私たちの救いにために用意して下さった十字架にこそ隠されています。それは人間の想像を越え、理解を越えた出来事ですが、だから信じられないと拒否するのではなく、信じる選択をしてください。信じて受け入れるときに救いは成就します。

今の私には、ただイエス様の十字架を見上げ、その導きに従うこと、そして復活されたイエス様を伝えること。それを出発の餞としていただきました。御言葉に力があることを決して忘れず、御言葉と共に日本へ行こうと思いました。ほんとうに最良のタイミングで語られる神様です。主に感謝。



この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。 (Ⅰコリント2:8-9)


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