きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

いのちのパン

2014年01月18日 | 羊の群れ
今日は「パン」の話でした。4つの福音書すべてに語られている唯一の奇跡、「五千人の給食」。イエス様が女子供合わせて二万人にもなろうかという群衆の空腹を、たった5つのパンと二匹の魚で満たしてくださった奇跡です。今は日本でも貧困は厳しい社会問題であり、炊き出しや各種の援助をする教会も少なくありません。「お腹がすいた。」「お金がない。」「落ち込んでいるから祈って。」そんな急場をしのぐための恵みも確かに必要です。イエスも「五千人の給食」の奇跡を行ってくださいました。でも問題が起きる毎に「神様、助けて!」とすがることはどうでしょうか。だからイエス様は、この奇跡の後に「いのちのパン」について教えてくださったのです。神様を知らなくても、クリスチャンであっても、私たちがほんとうに必要なのは、「いのちのパン」なのです。

満腹した群衆は、更なる奇跡(=パン)を求めてイエス様を追いかけます。このイエス様の時代、生活に困窮する人々は今よりもずっと多く、事態はずっと深刻だったはずです。このイエス様について行けばパンに事欠くことはない!と思った彼らに、イエス様は仰います。
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」(ヨハネ6:26-27)

食物も、お金も、生活も大切です。しかし、生きる目的はこれらではないとイエス様ははっきりと仰っています。「永遠の命に至る食べ物」こそに、私たちが働く目的、人生の意味があるのです。このイエス様がほんとうに伝えたいことを受け取った人は、御言葉の力と聖霊様の導きによって、自ら不幸になる道を選ばなくなり、真の人生を見つけ出します。この奇跡の直後、湖上で困難に遭った弟子たちも同じです。
イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)

このことを受け取れなかった人、理解しなかった人はどうなったでしょうか。「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。(ヨハネ6:66)」弟子であっても、イエス様から離れ去ったのです。なんとここに、黙示録にも記される「666」の数字があります。そう、いのちのパンを否定する者が反キリストなのです。

奇跡を単なる奇跡(=パン)で終わらせてしまうか、それに永遠の命に続く意味(=「いのちのパン」)を見出すかで、クリスチャンもノンクリスチャンも、神様を知っている人も知らない人も、最後の時に分けられます。最後の審判の「裁き」は、原語でクリネイン、「分ける」の意味があります。「いのちのパン」であるイエス様と一緒であれば、どんな状態でも心が飢えることはなく、乾くことはない。これを知っているのが私たちクリスチャンです。今日、お腹がすいている方、一緒にご飯を食べましょう。ここにはご飯も、いのちのご飯も用意しています。



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