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満腹した群衆は、更なる奇跡(=パン)を求めてイエス様を追いかけます。このイエス様の時代、生活に困窮する人々は今よりもずっと多く、事態はずっと深刻だったはずです。このイエス様について行けばパンに事欠くことはない!と思った彼らに、イエス様は仰います。
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食物も、お金も、生活も大切です。しかし、生きる目的はこれらではないとイエス様ははっきりと仰っています。「永遠の命に至る食べ物」こそに、私たちが働く目的、人生の意味があるのです。このイエス様がほんとうに伝えたいことを受け取った人は、御言葉の力と聖霊様の導きによって、自ら不幸になる道を選ばなくなり、真の人生を見つけ出します。この奇跡の直後、湖上で困難に遭った弟子たちも同じです。
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このことを受け取れなかった人、理解しなかった人はどうなったでしょうか。「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。(ヨハネ6:66)」弟子であっても、イエス様から離れ去ったのです。なんとここに、黙示録にも記される「666」の数字があります。そう、いのちのパンを否定する者が反キリストなのです。
奇跡を単なる奇跡(=パン)で終わらせてしまうか、それに永遠の命に続く意味(=「いのちのパン」)を見出すかで、クリスチャンもノンクリスチャンも、神様を知っている人も知らない人も、最後の時に分けられます。最後の審判の「裁き」は、原語でクリネイン、「分ける」の意味があります。「いのちのパン」であるイエス様と一緒であれば、どんな状態でも心が飢えることはなく、乾くことはない。これを知っているのが私たちクリスチャンです。今日、お腹がすいている方、一緒にご飯を食べましょう。ここにはご飯も、いのちのご飯も用意しています。
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