「情けは人のためならず」
やっちゃんが応援に
駆けつけてくれました。
はい、プレゼント。
みんな良い顔。
良い顔。
いい顔。
いい顔。
いい顔。
いい顔。
イイ顔。
いい顔。
ん?
いいかお。
い~いかお。
いいかお!
い~~い顔!!
フィリピンの顔!!!
私のブログ「フィリピンの顔」は本当に幸せです。
ブログの記事よりコメントの方が素晴らしいし、重い。
その戴いたコメントの中に出てきた「奉仕活動」の、「見返りを求めない」と、私の言う「見返りを求める」の説明を簡単にしようと思い「情けは人のためならず」と言う諺を引き合いに出してみました。
こういうコメントも頂きました。「見返りは子供たちの笑顔と感動」。
「手助けしてもらう方と手助けする方一緒に取り組むというスタンスが必要なのでは無いでしょうか?」
良いですねえ、この言葉。 私も同感です。
短いコメントで全てを語っている様で心に響きました。
カガヤンボーイさんからも、フィリピン在住日本人としての有り難いコメントも頂きました。
で、
そういった言葉を表したようにここに写真を掲載しましたけど、
実はこれ、日本人コメディアンのやっちゃんを連れて孤児院に奉仕をしに行ったところですが、
私はこう言うのを奉仕とか、ボランティアなどと言う感覚が無いのです。
諺の「情けは人のためならず」も私に当てはまらないので、「そうじゃないです」と言う引き合いの為にタイトルにしました。
但し、人に活動を勧める時には、「一緒にボランティアをしましょう。」
「情け(奉仕活動)は自分の為になりますよ。」とか、
例えば湾岸警備隊の場合、まさか「トレーニングをしましょう。」などと勧められませんから、「ボランティアですよ。」や「「いい活動の場合、胸のリボンが貰えますよ」「位が上がります。」「制服がかっこいいでしょう?大人の男のコスプレですよ。」
などと言って誘います。
嘘じゃないって。方便で~す。
それでは私の妙な性格と言うか感覚を説明します。
まず、よく引き合いに出る「情けは人のためならず」ですが、
「同情はその人の為にならない」と言う意味じゃないくらいは解かっています。
ウィキペディアでは
『情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」というのが原義である。この言葉は日本固有のものではなく、英語にも「A kindness is never lost」(親切は決して無駄にならない)とほとんど同義の言葉が存在し、他の多くの言語にもこれに相当する語が存在するものと思われる。世界的にも人間がすべき道義の一つとして、この教訓が広まっているものと思われる。』
と有りました。おおよそこういう意味でしたが、捉え方は様々でこれと言った決定解釈はないそうです。
これって、人にはそう言って勧めますけど、どうも違うんですよね...
写真を見てください。おでこが腫れている子もいますけど、みんな良い顔をしているでしょう?
プレゼントが有ったり外界の人と久しぶりなのも、やっちゃんが来たのも楽しいでしょうけど、本当に良い顔。
でもね、写真をぼかしていますけど、一番ブ男の
私が、一番いい顔してるんですよ。
一番楽しんでますが。何か?
「奉仕」と言う言葉を使うなら、私は子供達から奉仕をしてもらうために、どこかから古着を貰ってきたり、医療奉仕をしているお医者さんを連れて行ったり、5千円くらい出来たらプレゼントを買ったり、少しの料理をしてくれる人たちを探したりして、何とか孤児院長にアポイントを取って、やっとの思いで子供たちに会える日にちを企画しなければなりません。
そこには私が情を持って子供たちに奉仕すると言う感覚はありません。
だから同情して奉仕をしたら巡り巡って自分に良い事があるという気持ちもないし、奉仕をさせて貰っていると言う感覚も無く、
ただ老人が孫と一緒に遊んでいるような感じで面会させて戴く日を待ち遠しく思うだけです。
偽善者ですね? 元々私には「ボランティア精神」というのが無いのじゃないかと思います。
子供の頃から親父に「自分の頭の上の蠅も追い払えない奴が、人の世話をするな。」と徹底的に仕込まれてきましたから。
「人のお世話をする」も「お世話させて頂く」も無く、「自分が楽しくなる為に、お世話になります」の感覚になったのだと思います。
スパルタ教育というか虐待というか、兎に角親父の教育は中途半端じゃなかった。
私は情はあると思います。多分...
貧しい子供たちを見ると心も痛みます。
それが嫌だから、自分が楽になる為に手っ取り早い方法を取ります。
それが奉仕ですか? もしそれが奉仕だとして、もし見返りやご利益が有るとすれば、それは巡り巡って来るものじゃなく、その場で瞬時に得られるものであり自分の心の中から湧き出るものだと思います。
そう考えると、世の中に困ってる人がいなくなると、私は寂しくなるんでしょうね。
私、結構キワニス(子供たちへのボランティア団体)等から表彰されました。
ボランティアをやったからじゃなく、ボランティアをやるメンバーや学生グループを作ったからです。
直接助ける事が出来ない困った人を見たくないからと言うことと、一人じゃ手に負えないからです。
そしてそれらボランティア団体が支援活動をするときに、お邪魔して一緒に楽しくなりたいと思っているからです。
掲載している写真の子供たちの中に「新日系2世」は一人だけで他はフィリピンの孤児です。
施設の名前は、子供たちの写真と同時に掲載は出来ません。この子たちには親のいる子が居ますので、普通には写真を取る事が禁止されています。ただ、何度もお邪魔していますので、フィリピンで発行するニュースには掲載しないことを約束して撮らせて頂きました。
帰り際に一人の男の子が側に来て、雑誌や新聞紙で作った造花を入れて飾れる大きな花瓶をくれました。5センチ真四角に切った古紙を折り紙の様にして500個くらいを噛み合わせながら作ったデザインも良く出来た壷でした。
ゲートの近くには野菜園があり私たちは芋を引っこ抜いて手伝い、お土産に少し貰って帰りました。隣の小さな建物にはビーズや貝細工の子供たちが作ったネックレス等の小物が展示されていましたので幾つか買って帰りました。
支援をするなら、こういう施設のような支援が良いですね。
規律正しく育っておおらかであり協力し合って自給自足の生活。
魚を与えに行って魚の取り方を教わって帰る様なところですね。
この日、私は子供達からたくさん勉強させてもらいました。
私事で恐縮ですが、この際ですので人に言った事が無い思い出を語らせて下さい。
私は小学校一年生までは都会で過ごしました。
その一年生の時、同じクラスにフィリピンの女の子が居ました。
そんなに器量の悪い子じゃないんですけど色の黒い子でした。
なぜかお遊戯でその子と手をつなぐのが嫌で嫌でたまりませんでした。
直接馬鹿にすることは無かったのですが、あからさまに避けて酷い事をしました。
2年生のときに田舎に引っ越したのですが、すぐ近所が結構大きな孤児院でなんと差別と偏見の男、私の遊び場になっていました。
用務員さん夫婦と私の両親も家族ぐるみでお付き合いしていまして、それこそ「お塩が切れた~」「お風呂沸いたよ~」の中でした。
孤児院の友達がたくさん出来、次第に大陸的な考えをする様になった私は、1年生の時にとった自分の行動が恥と共に腹が立ってくるようになりました。
それはもう50年も前の事ですが、20数年前からフィリピンに来るようになって、ボランティア紛いの事をする度に「償いのつもりでやれ」と鞭打ってきました。
「償い」の気持ちは「お遊戯の君」を忘れられないので変わりませんが、フィリピンに世話になり始めた頃から、「償いと感謝」に変わり、
今では、一緒に楽しませて頂いてます。
拙いブログですけど
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先日は、あんなふうに書きましたが
基本的には、ボランティアをやっている方は
その活動が好きなんだと思います。
好きだからこそ、出来るんでしょうね。
それこそ、ボランティア団体は多種多様
その活動内容も多種多様
その中で、好きなこと、自分にあっている事を
選んでやっているのでしょね。
嫌いなことや嫌な事をやるとしたら
それこそ、見返りを求めるのではないでしょうか?
ですから、実際にはほとんどの方は
何も考えていないと思います。
ただ、好きだからやってる
それだけではないでしょうか?
理屈は、後付でいくらでも出てきますが
本質はそうだと思います。
今も学生が日本からボランティアでツアーを組んで参加しているのを見ました
バランガのショッピングセンターでその学生に逢うことが出来ました
皆さん生き生きしていますね
私は仕事で福祉の仕事をしましたが難しいです
私には無理ですね
自分の自由時間が欲しくて欲しくてたまりません
先が短いのかな?
ピノイさん私の分まで頑張って下さいね
今日は子供達の写真見られて複雑な気持ちになりました
フィリピンの状況を知っているだけに首を突っ込んだら抜けなくなる自分が怖く中々首を突っ込むのが怖い
現に首突っ込んでいますが・・・
中途半端が子供達を今以上に不幸にしてしまいそう・・・
ボランティアは地域で造り上げたものが一番かとも・・・
私も長い間、子どもの医療に関わってきました。
振り返ってみると、今まで私がこども達から看護され
こども達から多くの励ましを頂いて仕事を続けて来られたようです。
フィリピンでもお子さんは、その子の置かれた境遇により、
多くの苦悩や恐怖を感じているのでしょうね。
それでも、笑っているときの表情は無邪気で楽しそうです。
Pinoyさん、この笑顔を絶やさないようにフィリピンでの活動、
頑張って下さいね。
先日、福岡アジアマンスで「SALT」という活動を知りました。
私のブログでパンフをupし、ここのブログもご紹介させて頂きました。
では、Pinoyさんもお身体に気をつけて、またいろんな情報を
お知らせ下さいね、宜しくお願いいたします。
ボランティアをやってる人には、よく「何故ボランティアをやってるの?」と聞かれますよね。
で、後から理由を考えます。
私も、このブログを書きながら毎日自分に問いかけてきました。
先日の土曜日は、マニラ湾の大掃除に、湾岸警備隊として行って来ましたが、これには対象の子供たちが居るわけじゃなく、海やゴミが相手ですよね。
そこでかずさんから簡単に言われました。
「ボランティアは好きだからやってる。」
ハハハ... そうですよね。
一番簡単明瞭で言い得ている答えですね。
マイッタ~...
だから、自分の好きな事を選んで、好きな時にやっていく。それで良いのですね。
だから私のNGOは、あるときは、キワニス、あるときはロータリーまたあるときは、他の団体、そして個人でも、柔軟に参加させて頂いてます。
構わないんですよね、たぶん...
確かにそうかも知れませんね。
ただ、やらなきゃあ、って思うからやれる内は頑張ります。
そして誰かに早くバトンタッチしなきゃいけませんね。
ABCさん、ゆっくりして下さい。
私があなたからバトンタッチされました。
もう抜けられません。(笑)
めぐみさんのブログの記事から直接リンクとは、驚きました。
ありがとうございます。(うれしかよ~!)
SALT 財団のSALT(塩)がどう言う意味で付けられたのかは分かりませんが、フィリピンの子供たちにとって、塩が不足しているのは事実で、日本の人は誰でも知ってると思いますが、人間にとって塩が一番大事で、しかも、塩気の無い食べ物は殆どの食べ物が味気ないものです。
拙著「置き去りにされた子供たち その4」に【塩】について少し触れています。見て下さい。
先日、17日にパヤタスに行ってきました。
ゴミから発生するダイオキシンや何かの前に、遠くからにおうゴミの臭いだけでも身体に悪い事が分かります。
その日は、大きなトラックが沢山通る所で、電柱や張り巡らされた電線にトラックが引っかかって何時間も通行止めをされていました。
危険なところでみんな頑張っています。
SALT。
出来るだけ協力したいと思います。
めぐみさん、どうも有り難う。
元気しときぃよ~。