私は裸で母の胎から出た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。 旧約聖書:ヨブ記1章21節(新改訳) 今日の聖句と次の文章は、私が運転する前に車で読んでいる「台所の祈り」という本の、7月1日分です。わからないところもあるけれど、最後のほうが、妙に心に残ったので書かせてください。タイトルは「神に生かされている人生」です。 ボストンの貧しい「ローソク・せっけん作り屋」の息子として生まれ、苦労して身をたて、出版業、科学者、著述家、アメリカ独立宣言の起草者となり、駐フランス大使など政治家としても活躍し、アメリカ建国期に大きな働きをなしたベンジャミン・フランクリンは、自叙伝で次のようにのべています。 「もし、お前の好きなようにしてよいといわれるならば、わたしは今までの生涯を初めからそのまま、くりかえすことに少しの異存もない。ただし著述家が、初版の間違いを再版で訂正するあの便宜だけは与えてほしいが。 そうした便宜が与えられれば、ただ間違いを制するだけでなく、生涯の具合の悪いできごとを、具合のよいものにかえることが、あるいはできもしようからだ。しかし、たといこの願いが許されないにしても、やはりわたしは同じ生涯を繰りかえせと言われたら、承知するつもりだ。」 久しぶりに冒頭の聖句、旧約聖書のヨブの言葉読んだな~と思いました。わたしはこの文章の最後の大文字のところが、わかるようなわからないような気持ちでいたんだけど、 今こうして改めて文章で打ち直しても、ヤッパリ難しいです。なんとなくこうなんだろうなって思うことは心にあるけど、文章にするのは難しい。ただ、なんとなくここを読んで思ったのは、ベンジャミン・フランクリンの潔さと、神様にお従いする気持ちは、なんか伝わってきました。 今日は一週間ぶりにおきました。というか、昨日寝られなかったので、ずっと起きてたんですけどね。30日は母の誕生日だったので、一日遅れで向かいのイタリアン惣菜店「ボナ・フォルケッタ」でランチをご馳走してお祝いしました。一杯写真撮らせてもらったんだけど、なんだかUSBの調子が悪くて、写真取り込めないので、ボナ・フォルケッタのお金を入れる「グラッツィエ」 の言葉が書いてあるお皿をアップするから、もう少し待っててくださいね。ボナ・フォルケッタのHPはコメント欄に貼って置きますね。山形にだってこんなお洒落なイタリアンの店があるんだぞ!納豆ばっかり食べてるんじゃないぞ!(納豆大好きだけど・・・鳩納豆万歳!)
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シズコさんの存在が伝わってきてうれしいです。
新しいお店がこんな近くに出来てたんですね、知りませんでした。
紹介していただきありがとうございます。
ベンジャミンフランクリンは貧しかったからこそ親への情を深く感じていたのではないでしょうか。
そして真っ直ぐに自分らしさを許されて人生を歩めたのでしょう。
苦労も貧乏もきっと自分の外側の出来事であって、
胸の中身の本物の体験は輝いていたんじゃないかと
そんなふうに解釈しています。
私は自分の生まれ育ちを恨んだこともありましたが、今思えば
これでよかったんだなと、こうなるしかなかったんだなと思っています。
私はひどく落ち込むことがあり鬱な気分がしつこく続きまして
ブログもやめてしまいました。しばらくぶりでシズコさんのブログに出会えてうれしく思っています。
ボナ・フォルケッタ お惣菜買いに行ってみます。