ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

2017年1月2日月曜日深夜

2017年01月02日 | イエスさま
わたしは心を尽くして主に感謝をささげ
おどろくべき御業をすべて語り伝えよう。

旧約聖書:詩編9編2節(新共同訳、2017年山形南部教会の年間聖句)



昨日は元旦

日曜日なので朝から礼拝の為の祈り会に行った
私が一番乗りで、教会すら開いてなかった
合鍵を持っている私はそっと一番乗り
そっと礼拝堂に入った瞬間、外で車の音。「あ!先生たちが来る!」
いまだ!と思って礼拝堂の床にジャンプして這い蹲る
五体投地の格好で、神様に声を出して祈る
あんな風になりふり構わず祈ることは久しくしてなかったかもしれない
牧師先生ご一家のご来入。
少しお手伝いをしてから二階の祈り会に行く
元旦礼拝を日曜日の朝からがっちりするのは疲れるけど良い
霊の糧をがっつり頂く感じ
その礼拝の為の祈り会をまた9時半からがっつり祈るのも良い
本当はパンとぶどう液の準備で9時45分からだったんだけど
三人でがっつり祈った
以外と人は多いようで少なかった
帰省してるから

第一日曜日のファミリー礼拝は子供にもわかるような
絵を用いて岡先生はお話なさる
その絵の使い方と岡先生の話し方が楽しくて
わしゃわしゃ写真を撮る
今日初めて日曜元旦の礼拝で聞いたメッセージはじんと来た
心にどんと来た
久しぶりに素直に指示に従って、声を出して祈った
献金は少ししか出来なかった
賛美歌は喉絞められるような声でしか歌えなかった、でも気持ちよかった
祝祷の前の「ハレルヤ」は良かった
単純で明快、それが良い

♪ハレルヤ ハレルヤ♪

高田三郎先生を思い出す

高田先生なら♪アレルヤ♪かな?

礼拝が終わって食事

これがちょっと疲れた

今日も朝起きられなかったので

疲れが頂点に達したら腰痛になった



山ほど洗うお皿があったけど
心苦しい思いを抱きながらある姉妹と帰る
市内三件の写真屋さんを廻ってやっと開店している店をさがす
なんとか明日帰郷なさる岡先生のお母様に差し上げる今日の礼拝の写真を現像する
「30枚なら50枚現像して頂いた方がお安くなりますよ」の、嘘のような言葉に
クリスマス礼拝の写真まで現像して半額ですんだ
身振り手振りで絵を使いながら話される岡先生の写真を見ながら姉妹と笑う


「これできっと、お母様も喜んで下さるんじゃないかな?」と


生まれ故郷から遠い山形での息子さんのお姿を、南国の母君は喜んで見て下さるだろうか?


姉妹と仲良く別れて帰宅したら、怪我をした母が待っていた

お寺で転んだのだと言う

「ちょっとした段差で」と悔しそうで心細げな母

顎と手が擦りむけて痛々しい

薬を塗ってから、手に包帯を巻いた

手はドンドン膨らんでくる

普通に夕飯は食べたが箸がつかめない

利き手の右手を痛めたのだ

両手に力が入らず、ほとんどの動作が出来ない
手が段々痛いと言う

湿布をし、包帯を巻き

着替えをさせて(自分では出来ない)寝かせた

家族全員疲労感で一杯

ドクターの友達に相談したら

「明日以降も痛んでいるようだったら骨折の可能性があるので、救急を受診して」とのこと


今日は前から楽しみにしていた40歳の教え子達との同窓会。でも夕方だから間に合う

だけどね?

ああ神様、どうぞ母を骨折させないでいて

私は母の骨折が怖い


数年前、教会に母を呼んだ時、母は転んで左手を骨折した

今回また右手を骨折したらどうしよう?

でも主は語られる「恐れるな」と

私の計画は災いではなく、将来と希望を与えると

そう、そうだね。

父ちゃん、んだず~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!と

久しぶりに父ちゃんと叫んでみた

何かふっきれたような、少しだけど

去年は年末に大ファンだった根津甚八さんが亡くなり
30日にはシスター渡辺和子が亡くなり

とてもショックだった


でも昨日は礼拝に行けた


でも凄く疲れてるのに眠れない


過食をする


アマゾンでシスターの本をユーズドで四冊買ったので支払いに行った帰りにパンを買う
そして食らう

からだに悪いんだよ、わかってるんだよ、嫌になるほど

あーそして明日は初めての教え子たちとの10年ぶりの同窓会
教員として呼んでくれた
ばっちり仙台から服もゲットした日に伯母は手術し
でも今は転院して落ち付いている

あー神様

今日も今から少し寝て

休ませて下さいね

全力疾走のようにキーを打ったら
腕が疲れた

久しぶりに教え子達に会うから
スカートも買ったから
綺麗にして同窓会に送ってくださいね
ちょっと緊張してるから
肩肘張らないでそのまんまで送ってくださいね
そして何より楽しい同窓会にしてくださいね
ああ父ちゃん

ずっとずっと過食が続いて、血糖値があがっているから
血糖値を下げてくださいね、体重もね

あー新年になっても余り変わってないか、いや

この頃父ちゃんに対してよそよそしかったのは私?

そうかもしれない。


久しぶりに読んだディボーション誌

今日の朝も読もう


皆さん、今年もどうぞよろしくお願いします。主の平安が皆さんにありますように。




これが昨日からまた読み始めたディボーション誌。手ごたえは悪くないが、366日のディボーション誌、これで買ったの4冊目なので、ちょっと多過ぎ。使用法要検討。








12月に抱っこさせてもらった教会の双子のAちゃんとBちゃん。


Aちゃんには50歳で初めてミルクを飲まさせてもらった。無意識にAちゃんが私の胸をまさぐる姿に物凄い感動した。



























妹のBちゃんを抱っこ。可愛くて可愛くて震えてしまった。




























最後に、12月14日に産まれたCちゃん。四人目のお子だけれど、お兄ちゃんが三人。待望の女の子です。これは生後2日目。

もう、本当に本当に可愛い♪食べちゃいたいくらい。この子を抱いて、私は50にしてやっと「親馬鹿」の気分を味わわせてもらった気がする。

Cちゃん、ありがとう。












このCちゃんの少し後、南部教会にはまた女の子が授かりました。Dちゃん。物凄くかわいい。



女の子ばかり、四人も続けて見たり抱っこしたりすると、もうメロメロです。



あと出産を控えた姉妹が二人。



勝手ですが密かに女の子を期待しちゃってます。15年間男の子続いたからな~。でもこれも物凄い恵みなんだよね~!毎年男の子です。
去年から久しぶりの女の子。

でもね、男でも女でもどっちでも大感激です。大感謝です。

南部教会は15年前から嬉しいベビーブームが続いています。




あ、腕が疲れた。


眠れるかな?


久しぶりのブログでした。オヤスミナサイ。






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共に悲しんで下さるイエス様

2016年05月24日 | イエスさま
思い返せば今日のひとひ
昨日から一睡もせず走り回ってなんと忙しい事だったろう
洗濯機が今、深夜ごーごーと回っている
山のような洗濯物ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーもう十分だ
楽しいことが無くても良い
悲しみだけの日々があってもかまわないのだ
大丈夫、と
主は言われるだろう
そして静かに私を抱きしめ
共に涙を流して下さるだろう
だから
焦らなくて良い
走らなくて良い
今のままで良い
深い深呼吸をして
悩める先人達の思いに自分の思いを重ねて
ゆっくりと息をしてみよう ふーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ。
数では無い
量でも無い
速さでも無い
とまどうような ゆったりとしたときの流れが
私とあなたを包んで眠るだろう







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怖いの

2016年02月22日 | イエスさま
片付けてね、ほんとは、自信なんかないの。新しい世界に突入して行く感じなんだ。不安だし怖いの、でもね、がんばったの。父ちゃんほめて、よくやったって言って。めんごめんごして。ハグハグして。シズコは頑張りました。とうちゃんほめて。





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疲れちゃった

2016年02月16日 | イエスさま
先が見えないんだ
父ちゃん
ああ
父ちゃん、って甘えるのも久しぶり
ずっとなんか、この頃のブログってかたかったモンね
なんかさ
疲れてるし
ストレスもたまってる
久しぶりのネット買い
もう少しで請求書来るから支払ってくる
ちょっといいかっこしすぎたみたい
父ちゃん
一緒にいてな
助けてな







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ご大切になさるイエス様

2016年01月27日 | イエスさま
「・・・僕(しもべ)は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦してくださいますように。」エリシャは彼に「安心して行きなさい」と言った。

旧約聖書:列王記下 5章17~19節(新共同訳)





今日は山形は雨でした。

本当に暖かい冬です。

今日の聖書箇所は、聖書通読(=聖書を毎日続けて読むこと。私は旧約聖書と、新約聖書をだいたい9:1くらいのペースで読んでいます。)この箇所を読んで、前に仏壇に手を合わせたり、お墓にお参りするとき悩んでいた時に、コメント欄で頂いた聖書箇所だな~・・・と思い出しながら読んでいました。
我が家は一般的な(これも語弊がありますが)日本の家庭です。仏壇があって神棚もあります。私はクリスチャンになるまでずっと毎日父と祖母の位牌が入っている仏壇を拝んでいました。洗礼を受けた後は、前にも書かせて頂いたけれど、台所と仏壇の間をうろうろしていました。今はすっきりしたもんで、仏事、正月だけ拝んでくれればいいよ、と許しを得ています。カトリックの神父様にもお会いして「これは日本のお嫁さんの仕事だと思っているから大丈夫ですよ」と言ってもらいました。改めてこの箇所を読むと、イエス様はどんな場所でもどんな場合でも「愛」=ご大切にして下さるんだなあと、安心しました。



今日は採血と一週間後の精神科受診に行きました。
カウンセラーの方がインフルエンザでお休みだったので、思い切って採血後、久しぶりの点滴をして休みました。寝ているところにドクターが来て下さって「血糖値も多分下がっているでしょう。安心してお休みなさい」と声をかけてくださいました。点滴後ゆっくり眠って起きたらお昼過ぎでした。
緩むのも良いものです。




台所にこんな可愛いヒーターが来てくれました。前のヒーターはほとんど20年居てくれて、このところにぴたっとおさまっていたのですが、新しいのはコンパクト化してまるで暖炉のように見えました。新品なので当たり前だけれど消えません。前のヒーターは静かに消えてしまい、そうすると「あ、寒い~」と言ってヒーターを見ると消えているので、だましだまし?つけていました。私が高校生の時からお世話になっている電気屋さんがつけてくれました。
















昨日のご飯はおーばんから買って来た牛肉で芋煮ご飯です。















芋煮は秋にするのですが、冬も温まるから美味しいよ。

今朝で全部鍋が空きました。


明日も山形は暖かく雨のようです。


こんな静かな暖冬も悪くないな。ちょっとだけ温暖化は心配。

今はブーツで間に合っています。

今日はそう言うことで、祈祷会はお休みしました。


今日のお夕飯はレバニラ炒めです。鉄分取るぞ~。




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節分とイエス様

2014年02月03日 | イエスさま
民よ、どのような時にも神に信頼し
御前に心を注ぎ出せ。
神はわたしたちの避けどころ。

旧約聖書:詩編62編9節(新共同訳)
そして(シズコの記憶によると、2006年山形南部教会の年間聖句)




今日は節分。豆まきだよ。
クリスチャンが豆まきしていいかわからんし、私は鬼って聞くと山形が生んだ、日本のアンデルセン・浜田広助さんの「泣いたあかおに」思い出しちゃって、なんかねー、豆まきして鬼出てけ~!っていうの、むつこく(=「可愛そうに」の山形弁)なっちゃうんだよー
で、フツーは豆まきって、家の家長がやるのが正式らしいけど、弟恥ずかしがってしないので、でも母はしたいので、私も「いっちょやるか!」と久しぶりに豆まきに参加。でかい私の声で

「鬼はーーーーー外っ!福はーーーーーーーーーー内!」

って叫んで豆まいた。私はもう一回撒いて
「私の心の中の鬼(悪い思いや、妬む思いなど)が外にふっとんでげー!そして福音(神様のあったかい愛)が私の心と我が家に入ってこーい!」と祈りたかったんだけど、母に言ったら「駄目、豆もったいないもん」だって・・・母よ・・・

まあ良いけどね・・・で、今日は節分!お寿司になった!
母が私と弟に「散らし寿司と恵方まきどっち食べたい?」って聞いたから
二人で「ご飯新米じゃないし、恵方まきじゃなくて散らし寿司で十分だよ~」と言って、皆で厚焼き玉子焼いたり、すし飯作ったりして(我が家はご飯つくりは基本的に全員参加or交代制なの)で、じゃじゃジャーん!こんなに美味しい散らし寿司を頂きました。美味しかったよーーーーーーーーーーーーーーっ!




「寿司にはあったかいお茶を」ということで、緑茶も入れた。
なぜか私のお茶碗は割れたままなので、リラックマカップに・・・



弟が一品足して、鶏肉とお豆腐の煮物も作ってくれて!我が家は超!豪華!
弟ありがとうー!神様ありがとーう!






我が家が幸せだなって思う瞬間のひとつに、毎回のご飯時に
「わー今日もごっつぉ(=ご馳走)だねえ~」
「我が家は毎日ごっつぉだ!」
「幸せだね~」

って言って一緒に食べられること。そりゃ、毎日ステーキや鯛や、そんな高価なものじゃないけど、家族の心づくしのご飯が食べられるってありがたいよね?どんなごっつぉ(=ご馳走)にも勝るって本当に思うもんなー。

今日の聖句は、朝の定期便「携帯ディボーション」からとりました。

昨日、すごくいろんなことがあって、自分のことだけど、興奮して緊張して、「おなかがでんぐり返っちゃって」(=この表現は、私がものすごく緊張して、おなかがおかしくなるとき使うの)、朝まで実は眠れなかったの。ずっとパソコンで文章書いていたら、明け方やっと落ち着いて、久しぶりに薬飲んで寝た。最近導眠剤なしでコテンと寝ちゃうの。出来たら無しで眠れたら良いんだけどね・・・祈ってください。

で、夕方目を覚まして読んで、心にすごく残ったんだよね。次の内容です。




いつでも、どんなときでも、神様に信頼することは
クリスチャン生活の基本です。
しかし、概して『基本」と呼ばれるものほど
ちゃんと実行することは難しいものです。
神様は特別難しいことを要求されている訳ではありません。
信仰生活はそんなに特殊なことではないのです。
聖書は、はっきりと言っています。

「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神は、われらの避け所である。」(詩篇62:8)

この「どんなときにも」ということが、簡単そうで実は難しいのです。
全てがうまく言っているときは、感謝!素晴らしい!と神様を讃美し、
問題があると教会に行かなくなる。
どんなときとは、楽しい時も苦しい時もです。
いつでも、どんなときでも神様を信頼していきましょう!



このね、最後の五行が「うーん、そうなんだよな」って思わされた!
特にここね。


全てがうまく言っているときは、感謝!素晴らしい!と神様を讃美し、
問題があると教会に行かなくなる。


↑す、鋭~いコリャ私だよ。

ほんでもって、こうだよ。これはでもほんとだと思ったよ。



どんなときとは、楽しい時も苦しい時もです。
いつでも、どんなときでも神様を信頼していきましょう!



ほんて(=本当)だな~と思った。特に昨日、礼拝に行けなくて(突然用事が入った)夕拝に行ったんだけど、好美先生のメッセージにじんとしたのよね。

新約聖書:ヘブライ人への手紙12章6節から8節までの有名な聖書箇所からメッセージを頂いたんだけど、こういう聖句

「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から懲らしめられても、
力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、
鞭打たれるからである。」

あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神はあなたがたを子として取り扱っておられます。
いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。もし誰もが受ける訓練を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは諸子(しょし)であって、実の子ではありません。


実はこの聖句って、私が13年前、初めて南部教会に来たときに、岡摂也先生から聖書を開いて教えてもらって、祈ってもらった聖句なんだ。覚えてる。

でもね、やっぱり私は特になんだけど、鍛錬とかつらいこと、逃げたいのよ。(情けないけど・・・)だから本音はここ読む度にこう思ってた。

「そう!父ちゃん、そのとおりだってわかってんの。だけどさー鍛錬とか辛いのいやなの。でもしなきゃいけないんだよねえ。困ったなー。」ってさ。


そうしたら好美先生は、こうおっしゃったの。

「あなたが神様に近づくとき、『ああしてから』『ここを直してから』とか考える必要はありません。弱さも、ずるさも、汚さも、そのままのあなたで神様の下に出てください。そして神様、よろしくお願いしますと祈ってください。神様はそのままのあなたの祈りを聞いてくださいます。」

私ね、これ聞いて慰められたよ。ああ、これなら出来る。夕拝に来るにもすごいいろんなことがあって、でも・・・いや、だからこそ、夕拝には絶対出たい!
と思ってきたんだ。だから久しぶりに床に膝まずいて祈りました。
一生懸命祈りました。久しぶりだったかもしれない。でも、うれしかったよ。


読んでくれて今日もありがとう。

あ、最初の画像は今日まで限定のシベール鬼パンです。

可愛いでしょ?一個190円で毎年出るんだって。もっと早く貼りたかったんだけど、終わってから貼っちゃった。シベールの杜北店さんごめんなさい。でも美味しかった~。いつも美味しいパンとサプライズパン!ありがとうございます!


こうして食べたの。一番前は私の大好きなくるみパン「白樺」。



サンドイッチだけ食べて、鬼パンはお土産にした。


白樺パンは迷ったけど、大好きだから買っちゃった!

我が家に来た鬼パン。めんこいっしょ?(=可愛いでしょ?)




皆よい節分を迎えられたでしょうか?

あなたの夜に主の平安がありますように。印間縫える・・・違うだろ・・・・・・・・父ちゃんごめんなさい。
インマヌエル・アーメン(主はあなたとともにおられます)

オヤスミナサイ。

!あ!今日の「まいにち中国語」のラジオの問題満点だった!やったあ!

がんばるぞ~い


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ちょっと良いなと思った記事~フランシスコ・ローマ法王の元旦の言葉

2014年01月03日 | イエスさま
信じて洗礼(バプテスマ)を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
新約聖書:マルコによる福音書16章16節(新共同訳)



神は愛なり。(GOD IS LOVE)
新約聖書:ヨハネの手紙 Ⅰ 4章16節(訳はわからないけど、文語体かな?・・・未確認です。 この訳が一番好きなので書かせてもらいました。


今3日(金)の夜11時を過ぎました。もっと早くブログアップするつもりだったんですが、近所のレンタルDVDで「塀の中の中学校」と言うDVDを夕飯前に借りてきて、母と見てたら、うるうるになっちゃって、7時過ぎにご飯食べて、また続き見て、その後、英語字幕があったので、少しそれで見直してからテレビで歌舞伎の海老蔵特集やってたので、今の時間になっちゃいました・・・。ブログアップあきらめようかなって思ったけど、今日は書きたいことが出てきたんです。だから、なるべく書きえて寝たいなーと今思ってるとこ

あ!さっきショックだったのは、あるブログに遊びに行かせてもらって文章を書いてたら、ブログの変換が、今は普通になるんだけど、なんと!


風呂愚!




になっちゃったこと!


・・・・・・前はね、時々

風呂具♪


って出てたの。それはまあまあ好きだったのね。なんかさ、昔の雑誌の


婦人倶楽部♪」


っぽくて、ちょっとレトロな感じじゃん?で、


風呂具♪

↑も、風呂にのんびり入って、さあ、このブログ縁側だから、気楽に寄ってけらっしゃい。(=下さい)みたいな感じがあったんだけど、でもさ、この



風呂愚!


・・・は・・・・もろ救いが無く、馬鹿じゃん?
初めて変換されたときは結構ショックでした。神様から「シズコ、お前ほんてん(=本当に)ばーかっ!」って言われてるみたいでさ。

イエス父ちゃん、そんなこと言わないけど(いや、言われてるかも・・・。
ちょっと・・・・・・風呂愚は、ショックだよねえ・・・。

どれ、本題に入りますか。

あのね、今日の冒頭の聖句って、実は昨日の南部教会の年間聖句

全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
新約聖書:マルコによる福音書16章15節

の続きなんだけど、これ読んで私もがっくり来たんだけど、元旦礼拝の後の食事開で、一言ずつ今年の抱負とか去年のこととかしゃべったんだけど、そのときまだ洗礼を受けてない姉妹が(キリスト教では洗礼を受けてクリスチャンになると、皆兄弟姉妹と呼ぶけど、私はこの女性がとても好きなので、洗礼受けても受けなくても姉妹だと思ってるから、そう書かせてもらいました。)似たようなことを仰ったんですね。「私は聖書を読んでるけど、こう言う箇所(マルコ16章16節)を読むと、やっぱり洗礼受けた人だけが救われて、洗礼受けないと救われないのかなーって思います。」って。

私もその気持ちすごくわかるんだ。私はノンクリスチャン家庭に育って、親戚一同誰もいない中、クリスチャンにならせてもらったから、家族にはすごく感謝してる。でもね、母が悲しげに「お前はクリスチャンになったんだから、もう私が死んでも、仏壇の私の位牌にお参りしてくれないんだよね。」って言われると、私もどう答えて言いかわからなくなるんです。
こんな優しい母と弟なのに、その二人を悲しませるなんて、本当に私も泣きたくなるくらいなの。でも、ずっとプロテスタントの牧師先生に尋ねても、「仏壇を拝んでいいですよ」と言ってくれた牧師さんはいない。でも、カトリックの教会に訪ねてある神父様に相談したら「私はそれは、日本のお嫁さんの仕事だと思ってるから信仰とは関係ないと思いますよ」って言って下さり、後でメール出したらお返事くださったんだけど(その方はアイルランド出身の神父様です。)英語で「シズコは信仰をエンジョイしてる」と書いてくださってすごく嬉しかったです。一番慰められたのは、仙台にカトリック系の本屋さんで聖パウロ書院ってあるんですが、そこで買い物をした時、お店で店員をしてらした、シスターにこのことを打ち明けたんですね。そうしたら初めてそのシスターはこう言って下さったんです。


「まあ、そんな風にお母様が仰って、お父様は既に亡くなられてお仏壇の中にご位牌として祀られておられ、お母様もお望みなら、ぜひそうして差し上げなさいませ。私の家もお寺と関係がありましたから、私は貴女の仰るお寺の儀式も存じておりますよ。ぜひお母様を慰めて差し上げなさいませ。」

私はその言葉を本屋さんの中で聴いた瞬間、滂沱の涙が溢れて号泣しちゃったんです。誰もそんな優しい言葉をかけてくれたことが無かったから。

だから、仙台の聖パウロ書院には、オアシス仙台店と一緒に、必ず仙台に行ったら寄ります。シスターにも時々相談に乗っていただきます。

で、今日、このgooのサイトでニュースを見てたら、こんな記事が載っていました。今消えてなかったら、元記事、コメント欄に載せますが、午前中に消さないように、ワードにコピーしたので、これまず貼らせてくださいね。どうぞお読みください。毎日新聞です。


ローマ法王:世界平和の日「私たちは人類という同じ家族」

2014年1月2日(木)18:27
 
【ローマ福島良典】世界のキリスト教カトリック信徒約12億人の頂点に立つフランシスコ・ローマ法王は1日、バチカンのサンピエトロ広場に集まった信徒に対して、新年にあたり、戦火の絶えない世界に平和をもたらすよう呼びかけた。

 法王は「世界にあまりに多くの悲劇と戦争がある」と嘆く手紙を男性信徒から受け取ったことを明かし「暴力の道を歩むのをやめ、平和を追求すべきだ。いったい人の心の中で何が起きているのか。(戦争を)やめる時だ」と述べた。

 また「私たちは人類という同じ家族に属しており、運命を共有している」と指摘、「お互いを尊重し、違いを受け入れ、いたわり合う世界になるように各自が努力する責任がある」と強調した。

 カトリック教会は1968年以来、1月1日を「世界平和の日」と位置づけ、祈りをささげている。英カトリック・ヘラルド紙(電子版)によると、バチカンは13日、ブレア元英首相らを招き、シリア内戦の停戦を目指し、キリスト教徒の安全を話し合う会議を開く。

私この記事のここがとてもいいなと思いました。


また「私たちは人類という同じ家族に属しており、運命を共有している」と指摘、「お互いを尊重し、違いを受け入れ、いたわり合う世界になるように各自が努力する責任がある」と強調した。



キリスト教は一神教なので、どうしても他の宗教を認めない傾向にありますが、多神教の人々や、信仰のない方が多い日本、私の家族にしても、私にしても洗礼前は、家に仏壇、神棚があってそこにお参りしてたし、新年も初詣に神社に行って、お寺さんに挨拶とお参りに行っていた。実際私は、今は毎日仏壇を拝むのは「しなくていいよ」と家族に許されたが、「年始と、葬式、法事のときは手を合わせて欲しい」と家長である弟に言われ、それはしている。手は合わせて、心の中でイエス様に祈ってる。こんなこと書くと、クリスチャンからも仏教徒の方からも、神道の方からも、「なんてやつだ!」と非難されそうだが、これが私の現実だ。まだ私の中で解決してない。でも、私は他の宗教は一切認めない、と言うのは、正直言って、「キリスト教原理主義」みたいで、嫌だ。本当に、冒頭の聖句の二番目にあげたけど、「神は愛なり」・・・愛=「ご大切」にするイエス様が、本当に他の宗教はだめだ!俺だけが神!って、仰ったのだろうか?私は未だにイエス父ちゃんと話す。「そんなに父ちゃんは心が狭いの?それが父ちゃんの御心(みこころ=神様の思い)なの?」とよく、話す=祈る。正直私は、他の宗教も尊びたい。

そんなことを考えて、ツ☆ヤにレンタルDVDを借りに行く前に、運転する前に読む「台所の祈り」を読んだら、こんなことが書いてあった。もう12時近いけど、読んで頂きたいから、書きまっしゅ!


1月3日 「信仰の維持」

神が私たちの味方であるなら、誰が私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8・31)

ある婦人が牧師のところにやって来て、信仰によって対処しきれないでいることを、いろいろと告げ、解決を求めました。
「あなたは、私に語ったことのすべてを、イエス様の前にお話すればよいのです」
「私は弱虫なのです」
「その事もイエス様にお話しするのです
「こんな私をイエス様はよろこばれないと思います。もっと信仰の強い人にならなければ・・・・・・」
「その事も、そのままイエス様に聞いていただきなさい」
「イエス様にどんなことでも、ありのまま話せばよいと言われるのですね」
「そうです。そのままのありさまで、あなたの知るかぎりの悪い面も、弱いことも、罪も、とまどいも、毎日の事実をイエス様にお話しなさい」
その後彼女は「なぜ今までこんなに簡単ですばらしい方法をしなかったのでしょう」と笑って言えるようになりました。




↑なんかね、この今日の「台所の祈り」を読んで、「ああ、今までの通りでいいんだなあ。父ちゃんよー、わかんないのーなじょしたら(=どうしたら)いい?おしぇでけろ(=教えてください)」で良いんだッて思ったら、すんごく気が楽になった。
本音でイエス父ちゃんに話して良いんだなって。今日も父ちゃんが誘ってくれたんだと思うんだけど、本当は今日は一日引きこもっていたかったの。で、このパソコンの前に座ったら、昨日聖書とディボーション(霊想)誌をパソコン部屋に忘れてったのね。で、パソコン一回起動したんだけど、やっぱり一回閉じて、「父ちゃん、今日も父ちゃんとディボーションして、喋っからな。シズコ父ちゃんば選んだよ」って喋った(祈った)ら「シズコ、よぐ選んでけだなあ、俺も嬉しいぞ!」って父ちゃんが言ってくれたみたいで、嬉しかったの。ほんて(本当)はヨハネの福音書の15章16節にあるように

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。



のだろうけど、気もそぞろだったけど、嬉しかった。なんとかクリスチャンの基本の霊想(ディボーション)を三日間は続けられた。その後、さっき読んでもらった、ローマ法王の記事を読んで、そうだよなーって思い、その後「台所の祈り」で、やっぱり父ちゃんさ、何相談してもいいんだなって思って安心しました。

もう一つ、この記事まったくキリスト教と関係ないんだけど、心に留まったので、これもご紹介させてください。これはデイリースポーツ新聞です。


京都橘「餃子の王将」前社長にVささげたい…昨年、慰労会を開催


2014年1月3日(金)07:00
 「全国高校サッカー選手権・2回戦、京都橘2‐0藤枝東」(2日、フクアリ)

 昨年大会で準優勝の京都橘(京都)は藤枝東(静岡)を2‐0で下し、好スタートを切った。

 “恩人”に優勝をささげる。昨年の大会後、準優勝の慰労会を京都府に本拠を置く人気外食チェーン「餃子の王将」に開催してもらったが、昨年12月に運営会社の王将フードサービス・大東前社長が射殺される事件が起きた。選手同士でも話題になったといい、小屋松は「悲しいというか…。その人の分までやらないといけない」と神妙だった。


この餃子屋さんの「王将」の社長さんは、本当に慕われていた方らしかったですね。私はこの王将の餃子って食べたことまだ無いんですけど、ニュースを聞いて、「こんなに愛されて亡くなられて・・・でも毎朝社長さんなのに5時半に出勤して、お店の前を掃除してたってすごいなあ・・・」って思いました。その後も殺害現場に献花台が置かれて、たくさんの人が花束をお供えしてお祈りしてましたものね。新しく社長さんになった方がニュースで、涙ながらに「お客様から毎日のように、『また食べに来るから』『頑張って』と声をかけて頂いて・・・」とインタビューに答えられたのが忘れられない。今の社長さんも亡くなられた社長さんの後を継いで、毎朝お掃除をなさっておられるのだそうだ。故・三浦綾子さんの小説で読んだ、ジェラール・シャンドリと言う方の


「一生を終えて後に残るものは、 われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである。」





この言葉を思い出しました。

ところで、今日の画像のこれはなんだかお分かりですか?




本当はもっと画像貼りたかったのですが、もう4日(土)になっちゃったので、答えはこの次画像と一緒に見てください。
どうにか今日の分書き上げられました。あーよかった。


も少ししたら、今日はお風呂に入って寝ようかな?昨日は怖くて入れなくなっちゃったんで・・・。

読んだ方、入浴して温かくして眠れるように祈ってください。お願いします。

んだら、オヤスミナサイ。




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久しぶりに泣きたいほど嬉しいニュース!

2013年09月18日 | イエスさま
  わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命をすてること、これ以上に大きな愛はない。新約聖書:ヨハネによる福音書15章12節~13節(新共同訳)                                                                                          今、久しぶりに教会から帰って、パソコンを開いてあるニュースを読んだら、泣  きたいほど嬉しさがこみ上げてきた。既にご存知かもしれないが、ご紹介したい。                                                                                                       中国人留学生:命懸けで小4救助 大阪府警が表彰
毎日新聞2013年9月18日(水)12:36
 台風18号による大雨で増水した大阪市北区の淀川で大阪府高槻市の小学4年男児(9)を救助した中国人留学生、厳俊さん(26)に日中から称賛の声が相次いでいる。中国版ツイッター「微博」(ウェイボー)や中国のニュースサイトに書き込みが殺到しているほか、大阪府警には、「直接お礼を言いたい」などの電話が関東や中国地方からも舞い込み、田中法昌府警本部長は18日、「身の危険を顧みない勇気ある行動に感銘を受けた」として厳さんを表彰した。厳さんは毎日新聞の取材に「人命を助けるのに国籍は関係ない。自分の行動が日中友好のきっかけになるのならうれしい」と語った。

 厳さんは16日午後5時ごろ、堤防沿いをジョギング中、「助けて」という子供の声を聞き、濁流にのまれる男児を発見した。とっさに川に飛び込み、男児を堤防に押し上げようとしたが、男児に岸にはい上がるだけの力がなく何度も失敗。自身も大量の水を飲み「自分の人生もこれまでか」と死を覚悟した。その後、力を振り絞って岸に上がり約100メートル下流まで走って先回り。ぬれた衣服を脱ぎ、近隣住民が持っていたロープを体に巻き付けて再び川に飛び込んだ。水中に消えかけた男児を右手でつかみ、左手で水をかいて必死に岸まで泳いだという。

 「微博」上には、「凍りついた中日関係に新たな空気を吹き込む行動」「中国人と日本人の間にあるのは、政治ではなく温かい気持ちだ」などのコメントが1000件以上集まっている。厳さんが16日、上海市に住む両親に「携帯電話は川に流されてつながらないけど、無事だから心配しないで」とメールで連絡すると、「あなたを誇りに思う」と返信があったという。

 厳さんは「戦後復興を果たした日本で経済を学びたい」と3年前に来日し、来春から大阪市立大大学院に入学予定。アルバイト先のコンビニエンスストア店長の松田庄司さん(61)は「正義感が強く、勤務態度もまじめ。放っておけなかったんでしょう」と話す。18日午後には、救助した男児の両親も厳さんに面会し感謝を伝えるという。【高橋隆輔、上海・隅俊之】

       
                                                                私は最近、you tubeで、かなり中国人と韓国人、そして日本人とのディスカッションの余り良くないのを見て・・・特に慰安婦問題と尖閣諸島についてだが・・・私自身は二つのことに対して、事実がどうなのか。まだ自分で勉強してないのでなんとも言い難いが、中国と韓国、そして中国人と韓国人にも、当初持っていた好意から、嫌悪感が湧き出るのを抑えられないで居た。と、同時に、初めて行って、中国人のご夫妻に溢れるほどの愛情と好意を頂きながら、中国語を(今は休んでいるが)学ばせて頂いている事、休んでいても、ニュースなどを見て中国語を聞くと耳をすまして、聞き取ろうとしている自分が板ばさみだった。特に、アマゾンなどで、中国韓国を悪く書いている本などの書評を読んでいると、「アジアが仲良くなるなんて、所詮絵空事なんだろうか。韓国、中国の人は、日本人を憎んでるのだろうか?私もそれなら、中国語を学んでる事なんて、意味がないんだろうか?でも、やっぱり中国語をマスターしたい」 そんな思いで紋々していた。弟が「国と国とはうまくいかなくたって、個人の交流は別だと俺は思うよ」と優しく慰めてくれたが、私の心は、だんだん中国・韓国から遠ざかっていた。そう言う今、この中国留学生・厳俊(イエン・ジュン)さんの行為は、涙が出るほど嬉しく、尊いと思った。ニュースを読んで、すぐヨハネの聖句を思い出した。「友のために自分の命をすてること、これ以上に大きな愛はない。」これを厳俊(イエン・ジュン)さんは教えてくれたと思う。私も日本人の一人としてお礼を言いたい。厳俊(イエン・ジュン)さん、本当にありがとうございます。あなたのお陰で、私の冷えた心に愛をともしてくれました。イエス様、厳俊(イエン・ジュン)さんの愛の行為に十分報いて差し上げて下さい。貴方が仰った「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」を私も再び、中国、韓国の方々へ、否、どの国の方にも 厳俊(イエン・ジュン)さんが見本を見せてくださったように、私も行動で愛を表せる人間に作り変えてください。今日好美先生がメッセージで語ってくださったように、人間のおろかな私には出来ません。 出来ない私を100%神様にお任せして、私を作り変えてください。助かった子どもさんも元気にこれからも、暮らせますように。このお祈りを御名によって祈ります。アーメン。                                                                            厳俊先生、非常感謝!                                                                                                                                                       空色リボン・キャンペーン
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ちょっと考えたこと♪

2013年07月01日 | イエスさま
私は裸で母の胎から出た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。                           旧約聖書:ヨブ記1章21節(新改訳)                                                                   今日の聖句と次の文章は、私が運転する前に車で読んでいる「台所の祈り」という本の、7月1日分です。わからないところもあるけれど、最後のほうが、妙に心に残ったので書かせてください。タイトルは「神に生かされている人生」です。                                           ボストンの貧しい「ローソク・せっけん作り屋」の息子として生まれ、苦労して身をたて、出版業、科学者、著述家、アメリカ独立宣言の起草者となり、駐フランス大使など政治家としても活躍し、アメリカ建国期に大きな働きをなしたベンジャミン・フランクリンは、自叙伝で次のようにのべています。                 「もし、お前の好きなようにしてよいといわれるならば、わたしは今までの生涯を初めからそのまま、くりかえすことに少しの異存もない。ただし著述家が、初版の間違いを再版で訂正するあの便宜だけは与えてほしいが。               そうした便宜が与えられれば、ただ間違いを制するだけでなく、生涯の具合の悪いできごとを、具合のよいものにかえることが、あるいはできもしようからだ。しかし、たといこの願いが許されないにしても、やはりわたしは同じ生涯を繰りかえせと言われたら、承知するつもりだ。」                                                                    久しぶりに冒頭の聖句、旧約聖書のヨブの言葉読んだな~と思いました。わたしはこの文章の最後の大文字のところが、わかるようなわからないような気持ちでいたんだけど、 今こうして改めて文章で打ち直しても、ヤッパリ難しいです。なんとなくこうなんだろうなって思うことは心にあるけど、文章にするのは難しい。ただ、なんとなくここを読んで思ったのは、ベンジャミン・フランクリンの潔さと、神様にお従いする気持ちは、なんか伝わってきました。                         今日は一週間ぶりにおきました。というか、昨日寝られなかったので、ずっと起きてたんですけどね。30日は母の誕生日だったので、一日遅れで向かいのイタリアン惣菜店「ボナ・フォルケッタ」でランチをご馳走してお祝いしました。一杯写真撮らせてもらったんだけど、なんだかUSBの調子が悪くて、写真取り込めないので、ボナ・フォルケッタのお金を入れる「グラッツィエ」 の言葉が書いてあるお皿をアップするから、もう少し待っててくださいね。ボナ・フォルケッタのHPはコメント欄に貼って置きますね。山形にだってこんなお洒落なイタリアンの店があるんだぞ!納豆ばっかり食べてるんじゃないぞ!(納豆大好きだけど・・・鳩納豆万歳!)                                                                                                                                                                    空色リボン・キャンペーン
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今の私に必要だから・・・リラックマ、ド派手なバッグ、自然、そして聖書

2013年05月28日 | イエスさま
復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。                 新約聖書:ヘブル人の手紙10章30節(新改訳)                                                                                                          愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる」もしあなたの敵が飢えたら、彼に食べさせなさい。乾いたなら水を飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。                          新約聖書:ローマ人への手紙12章19節~21節(新改訳)                                                                                            昨日に引き続いて今日は二日目。ほぼ一日中外出をしていた。山形市の気温は25度。化粧をして出かけたが、夕方にはすっかりはげていると、出会った友人に言われた。私は外出先で化粧を直すと言うことがほとんど無い。母が色白に産んでくれたので、余り肌の手入れに熱心でなかったこと。マスカラは結婚式で初めてつけて、それから一回もつけてないから、化粧自体が下手なこと。(教員時代、自分で眉を書いたり、アイシャドーを塗って行くと、よく生徒から「先生、下手!」と言われた。今考えれば余計なお世話だが、確かに生徒の方がうまいのであるから仕方が無い。)そして、初めての職場教員は、多忙でほぼ一日化粧を直す時間など取れないのではないかと思う。(私の言い訳かも知れないので、これは肯定できない)Anyway、どっちにしても、化粧を直すとか、そう言う類は自分では下手なのだ。   それより、46歳の私に今必要なのは、今日一杯画像アップした、リラックマを買いあさったり、ラメっぽい、シルバーのバッグを買ったり、昨日の山寺の自然に抱かれたり、風を浴びたりすることのようだ。 今日は気のおけない友人とコーヒーを飲んでゆっくりお喋りをしたし、昨日買って来た、「ご開帳まんじゅう」を食べたりしてた。外出するだけでも結構疲れる。教会には行けなかった。起きられなかったのである。10時近くまで眠って、起きても食欲が無いので、牛乳一杯だけ飲んで出かけた。これが今日私がリサイクルショップで探して買ったシルバーのバッグとリラックマ。2割引のタイムサービスだったので、バッグは300円→240円。リラックマは200円→160円。合計400円也。定価で400円ではバッグもクマも買えないだろう。だから私はリサイクルショップが大好き 一番最初の画像がそれである。 これね                                                                                        今一瞬画像が消えて、腹立ったから、フォトチャンネル作って寝ようかと思ったら、復帰しました。書いちゃいますね。母が「何で今さら46歳になってリラックマなんだ?」「何個買えば気が済むんだ?」と聴くが、私にも分からない。ただ、楽しいし、落ち着くのである。でも、精神科で分析?カウンセリングしてもらうと、「今の私に必要なことを私はしている」んだそうだ。シルバーのド派手バッグは、自分でもびっくりするほど先週から欲しくてたまらなかった。今まではむしろ、そう言うラメ系は嫌いで、もってる人のセンスを疑うほどだったのに、今は欲しくてたまらなかった。ゴールドでは駄目で、シルバーなのであった。でも、かなり庶民の味方のお店でも、新品は1000円近くする。今の私にそんなお金は無い。でも欲しい。ほぼ毎日リサイクルショップに通う。大体リサイクルショップの店員さんは私がリラックマ目当てなのを、もうすっかりご存知で、教えてくれる。時々私が、埃まみれの中から、探してくるお宝(=リラックマ)を見て「良くこんなの探してきたね~」 と半分感心、半分呆れたように言って、かなりまけてくれる。それが素直に嬉しい。先日は半額までまけてもらいました。リサイクルショップの皆さん、本当にありがとうございました。                                                                            今日の冒頭のヘブル人への手紙の言葉は、今日の車の中にある「台所の祈り」の聖句。かなり私には痛かった。憎らしい、殺してやりたいほど憎い人がいるとき、この言葉はかなり厳しい。でも、私は、今日しみじみ「アー私はクリスチャンになちゃったんだなあ~」 と実感した。辛いのに、この聖句、神様の言葉に従わなくちゃならない・・・・と、躰で実感したからだ。辛い。とても辛い。でも今日はこの聖句を書きたかった。  そして、開いた新改訳のページのローマ人の手紙に同じ聖句が載ってあった。これは偶然だとは思えなかった。とても私には出来ないようなことを神様は仰る。 「もしあなたの敵が飢えたら、彼に食べさせなさい。乾いたなら水を飲ませなさい。」・・・・絶対に私にはこんなこと出来ない。したくない・・・・そう思いつつ、ぱっとイエス様がこうなさったんだと、即座に感じた。だから、私はイエス様の弟子だ。子どもだ。娘だ。(涙)だからこの聖句に従わなくちゃいけない。次の聖句も心に染みた。「そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。」なんかこれは、感覚的に分かるようなきがした。 私が死ぬほど憎んでいるあいつに、私が親切にしてやったら、あいつは苦しむだろう・・・・。だから聖書にこう書いてあるのかな?・と思った。でも最後の聖句。  悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。        。                                 この聖句は、染みた。辛く体に染みた。心に染みた。でも、辛さより、イエス父ちゃんがしっかり私を支えて、抱きかかえ、「シズコ、負けるな!負けるな!俺がいる!」と言ってくれてるのを感じた。だから、従おうと思った。不思議な運転前のひと時だった。でもよ、父ちゃん、ありがとな。いっつも、シズコの側さいでけんなだなあ・・・・(=いてくれるんだなあ)(←嬉し涙)                                                               もう夜中の11時半過ぎたので、残りは写真を貼ってお風呂に入って寝ます。どうぞ、リラックマ画像、その他ご覧下さい。 ありがとう、お休みなさい。ブログを読んでくださる皆様と、支えてくれる家族、そして友人たち、何よりイエス父ちゃんに感謝します。ありがとう。                                                                          今日買ったリラックマ&バッグと、先日買ったリラックマグッズ。                                                                                                                                               これ全部で170円                                                                                                                              ペロリンも一緒に並べてみた。                                                                                                                          なかなかいいじゃん?                                                                                                 今日の夕食の一品、大根のツナサラダ。一年ぶりくらいで作ったかな?ずっとサボってたから・・・・ 一杯作ったから明日の祈祷会にもって行きたいな。味は・・・・まあまあってとこでしょう。                                                                                                              これがご開帳饅頭。結構餡子がおいしかったよ。 600円也                                                                                                                      尾花沢で作ってるんだって。結構裏が渋い。山寺の地図とか描いてあってさ・・・・                                                                                                                           唯一ゲーセンに2000円つぎ込んでゲットしたソーラーリラックマ。 た、高い!でも、可愛い!   旗振ってるのが「シズコ、フレーフレー」と応援してくれてるようで好き。夏らしいブルーも気に入ってる。                                                                                                                                                      病院にはリラックマも連れて行った。帰りのシベールで撮った。                                                                                                                                                ご開帳の仏像を見た後に、母が撮ってくれた私。                                              これくらいならアップしても許してもらえるんじゃないだろうか?自然体で写っていて、いいナーと思ってる。持っているエコバッグは母の手作り。ハハハ・・・違うって・・・・母は器用です。私も母のように縫い物上手になりたい。                                        そろそろ肩バリバリに凝ってきました。寝ます。オヤスミナサイ。画像一杯見てくださってありがとうございました。                                                                                    空色リボン・キャンペーン
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