ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

めざせ縁側♪

2007年08月30日 | Weblog
今日は3時前に復活して?(トルストイか?お前は?)外出できた。

ほっとしたよー。

だってね、ずっと今週暗かったでしょ?だから今日外に出ないと、明日明後日の内科と精神科に行けなくなっちゃうなあと思って、不安だったのよ。
起きて遅いお昼を食べに行きました。

喫茶店で1通手紙を書いた。嬉しかった。

帰宅したら、母が夕食の春巻きを作っていたので、私もすぐ手伝った。今日は大奮発で、海老、豚肉、さらに炒り卵まで入った超豪華版春巻き
全部で10本作りました。久しぶりに母の手伝いができて嬉しかったです。

40才で「母の手伝いをして嬉しかった」っていうのも変かな?

でも嬉しかったんだもんね。
我が家は基本的に夕食は当番制です。
後片付けは全員でする。これも亡くなった父から学んだ事です。
「男子厨房に入ろう」が我が家の家訓!?かな・・・・うんにゃ。
「みんなで厨房に入ろう」だと思う。
ちなみにカレーは私の弟しか作らない。弟が一番上手にカレーを作るからです。

早く元気になって、仕事に就いて、親孝行したいと思った。
家が与えられたら、縁側を作る
縁側って私、大好きだよー。
それには元気にならなくちゃね。

明日は亡くなった父の誕生日
生きてたら74歳。いいおじいちゃんだね。

ずっと54歳で亡くなった父しかわからないから、想像できないよ。

今日はなんだか良い気分です。

おやすみなさい。

喋るのも億劫な辛さ

2007年08月29日 | Weblog
今週は、辛い。

朝起きるのが億劫。
そして、外出が出来ない。

一番辛かったのは、喋るのさえ億劫になってしまったことだ。

今日は祈祷会に行って、久しぶりにハローワークで仕事を探そうかと思ったけど、できなかった。そして出来ない自分を責めていた。

自分の存在(ビーイング)を愛するのではなく
行動(ドゥーイング)で図っちゃってるんだよね。

頭では何度も勉強しても、なかなか心まで落ちてこないなあ。



それでも今、教会仲間のSちゃんに電話をして祈ってもらったら、大分楽になった。

祈りは本当に力だと思う。

そして、今日はできなかったとしても、明日何かできるかもしれないもんね。

生きてるだけでも大変な時あるもんね。それが今週かもしれない。

私はこの雨カエルの絵文字が大好きなの。

人間いっつもじゃ無くて良い。
そう思うんだ。

何も出来なかったけど、本はやたら読んだ。
三浦綾子さんの「銃口」「泥流地帯」
結構重たい内容を読んでる。

自分を責めるのでは無く誉めてあげたい。



肉巻き♪

2007年08月25日 | Weblog
あーくたびった!

やっと明日の愛餐会の一品料理「肉巻き」の下準備が終わったよ。

私の肉巻きはね、ごぼうとさやいんげん、にんじんを巻くんだよ。
巻くのはレシピでは牛肉になってるけど、予算の関係上豚肉。
でも今日の豚肉はグラム200円以上もした!
がるるる・・・・

明日、フライパンで焼いて、みりん、酒、しょうゆで味付けして、最後にたらっと
ゴマ油をたらしてしあげます。

んまいよ~

どれ、連日遅寝が続いているから、今日はもう風呂入ろ

オヤスミナサイ。良い日曜日をお過ごしくださいね

食べちゃった。

2007年08月24日 | Weblog
どうしても眠れなくて
起きて食べちゃいました。
でも、自分を責めない事にしました。
「今日は、これが必要だったんだ」と。

逃げに聞こえるかなあ・・・。

食べたら胃が重くなった。
ちょっと食べ過ぎたんだね。
でも、お腹がくちくなったせいで、眠気が出てきた。

今週の過食(というか深夜食べたのが)、二回。
かなり前より減ってる。

そうだ、シズコはよくやってるよ。

時々、なんでこんな自分のことを書くんだろうと思う時がある。
でも、私と同じように過食で苦しんでいる人が、このブログを見てくれて、
「あー同じ過食で悩んでいるのがいるんだな」と
慰めになれば良いと思ってる。

でも、私は今日の朝食べてないので、三食食べると言うことから考えたら
今食べたのはそんなにおかしくないのだと思ってる。
食べる前にベイスン(血糖値下げる薬)飲んだし
なにより眠れるのが嬉しい。

食べたら疲れがどっと出た。

今日は疲れてたんだなあ・・・。

どれ、やっと眠気が来たので休みます。

1歩1歩、歩きたい。
失敗したら、やりなおせば良いんじゃないかなあ・・・・。

お休み

夕晴れ

2007年08月23日 | Weblog
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

やったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

精神科受診穏やかに無事終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

しました。不安で一杯だったけど、先生と今日穏やかに話す事ができました。

やったあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

でもね、午前中は起きられなかったし食事もできなかったし
どうなることかと思ったんです。

でも、神様はちゃんと最善を私になしてくださいました。

行く前に、クリスチャンブックカフェオアシスに寄りました。
そこでたくさんの私の知っている方々に出会い、私の辛さを聞いてもらいました。

それがとても慰めと励ましになったみたいなんです。
たくさんの人から話を聞いてもらえる私って幸せですね。

仙台の友達はメールをたくさんくれました。
「シズコさんは一人じゃないよ。神様が必ず側にいる。そして私もいるよ。あー!近くにいたらシズコさんの側に行って一緒にいられるのに!」

私、彼女の気持ちが、存在がとても嬉しかった。

行く時に一冊の本を持って、待ち時間に読みました。
「小さき者からの光」(ジャン・バニエ著 あめんどう出版)です。

その中に、こんな文がありました。

「私達はひたすら相手の存在に感謝して生きているでしょうか」

真っ先に今から会う精神科の先生のことを思いました。
私は感謝がないなあ、と思いました。
感謝できない自分の傲慢さを認めるのは辛い事でした。
でも、必要なことだなあとは、思えました。

私は良い診察時間になるように祈りました。

穏やかな診察時間になりました。

先生は私に必要な事をアドバイスして下さいました。

「極端にものをみないで、バランスを心がけて下さい」

当たってるんだよなあ・・・・・でもね

私、落ち込まなかったよ。
なんでかはよくわからないの。でも先生の言葉をしっかり受け止めた私を誉めてあげたい(有森優子風♪実は同い年なの~。どちらも1966年生まれなんですよ。)

診察が終わって、ほっとしました。

また、元気がたまってきた感じ。
私が私になった気分。
私は私で良いんだって思えたからかな?

だから今日のタイトルは「夕晴れ」です。

明日が良い日になりますように。

夕暮れ

2007年08月22日 | Weblog
昨日の深夜、久しぶりの過食をした。
悪魔にでもとり付かれたように、パジャマからティーシャツ、短パンに着替え、2件隣りのコンビニに走り、サンドイッチとロールケーキを買って、家に帰ってむさぼり食べて、物凄い恐怖にとり付かれた。

「ああ、また食べてしまった!内科の先生に怒られる!精神科の先生にも、弱いやつだと怒られる!」

夜中の1時だというのに、恩師の先生に電話をし、牧師先生にメールをし、母をたたき起こして叫んだ。


「食べてしまった!食べてしまった!食べてしまった!」


恩師の先生も、牧師先生にも、そして母にとっても迷惑な話である。
恩師の先生は「大丈夫よ、大丈夫よ。まず食べたら休みなさい」と、真夜中の電話にも怒らず、慰めて下さった。母も同じだった。「一回くらい食べても大丈夫。大丈夫だから。な。休め」

私は眠った。翌朝5時半に起き、母に今朝は休ませてくれと話し、最低限必要な薬を飲んでまた眠った。

ふと目を覚ますと、4時頃だった。
つけっぱなしの空調を切りたくても、身体が動かない。声を出す力も無い。
長い時間が経ち、なんとか起き、今日のディボーション(聖書を読んでの霊想の時や、その聖書箇所を指す)を読んだが、頭に入らない。心が受け付けない。

半狂乱の私にとっては、悪夢のような一日だった。

「ただいま」と外出していた母が帰って来た。
母との対話を通して、明日の精神科の通院が死ぬほど怖いのだと判った。
朝から何も食べていなかったのでお腹がすき、朝ご飯を食べた。(朝じゃないけどね)
私の大好きなシシャモ、きんぴら大根の煮物、納豆。どれも美味しかった。
食べ終わった後、食器を洗って、夕飯のお米を砥いだ。

頭は働かないのに、結構いろいろできるもんだと思った。いや、できるようになったなあーと、なんだか、こんな辛い状況なのに動いてる自分がいとおしく、泣きたくなってきた。

二階の部屋に上がったら、ピッチの電話が鳴っている。
ここではあえてその人を「彼女」と記す。
彼女はここ数日の私の体調、心模様を心配して電話をくれたのだ。
正直、出るのが億劫だった。
彼女「シズコさん、今1分だけいいですか。私、どうしてもシズコさんに伝えたいの」
私「どうぞ」と言って耳を傾けた。
「私ね、昨日シズコさんにぴったりの聖書の言葉をプレゼントしたくて聖書を開いたの。そうしたらね、すぐ見つかったの。開いたページにあったの。あまりそれがシズコさんにぴったりで、私驚いてしまった!読んで良い?」

彼女が読んでくれた聖書箇所は、旧約聖書箴言23章、18節だった。

「確かに希望はある。あなたの希望が断たれることはない」

箴言とは「針の言葉」とも言い、英語ではProverbs(プロヴァーブズ)。ことわざ。格言。の意味。だから比較的厳しい言葉が多い。そう思っていた私には、こんな優しい言葉があるとは以外だった。その事を告げたら、彼女もそう思ったと言ってくれた。

「私もびっくりしたの。でも本当に聖書に書いてあるでしょう?神様がシズコさんにそう言ってる。だから、大丈夫。私、シズコさんのために祈っていい?」

彼女は祈ってくれた。電話を切る前に「また教会で会おうね」と言いあった。

そして今、夕暮れ。

私を包む夕暮れは優しい。

ゆっくり生きたいと思った。
自分を愛したいと思った。

ゆっくり休みたい。安らかに休みたい。
今でも、心の傷はうづいています。

けれど、こう思ったよ。

自分の人生が美しいものでありたい。

自分を愛し、人を愛する人生でありたい。

愛する事は、大切にすること。

そう思いました。

明日の精神科受診が、恐怖の時ではなく、癒しの時になりますように。

私のために祈って下さい。

お祈り下されば嬉しいです。

私のイエス

2007年08月22日 | Weblog
私のイエスは語らない
私のイエスは賛美しない
私のイエスは大きくない

私のイエスは
ただ
十字架に黙してはりつけにされている

日曜毎の
礼拝というにぎやかなお祭り
歌い、騒ぎ、声を出して祈り
終わった後は 「どうもどうも」
握手をして ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋り出す
お交わりという美名のもとに

主イエスは ただ
そんな私たちを
十字架から悲しげに
見ておられる

神様
これが
あなたの望まれたことですか?


信じるほうが好き

2007年08月21日 | Weblog
怒涛のやふな昨日までの日々がやっと終わった・・・・。
この顔文字、不気味だけど、実際私の今日の気持ちにぴったりなのでR。

先週から昨日まで精神科の転院の疲れがどーっと出て、今日はプレイズタイム(南部教会で朝9時から一時間やってる聖書を読んでの霊想と祈り逢いの時間)に行き、終わったら
完全に脱力状態だった・・・。←そう、こんな感じ。

教会員の友達Sちゃんにその事を話したら
「休めはー。休む時だって必要だベずー」と温かい言葉
嬉しくて、冷房の効く牧師室で、ただただ

ぼーーーーーけーーーーーーーーーーーーーーーーー

っとしてました。

家に帰り、今日はレンタルビデオ屋が安い日なので
堺正章版「西遊記パート2」と
私の大好きな中国の女優「コン・リー」の古いビデオ二本借りて
家でサンドイッチ食べながら見てたけど、もう駄目。

寝た。

私はこの西遊記と、コン・リーの大ファンなのである。
コン・リーは中国の映画監督チャン・イーモウ(「単騎、千里を走る」を撮った中国のトップクラスの監督)と組んで「紅いコーリャン」「菊豆」「紅夢」などなど、数々の映画の主演女優。
そうそう「中国の山口百恵」と言われている女優さんです。

中国映画はね、たくましいんだー。
あの黄色い大地に生きている人々を描いた映画は、本当に素晴らしいです。

私は、本当に中国好きなんだよねー。
共産主義は好きじゃないけど、その下でたくましく活きている人々。
美しい土地。古い因習。etc・・・・。
そんなものを含めて、全部好きです。

コン・リーとチャン・イーモウの映画のDVD、パンフレットはほとんど持ってます。
チャン・イーモウは人間の影を描くのが最高に巧い監督だと思う。
私は小説でも映画でも、人間の光と影が描かれているのに魅了されます。
ハリウッド映画って、実はほとんど見ない。
実は根暗かもしれない。
でも、そんな自分がとても好きです。

「西遊記パート2」は1話だけ見た。
せんだみつおがゲストの話。
せんだみつおは、「人間と仲良くなりたい犬の妖怪・ト吉(ぼくきち)」

でも
村の人々は仲良くしてくれない。
美味しいお茶とお菓子を用意して村人を待っている。
「私は優しい妖怪です。お友達になってください」
立て札を持っていくのに、村人は「怖い怖い」と逃げるだけ
堺正章演じる孫悟空初め、猪八戒、沙悟浄は皆「妖怪め!」と目の敵にする。

誰もト吉(ぼくきち)の言葉を信じてくれない。
心優しいのに。誠実なのに。

ただ「妖怪」と言うだけで、信じてもらえない。

孤独なト吉(ぼくきち)

そんな彼を信じたのは、故夏目雅子演じる三蔵法師の馬、玉龍(ぎょくりゅう)だった。
演じておられるのは、まだ若い若い藤村俊二さんです。

ト吉(ぼくきち)は玉龍に、胸のうちを打ち明ける。
人間が大好きなこと。村の人々と仲良くなりたい事。村の人々の平和を守るためなら
死んでも良いと思っていること・・・。

おそるおそる玉龍を見つめるト吉(ぼくきち)。
すると玉龍は、にっこり微笑んでト吉(ぼくきち)に告げる。

「ボクはキミのこと、信じるよ。だってボク信じるほうが、好きだもん。」

感極まって涙ぐむト吉(ぼくきち)。
もう、このあたりから、私は泣いちゃって駄目なんだ。

「信じるほうが好き」

「信じるほうが好き」

「信じるほうが好き」

なんて温かい言葉だろう。

私も、一生、出会う方々に、そう言いたい。

「信じるほうが好き」と。







本が好き

2007年08月15日 | Weblog
やっとブログを書く元気が出てきました。

今週の礼拝後、ひたすら寝ていました。

必要以上に休んだり、引きこもったりすると「あーなんでこんなにできないのだろう」と、すぐ自分を責めてしまいがちな私ですが、そんな時新聞で、ある書評を読みました。

阿川佐和子さんの「グダグダの種」という本です。

それにはこんな事が書いてありました。(思い出しながら書いてるので、違うところは許してね)


「私はグダグダするのが好きだ。夕暮れになって『あー今日もグダグダしてしまった』と後悔する時もあるが、きっと、そうする必要があったのだと思う事にしている」

ああ慰められるなあ・・・と思いました。

だから私も「きっと今は休みが必要なんだ」と信じて寝てたよー。
とにかく寝た。

ありがたかったのは、こんなに寝ても、夜、きちんと睡眠が取れたことです。
胃痛も併発したので、過食からも開放されました。

勿論、食べたくなる時もあったけど、そんな時は「神様眠らせて下さい」と祈ったら
何時の間にか寝てました。

新しいドクターの薬は私にあったようです。

今日は三日振りに外に出ました。夕食後母と一緒に本屋へGo

文庫を3冊買ったよ。

・「旧約聖書入門~光と愛を求めて」三浦綾子 光文社 540円
・「新約聖書入門~心の糧を求める人へ」 三浦綾子 光文社 540円
・「クォン・デ~もう一人のラスト・エンペラー」森達也 角川文庫 620円

です。

上二つは、以前買ったんだけど、人に差し上げてしまったのでもう一回購入しました。
三つ目の本は「ベトナムから来たもう一人のラスト・エンペラー」という本の文庫版です。
前から読みたいなーと思っていた本が、丁度文庫版で出てたので買いました。
ベトナムは「ピースボート」でホーチミンから帰ってきた時から、はまった国です。いろいろ関連本を読んでいるのだけど、言葉も歴史も複雑で難しいよ。
(でも、興味のある国なんだ)

ゆっくり読みたいと思います。

ん?ん?

今、お盆中に読んでいた本をずーっと書いてたら・・・・

消えた!

おいおい・・・せっかく5冊も書いたのにぃ・・・

しょうがないか。ウインドウズ98だし・・・。

とりあえず、一冊あげると、「聖書」です。

私は毎日、旧約聖書2章、新約聖書1章を目標に読んでいるのですが
お盆期間中は、何故か!?さぼらずに読めました。
今「民数記」と「使徒言行録」読んでます。
いつも寝る前に読むので

「わー今日はさぼりたいなー」

と思う事しょっちゅうなんだけど
今回は
「かみさまぁ~。あのよ~今、民数記読んでて、よっくわがんねんだげど
 とにかく読むから、わかりやすく教えて下さいね」と

祈って読んだのが良かったみたいです。

聖書、ピンとくる時と、来ない時があります。
でも、三度の食事をするように、毎日読めたら良いなーと思ってます。

もう11時だ。

明日は精神科二回目の診察なんだ。

無理せず話して、良い診察になりますように。

オヤスミナサイ。良い夢を

うだってます・・・・(ー。ー;)

2007年08月12日 | Weblog
山形は今日、猛暑!猛暑!あっつーーーーーーーーー!

教会から帰るとき、車ちゃんとクーラーかけてるのに
「クラクラッ!」とぼーっとしてしまいそうな瞬間がありました。

東名高速道路では事故がありましたね。
ドライバーは、ゆっくりあせらず運転したいです。ね?


山形は今日35度くらいじゃなかったかな?
もうちっと暑かったかもしれません。プラス、盆地だから
むしむしして、もー大変!

家帰ってクーラーかけて午後は昼寝をしました。
爆睡だったよーーーーーーーー。
5時半までぐっすり寝た。


その後ひさしぶりに笑点を見ました。
皆さんは笑点、お好きですか?

私、大好きです。
今は、司会をなさっている歌丸師匠のファンです。

アイスミルクコーヒー飲みながら、笑点

アナウンサー大喜利で、優勝した女子アナに与えられた商品は
なんと!


歌丸師匠の等身大抱き枕であった!

ひえ~、かなり納涼!


腹黒の楽太郎さんから「快眠を通して永眠できます」の一言!

ウケました。


その後庭の水撒きして、ご飯食べて、今また涼んでます。

皆様も水分補給して、一杯寝てくださいね。

今日の礼拝のメッセージで心に響いた事。

家族でも、教会員でも、私たちにはとっては神様から与えられた世界一の家族、教会員。
どんなに弱さがあっても、受け容れられないことがあっても
神様が置いて下さった、最高の、世界一の家族。この言葉がとても心に染みました。

ふっと考えた。

私の側にいつもいてくれる家族は世界一!
私の回りにいる人も世界一

でも、時々喧嘩をしたり、好きになれなかったりする。

それでも、神様が、「サイコーだ」と置いて下さった人々を
愛させていただく器(うつわ)とならせていただきたいです。

そして、神様が与えてくれた

「サイコーの、世界一の、かけがえのないシズコ」

愛して、大切にしていきたいです。