ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

疲れたら休め

2008年04月30日 | 日記
ちょっくら疲れたので休みます。
更新がまばらになるかもしれないけど、心配せんでええけんね~
(教会員のMさん風!Mさん、今日の写真撮影の時のピースサインはグッドでした。H姉妹のネックレスも似合ってたわ~ん

Kさんの海苔巻きはきれいで美味しかった!うどんにNちゃんが揚げてくれた作谷沢の山菜のてんぷら!んまかったよ~ん。ごっつおさま

ということで、寝ます~。

おっと追伸:

5月11日のペンテコステ(聖霊降臨節)には小学生のMちゃんと、大学生のNちゃんの洗礼式がありまーす。
また、洗礼の準備の勉強をなさっている方々もおられまーす。
どうぞ皆様、喜びのペンテコステの礼拝を迎えられますよう、お祈りください。

あ、有志クワイアーも・・・・来週の礼拝で練習します。(1回こっきり、バッチリよ~ん。曲は118か188か忘れましたが・・・
「すくいぬしは待っておられる~♪お迎えしなさ~い♪」と言う優しい賛美歌です。どうぞそのためにもお祈りくださ~い

オヤスミナサイ。良い夢を

初夏の歌~シズコの詩集から

2008年04月25日 | 
私の好きな 紫木蓮の花
高い夏の空に向かって ハミングを始めた
紫の花びらが まもなく優しくほころんで
今年初めての歌を 空一杯に歌うだろう

「もくれんの木も、おうちといっしょにひっこして」と
頼んだ幼い私の頼みを聞いた父よ
引越ししてまもなく
天に召された父よ

天にいます父に向かって
紫木蓮は歌う 誇らしく歌う
我が家と共に生きてきた証しを 高らかに歌う
私も 木蓮の花と一緒に
父よ 永遠の54歳のあなたに
空へ向かって声限り歌う


礼拝と総会とたけのこ

2008年04月20日 | 日記
今日は久しぶりに日曜礼拝に行くことができました。
礼拝の後、2008年の教会総会がありました。
私はここ二年間ずっと体調を崩して総会に委任状を出していたので、今日は出ることが出来て嬉しかったです。途中疲れたり、人混みに酔ったりしたので、座敷で休みながら出席しました。総会の内容は難しいけれど、初心者(ビギナー)クリスチャンの私には「ああ、これはこう言うことなんだな」とたくさん学ぶところがあったので、出席できて良かったと思います。

帰り道、母に電話して「何か買い物ある?」と言ったら母は「ある」と言いました。
「何?」と聞いたら「長ネギと~」と一つだけじゃ無かったよ~!

「ちょっと待ってケローー!」と言って、メモ用紙を探しましたが、丁度いいのが無く、車中に聖書の言葉を書き付けた紙の裏に「長ネギ、油揚げ、鶏もも肉・・・」と次々書いていきました。なんか御言葉(聖書の言葉)が書いてある紙の裏に買い物リストって、間抜けっぽかったけど、仕方ないですよねー

で、元☆市場に寄りました。
今、旬なんですね。たけのこ。筍。
一本500円くらいで新鮮なの売ってました。
煮付けたのを試食させてもらいました。旬だから柔らかくてとても美味しかったです。

我が家でも、母が灰汁抜きして牛肉とこんにゃくと一緒に、煮付けてくれました。
今度習っておこう。

旬のものは「んまい」ですね。

今日はお財布に2000円しかなくて、買い物リストをにらみながら買ったのですが、レジに行ったらカウンターがあっという間に1700円を越して焦ったー!最後の八朔(ハッサク)で丁度1966円でした。ふー安心したよ。まさに「ズバリ買いましょう」の世界でした。(この番組知ってる人いるかなぁ?)

という日曜日。

今週も良い週になると良いな~


シズコちゃ~ん♪

2008年04月16日 | 日記
シズコちゃんがちっちゃい時は

こんなでした~。(大公開!)

これは、だいたい2歳くらいの写真です。
写真は白黒です。
私が生まれたとき(昭和41年、1966年)の写真は、丁度モノクロからカラーへの過渡期のようで、カラーと白黒の写真どっちもあります。

これは、昔住んでいた鈴川町にあった我が家の庭での写真です。
オムツがとれなくてモコモコしてますね~でも、そこがまた
可愛いでしょう?

右手に「たがって」(=持って)いるのは水を汲むひしゃくです。
右下にわずかに見える水道の蛇口。それをひねって、下にわずかに見えるボコボコの金たらいに水を汲んで、水遊びをするのが、シズコちゃんの大のお気に入りだったんです。

最近、ブログで暗いことばかり書いていたのでちょっと、和み系?の写真をアップしました。
ヘアスタイルも当時をあらわしてるらしい。(美容院に持って行って見せたら言われたよ)
まんまる目がお気に入りのスナップです。

ファン?コメント。待ってまーす

私のために祈ってください。

2008年04月15日 | 病気・鬱・糖尿病など
今日、血糖値検査の予約が入っていたんだけど、人ごみが怖くて病院に行けなかった。
代わりに母に行って貰ったんだけど、ひどく落ち込んだ。

母が出かけて、一人のとき、ふとパソコンを開けて、初めて「自殺サイト」というのを見た。

これはやばい!と思って、教会に電話して、好美先生に祈ってもらった。
「好美先生、三浦綾子さんは『神様は役に立たない人を生かしておくほど愚かじゃない』って書いてたよね?じゃあ、私にも訳があるんだろうね?」
「そうだよ。」

好美先生も花粉と風邪で体がきつそうだった。
お祈りしてもらった。私も好美先生のために祈らせてもらった。

このブログを読んでくださった方は、私のために祈ってください。
今、自分の生かされている目的が見いだせなくて、苦しんでいます。
お願いします。

追伸・:今、私のピッチの充電器が壊れていて、使えません。
もしかして、メールをピッチに送ってくださったかた、もしくは電話をかけてくださったかた、私が出られないのはそういうわけです。あしからず。

吉野弘の詩より

2008年04月12日 | 宗教
吉野弘は山形県生まれの詩人です。
この詩人が書いた詩に、カトリッククリスチャンの作曲家高田三郎が曲をつけて「心の四季」という合唱組曲が生まれました。

その中で私がとても好きな「雪の日に」。
(著作権侵害になったら、削除します)


雪がはげしく ふりつづける
雪の白さを こらえながら

欺き(あざむき)やすい 雪の白さ
誰もが信じる 雪の白さ
信じられている雪は せつない

どこに 純白な心など あろう
どこに 汚れぬ雪など あろう
               
雪がはげしく ふりつづける
うわべの白さで 輝きながら
うわべの白さを こらえながら
雪は 汚れぬものとして
いつまでも白いものとして
空の高みに生まれたのだ
その悲しみを どうふらそう

雪はひとたび ふりはじめると
あとからあとから ふりつづく
雪の汚れを かくすため

純白を 花びらのように かさねていって
あとからあとから かさねていって
雪の汚れを かくすのだ

雪がはげしく ふりつづける
雪はおのれを どうしたら
欺かないで 生きられるだろう
それが もはや
みずからの手に負えなくなってしまったかのように
雪ははげしく ふりつづける

雪の上に 雪が
その上から 雪が
たとえようのない 重さで
音もなく かさなってゆく
かさねられてゆく
かさなってゆく かさねられてゆく


この曲は絶対に東北の合唱団が歌った方が良い(上手とは違います)演奏をします。
読んでいただくとわかるとおり、山形県の雪の激しさがテーマだから。
私はこの曲はもう1回歌いたいな・・・と思う。
子音(しいん)の発音の仕方から、歌い方まで、高校三年間で歌って体に全部染み込んでいる一曲です。

こういう鮮烈な詩を歌ってみたい。書いてみたい。
                   

泣く人と共に泣き・・・

2008年04月12日 | 病気・鬱・糖尿病など
新約聖書のローマ人への手紙に「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」と書いてある。私はこの聖句がとても好きで、こんな人になりたいなあと思っていたが、今日いかにそれが難しいか知らされた。

まだ、他の人の結婚式の写真を見て、落ち込む自分がいる。
他のご夫婦の会話を聞いて、辛くなる自分がいる。

あー

進歩しないなぁ・・・。

最近の日々

2008年04月11日 | 病気・鬱・糖尿病など
今日、教会員の方から「ブログ見たよ~」と言われた。
あったりまえだけど、このブログは山形南部教会とリンクしてるんだから、私は毎日の鬱状態を報告してるようなもんだよねぇ。

けれども、そうして心配していただけるのは、ありがたいことだと思う。
私の年齢の41歳の女性だと、まずたいていは仕事と家庭の両立の真っ最中なので、ほとんど会ったり喋ったりする余裕がない。
なので、そのことが、スゴーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく

落ち込む原因にもなる。

最近、人ごみが怖くて、外出すると「パニック状態」に陥る。
どうなるかというと、冷や汗が出てきて、まず頭は機能しない。
大きなお店の中だと、立っていられなくなり、しゃがみこみたくなる。
最高状態に達すると、「わーーーーーーーー!」っと叫んだり、そこらへんにあるものを手当たり次第に投げたくなる。俗に言う、「切れる」状態に近い。

今日も、近くの郵便局まで行ったら、ATMが通帳を受け付けてくれず、頭が真っ白になった。加えて過呼吸になる。暗証番号が全く思い出せない。人が後ろにずーっとたまって待っているというと、もう声にならない声が「なにやってんだよ」「早くしろよ」「うぜぇんだよ」と、聞こえてきて、たまらなくなってきた。

車に戻り、母に電話をし、呼吸を整えてから帰宅した。

その後、ちょっとしたことから、母とけんかになり、私は大泣きしながら母を罵倒した。健康な母が風邪をひいて寝ていたのに、だから私が母の代わりに買い物に行ったのに、全てが台無しになった。母を凄く傷つけてしまった。

三浦綾子さんは「神様は要らない人を作るほど愚かな方ではない」と書いていた。
私は今日「イエスよお!ほんとにあたしは役に立つのか!?馬鹿野郎!」と心の中で罵倒していた。
↑こんなこと書いたら、教会から破門されそうだが・・・
私は神様と対峙するときは、絶対本気だ。
遠慮なんかしない。遠慮なんかしたら、洗礼受けた意味ないじゃんと思う。
だから、罵倒したり、悪態ついたり、結構やってます。

だってよー。

聖書に「万軍の主」って書いてあるべした~?(=書いてあるでしょ~?)
「なんでもできる神様に、遠慮してどーするんだ?」と思う。
後は「天のお父様」と祈るでしょ?
イエス・キリストは、あたしの父ちゃんなんである。

だったら、父娘けんかくらいしたって、良いと思うのよね。

教会の日曜礼拝で、献金タイムがある。
その時当番になると、献金した後、教会に集った人を代表して、神様に祈らなくてはならない。これって、結構しんどい。

正直、他の人のお祈りを聞いてると「立派だな~!すっげぇな~」(下品ですいません)と思う。
この間、私の献金当番のとき、岡先生はメッセージの中で「あなたには許せない人がいますか?」と仰った。
私は「はい、います」と、心の中で即答した。
岡先生は続けて「その人を愛したいと思いませんか?」と聞かれた。
私は「いいえ、思いません」と即答した。
最後に岡先生は「もし、愛せない人がいたら、愛する人になれるように祈りましょう。そして愛せないときは、十字架のイエス様を見上げましょう」と仰った。

ひぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!
「絶対無理。だいたい愛したくないし、愛する人になれなくていいもん!」と
私は心の中で絶叫してました。

こう言うときの献金当番のお祈りは、本当に困る。

だいたい、私は献金箱が回ってる間に「なんて祈っかな~?」と考えるんだけど、正直うちの教会は、人数が少ないので、献金タイムはあっという間に終わってしまう。そして、そういうときに限って「祈ることばは神様がくれっから、考えるな」となんとなく神の?声が聞こえてくるのである。なので、説教壇の前に献金ボックスを置いたら、ほぼその場で与えられた言葉を祈る。

しかし、私が絶対にこれだけは祈るまい、と思っていることは
「献金の祈りは、会衆(教会に集っている人のこと)を代表しての祈りだけど、自分の心にもないうそだけはつかないで祈ろう。」と言うこと。
私は神様や教会の人の前で祈るのに、ウソをつくことは、それこそ「神様と教会の人に申し訳ない」と思ってる。

だから、その日は「神様、愛する人にならせてください」とは祈らなかった。
もう何週間も前の話なので忘れたけど、こんな祈りをした気がする。

神様、私は「許せない人がいますか」と聞かれたとき「はい」と即答しました。「愛せない人がいますか?」と聞かれたときも「はい」と即答しました。情けないけれど「人を愛させていただくうつわにもなりたくない」と思うような人間です。神様、けれどもそういう時は岡先生が「イエス様の十字架を仰ぎなさい」と教えてくださいました。どうか、そのようになれるように、助けてください。

だいたいこんなもんだった気がします。

クリスチャン歴8年の私、こんな祈りをしてます。

明後日は、われらが岡摂也先生と、好美先生の、南部教会着任20周年のお祝い会です。

行きたいな~って、思ってるけど、今は礼拝に行くのも固まっちゃうので、どうか、ここのブログ読んでくださった方は、行けるように私のために、お祈りしてください。

これから、母との間の壁を壊すのに、どーすればいいんだ!?

神様、なんとかしてな~。

追伸:
もし、このブログを読んでくださった方で、「教会ってどだなもんだべか?」とか「ちょっと、ためしに行ってみたい」と思った方は、どうぞ南部教会へ足をお運びください。(私、そん時いるかわかんないけど)
て言ったって、なかなか入れませんよね。教会。
でも、教会の人って(少なくとも南部教会の人は)初めての人が来て下さると
すっげぇ!・・・違った「すごく」嬉しいんです。「どなたでも気軽にお入りください」って書いてあるのは、本当です。決して入った後にドアをロックして「霊感商法」とか「クリスチャンにならないと返さないぞ」とか言ったりしませんから、安心して、どうぞいらしてください。

ちなみに私個人は、山形学院の生徒さんが授業の一環で来て下さるのが、凄く嬉しいです。やっぱり昔中学校で先生させてもらってたから「生徒さん」っていうだけで嬉しいのよね。授業の一環とは言え、クリスチャンでもないのに、せっかくの日曜日よくぞ来てくださった!という気持ちになる。だから礼拝が終わると、コーヒーとかお菓子とか出ますから、是非食べていってください。ちなみに南部教会の愛餐会(あいさんかい=みんなでご飯食べる)は「野生の王国」です。遠慮してるとあっという間に食いっぱぐれるので、早めにご飯はキープしてくださいね。

生きるのが辛い

2008年04月08日 | 日記
今日も、何もできなかった。
昔の、トータルカウンセリングを学んだときのノートが出てきた。
それに、こんな詩を私は書いていた。

あんまり悲しくて、捨てるのには忍びなくて
書き留めておこうと思う。

(無題)
私は泣けない
私が泣く前に
他の誰かが泣いてしまうから

私は怒れない
私が怒る前に
他の誰かが怒ってしまうから

私は笑えない
私が笑う前に
他の誰かが笑ってしまうから

だから
心優しき普通の人々よ
私から感情を取り上げないで下さい
私も一回くらいは・・・・薄ら笑いでなく
一粒の涙を流してみたいです。

(原文ママ)

自分の生きがいがないのに、毎朝新しい日を目の前に出されるのは
どうしようもなく辛い。
生きたくても死んでいく人がいるのに、なんとわがままだろうと
思う人はたくさんいるだろう。しかし、そういう人は私のこのブログにコメントしないで下さい。

生きがいがなくては、生きてはいけないと私はこのごろよくわかりました。

私はなんで生きていかなければいけないのか、わからない。
何で私が生かされているのか。わからない。
死ななければいけない人に、私の人生をあげられるのなら
私の人生をあげましょう。

私は今
なんで毎日生きているのか、わからない。