見よ、その日が来れば、と主は言われる。
耕す者は、刈り入れる者に続き
ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。
山々はぶどうの汁を滴(したた)らせ
すべての丘は溶けて流れる。
わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。
彼らは荒された町を建て直して住み
ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み
園を創って、実りを食べる。
わたしは彼らをその土地に植え付ける。
わたしが与えた地から
再び彼らが引き抜かれることは決してないと
あなたの神なる主は言われる。
旧約聖書:アモス書9章13~15節(新共同訳)
昨日の午後、従姉妹から電話が来て一緒に住んでいる母、私にとっての伯母が危篤だと連絡が来た。
全くそんな気配がなかったので、母と二人連絡を受けて吃驚して取るものも取らず病院へ直行したが、今日になり、深夜0時過ぎに伯母は亡くなった。
午後から夜の8時までずっと病院に居たが、伯母はいつどうなるかわからない状態が続いたので、東京に住んでいて急いで駆けつけた従姉妹が来た後、一度母と私は帰宅した。ぐったり疲れてしまい、遅い夕食を摂って休んだが、寝入った頃に従姉妹から伯母の臨終の訃報が電話で届いた。
私は正直、昨日危篤状態で非常に苦しい伯母の姿をずっと付き添って見ていたので、昨日はなかなか寝付かれなかった。そこに臨終の知らせが来たので、余計いろいろ考えてしまい眠れなくなったが弟から「眠れなくとも横になれ。明日からまた葬儀に向かって忙しくなるから」と言われ、なんとか横になったらいつの間にか寝入ってしまったようだった。朝起きたら従姉妹から母に電話があり、心もとないので母に来て欲しいとの事。今日は私は朝から眼科の眼底の検査で運転できないので、母に送ってもらう予定。
母は予定通り眼科へ私を送り迎えしてから共に帰宅した。まず眼科での目の状態が悪くなっていなかったので感謝。
その後二人で早い昼食を食べ、母は従姉妹たちのところへ手伝いに行った。正直私は、昨日の疲れと、可愛がってもらった伯母だが、亡くなったショックが大きかったので、母に従姉妹へのお悔やみの言葉を伝えて、パジャマに着替えて部屋を暗くし、少し休んだ。
結局眠る事はできなかったが、暗い部屋で静かにしていたら、朝方肩が重かったのがだいぶ良くなった。お陰さまでこうやって今、ブログを書いている。
母はよく「30分横になるだけでも良い」と言って短い休息を良くとるが、今日自分で実際休んでみて本当だな、と思った。
眠れなかったので私は、スマホにPHS時代から取りためていた沢山の画像削除をした。
私は本でもリラックマでも、凝り始めるとドンドンためこむ悪い癖があるので、今極力捨てたり売ったりしている。根が写真好きなので、スマホの画像もたくさんある。その中から「ブログに貼りたいな」と思ったのだけドンドンパソコンにメール添付して送信した後削除した。今日の三つの画像もその中のもの。バイブルスタディの様子と、何年か前に、あるお店の外壁に飾ってあった草花を撮ったもの。この草花に私は「風そよぐ草花」と名付けた。今でもそのお店がどこにあって、この草花がどこに咲いていたかはっきりと覚えている。一時期この画面をスマホの待ち受け画面に使った事もあった。
スマホの画像の削除も、根を詰めると疲れるので、ある程度削除したらこうして今度はパソコンに向かってブログ・・・と言う風に切り替えが少しできるようになったのかも知れない。明日は精神科。亡くなった伯母や従姉妹達には申し訳ないけれど予定通り受診する。今は自分も母も、お互いに体調が万全と言うわけでもないので、とにかく自分をまずしっかり整えるようにしている。母も今年の春に病気をしてから、めっきり弱って昔の母とは変わってしまったが、それでも義理の姉である(私の亡くなった父の姉)の伯母には、格別親しみを感じていたようだし、従姉妹の父親に当たる伯父も、とうに他界して従姉妹だけなので、「姪達を助けなければ」と言う思いに駆られたらしい。今日はしっかり自分を保って出て行った。
私は3時間くらい部屋の中でゆっくりしただけで、少し気力が戻り、朝悩まされていた頭痛もかなりよくなってきた。私にとっては一人で静かにしている時間が、今はどうしても必要らしい。もう少ししたら着替えて、庭の水を蒔こう。夕食のお米はもう研いだので、静かに初夏の夕暮れを、心静かにすごしたいと思う。
亡くなった伯母には私は可愛がってもらった。とても編み物が上手な伯母で、たくさんの服を編んでもらった。
同じ長女で、気さくで明るかった伯母の死を考えると心騒ぐが、それは当たり前の感情だろう。
そのまま受け容れたい。
今日の画像の「風にそよぐ草花・その1」プランターに植えられていました。
「風にそよぐ草花・その2」これは瑞々しい緑と白い小さな花で、生命力でむせかえりそうです。
牧師夫人のK先生のもとで、英語で英語の聖書を学ぶ「バイブルスタディ」の私の持ち物一式と、頂いたチョコレート一つ。
今は学ぶ気力も体力もありませんが、この画像を貼りたいと思ったのは「また英語を学びたい」と言う私の心の深層心理かな?と思いました。
今日の聖句は旧約聖書のアモス書から取りました。
私は聖句を書く時、たいがい聖書をパラパラめくって気に止まった箇所を書き出しているのですが(安易でごめんなさい)今日の聖句では
わたしは彼らをその土地に植え付ける。
わたしが与えた地から
再び彼らが引き抜かれることは決してないと
あなたの神なる主は言われる。
この箇所が心に止まりました。たぶん今の自分の不安定さが「土地に植えつける」「再び~引き抜かれることは決してない」の聖句に魅かれたのだと思います。
おもしろいな、と思ったのは、
ぶどうを踏む者
と言う語句の表現でした。この言葉を見てすぐ、映画でぶどう踏みをしている女性の姿を思い出したのだけれど、ぶどう酒でも造るんでしょうかね?
どなたかご存知の方がいらしたら教えて下さい。
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