ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

さくらんぼがなたよ~。(=さくらんぼがなったよ~、の山形弁♪)

2015年05月31日 | 日記
兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。

新約聖書:ヨハネ第一の手紙 2章10節(新改訳)



今日は久しぶりに山形弁でブログを書きたいと思います。(必要なら後で山形弁の訳もつけますので、コメントしてください♪)


今日は母が久しぶりに「芝桜ば見せてける」と私を外さ連れ出してけだ。天童市と山形市のあいだっこの立谷川ってどさ連れでってけだげど、残念ながら芝桜はもう節でないっけは。帰りに天童市さ行ぐどごで、じゃがらもがらって言うおもしゃい地名があったんだげど、そごのさくらんぼがもうおがってめんこくなってだんだっけは。外の空気吸ってさくらんぼの木さ触って来た。すごい気持ち良いっけ。さくらんぼどが周りの山から良い空気一杯もらってるみだいで、とにがぐ元気もらって来たっけ。さぐらんぼのめんこい写真撮って来たから見てけろな。




一杯なってでたまげだ。





まだおがらねさぐらんぼ。ちちゃこいの。





少し数多い。







少しあがぐなたの。今からおがっべな。






改めてこうして見っととめんこい。







山形弁読んで、さぐらんぼの写真見でもらてありがどさまでした~!




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小さな一歩

2015年05月22日 | 日記
最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互いに励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。

新約聖書:コリント人への第二の手紙 13章11節(口語訳、シズコが車を運転する前に読んでいる霊想書「台所の祈り」の、今日の箇所の聖句)



今日の午後、久しぶりに外出できた。
伯母の葬式と初七日以降、疲れと悲しみで私は寝込んでしまっていた。伯母が亡くなって思ったよりずっと心の悲しみになっている自分にびっくりした。昨夜は喋っているだけで、ぐんと心が楽になるクリスチャンの姉妹に電話でこの辛い時期を過ごせるように祈ってもらった。そうしたら姉妹の「・・・このこと(=伯母が亡くなったこと)も神様の御手(みて)の中で起きた事ですから・・・」の祈りの言葉に「ああ、そうだ。伯母が亡くなったのも、神様がご存知で起こされた事なんだ。神様は伯母が亡くなった事も、私が悲しみにくれている事も全部ご存知なんだ」と思ったら、涙がどっと湧き出てきて泣いてしまった。母には「お前にも大きい悲しみだったんだね」と言われて、改めて亡くなった伯母の存在がどんなに大きかったかを教えられた気がした。

今朝やっと起きられたが、精神的に不安定で朝ごはんを食べてすぐまた安定剤を飲んで寝てしまった。けれど珍しくお昼ごはんを食パン二枚しっかり食べ、テレビをそのまま見ていられたので(それまではすぐまた布団にもぐって安定剤を飲んで寝ていた。)「ああ、今日は少し体調が良いんだなあ」と思った。そしたら久しぶりに体を動かしたくなってウォーキング、筋トレとストレッチをした。体がじわじわと汗をかいてきて喜んでいるのがわかった。その後、久しぶりに運転して買い物に行った。買い物に行くだけでも私には刺激なのに、帰宅後洗濯物を畳んだり、ご飯の支度を出来たので、「あー今日は動いたなあ」と言う感じがした。夕食後9時から、NHKEテレの「団塊スタイル」と言うテレビ番組を見てたら、尾木ママこと尾木直樹さんが出ていてなんだか慰められた。私はわりと尾木ママの考え方が好きなので、夕食の後片付けをしながら見たテレビで心がほわんとした。私の精神状態も経済状態も決して今は良い状態とは言いがたいけれど、こうして今日午後から運動できて、外出できただけでもオッケーサインを出そう、と思った。


今日の冒頭の聖句は、いたく心に染みた。実は先日、ある人のある言葉でかなり私自身が傷付いた事があった。そう言うときに今日、冒頭の聖句を読んだ。そう言う状況でその人と「平和に過ごしなさい。」を実行するのはとても難しい。泣きなくなるような気持ち。けれど、その後の聖句が


そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。




だったので、私は駐車場でこの聖句を読んだ時、これからどうすればいいのか、その人に怒るのは(実際怒ったけれど)簡単かもしれないけれど、神様はその事を喜ばれないのかもしれない、そう思ったらなんとも言えない気持ちになって、この聖句の箇所を今日のブログに書けたら書きたくてスマホに書いて来た。私の中では他の聖句で「敵が何かして来たら、応戦するのではなく、相手に良くしてあげなさい」と言う箇所も思い出され、神様から「相手を許してあげなさい」と言われているようで辛い。とっても辛い。故・三浦綾子さんの夫、故・三浦光世さんの言葉に

「聖書の言葉は自分の人生をひっさげて読む必要がある」


と言うのがあり、その言葉がありありと思い出された。


聖書の言葉は自分の人生と切り離して読めば、なるほどと納得できる事が多いけれど、今の私のような立場に置かれた時、とても難しい、と初めて思った、と同時に、私の言葉で傷つけている人もいるんだな、と今日、思えることもあった。


閑話休題。



今、ブログアップする前に、ネットニュースを見たら、鳥取県にスターバックスができたと言う記事を読んで、鳥取県知事の平井知事と言う方が、とても面白い事を言っていたので、くすくす笑ってしまった。一部抜粋してここに書かせてください。


鳥取スタバ:初店舗 開店前日からズラリ 県内外から
毎日新聞 2015年05月22日 19時32分(最終更新 05月22日 21時07分)


◇47都道府県で最後の出店 内覧会で知事だじゃれ連発

 「スターバックスコーヒージャパン」(東京)の鳥取県で初の店舗が鳥取市東品治町に23日午前7時に開店するのに先立ち、22日に報道関係者向けの内覧会が開かれた。47都道府県最後の出店となるため、同社の関根純・最高経営責任者(CEO)や中東の民族衣装を着た平井伸治知事も訪れた。平井知事は「スナペチーノを作ってほしーの」などとだじゃれを連発し関係者を笑わせていた。

 店舗は165平方メートルで、店内51席でテラス20席。県産杉やヒノキがカウンターやテーブルに使われ、ラッキョウを模したソファなどが並ぶ。また「現代の名工」にも選ばれている大因州製紙協業組合(鳥取市青谷町山根)の秋吉保久さん(74)が作製した因州和紙が壁面にあしらわれている。ドライブスルーにも対応している。営業時間は午前7時〜午後11時。

 来店した平井知事は「メニューにキャメル(ラクダ)マキアートは?」と提案するなど終始上機嫌で、関根CEOは「返すセンスがございません」と笑っていた。





スターバックスは山形県もかなり遅く出来たけれど、この鳥取県に出来るまでの過程もニュースで聞いていて楽しかった。鳥取知事の平井さんが

「鳥取県にはスタバはないが『すなば(砂場)』はある。」

と言う発言も、ユーモアがあるなあ、と思いました。やっぱりニュースでも何でも、くすっと笑える記事や、心がほんわかする記事が良いです。



今日の画像はコンビニで買った「タリーズバリスタラテ」。限定発売だと言うのをニュースで見て、ちょっと高かったけれど買ってみました。まだ飲んでいませんが、タリーズコーヒーはコーヒーの中で私が一番美味しいな、と思う缶コーヒーです。ちょっとした贅沢。






オヤスミナサイ。神様の平安が皆様にも私にもありますように。


追伸

このブログ、毎日約100人の方々がご覧くださっています。
いつも思うのですが、ネットの向こう側で、100人もどんな方々が私のブログを読んでくださっているのかな?と不思議に思いますし、お会いしてみたいような気持ちになることもあります。
いずれにせよ、拙い文章を読んで頂き、ありがとうございます。




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我が家

2015年05月20日 | 
わたしの神、主よ
とこしえにあなたに感謝をささげます。

旧約聖書:詩編30編13節(新共同訳)





伯母が亡くなってから一週間たった
伯母が亡くなってからとても心が辛い
日中ほとんど起きられない
夕方になって洗濯物を干した
日中の山形は29度の夏日だったのに
夕方の庭先は風が出てきて肌寒いくらい
母が上にはおる暖かい物を持ってきてくれた
ありがたいな
「早く洗濯物干して中に入ろう」と
声かけてくれた
ありがたいな
急いで洗濯物を干して、家の中に入ると
二人で作った豚汁のあたたかさが
ほわっと体にまとわりつく
ああ、家はいいな
本当にいいな
我が家
神様、私に我が家を与えて下さって
本当にありがとう



昨日、伯母の初七日だった。行く前に二軒隣のセブンイレブンを見たら、白のノラ猫が一匹ぽつんといた。スマホで最大限大きく撮影してみたが、こうして見ると、ほとんど白い点にしか見えない。
前に駐車場だったところが、いよいよ家を建て始めたので、居場所がなくなったらしい。







初七日後伯母の家に行き、庭を見たらアケビのあかちゃんが生っていた。我が家から株分けした木だと聞いて嬉しくなった。
今年も一杯生ってね。





帰宅途中、タリーズによって母とコーヒータイム。
久しぶりのタリーズに、ちょっと贅沢気分でした。








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伯母の葬儀を終えて。映画「王妃の館」

2015年05月17日 | 日記
お陰さまで昨日静かに伯母の葬儀が終わった。
伯母は水曜日危篤になり、木曜日の深夜に亡くなった。そして昨日の土曜日火葬、葬儀と、一週間であっという間に天国に旅立って行ったので、正直かなり心身ともに応えた。今日日曜日、私は起きられなかった。一日中、途中安定剤を飲みながら横になっていた。脱力状態だった。
こうしてブログを書いていて「葬式の事を書くのは、母方の祖母の葬儀以来だな」と思い返している。祖母の時は長く入院した上の葬儀だったので、悲しかったけれど、今回の伯母の時よりは落ち着いて葬儀を迎えた気がする。けれども今回は、危篤の連絡、死亡の訃報、葬儀とあっという間に数日が過ぎてしまったので、伯母の死に直面してかなり辛かった。人はあっけないなと思った。


もう一つのブログタイトル「映画『王妃の館』」は、今月1日、映画の日に珍しく突然観に行った映画です。浅田次郎さんの原作は全く知らなかったのだけれど、主人公の作家・北白川右京演じる水谷豊のおかっぱヘアスタイルと、超ファンキーなファッションに一目で魅かれました。上映前に「見たいな~」と思っていたのですが、見る気力が失われてしまった所に、絶妙のタイミングで、精神科受診後寄った書店の隣りの映画館に、この映画の大きな垂れ幕を見つけ、レディースディ、映画の日と二つ重なって1100円で見られるのに気付き「これも何かのご縁だろう」と思い、また偶然に友達に「これから観に行くんだ」と電話したら「私も何も予定ないし、一緒に観るかな」と言う返事が帰って来て、友達と二人で観に行きました。感想は、水谷豊さんのファンキーなファッションを思い切り堪能できた事と、私の大好きな石橋蓮司さんが観られた事。またキャストで出ておられた緒形直人さん、安達祐実さん、青木崇高さん、そしてオカマ役のクレヨンを演じた中村倫也さんと言う俳優さんがとても面白かったです。特に緒形直人さんは、ハゲを気にしてかつらを被っている成金親父役をとても上手に演じておられて面白かったです。全体に悪意が全く見られず、善意で作られている映画だったので、最後まで心地良く観る事が出来ました。エンディングの小野リサさんの歌う、「PLAISIR D'AMOUR」のボサノヴァ調の歌も良かったです。

今日の花は伯母の葬儀で頂いてきた花です。亡くなった伯母の好きな赤いバラを中心に飾ったと従姉妹が言っていました。








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今夜の大根ツナサラダ♪

2015年05月14日 | 日記
何は無くても私の十八番。大根ツナサラダを作りました。


大根は太目の千切りにして塩もみ。その後水にさらします。キュウリの千切りと和えます。






ツナ缶を一缶入れます。3パック270円くらいの安いので十分!




良く和えます。







レモン汁をたっぷりとかけ、ゴマ油を1まわしかけて完成!






何も無い時、一つ覚えの大根ツナサラダです。母が帰って来ました。まもなく弟も帰宅します。

皆でご飯です。あたたかい食卓です。感謝です。






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少し休息

2015年05月14日 | 日記
見よ、その日が来れば、と主は言われる。
耕す者は、刈り入れる者に続き
ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。
山々はぶどうの汁を滴(したた)らせ
すべての丘は溶けて流れる。
わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。
彼らは荒された町を建て直して住み
ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み
園を創って、実りを食べる。
わたしは彼らをその土地に植え付ける。
わたしが与えた地から
再び彼らが引き抜かれることは決してないと
あなたの神なる主は言われる。

旧約聖書:アモス書9章13~15節(新共同訳)



昨日の午後、従姉妹から電話が来て一緒に住んでいる母、私にとっての伯母が危篤だと連絡が来た。
全くそんな気配がなかったので、母と二人連絡を受けて吃驚して取るものも取らず病院へ直行したが、今日になり、深夜0時過ぎに伯母は亡くなった。
午後から夜の8時までずっと病院に居たが、伯母はいつどうなるかわからない状態が続いたので、東京に住んでいて急いで駆けつけた従姉妹が来た後、一度母と私は帰宅した。ぐったり疲れてしまい、遅い夕食を摂って休んだが、寝入った頃に従姉妹から伯母の臨終の訃報が電話で届いた。

私は正直、昨日危篤状態で非常に苦しい伯母の姿をずっと付き添って見ていたので、昨日はなかなか寝付かれなかった。そこに臨終の知らせが来たので、余計いろいろ考えてしまい眠れなくなったが弟から「眠れなくとも横になれ。明日からまた葬儀に向かって忙しくなるから」と言われ、なんとか横になったらいつの間にか寝入ってしまったようだった。朝起きたら従姉妹から母に電話があり、心もとないので母に来て欲しいとの事。今日は私は朝から眼科の眼底の検査で運転できないので、母に送ってもらう予定。

母は予定通り眼科へ私を送り迎えしてから共に帰宅した。まず眼科での目の状態が悪くなっていなかったので感謝。

その後二人で早い昼食を食べ、母は従姉妹たちのところへ手伝いに行った。正直私は、昨日の疲れと、可愛がってもらった伯母だが、亡くなったショックが大きかったので、母に従姉妹へのお悔やみの言葉を伝えて、パジャマに着替えて部屋を暗くし、少し休んだ。



結局眠る事はできなかったが、暗い部屋で静かにしていたら、朝方肩が重かったのがだいぶ良くなった。お陰さまでこうやって今、ブログを書いている。

母はよく「30分横になるだけでも良い」と言って短い休息を良くとるが、今日自分で実際休んでみて本当だな、と思った。
眠れなかったので私は、スマホにPHS時代から取りためていた沢山の画像削除をした。私は本でもリラックマでも、凝り始めるとドンドンためこむ悪い癖があるので、今極力捨てたり売ったりしている。根が写真好きなので、スマホの画像もたくさんある。その中から「ブログに貼りたいな」と思ったのだけドンドンパソコンにメール添付して送信した後削除した。今日の三つの画像もその中のもの。バイブルスタディの様子と、何年か前に、あるお店の外壁に飾ってあった草花を撮ったもの。この草花に私は「風そよぐ草花」と名付けた。今でもそのお店がどこにあって、この草花がどこに咲いていたかはっきりと覚えている。一時期この画面をスマホの待ち受け画面に使った事もあった。

スマホの画像の削除も、根を詰めると疲れるので、ある程度削除したらこうして今度はパソコンに向かってブログ・・・と言う風に切り替えが少しできるようになったのかも知れない。明日は精神科。亡くなった伯母や従姉妹達には申し訳ないけれど予定通り受診する。今は自分も母も、お互いに体調が万全と言うわけでもないので、とにかく自分をまずしっかり整えるようにしている。母も今年の春に病気をしてから、めっきり弱って昔の母とは変わってしまったが、それでも義理の姉である(私の亡くなった父の姉)の伯母には、格別親しみを感じていたようだし、従姉妹の父親に当たる伯父も、とうに他界して従姉妹だけなので、「姪達を助けなければ」と言う思いに駆られたらしい。今日はしっかり自分を保って出て行った。

私は3時間くらい部屋の中でゆっくりしただけで、少し気力が戻り、朝悩まされていた頭痛もかなりよくなってきた。私にとっては一人で静かにしている時間が、今はどうしても必要らしい。もう少ししたら着替えて、庭の水を蒔こう。夕食のお米はもう研いだので、静かに初夏の夕暮れを、心静かにすごしたいと思う。

亡くなった伯母には私は可愛がってもらった。とても編み物が上手な伯母で、たくさんの服を編んでもらった。

同じ長女で、気さくで明るかった伯母の死を考えると心騒ぐが、それは当たり前の感情だろう。

そのまま受け容れたい。


今日の画像の「風にそよぐ草花・その1」プランターに植えられていました。







「風にそよぐ草花・その2」これは瑞々しい緑と白い小さな花で、生命力でむせかえりそうです。






牧師夫人のK先生のもとで、英語で英語の聖書を学ぶ「バイブルスタディ」の私の持ち物一式と、頂いたチョコレート一つ。

今は学ぶ気力も体力もありませんが、この画像を貼りたいと思ったのは「また英語を学びたい」と言う私の心の深層心理かな?と思いました。





今日の聖句は旧約聖書のアモス書から取りました。

私は聖句を書く時、たいがい聖書をパラパラめくって気に止まった箇所を書き出しているのですが(安易でごめんなさい)今日の聖句では



わたしは彼らをその土地に植え付ける。
わたしが与えた地から
再び彼らが引き抜かれることは決してないと
あなたの神なる主は言われる。


この箇所が心に止まりました。たぶん今の自分の不安定さが「土地に植えつける」「再び~引き抜かれることは決してない」の聖句に魅かれたのだと思います。

おもしろいな、と思ったのは、


ぶどうを踏む者

と言う語句の表現でした。この言葉を見てすぐ、映画でぶどう踏みをしている女性の姿を思い出したのだけれど、ぶどう酒でも造るんでしょうかね?

どなたかご存知の方がいらしたら教えて下さい。




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自分に優しくなれた日、最近思うこと

2015年05月11日 | 日記
「愛するとはね、相手を生かすことですよ」

小説「ひつじが丘」 三浦綾子 作 より


一週間近く、疲れがきっかけか寝込んでしまった。前半は朝食にもほとんど起きる事が出来ず、安定剤を飲んで、まる一日布団に包まって寝ている日が続き、正直「また引きこもってしまうのだろうか?」と不安だったが、今日の午後から起き出し、昼食後、本当に久しぶりに茶の間でDVD「氷点」を見ていたら「外に出よう」という気になれた。書棚から一掃した本を二袋抱えて、ブックオフに売りに行けた。それだけでも嬉しかった。それ以上に嬉しかったのは、前回ブックオフに間違って売ってしまった私の本が、ちゃんと108円の書棚に並べられて売っていたのを買い戻せたことだ。それがこの画像の本「ひつじが丘・泥流地帯」の本である。
前回売った時、実は間違って一時取り置きしていた必要な本まで売ってしまったのだった。売ってしまってそんなに不自由はしなかったのだが、この本のように「しまった!」と思った本も数冊あった。特にこの本は、10余年前私が入院していた時、外出できない私のために母が本屋から買ってきてくれた本だったので、今日買い戻せた喜びはひとしおだった。

一週間ぶりに外出できた事と、一人で重い本を運び売りに行けた事。またこの本を買い戻せた事、夕方から母と一緒に庭の水撒きや、夕食の支度、後片付けなどを出来たためか、今日は久しぶりに自分に優しくなれた気がした。本当は具合が悪い時こそ、自分に優しくなれれば最高なのだが、実際はなかなかうまくいかない。こんなことを書いていると、かつて熱心に受講していた、米沢興譲教会の田中信生先生のトータル・カウンセリング・セミナーで習った、doing(行動)ではなく、being(存在)を大切にする事、何が出来たかで人を評価するのではなく、人の存在そのものが大切なのだという事、を学んだのに、生かせてないなあ・・・と、苦笑してしまう自分がいる。

一番初めに私がキリスト教に触れたのが米沢興譲教会に連なっている、山形ジョイフルチャーチと、トータル・カウンセリング・セミナーだ。本当に田中信生先生、奥様の芳子先生、ジョイフルチャーチの丸山先生、より子先生にはお世話になった。丸山先生・より子先生ご夫妻には、新婚の頃からずっとお世話になった。

先日久しぶりにより子先生と出会い、その後、今年もテルサで6月下旬に催される、田中信生先生の講演会のお葉書を頂いた。会場がテルサになってから、私は伺った事がないのだけれど、今年珍しく「久しぶりに信生先生のお顔を拝見してメッセージが聞きたいなあ」と思った。一つ問題は今の私の自宅の駐車場が歩いて5分と言う事である。今の駐車場に変えてから、実は夜帰宅したことが一度も無い。今の駐車場にして一つ不自由しているのは、帰り道に街灯が少なく、正直全く安全に安心して帰れるとは言い難いことである。なので、できるだけ陽の高いうちに今は帰宅している。信生先生の講演会は6時30分からなので、帰りは今までを思い出すと、9時過ぎにはなると思う。今日家族に講演会の事を話したら、「まだ日にちがあるし、その時に考えたらいいよ」「もしできるのだったら、夜駐車場まで迎えに行ってあげる」と、家族皆、優しく言ってくれたのでありがたかった。6月の講演会当日まで、祈って待ちたいと思う。

今日、自分に優しくなれた、と書いたけれど、その中で「与えられたもので心足りる」と言う思いを、私は人生で初めて実感したからかもしれない。画像の「ひつじが丘・泥流地帯」を、ブックオフの買取を待っている間に売り場で見つけ、それが間違いなく母が私に買ってくれたものだ、とわかり、買い戻した時、正直今日売った本より何倍も価値があるような気がして嬉しかった。今までの私の人生の中で、私は本でも何でも欲しいものはすぐ与えられてきたせいか、一冊の本を今日ほどの感動で買い戻した記憶が無いような気がする。そして、今日初めて「与えられたもので心足りる、気持ちが満足する、と言うのはこう言うことか」と、ひときわあたたかく、厳粛な気持ちになった事も初めてな気がする。そう言う意味で今日の一日は、私自身にとって、大きな一日だった。

実はこの画像は、初めてスマホで本を撮影し、パソコンに送るのが成功した画像である。記念すべき一枚を、この愛おしく大切な本に出来たのは嬉しい。





外出すると大人から子供まで、たくさんの人がスマホを持つ時代になったが、実は我が家でスマホを持っているのは私だけである、と言っても、昨日でスマホに変えてから7ヶ月になるのだが、正直私にとって、スマホはパソコン同様、便利な反面、ちょっと怖い存在であることも否定できない。

ガラケーのPHSを持っていた頃と違って、スマホは簡単にネットに接続できるので、パソコンのネットサーフィン状態になってしまうのが一番の私の弱さであり、怖れである。私はパソコンを自分の部屋に持っていないので、スマホを持ってから初めて自分の部屋でネットを見られるようになったが、これが下手をすると、延々ネットを見るという悪循環になってしまいかねない。スマホを未だにほとんど使いこなせていない私には、ガラケーのPHSから、スマホに切り替えてから、正直物凄いストレスになった時期もあった。今はだいぶ慣れたが、私にとってはスマホの不都合な部分もわかり、実は思い切ってガラケーの携帯に戻そうかな?と、今思案中である。スマホも良いところがたくさんあるし、今の主流なのかもしれないけれど、スマホに自分自身が使われてしまっては本末転倒なので、この事もゆっくり考えて決めたい。思い出すとスマホに切り替えた時は、精神的にとても不安定な時で、交換してからしばらく後悔したので、今回も焦らず、私にとって何が最善なのか良く考えて決められたら良いなと思う。

最後に。最近前より何倍も祈るようになった。それだけ自分というものがいかに助けられ、生かされているかを実感しているからかもしれない。

今夜は久しぶりに手元に帰ってきた本の手触りを懐かしみながら眠りたい。





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呉昌碩(ご しょうせき)の篆書(てんしょ)

2015年05月07日 | 私の好きな書
正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。

旧約聖書:詩篇34篇19節(新改訳)



主は助けを求める人の叫びを聞き
苦難から常に彼らを助け出される。

旧約聖書:詩編34編18節(新共同訳)


A righteous man may have many troubles,but the LORD delivers him from them all.

Old Testament:Psalm 34:19






今日はとても疲れたので、ブログは書けないだろうなと思っていたのですが、夕食後、BSで母と大好きな番組「開運!なんでも探偵団」(山形県では、木曜日の夜に再放送があります。)を見ていたら、最後のお宝に、久しぶりに私が心奪われたお宝が出てきたので、どうしてもそれをご紹介したくて今書いております。

中国は清朝の文人・呉昌碩(ご しょうせき)と言う方の篆書(てんしょ)です。番組にはその方の篆書(てんしょ)と絵というお宝が出たのですが、結果は、本人評価額が96万円だったのが、なんと!鑑定結果は225万円でした!ちなみに篆書(てんしょ)は本物でしたが、絵はその方の作品では違うようでした。

値段も素晴らしかったのですが、私はこの呉昌碩(ご しょうせき)と言う方の自由な篆書(てんしょ)にすっかり魅せられてしまったのです!


篆書(てんしょ)とは、私が高校で習った知識だと(間違っていたらごめんなさい!)、書道の書体の一種だったと思います。私も授業で書いたような記憶がおぼろげにあります。結構篆書(てんしょ)そのものは好きでした。その篆書(てんしょ)が今夜、出てきて、呉昌碩(ご しょうせき)と言う全く知らない名前の方の作品でしたが、一目で心を奪われたので、どうしても呉昌碩(ご しょうせき)さんと、その方の篆書(てんしょ)をご紹介したくてブログを書いています。

残念なのは、今私は、スマホからもデジカメからも画像を取り込めない状態なので、その篆書(てんしょ)をブログのコメント欄の、「なんでも鑑定団」のHPから、小さい画像でしかお目にかけられない事です。ご興味がある方は是非コメント欄からご覧頂くか、「呉昌碩 篆書臨石鼓文軸」で、画像を検索なさって下さい。もしかしたら、これを読んでくださった方もお好きになられる方がおいでかもしれません。今日の羊さんの画像は、全くこの方と関係無い(すみません!)この間のブログには横から撮った写真と同じ、今年の干支の未の笹野一刀彫(ささのいっとうぼり)の置物です。笹野一刀彫は山形県の米沢市の有名な彫り物です。これも私は小さい頃から大好きです。コメント欄に、この笹野一刀彫のサイトも貼っておきますので、是非ご覧になってください。

閑話休題。

今日の冒頭の聖句は、全く違うように見えるのですが、実は日本語訳が違うだけでした。最初は新改訳の



正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。

旧約聖書:詩篇34篇19節


が目に留まったのですが、なんだか「自分は正しい者じゃないしなあ・・・」と恥ずかしくて、新共同訳を開いたら


主は助けを求める人の叫びを聞き
苦難から常に彼らを助け出される。

旧約聖書:詩編34編18節(新共同訳)


と書いてあり、「こちらの方が今の私の気持ちにあってるなあ」と思ったので、両方書きました。

ちなみに新改訳が19節で、新共同訳が18節なのは、間違いではありません。新共同訳の方は、34編の1節が


ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに。

と言う節が入ります。新改訳はこの節がありませんので、新共同訳は、新改訳より一節少なくなります。詳細は書店で聖書をご覧頂くと、違いが良くわかっていただけると思います。(なんかコーヒーのCMみたいになったなあ・・・


参考までに英語訳も書かせて頂きました。
英語訳を読むと、新改訳の方が意味が近く感じられます。原語だとどうなんでしょうね?旧約聖書はアラム語でしたっけか?興味があるところです。

そろそろ眠くなってきたので、この辺で今日は寝ます。

オヤスミナサイ。今夜はぐっすり眠りたいな・・・。


笹野一刀彫の羊ちゃん♪こちらは私の友人がお店に飾っている作品ですが、笹野一刀彫も篆書(てんしょ)も、どちらも大好きです♪








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雨が去っていった

2015年05月05日 | 
今朝起きたら
昨日、私の枕元で子守唄になってくれた
雨はやんでいた
雨、雨よ
あなたは空に帰っていったんだね
今、空は優しく
ちょっとうるんだように晴れているけれど
今からまた真夏の日差しに変わりそう
あなたの優しい湿り気が無くなってちょっと淋しいけれど
また、一番いいときに
私を慰めに来てね



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雨が降ってきた

2015年05月04日 | 
ぱら、ぱら 
ぽつ、ぽつ、ぽろ・・・・・と
雨が降ってきた
久しぶりに落ち着いて聞いた雨音(あまおと)
疲れた私の心と体にしみとおる
雨よ
せめて今夜だけでも
私の耳元で
あなたのささやきを聞かせてください




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