新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

樋野先生講演会のアンケートの内容紹介です

2016年03月11日 | 集まりの様子
2/28の樋野先生講演会と第2部のグループ討議について出席された方々の感想の一部です。


・樋野先生に初めておあいできたのは非常に光栄でした。後編のグループワークがとても良く、ためになりました。

・心が落ちつきそう

・参加するのに”哲学”ってちょっとむずかしくきこえて勇気がいりましたが、本当になごやかな空気につうまれ気持ちが楽になりました。

・とてもステキなお話でした。心にひびく言葉がたくさんありました。先生の本読んでみることにします。ありがとうございました。

・明日信でも死んでも今日の花に水をあげなさい。を読んでエルプラザでチラシを見て来ました。ありがとうございました。

・父、母ともがんで亡くし、本に出会いました。今後は、がん治療をする人を支援して行きたいと思い出席しました。ありがとうございました。

・本日はありがとうございました。2度目ですが大変深いお話に感銘致しました。先生のご著書はほとんど買い求め読んでおります。

・歴史、国際情勢と、病理学者の視点からのがんに関する専門性がリンクし、まさに「がん哲学」を拝聴できる貴重な講演でした。


みなさん、ご出席ありがとうございました。またお会いする日を楽しみにしています。感謝です。

参考情報です

2016年03月10日 | お知らせ
樋野先生が推進するメディカルビレッジ構想のシンポが東京で開催されます。こういう動きもあるということで掲載いたします。




樋野先生講演会を開きました(0120)

2016年03月10日 | 集まりの様子
去る2月28日、午後から愛生舘サロンでスヴェンソン札幌及びさっぽろがん哲学外来の主催による樋野先生の講演会が開かれました。当日は定員50名のところ53名の皆さんの参加があり狭い会場は文字通りの満員となりました。会の構成は、第1部が講演会、第2部が2グループに分かれての懇談で、第2部に平行して樋野先生との2名の個人面談が別室で行われました。多くの皆さんに参加していただき、先生の話題豊富な講演も熱が入っていましたし、第2部でも多くの発言があり大いに盛り上がり、樋野先生がいつもおっしゃる対話の大事さが体現されていました。(写真はクリックすると大きくなります)

会はこんな感じで始まりました。

主催者挨拶です。

講演会の様子です。

講演内容の一部です。

講演内容の一部です。

第2部の様子です。

朗らか二人組

がん哲学校たより 番外編 (0119)

2016年02月21日 | 樋野先生からのメッセージ
<ヤフーニュース・デイリー新潮から転載しました>
「妻のおせっかい」「夫の冷たさ」ががん患者を悩ませる
がんになった人にとって、がんよりも悩ましいものがあるという。
 それは、人間関係。
 本来ならともに病気に立ち向かうはずの家族や親戚、知り合いとの関係に思い悩む患者が急増しているのだ。
 がんにまつわるあらゆる相談にこたえる「がん哲学外来」の担当医で、順天堂大学医学部教授の樋野興夫氏は次のように分析する。

「順天堂医院(順天堂大学病院)にがん哲学外来が発足した2008年には、患者の悩みはがんの不安、職場での人間関係、家庭内での人間関係がちょうど三分 の一ずつでした。職場での悩みは幸いなことに減少傾向にありますが、人間関係、特に家族との関係で悩む相談者は増える一方です。なかでも突出して多いの は、『妻の余計なおせっかい』に悩む夫と、『夫の心の冷たさ』に苦しむ妻という構図でしょう」

「妻の余計なおせっかい」は例えば、がんである夫の気持ちをどこかに置き忘れてしまい、テレビや雑誌で知った「がんに効く食事」や「毎日するといい健康法」などを、妻が無理やり実践させるケースだという。(以下、「」内は樋野教授の『がん哲学外来へようこそ』より)

「消化器系のがんを患っているのに、『あれを食べなさい』『これが効くらしいから毎日飲んで』『一生懸命つくったのよ』とうるさく言われて辟易した夫がい ました。何とか体力を回復してほしいという妻の思いは間違ってはいないものの、これでは患者当人にとって大きな負担になってしまうでしょう。
また、がんになった夫は病状を客観的に把握しているのに、妻のほうが心配ばかりしてあれこれ口出しするということもあります。『親戚には言わないでおいた ほうがいいかしら』とか『入院費は何とかなるのかしら』などと妻がオロオロし続け、夫の苦しさと直接関係しない『自分の問題』ばかりを口にしたら、せっか く前向きになった夫の気持ちも萎えてしまうというものです」

 一方で、「夫の心の冷たさ」も深刻だという。例えば、妻に家事をすべて頼っていた夫が、がんで家事が満足にできなくなった妻に対し、不満を露わにするようなケースが目立つ。

「もちろん夫も、がんになって大変な妻を理解しなければいけない、とわかっています。しかし、知らず知らずイライラを溜め込み、妻に冷たい態度を取ってしまうのです。

 妻が毎日家で『つらい』とか『悲しい』と言って嘆くため、夫は帰宅するのがおっくうにと感じ始めます。外で忙しく働く夫の立場に立ってみると、妻のこと を理解したい気持ちは山々でも、リラックスしたい場所で塞ぎ込まれてはたまったものではありません。そういう場合、夫はだいたい『残業だ』などと言って仕 事に逃げ込み、妻の孤独感をさらに募らせます。極端な場合は、女性問題を起こしたりすることもあるのです。

 また、普段口下手な夫の場合、悪気なくかける『どこが痛いんだ?』『本当に大丈夫なのか?』『頑張れよ』などという言葉が、かえって妻を傷つけてしまう事例も見てきました」

 ここまでの事態になっていなくとも、「がんになった家族にどう接したらいいのだろうか」と深刻に悩む人が少なくないのだ。

 樋野教授はこうアドバイスする。

「たとえ家族でも、何でも気兼ねなく話せる雰囲気作りをすることは簡単なことではありません。そのためにも、がんに限らず、『病気は感情のひだを繊細にする』ことを誰もが知っておくのがいいと思います」

がん哲学校たより 79(0118)

2016年02月21日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです(2016.2.21配信)
第151回「がん哲学学校」
大宇宙の中の、小さな地球、そこに住む人類の存在の不可思議~原点回帰~

日米癌合同会議「Breakthroughs in Cancer Research: From Biology to Therapeutics」(Mauiに於いて)に参加する機会が与えられた。最先端のがん研究の学びの時であった。会議に先立ち、「Garden of Eden」、「水族館:Maui Ocean Center」を訪問した。「Garden of Eden」では、多数の植物の種類、「水族館」では、多数の魚の種類を、改めて学んだ。地球上の莫大なる生物の種類の存在には驚きである。飛行機の中では、映画『オデッセイ:The Martian』を鑑賞した。火星における生存のストーリーである。大宇宙の中の、小さな地球、そこに住む人類の存在の不可思議の再認識の旅であった。原点回帰の時である。

帰国後、土曜日の午前中、日本がん看護学会(幕張メッセに於いて)、シンポジウム『がん体験者と家族の感情表出を促すケアの可視化~語りを科学し、寄り添う力を強める~』で、講演『がん哲学外来の真髄~偉大なるお節介~』する機会が与えられた。会場は、1000人を超える、大盛況であった。「医療幕末・公武合体から医療維新」に向けての『看護師』の歴史的出番を改めて痛感した。

土曜日の午後は、第45回「お茶の水メディカル・カフェ in OCC」に赴いた。会場は、80人を超え、満員であった。大いに感動した。「持続・継続の大切さ」を改めて、実感した。筆者は、別室で、4組の個人面談も行った。新刊『がん哲学外来へようこそ』(新潮新書)が、会場で、完売となった。驚きである。

先週の福岡ホスピスの会 公開講座(2月13日)の講演会アンケートが 送られて来た。「とても奥の深い話しで、何度も思い出しながら、少しずつ自分の人生に取り入れていきたい。」、「ユーモアたっぷりのお話に、どんどんひき こまれていきました。」、「樋野先生の人間力に感動しました。」、「ユーモアを交えた話の中、良い話を沢山聞かせて頂き、有り難かったです。先生の尊敬さ れた新渡戸稲造などをもっと知りたいと思います。」、「ホスピスボランティアを続行する為の、ヒントを沢山学ばせて頂き有難うございました。」、「先生の 知識の深さにびっくりしました。」、「樋野先生の志の高さ、ユーモアのセンス、スケールの大きさに、ただただ感動いたしました。」など、多数の温かい・励ましのコメントを戴いた。

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。