Y邸の地鎮祭がありました。明治の初めに建てられていた主屋は、あとかたも無くなり、地面が、100数年振りに陽の下に現れました。永久に立っている建築はありません。主屋は、骨組みも小さく、決して丈夫な作りではありませんでしたが、100年以上建っていました。理由は何か。やはりメンテナンスしながら、大切に住み継いで来たからに他ありません。いくら丈夫に作り、地震にも耐えられても、愛され住み継ぐ物のいない建築は、30年前後の寿命しか持ち得ません。出来るなら私たちが建てる、ポスト&ビームの、杉の丸太の建築は、愛され、前の家以上の時間この地に立ち続けている事を、願いました。浅上王子宮の神官に、基礎を打つ時の鎮め物はないのですかと聞いたら、施主さんが、神社に参拝したとき、神社の境内にある小石を拾って来て鎮めて下さい。と言われた事に少し感激しました。こんな事は今まで無かったからです。必ずありがたい神秘な物、言われのある形のある物を鎮めてきたからです。形では無く、想いを入れるという行為は、何か清々しい物を感じました。
4世代が関わる建築を建てられる事は、光栄であり、責任を感じます。だから、地の神に、100年以上この地に建ち続ける建築を、創らせて下さいと、おねがいしました。