2月の鬼門を なんとか やっとこさ 乗り越えて
やれやれと 思っていました・・・しかし
気を取り直して 考えると 明後日からの 5月も
しっかりと 鬼門であると・・・
2018年 5月1日・・・すでに 6年経ったんですねー
その日の朝 父は 人知れず 亡くなったようです
私は これもまた 孤独死の一つだと 考えています
この話全ては 兄嫁から聞いたことです
朝起き出して 顏を洗った父に
”お父さん ご飯!”って 声をかけたら
”後にする・・”と・・
で 横になる・・と 言ったけれど 自分のベッドではなく
リビングのソファーの前に マットを敷き 横になったので
タオルケットをかけたそうです
なので 母と兄嫁は 普通に朝食を摂り
後片付けやら していた兄嫁は 父に声をかけたのですが
反応はなく 寝ているんだと思ったと・・・
その後 変だな?と 思って ゆすろうとしたら
すでに 冷たくなっていた・・・
その日 姉は旅行のお土産を届けに 丁度 実家を訪れると
兄嫁さんが ”お父さんが変・・”って・・・
姉が 声をかけてゆすったけれど すでに。
しかし 兄嫁の旦那様が”救急車呼べ――――!!”
で 救急車で病院に搬送されたのですが すでに 心肺停止。
ほんの 近くに 母も兄嫁もいたのに
一人 ひっそりと 誰に看取られることもなく 逝ってしまった父でした。
以前に病気はいくつかしたけれど その時は
病院から処方される ビタミン剤と 眠剤を飲む程度だったとか?
なので 病院の医師から
“死因を確定したいので 亡くなってはいますが
CTを撮らせて欲しい・・”との申し出がありましたが
結果 死因となりそうな 病変はなかったのです
なので 死因は”突発性心臓死”だそうでした
82才の高齢なため 仕方ないね・・・と みんな思ったそうです
その日 娘がお休みで 私たちは 梅を見に
名所である”平岡公園”に 行くところでした
でも 兄からの電話で急遽 病院へ・・・
父のCTの話をしている時に到着したのです
仕方がないのかも知れない・・・でも
私には 色々思うところがありましたが
その 大きなわだかまり?不信感?を 耐えに耐え 飲み込んだんです
その後が大変でした
亡くなったその時を誰も 気が付かなかった・・・ってことで
側に 母と兄嫁がいたにもかかわらず ”不審死”の扱いに・・・
まずは 鑑識さんがそこにいた人間全てに対して
関係性と事情聴取を・・・
でも 母は 既に認知症が進んでいて
父の死も 理解できていたかどうかは わかりませんでした
でも あれってすごいですねー
父の体にある 傷 一つ一つに
”これは なんですか?””ここの青あざは?”なんて 聞いてました
手術跡などは 姉が説明していましたが
青あざなんかは 兄嫁も”わかりません・・と答えるしかなかったのです
それから 実家に移動しての家宅捜索です
家の中(リビングと両親の部屋)を
数人の鑑識さんが 細かく調べました
すると 引き出しのあちこちから 現金が 何十万も出てきて
一々聞かれる兄嫁さんは
”私のものではないので わかりません!”と・・・
それで終わったのですが
私的には兄嫁さんに聞きたいこと 山ほどありました
でも 姉に諌められて またまた 疑問を飲み込んだんです
なので 今でも その時のことを思い出すと
飲み込んだ ”わだかまり 不信感 疑問”がむくむくと沸いて来て
猫の毛玉のように 吐き出したくなります
それだけならまだしも 遺産相続で 母の相続分を
結果的に 兄が全部相続した?・・・することになった?のが
またしても 私の わだかまりに なってます
兄いわく
”母さんは認知症でもう訳がわからないから
この先 何かあった時の相続がとても面倒だと 税理士さんに言われて・・”だそうでした
兄は父の遺産相続に関しては職場の税理士さんに相談していたので
そう言われると 専門知識がないから
その提示された書類に署名捺印するしかなかったんです
(結果それで 母は自分の家なのに 名義が兄になり
お世話になってる立場になってしまったわけで・・)
がめついと 思われるかもしれませんが
父は亡くなる前に 何かを懸念していたかのように
自分の預貯金のほとんどを 母名義に移していたんです
後に父の遺品の整理をしていた時に見つかって・・・
果たしてそれが 今 どうなっているかなんて
恐ろしくて 姉さえも聞けないと・・・
(私なら帳簿を作って 定期的に 見せるけど・・)
その後兄夫婦は 高額なミックス犬を購入しました
そういう話を聞くたびに 疑問が生じる私は
心狭き 人間なのでしょうね?
そして その 母は数年間に 認知症が進み
兄嫁さんの負担が大きいので 施設に入居しました
その頃は トイレやお風呂の介助が大変だと 度々聞いていたので
姉と私は 兄嫁さんに何度も
”施設に入れよう!”って 話しをしたのですが
彼女は”可哀想だから・・”って 先延ばしにしたんです
(とんちんかんなことを 言うたびに 兄に大きな声で
怒鳴られ委縮するくらいなら・・って 思ったんだけどねー)
何せ 母の世話の当事者は 兄夫婦なので
外部者の私と姉は それ以上は言えなくて・・・
でも その後 比較的近場に新しく施設が出来ることになる
ケアマネさんと相談して 入居がきまりました
コロナで頻繁な面会も 差し入れも出来ませんでしたが
施設からのお知らせや写真では とても楽しく美味しく
暮らしていたのに・・・
去年の5月の半ば 兄からの連絡で
”脳梗塞で倒れた・・”と!
緊急搬送された病院にしばらくいて
今は 療養型の病院で 過ごしています
もう 自力では動けませんし 言葉もでないし
誰のことも認識できません
それでも 頑張って欲しいと思うのは
子のエゴでしょうか?
そんなこんなで この じき訪れる 5月は
我が家にとって 第2の鬼門の月なんです
亡くなった 主人の両親と私の父に
毎朝 お茶を差し上げているのですが
今日も手を会わせてお願いしました・・・
(どうか この5月・・・何事もなく 過ぎますように)と・・・