社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

11月30日(火)

2010年12月02日 23時26分31秒 | 2010年

  6時起床。今日は、一日中オフィスにこもって事務作業。しかし、比較的業務に余裕があった(というよりも、いくつかの仕事を後回しにした)ので、業務時間中に勉強の時間を取ることが出来た。相変わらず財務諸表の問題で数字が合わないが、もはやそこにこだわっても仕方ない。昼食は、パスタ。

  定時で上がり、上司(事務方のトップ)と先輩と一緒に野毛へ。1軒目は「馬鹿鍋」(馬肉と鹿肉の鍋)を食べ、2軒目は上司行きつけのスナックでまったりと過ごす。2軒目のスナックでは、今年の3月に定年退職された前の事務方のトップや、普段お世話になっている支援先の方とも偶然一緒になり、大いに盛り上がった。

  今日の飲み会は、前々から私が先輩にお願いしていたもので、ゆっくりと時間を取って「我々の仕事とは何か」について、上司の話を聞かせて頂いた。その内容については、共感出来ることもあれば、よくわからないこともあれば、違和感を感じることもあったが、上司や先輩がこの仕事に心から誇りを持っているということがひしひしと感じられた。彼らの目の輝きは本物だ。しかし、私も彼らのようになりたいかというと、迷わず「YES」と答えることは出来ない。この仕事は基本的に経営者(企業)側に立つものだが、私は未だにそうなれないし、なりたいとも思わない。一例を挙げよう。

ある経営者は、親が企業の経営者だったのだが、当初は地方にいる親の事業を継ぐ気はなく、東京で就職して働いていた。そこで今の妻と出会い、「実家には戻らない(実家の事業は継がない)」という約束で結婚する。しかし、数年後に実家から「戻ってきてくれ」と言われ、悩んだ挙句に実家へ戻り、事業を継ぐ。そして今、彼は経営者として頑張っている。

  この話は、上司と先輩の中では「子が親の跡を継いで立派に成長する成功話」として語られる。しかし、私からすると、これは「最も身近な人(妻)との約束を蔑ろにした人間の話」である。確かに、彼のおかげでその企業は存続の危機を脱したのかもしれないし、彼にとって事業を継ぐという選択は間違っていなかったのかもしれない。しかし、妻にとってはどうなのだろうか。もしかしたら案外幸せに暮らしているのかもしれないが、現在進行形で苦汁をなめているのかもしれない。しかし、そのような発想は彼らにはない。かなり大げさなのかもしれないが、そこに彼らと私の間に大きな溝があるように感じる。念のために繰り返しておくが、彼らの仕事に対する姿勢は素晴らしいし、心から尊敬できる。だからこそ、この違和感が余計に際立ってしまうのだ。

  22時半過ぎにお開きとなる。終電には間に合うのだが、面倒なのでそのまま東横インに宿泊することにする。23時からは、宿泊料金が割安になるのだ。チェックイン後、1時間ほど勉強してから入浴し、1時前に就寝。