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名古屋城

2015-07-05 | 

             慶長15年(1610年)徳川家康が築城。

             天守に、金のシャチを頂く尾張62万石の居城。

             天守閣は昭和20年に焼失し、昭和34年に再建された。

                         「 名古屋城 」

               

               大きくって、立派なお城でした

               驚いたのは、城の中にエレベーターがあった事。

               きつがり屋の私には、ラッキーでした!!

          

              この銅像は、「加藤清正」  天守の石垣作り、築城の名手。

              天守の石垣は、上部が外側にそり出す扇勾配であり、

              石の重みや土の圧力が分散される為、はらみにくく、しかも美しい。

              その名も、清正流。三日月勾配!!

              そり方が、本当にスマートで美しかったです。

             

               本丸御殿が復元されている途中です。

               完成は平成30年だそうです。

               一部、もう公開されていました。ヒノキの香りがいいですね~

               襖絵は、トラが多く書かれていました。

               その中にめずらしいものが・・・・「タヌキかな?」

               聞いてみたら、「ジャコウネコ」でした。タヌキのはずが、ないですよね。

            

                 金のシャチ鉾、いいですね~

                             やっぱり、豪華で輝いていますよ~

                 5重7階の大天守と、3重3階の小天守。

           

              ① 復元工事の見学コーナーを見てきました。

                 その工事の端材を1つだけどうぞって書いていたので

                 もらってきました!!ふくろうを置く台に使いましょう~

              ② 天守の礎石が残っていました。

              ③ 籠と称されるが、江戸時代は女乗物と言った。

                 前後3人ずつで、計6人でかつぐ。

                 私も籠に乗ってみたけれど、足が延ばせて、けっこう広いですよ。

              ④ 6人の武将隊の方が、おもてなしをしてくれます。

                 この日は、「前田利家」 イケメンで感じよかったです

              ⑤ 丸八文様鯱環月付真形釜(まるはちもんようしゃちかんつきしんなりかま)

                 焼失した金鯱の一部は、重さ6.6㌔の塊と化して残った。

                 これは昭和42年に、名古屋市に返還され、そこから金を精製し、

                 茶釜と名古屋市市旗の竿頭につくり直すことに決定した。

                 初代金鯱に使われた金は姿を変え、こうして現存しているそうです。

 

              おしゃれなイメージのお城でした。

                           エレベーターがあって、助かりました!!

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