先週の金曜日(3月4日)、マラテ教会のマルティン神父様、岡山教会の荻神父様と、マラテ教会近くのレストランで、お昼をご一緒させていただきました。↓
(右から荻神父様、マルティン神父様、Rinaさん、向かい側に里子のような存在の若い二人…。マルティン神父様と荻神父様は初対面です。)
荻神父様は、今回も、カトリック広島教区の姉妹教区であるケソン州、オーロラ州のインファンタ教区を訪ねられた後、お忙しい日程の合間にマラテを訪ねてくださいました。
食事の後、マルティン神父様は、私たちを、教会のミッション展示コーナーへと案内してくださいました。↓
シアター・ルームでは、マラテ教会の案内の映像とともに、その歴史、マニラ市街戦の映像(DVD)も見せてくださいました。↓
(これは、マニラ市街戦の時の映像の一部、米軍が撮影したものです。)
そして、その展示コーナーの最後の部屋で…。
何と、荻神父様がずっと以前に滞在されていた、アテネオ大学のEAPI(East Asian Pastoral Institute)で一緒だったというカトリックのシスターと偶然に再会!みんなで記念写真を撮りました。↓
以前も、当ブログで記事にしたことがありますが、このマラテ教会2階のミッション展示コーナーの一室には、「マニラ市街戦・1945年2月3日~3月3日」の写真やパネル、当時の様子が再現された模型なども展示されています。
マラテ・カトリック教会のミッション展示コーナー・Mission Exhibition(2010年9月)
そのマニラ市街戦について触れられたマルティン神父様、「(当時の)日本がどうの、アメリカがどうの…、ということも大切だが、このマニラ市街戦で、約10万人もの罪の無いフィリピン人一般市民が『戦争によって犠牲になった』という事実は忘れてはならない。」と…。
「戦争による犠牲者」だったのだと…。「Victims of the WAR」と、2回強調されました。日本人である私たちを気遣ってか、「罪を憎んで人を憎まず」ともおっしゃっているようにも思えました。
当時、爆撃により大きな被害を受けたこのマラテ教会…、コロンバン会の神父様5人も、そのマニラ市街戦で犠牲になりました。
(“Pieta Malate 1945” マラテ教会にあるマニラ市街戦による犠牲者を悼む像)
(マラテ教会駐車場にある、戦中、戦後を生き延びたであろう大きなゴムの木・Rubber tree)
そして、爆撃を受けた聖堂の石レンガのすき間からも、その若い枝木がたくましく芽吹いていました。↓
この「マニラ市街戦」についても、実際にあったことがよく伝えられていなかったり、隠蔽されたりと、事実誤認が少なからずあるようです。
わずかに生存する「マニラ海軍陸戦隊」の元兵士たちも、人生の最晩年を迎えて、ようやく重い口を開き始められたと…。
フィリピン 絶望の市街戦 ~マニラ海軍防衛隊 - 証言|NHK 戦争証言
その、「数十年の年月を経ないと、本当のことを語ることができない…」ということ自体が、「戦争」がいかに悲惨なものであるか、また当時の日本の極めて厳しい状況を、伝えようとしているかのように感じました。
ここフィリピンでも、戦時中に起きたことを知る生き証人は、高齢化により年々少なくなってきていますが、歴史の真実はいろいろな形で語り継がれています。
Manila Bay Sunset in Real Time.wmv
(マニラ湾のサンセット・You Tube)
※参考:当ブログの以前の記事から…。↓
岡山カトリック教会の荻神父さま…。(2010年8月)
聖母マリアさま・The Virgin Maryのお誕生日(9月8日)(2010年9月)
今日は、西宮の夙川教会で私が関わっていた方の葬祭のミサがありました。
そして。。。
このブログとの出会い。。。
私は、広島の観音町教会に於いて、荻神父様から洗礼を授かりました。今は教会にはご縁のない生活を致しておりますが、30年ぶりにとても懐かしくお顔を拝見いたし感激しております。