答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

「腹が立ってたまらない人」へ

2018年03月20日 | ちょっと考えたこと

「聞いてくれます?」と問いかけてきたその人は、とあることに「腹が立ってたまらなくて・・・」と言う。

その話をひとしきり聴いたわたしは、「第二の矢」の話をした。

 

第一の矢とは、脳や身体や心で感じることだ。それはなにも、怒りや嘆きといったポジティブな感情にとどまらない。喜びもまた第一の矢だ。そして、第二の矢とは、それに執着する心だ。第一の矢が現実としてあるのに比べ、第二の矢は現実にはないものだ。第一の矢を受けた当人が産み出したバーチャルなものなのである。

「腹が立つようなことをされた」のは第一の矢である。

そこで腹を立てなければよいのだろうが、いかんせん多くの人はそれほど上等にできてはいない。「腹が立つ」のは仕方がないことだ。問題はそこからである。

「腹が立ってたまらない」の「たまらない」は第二の矢である。

「腹が立った」事象や言動に執着し、自分で「たまらない」という感情を産み出し、なおかつそれを増幅させている。自分自身に芽生えた執着する心を、「これは第二の矢なのだ」と把握し、客観的にながめてみる。そうすることで、自家中毒の無限ループから脱出できるかもしれないよ。

 

なんて話をした。 

と言えば聞こえはイイが、じつをいうと、それほど上手くは言えなかった。行きつ戻りつしながら、やっとこさ「そのようなこと」を言ったにすぎない。「第二の矢」については、このブログで何度も何度も書いてきたし、自戒の言葉としていつもいつでもわたしの脳内に潜んでもいる。そのくせ上手に説明できなかったのは、自分自身の血肉とはなってなかったことの証左だろう。

だが、そうは思いつつも伝えたかった。なぜなら、「これは第二の矢かもしれない」もしくは「これは第二の矢だ」、あるいはもっとシンプルに「第二の矢、第二の矢、第二の矢」と心のなかでつぶやくことで、自分自身が危機から脱出できたことが幾度となくあるからだ。それを自分のなかだけにとどめておくのは、あまりにももったいない。そう思えばこそ、拙い説明ではあったが、伝えた。

いやいやそれだけではない。有り体に白状しよう。まったくの偶然、そしてまったく別のことに対してではあるけれど、ちょうどそのとき、聞き役たるわたし自身が「腹が立ってたまらない人」になっていた。他人からの相談に乗じて、ちゃっかりと自分で自分に言い聞かせていたというわけである。



そうこうして、「聞いてくれます?」の人を見ると、心なしか表情がよくなっている。

それを確認したわたしは、待ってましたとばかりこう言って手を合わせ、ボウズ頭をつるりとなでた。


「合掌礼拝・・・・拝めよ・・・」

 

いやはやなんとも、食えないオヤジだ。

 

 

 

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